サボっている暇はないのです。
孤児院の鍵付きの一室を与えられた私は、少しばかり困っていた。
目標は変わっていない。
母方に纏わる某か。今生の私の障害となるであろうものを、取り除くこと。
しかし、相手が私を見つけているというのに、こちらには情報どころか手がかりすらないのが現実だ。
捜索は、もう一生をかけるくらいの気の長さで行こうと思っている。
いや、もちろんそんなにかけるつもりはないんだけど、焦らないように意識するという意味でね。実際には返り討つ過程で情報も入るであろうし。
そのためにも私は強くならなくてはいけないし、きちんと自活していなくてはならない。…浮かないように、冒険者として一般的な知識、常識も必要だ。
だから定住は早すぎる。よろしくないと思う。
しかし、違和感なく紹介するためかシスターに「一時的に滞在する、新しい仲間よ」とか言われてしまい。
いや、私、特に仲間じゃない。
子供なんて嘘も付けないだろうし、万一追っ手がかかったときのためにも、なるべく私のことは知らないほうがいい。
そう思って、皆の前でもフードを取らないようにしているのですけれど。
子供達がメッチャ「仲間だよ、早く馴染もうね」という目を向けてくる。
孤児院の子ってもっと荒んでないのかね、こんな無邪気なもんなの?
入りたての子は急に環境が変わった子であろうと理解しているようで、今は遠巻き。
しかし一部、焦れている子もいる。
仲間なのに、なんで顔も見せないのだと不満に思っているようなのだ。
二度言うが、仲間ではない。
あと、孤児院の子供達は、複数人で鍵なしの部屋一室を使っているのに、私は鍵付きの個室。優遇感がすごい。
もちろん私は一時的な滞在者であって孤児院の入居者ではないし、扉が鍵付きなのも、万一幼い子供らが描きかけの絵を悪戯しては困るからという理由もあるのだろう。
無料の住居は助かるが、居心地悪し。
そしてまだ、シスターからは聖書のどんな場面を描けばいいのか依頼がない。
声掛けを待ってないで、自分からガツガツお仕事を取りに行かねばならないのだね。
絵描きは案外ハングリー精神が必要な営業職。
「…あとは、ここにいる間に、魔法を覚えられるといいのだけれど」
今後のためにも回復魔法を手に入れたい。
けれども長期滞在は本末転倒だ。
だからなるべく早く望まれた絵を描き上げ、それを区切りとして出ていこうと思う。
シスターが私を心配してくれていることはわかるし、このまま引き留めようとしていることも何となく気づいているが、そうする選択肢はない。
私は孤児でもなければ、シスターに庇護される立場にもない。何も成せずに留まるのなら、家に帰っても同じことだった。
「よし。決めてしまえば、大丈夫」
シスターも赴任したてで忙しいだろうが、まずは聖書を借りてみよう。
絵を描くにしても予備知識は要る。
私が回復を覚える助けにもなるかもしれないしな。
あっと、着のみ着のまま出てきたのにいきなり道具を持っていたらおかしいよね。画材の仕入れにも行かなくっちゃ。
勢い良く部屋の扉を開け…思わぬ人影に一歩下がる。
今ノックしようとしてました、という風情の少年が、驚いた顔をして立っていた。
「…何か用事?」
こちらもびっくりしたので、フラン設定の低めボイスが出せなかった。素の声よりは低かったから、大丈夫だと思いたい。
「部屋から出てこないから、様子を見に」
ちょっと怒ったような顔を取り繕って、少年は言った。
あまり私と年は変わらなさそうだ。
子供達の中では年長組のようだし、取り纏め役か何かなのかな。
思い切って、仲間ではないことを打ち明けることにする。
「僕はずっと皆と暮らすわけじゃないんだ。シスターに頼まれた仕事が終わったら、この街を出る予定だから、あまり気にかけないでほしい」
「頼まれた、仕事? 成人してるのか?」
「…ん? ああ。先日冒険者登録もしてきたところなんだ」
「…成人前でも、状況が考慮されれば早期登録はできるよな」
一瞬間が空いてしまったせいで、ちょっと怪しまれた。
私、体格も小さめだしね。
もしかして孤児院には、早期登録している子がいるのかもしれないな。
肩を竦めて見せると、答える気がないんだと理解したようだ。
「どうしてお前は、建物の中なのにフードを取らないんだ」
「…脱ぎたくないからだよ。気に障るようなら、ここを出て宿を取るよ。先程も言ったが、あまり僕を気にかけないでほしいな」
ぬくぬく育ちの貴族の子弟よりも苦労しているからだろうか…少年はどこぞのイルステンのように、キャンキャン吠えかかってはこなかった。
心なしか反応不足で寂しさを覚えるなんて、いやいや、まさかそんな。
彼はシスターの元に向かう私の半歩後ろを、てくてくと一緒についてくる。
「シスターに仕事の話をしに行こうと思っていたところなんだ」
遠回しにご遠慮願いたい旨を伝えてみるも、庶民の子は遠回しには慣れていないのだろう。ふうん、とだけ返されてしまった。
振り切れないままシスターの部屋についてしまう。
「シスター。フランが出てきました」
こんこんとノックをして取り次いでくれる少年。
なぜここでわざわざ一歩前に出たのかは、よくわからない。
「あら、仲良くなった? 一緒にお外で遊んできてもいいのよ」
遊ばないよ。子供の遊びなんか知らないし…そもそも仲良くなる前提がない。
訝しく思いながら口を開く。
「シスター、仕事の話をしに来ました」
なんかこの少年、もしやシスターが差し向けたんじゃなかろうか。
そんな疑惑を抱えながらも用件をズバリ。
「絵の仕事と回復魔法の勉強が、私がここに留まる理由です。シスターもお忙しいでしょうから恐縮なのですが、私もあまり長居はできない身の上。猶予は少ないです」
がっつり釘を刺しておこう。
シスターはいい人だし、お母様を思い出して癒されもするけれど…今、やるべきことをやらなくては。
「…そうよね。行く場所がないのならこのままここで、私を手伝ってくれたらとも、思っていたのだけれど」
シスターもぺろりと本心を明かした。
そして、少年が驚愕の目で私を見てきていた。
フランボイス忘れて喋っちゃったね。今、完全に女声でしたね。
もっと設定を練り込まねば、うまくフランに感情移入できないな…。
今までは「こんな設定のオルタンシア」でしかなかったのだが、今回は完全に別人のフラン君設定なので、イマイチ身が入っていない気がする。
僕っ子男装オルタンシアなら簡単にできそうなのだけどな。
自分に言い訳をしているうちに、シスターがやる気になってくれたようだ。
「フラン。聖書を読んだことは?」
「昔、家にあったものを流し読みしたくらいなので、詳細には知りません。資料として、お借りできますか?」
「ええ。夜にはトランサーグが戻りますから、必要な道具は彼に揃えてもらうといいわ」
「いえ、あとで自分で街を見てきます」
「あら。ならばシイルールゥ、あなたがフランを案内してあげてくれる?」
少年が隣で頷いた。あれ、そんな聞き慣れない名前だっけ?
大して興味もなかったのだが、少年は慌てたように弁解する。
「本当はシイルールゥっていうんだ。でも、この辺じゃ珍しいみたいだから、皆シイルって短く切って呼ぶ」
あ、そうなんですか。なんて答えていいかわからなかったので、こくりと頷きを返すに留めた。
「それから、お勉強は聖書を読み終わってからにしましょう。フランにはまだ、想像が足りていないようだから」
面目ないが、聖書を読んでもそれを自分に関わることとして考えるのは多分無理であろうな…いや、諦めたらアカン。解毒の有用性、簡単には捨てがたい。
さて、お話も終わってしまったので、早速画材を揃えに行こうと思うのだが。
「えっと。ご迷惑だろうし、地図でも書いてくれたら勝手に買い物に行くよ」
「…シスターに頼まれているから、そういうわけにはいかないんだけど」
ですよね。
そんなわけで少年と一緒に街をぶらつくこととなった。
結局のところ少年は今までの話が見えておらず、私が何を欲しいかはわからなかったので、説明から始める。
「絵の具と紙が欲しいんで、そういう感じの店をお願いします」
「…入れるかな…そんな店…」
おっと。ハードル高いタイプの店なのか?
考えてみれば、私も出入りの商人くらいからしか購入してないから、わからんな。
「とりあえず案内して」
居心地悪そうな風情で少年が連れていってくれたのは、確かに薄汚れた格好でうろついていい感じではないゾーンだった。
「あの辺がそうだと思う。入ったことはないけど」
確かに。店員もツンとしていて、真っ白い紙に薄汚れた格好で近付くだけで、怒られる予感である。
「わかった。後で人に頼む。じゃあ次」
あとでファントムさんで行こう。
あっさり諦めた私に目を丸くしつつも、少年は頷く。
彼の中ではトランサーグに頼むことになっているのか、追求はない。
買い物の捗らなかった私は、少年(本人が早期登録者であった)にレクチャーを受けながら冒険者ギルドで初採集に挑むという一日を終えた。
…なんてことだ。結局、お外で一緒に遊んでしまった…。




