うっかりマッチョが現れた。
山の民の集落を経由したため、私は山越えで隣国に入っていた。
つまり、アレだ。
小銭の両替が済んでない。
そろそろ本気で、小さな集落でのお買物に支障が出てしまう。
大きめの街に入りたいところなのだけれど。
あと、いい加減にサイズの合った鎧が欲しくてですね。
平地で走るくらいは良くても、コレ、山越えにはちょっと駄目だった。動きにくい。
「…ホント、君と遊んでる場合じゃないんだよね。おわかり?」
ガルゥ、と返事が返った。
狼魔獣さん、こんにちは。
その隣で、食われかけてる鎧の人も、こんにちは。
どうすんのよ、これ。
「…うっ…に、逃げろ、坊主!」
少年ならまだしも、坊主かぁ…。
より年齢が下がって見られている気がする。
もしや隣国人は皆、うちより体格いいのかしら。
この人はマッチョぽいけど。
私を見つけて、逃走を促す鎧の男。
どうやら足を負傷していて動けないようだ。しかし、まだ体力的な余裕はありそう。
お食事の邪魔をしたためか、狼は私を睨んで牙を剥いている。
逃げてもいいんだけど、そうするとこの鎧の人は確実に、無言の帰宅になるよね。
ここは、山の民の住む地だ。
普段はこんなところまで下りては来ないらしいけど、奥地に彼らがいることは誰もが知っているという。
…この人が死んだら、濡れ衣で、エルミーミィ達のせいになったりしないだろうか。
エルミーミィには、集落を出る前に、額縁を作ってあげた。
額の付いたアンディラートの肖像画を掲げて、嬉しそうにくるくる回っていた。
そんな、彼女の姿を思い出す。
「…もぅ…。秘剣技・ボッシュート!」
ただのアイテムボックスへの収納だ。
収納と同時に素早く、私の斜め前の空中に狼を取り出す。
何が起きたかわからず、目を見開く狼と、鎧の男。
隙アリ!
素早く剣を抜いて、急所目掛けて突きィ!
悲痛な悲鳴に心が痛くなるが、唇を噛んで耐えた。剣を引き抜き距離を取ると、獲物の身体がドサリと地面に落ちる。
わんこじゃない、わんこじゃない、魔獣なの。飼えない子。人肉の味を覚えた獣は、人とは仲良くなれないのよ。
心の中では号泣だったが、動かなくなった狼から目を逸らし、鎧の男へ歩み寄る。
「な、何だ今のはっ」
「秘剣技。つまり、秘された剣の技です」
適当ぶっこいて説明を省いた。
「…成程。名のある師に学んだのだな」
むしろアイテムボックスの使い方は、名も知らぬサトリさんに学んだのですが。
結果として師匠には違いない。
「立てますか」
「…いや。坊主じゃ俺を運べないな…街へのお使いを頼まれてくれるか」
私が誰かを呼びに行っている間に、血の臭いを嗅ぎつけた別の狼に食われているオチですね、わかります。
運べなくはない。
運びたくはないが。
ちっ。お前が怪我などしておらねば、無駄な狼殺しをせずに済んだというのに!
怪我人に対して、この八つ当たりである。だって私一人だったら、わざわざ戦ったりはしない相手だ。
犬猫は愛玩動物だと思ってるから、狼とか殺すの、本当は嫌なのだ。
…うん。ただの我儘です。わかってる。
でももう従士じゃないからさ、フリーの冒険者だからさ。仕事を選り好んでも許されるんじゃないかなって。一人なら逃げるよ。
メッソメソな内心を隠して、鎧の男の怪我をざっと眺める。
女神たるお母様なら、かような屈強な男でも、触れずとも治せますわ。他の男に軽々触れたらお父様の目も怖くなるだろうしな。
無駄魔力を意識して減らすように心がけながら、そっと呟く。
「『マザータッチ』」
果たして、試みは成功し、黒靄は出現しなかった。
ならば回復は出来たのかと素早く相手の身体を見回すと、男は驚いたように自分の腿の血を右手で拭う。
破れたズボンと血の間から、治癒された肌が見えた。
…嫌なチラリをされたが、魔法は発動しているようだ。
それに、何となく治癒時の魔力の動きが掴めた気がするぞ。
よし来い、次の怪我人!
「驚いたな。坊主、お前は魔法使いだったのか。助かったよ」
立ち上がった男が、大仰な仕草で握手を求めてきた。
アンタ、今その手で血を拭ったばかりでしょうに。私になすりつける気かね。
「あ、いえお気になさらず」
片手のひらを相手に向けて『お断りします』の形にし、私も大袈裟な動きで心配そうに相手の身体を眺めるふりをする。
全くさりげなくもなく、荷物から余り布を差し出す。四隅すら縫っていない、ただの端切れだ。雑巾枠だが未使用だから平気よ。
相手は苦笑いして受け取り、両手を拭った。それは返して要らないから、自分で処分して下さいね。
「基本は剣を使います。魔法は先日覚えたばかりなので…ちゃんと治ってますか? おかしなところがあれば、後できちんとお医者様に治療を…」
男は「いや、大丈夫だ。ほら!」とズボンの破れ目を広げ、ムキムキと筋肉質な腿肉を見せつけてきた。
よすのだ、マッチョよ。
ビリッて言うたよ。ズボンの穴、広がってしまったよ。
「…そ、そうですか、それは良かった。では、私はこれで」
ムキムキ、オナカ、イッパイ。
そんな気分で横を通り抜けようとすると、腕を掴まれ…そうになった。身体強化様の加護による、無意識の素早い回避!
「なんか急いでるのか?」
「…いえ、そういうわけでは…」
「今の身のこなしといい、小さい割に腕が立ちそうだなぁ」
あの狼はお前のものだぞ、なんて言われても、困る。したくないのだ、解体を。
「正直、山歩きでちょっと疲れているんです。私は止めを刺しただけで、戦っていたのは貴方ですから、これは貴方が持ち帰ってください。そのほうが助かります」
「そうか。ちょっと待っててくれ、片付けてしまうから。礼に飯でも奢らせてくれよ」
別にお礼とか要らないんだけど…。
あ、でも一番近い集落が村だったら、小銭の関係上、奢られておいたほうがいいか?
「俺はセローム。採集の帰りだったんだが、うっかり穴ボコに足を取られたところをこいつに襲われてな。お陰で助かったよ」
本当に酷いうっかりさんだな。
悩んでいる間に解体が始まったので、遠い目になりながら、掛けられる声に答える。
「私はフラン・ダース。山の民の集落から、人里へと戻るところでした」
「…何。捕まっていたのか?」
「いえ。偶然知り合った方の依頼で、肖像画を描いてきたのですよ」
ふぅん、とよくわからないような相槌が返った。私もなんて言っていいかわからないが、出会ったばかりの人にあんまり詳細に語るのも憚られる。
「剣士なのに絵描きなのか?」
ムキムキがじっと私の手を見ている。
…えっと。はい。剣ダコとかないし、手荒れもしてません。だって、身体強化様の加護が強靱なんだもの…。
手袋とかしてたほうがいいのかな。
はっ。手の大きさ。そんなこと気にしたことなかったけど、もしや子供扱いにはこれが大きいのでは…。
よし、手袋も買おう。
「絵を描き始めたほうが先ですから、剣より絵筆のほうが扱いが上手いでしょうね」
答えたところで天啓が閃いた。
そうだ。別に冒険者イコール剣士じゃなくたっていいじゃない。絵描きになろう。
どう考えたって、薬草採集より絵を売ったほうが儲かる。
…いや、画家だって普通にいるのに、わざわざ冒険者の絵なんて買う人いる?
冒険者であることを生かす…なら、冒険者的な場面を描くとして。
ツテもないけど…まずは売店に置いてもらって…上手く行けば商人が買ってくれるな。
「坊主。いや、フラン」
「はい?」
「依頼を引き受けてくれないか」
真剣な声。つい、相手を見つめてしまい、後悔した。
…解体が終わったなら、お手元のモザイク必至の品を、捨てていただけませんかね。
「食事を奢られながらお聞きしましょう」
「あ、そうだな」
そうだよ。早く片付けておくれよ。
皮と牙と爪を入手したムキムキは、狼肉をブン投げて森に返した。豪快。持ち帰らないのを見るに、食用には向かないようだ。
従士隊のときは埋めることが推奨されていたのだが、冒険者は違うのだろうか。
トランサーグは埋めていたけれど…彼は折り畳みのスコップすら持っていた。
村か街からちょっと採集のつもりで来たのなら、そんな土を深く掘り返せるような道具が手持ちにないのかも。
「この辺に、大きな街はあるのですか?」
歩き出しながら問えば、なぜか相手は胸を張った。
「ああ。戻るのはシャンビータだ」
どこやねん。
わかっていない様子の私に、苦笑したムキムキが説明をつける。
「そうか、お前、この国の人間じゃないんだな。シャンビータは侯爵領の領都だ。この辺りでは一番大きい街だから、絵の具だって手に入ると思うぞ」
「それは嬉しいですね」
県庁所在地みたいなものか。
エーゼレット家の領地にさえ行ったことがないのに、よその貴族領にお邪魔することになろうとは。何だか不思議な気持ちだ。
森の端まで来ると、ムキムキがピュイッと口笛を吹いた。
まさか…と思っていると、どこからともなく栗毛の馬が現れた。
わぁ、口笛で馬を呼んだよ。映画みたい。私もやってみたいっ。
だけど私には、心の通じ合った馬はいないのだ。サポート先生にお願いするしかない。そろそろ本気で馬の観察を始めるべきか。
「ほら、支えてやるから前に乗れ」
馬上のムキムキが私に手を差し出してきたので、ちょっと逡巡する。
それ、抱えられるスタイルですよね。
男と見てもこの子供扱い…やはり身長がネックなのだな。次の街では鎧と共に、シークレットブーツを手に入れてみせるよ。
しかし…何かあっても身体強化様なら逃げられるとは思うけれど、見知らぬムキムキに背後から拘束されるとか、ゾッとするな。
トランサーグはその辺、対貴族への自己保身かも知れないけど、ちゃんと距離を取っていてくれたからなぁ。
「…どうした?」
「貴方の後ろでもいいですか? 実は背中に暗器を所持しているので、取り出せないのは、何だか不安なのです」
嘘ではない。
どこからでもサポートで作り出せるというだけだ。
「暗器! はははっ、暗器なのにバラしちゃったのか! 絵描きで剣士で、魔法使いで暗器使いか。何を目指してるんだ、お前は」
笑われた。なんでだ。
とりあえず、許可が出たのでムキムキの後ろに乗って服の裾を掴むことにした。
「父が暗器使いなのですよ。いざというときに役に立つでしょうし、何より父がとっても格好いいから真似したのです」
嘘ではない。
お父様は色んな武器を使えるが、特に暗器が好きらしくって、メッチャ服に仕込んでいる。
やたらちっちゃい飾り気のないナイフとかお母様からもプレゼントされてた、誕生日とか記念日に。
大剣振り回すより似合っているからいいと思う。
「あっはっはっは!」
だからぁ! なんで大笑いなのよ!
悔しいので、彼の服の後裾を万遍なく握り、シワシワの刑に処してやることにした。
全力で握ってやるんだからね。アイロンかけても簡単には取れないぜ。
「馬を走らせるから、そんな掴まり方じゃ落ちるぞ、しっかり掴まれ」
「落ちそうだったら、そうします」
ムキムキへは全く寄りかかることをせず、街まで馬上の人となる私。
身体強化様は、決して裏切らない…服のシワ作りに関してもな。
ふふっ。シワシワ完成。




