あのとき自制さえしていれば
回復魔法をかけた子供は、ぐったりしたままだった。
あの黒靄だったし、魔法が失敗したのではないかと思ったけれど、子供を調べていたトランサーグは首を横に振った。
「治癒は成功したようだ。気を失ったのは、色々と限界だったからだろう」
見ろ、と言いながら子供を仰向ける。
私とシイルールゥは固まった。立ち直るのは、シイルールゥのほうが早い。
「…トランサーグ、それ…」
「これが、ゼランディの山の民だ」
おう。隣国ゼランディの山岳地帯に住む原住民って、獣人のことだったのか。
私は少しだけ、微妙な気持ちだった。
だってせっかく猫耳付いてるのに、この子、あんまり可愛くないのだ。
ますます、猫耳付きアンディラートを描きたい欲求が止まらなくなった。
いや、勘違いしないでほしい。
私がお母様似の美少女だから他人の容姿を見下しているとか、そういう話じゃない。
山の民というこの生き物。
ケモミミはいいのだが、顔が、人じゃなかった。
さりとて、犬猫っぽくもなかった。
マズルが長くない。お盆でパーンて鼻を潰した感じ。
顔が妙に平らいせいか、パーツは人間的な配置なのだけど、鼻先は黒い。
毛の模様が出ているのに、産毛的な短さだから肌色も透けてる。遠目だと入れ墨っぽくも見える。
なんか、どちらとも言い切れないもの。
混ざりけ50%みたいな。
シイルールゥも受け入れがたいものがあるのか、何だか表情が微妙。
もちろん、こういう種族だとわかってしまえば「ふーん」で済む話だ。
ただ初めて見る時は先入観から脳がどちらにも分類できず、不気味の谷みたいに、不安になる感じがあるんじゃないかな。
観察しているうちに見慣れてきた。
うん。ブチャカワ、かな。ちんくしゃ感が。
トランサーグはあんまり関わりたくなさそうな態度をしている。
こういう生き物だと見せてくれるために引っ繰り返しただけのようだ。
そんな…あえて休憩スペースのド真ん中に転がしたままにしなくても。
ちょっと場所を寄せるとか立てかけるとか、してあげてもいいじゃんね。
こっそり身体強化様を発動し、猫耳っ子の脇から両手を入れて抱き上げた。
「面倒を見る気か?」
「まあ、拾ったのだから、一応はね。家に帰りたいと言うのなら、君達と別れて、送り届けるくらいはするつもり」
帰る途中でまた奴隷にされてたりしたら後味悪いから、ちゃんと辿り着くまでの護衛くらいはしましょう。
軽々と猫耳っ子を持ち歩く私に、何だか物言いたげな視線が寄越されたのには…気が付かなかったことにしておいた。
シイルールゥは私が貴族令嬢だなんて知らないのだし、そんな不審がらなくても。
ちらっとそんなことを思ったけれど、客観的に見ると「自分より年下の、恐らくは女の子が、獣人をヒョイッとした」というのに軽く引いたのだろう。
…うん。きっとこう思ったのだね。「うわ、メスゴリラだ」と。覚えのある感想。
…ふふ。せっかくの美男美女の遺伝子を生かし切れぬ、我が身の残念ぶりよ。
ああ、なんて青い空なのだぜ。
ほんのりと休憩を取ってから、私達は再び街道を歩き出したのだけれど。
姫抱っこで連行した猫耳は、日が落ちて野営を始めてもなお、目を覚まさなかった。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ぴし。
ぺしぺし。
ぺんっ! ぺしんっ!
「ぅんー…」
もぉう、やめんかい!
やたらと頬をペチペチしてくる何かを振り払い、無理やり薄目を開ける。
さながら上瞼がジュリエット、下瞼がロミオだ。
今、2人は引き裂かれた。悪役はトランサーグ。
…え、トランサーグ?
意外と間近で覗き込んでくる冒険者から、そっと距離を取る。
容易くプライベートスペースに入り込むでないよ。
「…起きたか」
「えぇと。はい」
きょろりと見渡せば、周囲はすっかり明るくなっていた。
…どゆこと?
私は、夜の見張り当番をしていたはずなのだけれど。
こんな、明るくなっちゃうまで、眠り込んでしまったということ?
幾分ホッとしたような様子が見られる相手と、少し離れた位置で固まっているシイルールゥが…すごく、よく見える。
こんなに見えてはいけないよね?
「え、顔、フルオープンになってる?」
フードが肩に落ちてしまったのではないかと、半ば反射的に襟元を探る。
ダイレクトに手に当たって来たのは鎧の感触で、私は激しく動揺した。
恐る恐る見下ろせば、曝されたのはサイズの合わない鎧。おお、いとカッコ悪し。
「…私めのマントは、いずこに…?」
変だな。寝ながら脱ぐ癖とかはないぞ。
確認するも、周りには置いていないようだ。
昨夜はそんな眠かった記憶もない。
ちゃんと火の番をしていた。
そう、確か、途中で猫耳も起きてきたはずだ。
「あれ、猫耳っ子もいないね。夜中に起きたんだけど。髪と似たような、オレンジ色の目をしていて…瞳孔、細かったよ」
目を擦って寝起き顔を隠そうと試みる。
シイルールゥが固まってるのって、私の頬にヨダレ跡とか付いてるせいじゃないよね。
女子に対して、寝起き顔の凝視は止すんだ。
「成程。どうやら、やられたな」
一人で納得したようなトランサーグに、疑問いっぱいの目を向けた。
「山の民には不思議な目を持つ者がいると聞く。直視しなければそうそう暗示にかかることはないし、奴隷ならば首輪をしているから主人に危害は加えられないのだが…マントの他になくなったものは?」
邪眼か!なんて脳内で中二が食い付く。
えっと、つまり催眠術的なものにかけられたということかしら。
何だかぼんやりしていて、イマイチちゃんと考えられない。
他になくなったものって…私のマント、奪い取られたの?
あの猫耳っ子に?
うっそぉ。首輪盗ったらマントを盗り返されるとは。何の等価交換よ。
でもあの子、耳を隠すものが欲しかったかもしれないよね。責められない気もする。
…え。いや待て、駄目だコレ。
「短剣がない。え、お財布…入れてたポーチもない。ということは一緒に入れてた冒険者証も。えぇ、これベルトごと持ってっちゃったの? なのに気付かなかったの、私?」
「…いい勉強になったな。今後は安易に奴隷に関わらないほうがいい」
わたわたとお腹回りを撫でるが、ベルトに通してあった短剣もポーチも、まるっと無くなっていた。
あっ、私、あの子を自分のテントに寝かせてたぞ。私のリュックは無事なのか?
「荷物っ…」
一言その場に残して、慌てて自分のテントに駆け込む。
…ない。
寝袋とテントだけがその場に残されていて、私の荷物が、ない。
そんな凄いショックを受けたわけでもないのだけれど、力が抜けてその場にペタリと座り込む。
いや、助けた相手に荷物を盗まれるとか、これでも地味にショックは受けてるかな。
でも、私だったらどうしただろうか。
助けたなんて言っても、そもそも今まで猫耳っ子をボコボコにしてきたのも人間という種族なのだ。
信用はできまい。
奴隷が逃げるチャンスを得たら、周囲から金品奪ってでも逃げきりたいのは、おかしな心理ではないな。納得もできる。
盗られたといっても見せ荷だから具体的に言うと、着火具に水筒、上着と携帯食とか?
あ、休憩のときにシイルールゥが分けてくれた美味しいお菓子も入ってた。
「…マジかー…。でも、まぁ、いいか。別に大したものは入っ…、…ぴょあぁぁっ!」
残酷な事実に気付いてしまった私は、思わず悲鳴を上げた。
何事かと男子2人も駆け込んできたが、もはや座り込んでいる場合ですらない。
「いやぁっ、大変! 私のスケブ! ああぁ、なんてこと、黒歴史が他人の手にぃ!」
他の荷物はこの際どうでもいい。
だがしかし、欲望のままに描き殴った猫耳アンディラートの下絵ががががっ。
大した手間でもないのに、なんでアイテムボックスに入れなかった! なんっで、無精してリュックに差し込んでしまったんだよ、昨夜の私ィ!
「おのれ、猫耳許すまじ!」
こうしちゃおれないわ。急いで立ち上がって、呆然とする2人に別れを告げた。
「私、荷物取り返しに行くから、ここでサヨナラしますね!」
トランサーグが呆れたような声を出す。
「馬鹿か。相手がどこへ向かったかもわからないんだぞ。勉強代と思って諦めろ」
簡単に言ってくれるな。
幸い、財布は見せ金というか、覗かれた時用にちょっと入れてあっただけで、ほとんどのお金はアイテムボックスだ。代えのマントもアイテムボックスにあるし、水や食料は言わずもがな。あの短剣は…必要ならサポートで作れるな。
だが。
「財布やマントはどうでもいいけど、スケッチブックだけは取り返す」
小鳥に探させよう。
万が一私の到着が間に合わずに、他者の手に渡るようなことがあれば…小鳥からファントムさんにフォームチェンジしての襲撃も視野に入れなければならない。
積み荷を、積み荷を燃やして…!
「…一番どうでも良いのじゃないか?」
トランサーグの目線が冷たくなっているけれど、私は首を横に振る。
人間には、譲れない一線というものがあってだな。
「一緒に探すのでは駄目なのか?」
ようやくシイルールゥが復帰してきた。
私はトランサーグに目を向けて、言う。
「駄目だよね、普通はご一緒しないよ」
「…そうだな、元よりどこかで別れる予定だったのだから、あえて付き合うこともない」
「で、でも」
ひどく言い難そうに、けれどきっぱりとシイルールゥが言う。
「こんな可愛い女の子が一人で旅をするのは、危ないんじゃないか」
私とトランサーグは、予想外のことを言われて固まった。
…え。あ、うん。今更?
ああ、そっか、マントなしの私を初めて見たから、美少女ぶりに動揺しているのか。
ましてや男物の鎧に埋もれているし、頼りなく見えてしまったのかな?
大丈夫よ。何せ私は決闘従士…あ、これ言えない奴だった。
「シイルールゥ。私、この間まで剣の扱いを学びに行っていたのだけれどね。そこでのアダ名はメスゴリラだったよ」
「えっ」
トランサーグが噴き出した。
慌ててソッポを向いているが、その肩が地味に震えている。
君、笑えたのね。
あえて言わないであげた「トランサーグに勝ったことあるから大丈夫」って台詞を、思わず吐いてしまう前に立て直したまえっ。
「だから大丈夫」
「…そ…そうなんだ…」
納得すんな。私が悲しいわ。
だけど実際、猫耳っ子を奴隷にしていた冒険者を吹っ飛ばしてるの、見てますよね。
「可愛いと言われて、何ら動揺がないところがまた可愛げがないな」
立ち直ったら直ったで、またも失礼な凄腕冒険者サンである。
「私の両親は絶世の美男美女なのだよ。可愛くないだなんて謙遜したら、両親に失礼じゃない。トランサーグは知らないの?」
「…父親の顔は知っているが…」
なぜそこで言い澱む。
見た目は爽やか美男子だぞ、異論は認めない。
なし崩しに野営の片付けを行う。
このまま別れると聞いて旅の道具をどうするのかと思っていたようだが、私が素知らぬ顔で「こんなこともあろうかと、別にしていた分がある」と予備のリュックを背負ったところ、トランサーグは眉を寄せた。
「どこから出したんだ。もしや魔道具かダンジョン産の類いか…まさか父親が過去に使っていたものを、実家から無断で持ち出してきたのでは…」
「あれぇ、もしかして知りたい?」
「言うな、絶対に出所を知りたくない」
無駄な情報を得て、宰相に絡まれる危険を冒したくはないようだ。
そう言うと思ったから、実家の物置から持ってきた魔法のバッグ的な扱いをしようと思ったんだけれどね。
関わりはありませんとばかりに、もう、一切の設定を聞いてもらえないとは思わなんだ…。




