スキマライフ!~不穏なゼランディ【セディエ視点】
落ち込んだ様子の兄は、実のところ、とてもフランを気に入っていた。
シャンビータで回復魔法使いに懸賞金をかけているのは、既に広く知られた事実。
そして助からないと判断されていた私が回復した以上、騎士団が魔物と治療についての情報を欲するのは、当たり前のことだ。
兄とて、報告はなるべく必要最低限に押さえたはずだ。
報告をしないという判断は、残念ながらできない。
騎士団の対応をしたのが誰であろうと、報告自体はなされたはずだ。
重大な隠蔽工作だと疑念を抱かれてしまえば、我が家はたちまち反逆者の汚名を着せられることだろう。
懸念はそれだけではない。
領内に特殊な魔物や大規模な害獣が出た場合、騎士団の派遣を渋られると、文字通りおしまいなのだ。
私兵を潤沢に持てば反逆を疑われるのだから、どこの領主にも日々の魔物を退けられる最低限の兵力しかない。
ただでさえ中央から遠いシャンヴィエ領では、少しの対応の遅れが命取りになる。
中央に目を付けられて、領民全てを危険にさらすようなことはできない。
フランという存在自体を隠し通すのは、どう考えても無理だった。
それでも騎士団に差し出すことは、したくなかった。
卑怯な言い方だ…したくなかっただけだ、フランにとっては、差し出されたのと何ら変わらなかった。
だが騎士団が正式に命令を出してきた以上、シャンヴィエ侯爵家にできるのは、やはり『交渉のテーブルを用意すること』だった。
私ならば幾らかの説明をしただろうというだけで、結果は変わらないのだ。
兄だけを責めるわけにはいかない。
むしろフランが他国の冒険者であることは幸いだった。
領民であれば…もう、家族で山越えし亡命する以外には逃げられない。
侯爵家としては旅人を引き止め、騎士団の話を聞く状況を用意したところまでで、何とか中央への言い訳が立つ。
ましてや兄はフランに何の説明もしていなかった。
騎士団は兄を『兵役にもつけず侯爵家も継げない役立たずの長男だが、国に協力的だった』と見なしただろう。
…兄は…フランがここまで拒絶することを、本気で、想定していなかったようだ。
兄らしいといえば、らしい。
「…友達ですらないって言われた」
年の差を考えて下さいよ、兄さん…。
成人したての子供に、大の大人と友達などというのが、そもそも難しいのでは。
「フランは14だそうですよ。兄さんとは10くらい離れているじゃないですか。友達ではなく、他人のおっさんですね」
「え、お兄さんですらないのか」
「お兄さんは私くらいまででは?」
「…へこむ…」
4、5歳差ならお兄さんであろう。
しかし兄から、あの子が身長を盛っていることは聞いた。
大人に見せようとわざわざ画策しているというのなら、成人しているという自己申告も本当かどうか…。
そもそもフランは、女の子なのだと思う。
あの顔立ちと線の細さも然る事ながら、素の声は高さが違う。
先日、部屋を訪ねようとしたらボソボソと話し声が聞こえたので、つい訝しんで、こっそり覗いてしまったのだ。
…フランは絵を描きつつ、左右に揺れながら楽しそうに歌っていた。
扉を薄く開ける寸前に「これだけ都合のいい人材、やはりどこかの密偵だったのか」なんて考えた自分が馬鹿みたいだ。
ただのいい子だった。お陰様で、お兄さんは心底、自己嫌悪でした。
「騎士団に目を付けられた以上は、なるべく短期で割のいい条件を付けて、話を纏めてしまったほうがいいと思ったんだ」
「わかってますよ。私はね」
溜息をつくよりない。
容姿を隠し、年齢も性別も誤魔化しているというのなら、名前だって偽名かもしれない。もしそうであれば、フランは相当に、本来の身元を知られたくないのだろう。
むしろ出自すら厄介である可能性がある。もはや下手に探るべきではないし、騎士団とて逃げられて命拾いしたのかもしれない。
騎士団は、本当に自分達のことしか見ていないから、あんなことをするのだ。
万が一、お忍びの他国の王族なんて強制労働させたりしたら、目も当てられない。
「フランは隣国の出身なのですか?」
「ああ。山越えでこちらに来たと言っていたからな。トリティニアでは成人前に名を隠して絵を売っていたようだ。売れるってことはパトロンがついていたんだろ。定住してないチビになんて、パトロンは無理だからな」
…パトロンなら名を売らせたいだろう。
そして他国に来た今となってはもう、名を隠す必要はない、のか。
それならばやはり、偽名を名乗っているのではないか。
名を隠して絵を描くような女の子…子供でも画材が揃えられて、名を隠していても売れる手段のある環境。
貴族か?
そういえばテーブルマナーも所作も、荒いところなどまるでなかった。
トリティニアとて政略結婚が主流だと聞く。そんなことを娘に許すなど、相当に余裕がある家だな。高位貴族か。
それにしては腕も立つし行動的だし、随分、庶民的にこなれていた。判断しにくいな。
高位貴族の子が冒険者なんて、普通なら笑って否定するところなんだが…目の前に兄という冒険者がいる以上はな。
…いや、追求しても仕方のないことだ。これ以上は考えまい。
「トリティニア兵は、平時の接収に積極的でないのかもしれません。他国の情勢など我々にもわからないのですから、フランとてゼランディの常識など知らないのでは?」
「接収しない兵なんか、おとぎ話だ」
兄は、面白くもないジョークを聞かされた顔をしていた。
…この国の貴族を語るには、一番に上がるものとして兵役がある。
兄は自分の名誉を全て犠牲にすることで私の兵役の短縮を謀ったが、ゼランディの貴族には継嗣以外の男兄弟がいれば、兵役に出さねばならない義務がある。
成人と同時に『入団試験の権利』という名の召集令状が来る。
騎士団に入団できれば、一番マシだと言われていた。騎士団が出なければならない場所というのは決まっている。
私は例外に当たったが、未知の魔物や魔獣の大量発生などの大きな例外がなければ、『最後の壁』として概ね死なずに済む。
能力が足りねば、歩兵団へ回される。歩兵団は苛酷だ。死なない程度の怪我で退役できれば儲けもの。
所属すれば基本的には、定年退職か死亡、傷病でしか退役が許されない。
唯一の抜け道が、継嗣が病や怪我で家を継ぐことができなくなった場合だ。それでも簡単には免除されず、残5年に短縮される。
後継ぎが死んでも一族が全ていなくなることはそうそうないだろうから、5年くらいはやり繰りして持ち堪えろということだ。
兄は一体いつから考えて準備をしていたのか…私が成人して召集された翌年には、兵役短縮の手続きが終わっていた。
実際に、大怪我を負って見せたのだ。
傷病のため侯爵家を継ぐことができず、騎士としても歩兵としてももはや戦力にならないと周知認定される…不名誉な手続きだ。
早期退職への嫌味と共に、周囲に兄を散々に言われた。
この国では、家も継げず戦えない貴族の男は、そんなにも悪いのだ。
兵役につけぬ兄は、それでも健気にお国を守ろうと、冒険者活動をして力を取り戻そうと…していることになっている。
完治して今でこそ元気だが、正直、継嗣放棄の話を聞いたときは泣いた。
兄は領民のために尽力しているし、幸い領地が中央から遠いので、領民達は兄を悪く言ったりしない。
…だから、私は、わかっているのだ。
「それでも、フランは成人したばかりの子供でしょう。説明するべきだったんです。うちの騎士団は…厄介だということからね」
侯爵家長子として育った兄の頭には元々その選択がなく…つまりフランが正面切って逃げるとは、全く思わなかったのだろう。
フランは身軽に逃げ回ったが、我が家を慮ってか、騎士を害することはなかった。
代わりに、兄には容赦しなかった。
「セロームの、とりあえず外堀を埋めれば言うことをきくだろって考え方、嫌いだな」
ぴしゃりと言い切って、それからあの子は、固まる兄に首を傾げたのだ。
「誰も教えてくれなかったの? …ああ。侯爵家の長男だから、周りも貴方の機嫌を損ねるのは嫌だったのかな。そうだよね、私としても、こんなことでもなければ言わなかったよね。だってセロームは友達じゃないから、別にどうでもいいものな」
…弟としては、いつものことすぎて、確かにそれを何とかしてやろうと考えたことはありませんでした。
周囲の騎士も引いている。
友達じゃないのか、と悲鳴を上げる兄に対し、フランは微塵も揺るがない。
「友達は誠実な人がいい。貴方は無理」
周囲から見て領主の子でしかなかった兄には、確かに諫言よりもおべっかが集まっていたのだろう。
兄は策謀的な意味では頭が良いが、領を出たことがなく、世間知らずな面もある。
フランは他国から旅をして来た。
成人したてであろうと関係ない、危険を察知したなら、己の身を守るのが当然だ。
そもそも、あの子は未だに家の中でさえフードを脱ごうとはしないのだから。
決裂した交渉のあと、騎士に屋敷中を追い回されたフランは、最終的に調理場の窓から逃走した。
通れるわけがないと誰もが思ったのに、肩すらつっかえずに飛び出した。
そのあっけなさに、唖然としたくらいだ。
するりと窓をくぐり抜けたら、芝生で前転してそのまま立ち上がり、あっという間に駆け去っていった。
騎士団は夜が明けるまで捜索を続けたが、ついぞ見つけることはできなかったそうだ。
正体不明の魔法使いはシャンヴィエ領からいなくなった。
大した礼もできないまま、命の恩人を不愉快にさせて旅立たせてしまった。
顔を見合わせた兄と共に、フランに貸し与えていた部屋に行く。
別れは急なことだったから、荷物が残ったままのはずだった。
けれども。
「感付いていたのかな」
ぽつりと兄が呟いた。
部屋に残されていたのは、布を被せた絵が一枚だけ。
騎士団が来たから応接室に来てほしいと、兄が声をかけたときには、まだ色々と置かれていたはずだという。
「…兄さん宛だ。『セディエ君にあげようと思ったけれど、代価はセロームに請求します。侯爵家からは貰いすぎなので、冒険者として稼いだ中から順当だと思う額を入金せよ。分割も可』だって」
布に手紙が留めてある。
読み終わった私は、それを兄に渡す。
「…おい。これ、あの魔物だろう。なんか可愛くなってるが」
手紙の最後に、デフォルメされているとはいえ、見覚えのありすぎる魔物が蔦をくねらせる様が描かれている。
不吉すぎるので、やめていただきたい。
手紙から目を背け、布を外した。
父と母と、兄と私だ。
背景に、屋敷から見下ろすシャンビータの街。
生きてて良かったな。
そんな思いがしみじみと胸に満ちる。
生きられて、良かった。シャンビータで、また暮らせる。
「兄さん」
「うん?」
「金貨100枚分くらいは稼いで下さいね」
「冒険者で!? 完全に無理だよな!?」
「意気込みの話ですよ。退役したら、私も冒険者登録します。一緒に頑張りましょう」
兵役はまだ1年以上残っている。
まだしばらくは、騎士団で息をひそめて生き延びねばならない。
正体不明の魔法使いはシャンヴィエ領からいなくなった。
しかし、また、会える日も来るだろうか。
いつか、正体を教えてくれるといい。
それまでに、できるだけ兄の悪癖の矯正に励むようにしよう。




