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おるたんらいふ!  作者: 2991+


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スキマライフ!~悪夢の日。【アンディラート視点】

※性犯罪者がいるので、ダメな方は注意です。

 念の為、スキマあけて後書きに内容を書いときます。














 笑っているような、笑っていないような。

 そんな不可思議な表情。


 挨拶しようと近付く人に気付かないのか、時折するりと人垣に紛れてしまう。

 主役は彼女ではないから、他の客達はあまり気に留めないようだ。


 だけど俺は、それを見過ごすことができない。

 近付くと逃げるような彼女の、進路を読んで回り込む。


「…シャドウ?」


 腕を掴まえて、小さく呟いた。


 振り向いたオルタンシア。

 カッシャン、と音を立て、彼女の手から滑り落ちたグラス。


 周囲の者達が、気づいて訝しげに俺達を見る。

 女の子の腕を掴んでグラスを落とさせるなんて、俺はひどく乱暴な男に見えるだろう。

 思わず動揺して、固まってしまう。


「…あっ」


 するりとオルタンシアは俺の手から逃げ出した。

 使用人に何かを告げて、扉の向こうへ。


「大丈夫ですかアンディラート様、飲み物がかかったりはしませんでしたか?」


 使用人が床のグラスを片付けに来た。

 問われているのに、遠い場所から聞こえているよう。


「アンディラート様?」


「…あの。オルタンシアは…」


「体調が優れないので少し休んでくるとのことです。必要であればお召しかえを…」


 この使用人は顔見知りだ。

 だから、早口に告げた。


「いや、平気だ。少しオルタンシアの様子を見てくる」


 早足に彼女の消えた扉を目指す。


 オルタンシアの部屋は2階だ。

 案内されずとも、かつて知ったるという奴で、こっそり階段を駆け上がる。

 もう小さな子供ではないのだから、淑女の部屋へ押しかけるなんて本当はいけないことだ。


 使用人達は俺を見かけても止めようとはしなかった。

 皆、俺を知っている。

 俺は多分、変わり者のお嬢様のお目付け役だと思われている。

 強ち、間違いでもないのかな。


「オルタンシア」


 ノックをしても、返事がない。

 周囲を見回して人目がないことを確認して、扉を開けた。


 紳士にあるまじき行為だが、非常事態だ。

 だって、嫌な予感が拭えない。


 父には常々「誰に何を言われても己の勘に従え。結局はそれが他人も救う」と言われている。

 騎士団での通称『ヴィスダード隊長の第六感』というやつだ。

 野生の(そんなもの)を自分が受け継いだとは、思っていないが。


「…オルタンシア?」


 部屋へ入り込み、扉を閉める。

 少し開けておくこともしない。ちょっと、罪悪感はある。

 だけど確実に人に聞かれてまずい話しか、多分ない。


 彼女の姿はない。寝室だろうか。

 奥の扉へ近付き、もう一度ノックした。


「オルタンシア。俺だ。…開けるよ」


 少し勇気が必要だったけれど、彼女の無事を確認せずには戻れない。

 だって、あれは。あの場にいたのは。


「…シャドウ」


 一息に扉を押し開くと、人影が目の前に立っていた。

 やはりオルタンシアじゃない。彼女の姿を模した、シャドウだ。

 いつか影武者を作るつもりだと聞いていなければ、わからなかったかもしれない。


 正面から向かい合ったシャドウはもはや取り繕うこともせずに、人形のような目で俺を見る。

 とても似ているけれど、確実に違うと心が告げる。

 少しだけ口の両端が上がったままの表情が、妙に不安な気持ちにさせた。


「オルタンシアはどこだ? 無事なのか?」


 問うて応えるとも思えなかった。

 俺の知るシャドウとは黒い人型の靄だ。

 先程使用人に何か告げた姿を見ていても、未だこれが言葉を発するとは思えないでいる。


 シャドウは案の定無言で、何かを差し出してきた。

 …封筒。俺が両手で受け取ると、シャドウはまるで役目を終えたというように、さっさとベッドへ潜り込んでしまう。


 ただでさえ女性の寝室で、居心地が悪いというのに。なんて配慮のないシャドウなんだ。

 けれど手紙を開封してしまえば、そんなことはどうでも良くなった。


『アンディラートへ

 この手紙を読んでいるということは、君はシャドウを見破ったのでしょう。

 そのうえで、宴の場を離れたシャドウを追って、私の部屋へ来てくれたということになる。

 まず、私は無事なので、安心してほしい。心配してくれてありがとう』


 ほっとすべきなのかもしれないが、俺は眉を寄せて文字の先を追った。

 だって、それじゃあオルタンシアは今、どこにいるって言うんだ。


『そして、ごめんなさい。

 今日こそが恐れていた悪夢の日であることに気づいてしまった。

 君に直接言えたら良かったのだけれど、生憎と時間がない。

 私は急ぎ、家を出ることにします。

 さようなら。

 楽しく生きていく予定なので、私のことは心配しないで下さい。』


 唐突な別れの言葉に、意識が追いつかない。


 さようなら?

 家を出る?


 離れる?

 誰が?


 俺が?

 オルタンシア、と?


 理解できないまま、目だけは、まだ先のある文字を追い続けていた。


『本当は自分の手で悪夢を終わらせるつもりでした。

 今夜やってくるはずの男をぶちのめしてやろうって。

 何度も考えたけれど…準備も間に合わず、勝てそうにない。

 だから、逃げることにしました。』


 オルタンシアは悪夢から逃げた。

 当たり前だ。危険があるなら逃げたほうがいい。


 でも。


 オルタンシアがいない。

 もう。この家にいない。

 明日も。明後日も。その次の日も。

 ずっと…一生?


 その事実がゆっくりと染み込んできて、指の先が冷たくなる。


 見捨てられたんじゃない。嫌われたんじゃない。

 どうでもいいから、俺を置いていったんじゃない。

 それだけを、信じたい。


 もう一度、手紙を見つめた。

 今すべきことは何だ。


 何も知らなくても、味方でいたい。

 何も知らされなくても、少しでも理解したい。


 文字は歪んで、震えている。

 怯えながら。時間がないと言いながら。

 それでも彼女は俺に手紙を残した。


『君に、お願いがある。』


 …俺が異変に気づくと、信じたから。

 俺だけに、手紙を残したんだ。

 そう思えば、少し冷静になれた。


『出来たらでいい。無理だったら、やらなくていい。

 君に頼まなくっても、きっと時間が過ぎれば悪夢は終わる。

 私はちゃんと、逃げている。無事にいる。

 それでも、どうか、』


「…やるに、決まってるじゃないか…」


 唇を噛んで、彼女の願いを見つめた。

 今夜来るはずの悪夢から。

 彼女を狙う襲撃者から。


『お願い。私を助けて。』


 俺がきっと、彼女がこの家にいられなくなった原因を捕まえる。


 オルタンシアの手紙には、彼女が隠れ場所としてワードローブを選んでいたことが書かれていた。

 わざわざ服をよけて潜むスペースを作ってある、と。


 指定されたワードローブを開いてみれば、成程、俺には少し狭いけれど入れなくもない。

 そしてここなら、ほんの少しだけ扉を開けておけばベッドで眠るシャドウの姿が見える。


 ここに隠れて、彼女を殺しに来る犯人を待つ。

 簡単なことだ。


 光が入る程度に扉を開け、ワードローブに潜みながら手紙の続きを読んだ。

 誰かが来たとしても、入り口から寝室まで辿り着く間に、扉を閉めることは出来る。


『けれど本当に無理はしないで。

 それから、決して相手を殺さず、お父様に引き渡して下さい。

 君が手を汚していいような相手ではありません。

 そういうことは、お父様に任せてしまって。

 …なんていうと誤解されそうですが、違うよ。

 うちのお父様に任せておけば、大体のことはうまく行くのです。真理です。

 だって、私の自慢のお父様だからね』


 文字は相変わらず震えている。

 わざと、明るく書こうとしているのか。

 頼ってくれるのが、出て行った後だなんて、皮肉な話だ。


『全てが終わったらお父様には何もかも話していただいて結構です。

 本当は私が話すべきだった。

 だけど、最後まで勇気は出ませんでした。

 そんなことはないとわかっていても、お父様に気味の悪い娘だと言われたら、立ち直れない。

 君が私といてくれたことだけで、もう過分な奇跡だと思ってるの』


 喜ぶべきなのか。憤るべきなのか。


 俺だけを信じた。

 俺以外を信じさせてはやれなかった。


 俺だけを信じる姿に、いい気にならなかったとは言えない。

 どこまでも自分を卑下する彼女を、歯痒く思いながら。


 全てが終わったら、秘密をひとつ明かすから笑ってね。

 そんな言葉で締めくくられた手紙。

 『全てが終わったら』と書かれた小さな封筒。


 この夜が明けたなら、読むことにしよう。






*-*-*-*-*-*-*-*-*-*






「ご機嫌いかが、お嬢さん。…あれ、眠ってるのかなぁ、オルタンシアちゃん」


 扉が開く音に、息を殺した。

 何時間経ったのかわからない。すっかり身体は固まってしまっている気がする。


「お邪魔しますよー。今夜のパジャマはどんな感じかなー」


 薄気味の悪い男の声に、思わず眉を寄せた。

 ベッドの中のシャドウは、ピクリとも動かない。


「ちょっと期待はしてるんだよ。外でのかっちりとした男装とは違って、家の中では柔らかい服を着ているそうじゃないか」


 不快になるような、下卑た笑い声。

 次第に近付く足音に、シャドウが跳ね起きて迎撃するのではないかと窺う。


「最近は身体の線がすっかり女らしくなって、却ってその男装とのギャップがたまらないって話だぜ…っと」


 頭に血が上るのがわかった。

 なん、てことを言いやがる。


 そいつは何の遠慮もなく、無造作に、オルタンシアのベッドに上がった。

 オルタンシアの、ベッドに!


「まさか一目で忘れられなくなるって悲鳴続出の可愛さなんて、噂は大袈裟って…ははっ、本当だ。すげぇ可愛い。やる気出るな」


 シャドウの顔を覗き込んでいるのは。

 窓から差し込む光で見えたのは、知らない男だ。


 シャドウはどうして動かないんだろう。

 相手が確実に油断するのを待っているのか。

 確かにまだ、男は戸口を警戒した様子を見せている。


 俺も様子を見て、隙を窺って飛び出さなくてはならないとわかっているのに、怒りで手が震える。

 まだ、耐えろ。そう自分に言い聞かせて。


「体つきも、期待できそうだし。うーん、眠ってるのが残念だけど、今なら家人も静かだし。…じゃあ、ゆっくりいただきますか…」


 耳を疑った。


 命を狙いに。

 来たんじゃなかったのか…?


 上掛けを剥ぎ取られ、横になったシャドウが見えた。


 その胸、に、…。


「わ、柔らけぇ…でかいし。もっと筋肉質かと思ってた。いいねぇ、嬉しい誤算だ」


 必死に腰の辺りを探るが、いつも下げてる剣がない。

 当たり前だ、今日はパーティーに来たんだ。


 なんで、ない。


 いま、ひつようなのに。


 …ああ。

 悲鳴を上げて飛び起きたオルタンシア。

 怖いと泣いた、彼女は。


 決して夢の内容を口にはしなかった。


 ベッドから落とされたシーツ。

 持ち上げられた右足。

 身じろぎもしないシャドウ。


 ネグリジェの裾が、腿まで。

 月明かり。

 白い肌。


『お願い』


 嗤う男が。


『私を助けて』


 オルタンシア、に 覆


「さ。わ、るなあぁぁぁぁぁ!!」


 堪えきれずに飛び出した。


 驚いた男が身構えるより先に、ベッドから蹴り落とす。

 手近に会った椅子を引き寄せ、無我夢中で叩き付けた。


「ぅわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 叫んでいるのが自分だという自覚もなかった。


 オルタンシア。


 酷い。なんて酷い。

 こんなことだとは思わなかった。


 一番近くにいたのに。

 あんなに怖がっていたのを知っていたのに。

 あんなに泣いたのを見ていたのに。


 夢の内容など、彼女に言えたわけがない。


 この夜が現実になってしまうまで、その意味を理解できなかったなんて。


 俺は、なんて酷い馬鹿なんだ。


「あああぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 叩きつける椅子の脚が折れた。

 隙間から逃げ出そうとする男の服を捕まえて、引きずり倒す。 

 

 逃がすものか。

 殺す。

 絶対に殺す。


 ああ、なんで、いま、剣がない!?


「…ラート、アンディラート! よせ!」


「ぁああぁぁぁぁ!!」


「アンディラート!! …あっ、オルタンシア!」


 オルタンシア。

 彼女の父親がそう呼ぶ声を聞いて、我に返った。


 気づけば俺は、妙な呼吸音を立てる男の上で、血だらけの拳を振り上げていた。


 後ろから、ぶつかってくるような軽い衝撃。

 何度も経験した、彼女が駆け寄ってきて、抱きつく時の感触。

 そこにいるはずの彼女を探して、振り向く。 


 後ろから、俺の腰の辺りにしがみついた、オルタンシア。

 違う。シャドウだ。


 シャドウに自分の意思はない。

 だとしたら。

 これは、オルタンシアの…命令だ。


「…ふ…」


 こうなることも予想したか。

 こんなことまで心配させたか。


 震えて、泣いて、逃げる寸前のはずの、お前に。

 俺が我を忘れて人殺しをすることなんて心配させたのか。


 無様だ。

 こんな程度じゃ、頼ってもらえるはずもない。


「シャドウ」


 呟くと、彼女は顔を上げて。

 人形のような目で俺を見た。


 ああ。オルタンシアの笑顔が見たい。


 オルタンシア。

 …オルタンシア…。どうしたらいい。


 この男は殺さずリーシャルド様に引き渡せ、と。

 そういえば、手紙に書いてあったな。


 言う通りにしよう。理由なんてわからなくても。

 次に会った時に、ちゃんと出来たよと伝えられるように。


「わかったよ。…俺が殺しては、ダメなんだな」


 そう言ってやると、頷いて。

 見覚えのある黒い靄になって、ふうっと消えた。


「…オルタンシア!」


 消えた娘に悲鳴を上げて、リーシャルド様が駆け寄ってくる。

 戸口に現れた家令が、持ってきたロープで侵入者を縛った。


 説明を求めて俺を睨むリーシャルド様に、まずは言わねばならないことがある。

 せめてこの夜を、きちんと終わらせるために。


「コックを。探して下さい」


「…なに…?」


「オルタンシアは、コックが手引きをしたんじゃないかと言っていた。もし本当なら、逃げられるわけにはいかない」


「私が参ります」


 主の頷きに押されるように、家令は駆け出した。

 逃がさないように、残された侵入者の縄を掴み、リーシャルド様は呟く。


「説明してもらおう、アンディラート。お前が娘の部屋で何をしていたのか」


 聞いたことのない冷たい声。

 当然だ。彼から見れば、俺はいつの間にか娘の部屋に入り込んでいて。

 夜中に奇声を上げて侵入者に暴行を加えていたのだ。


「オルタンシアに頼まれて。手伝っていました」


 言いながら、嗚咽が堪えきれなくなった。

 可哀想なオルタンシア。

 俺がもっと早くに気づいてやれていたら。


 そうしたら、もっと別な手段が取れたかもしれないのに。

 ごめんな。

 俺しか。聞いてやれる奴はいなかったのに。


「旦那様。コックは捕らえて、地下に」


 家令が戻り、影のようにするりとリーシャルド様の側に立った。

 リーシャルド様は侵入者を家令に引き渡し、俺に応接間に来るようにと告げる。


 断る理由はなかった。

 俺にも、話すべきことがたくさんあるからだ。


 向かいに座って俺を睨んでいたはずのリーシャルド様は、いつの間にか隣で慰めるように頭を撫でてきている。

 俺がいつまでも、無様に泣いているからだろう。

 使用人もいない応接間で、しゃくり上げる声を何とか殺そうと必死になる。


「アンディラート。ひとつだけ、先に教えてくれ。オルタンシアはなぜ消えたんだ。あの子は無事…なのか」


 何も知らない彼女の父親に。

 俺は全てを話さねばならない。


 黒い靄になった…オルタンシアの姿を模したシャドウのこと。

 長い間、彼女が家族に内緒にしていた、その能力を。


「先程の…シャドウは、オルタンシアの魔法です。身代わりを作って、姿を眩ませることで難を逃れたようです」


 深く呼吸を繰り返して、感情を平坦に戻そうと四苦八苦する。

 自分を落ち着かせる間のつなぎに、オルタンシアの手紙を見せることにした。


 俺が何度無事だと口にするより、自分は無事だと書かれたあの手紙を見るほうが、うまく胸に落ちるだろう。


「彼女は自分にとって決定的に悪い未来を夢に見ると言っていました。ぎりぎりまで夢の通りにしないと、人の動きが変わってしまって予測が付かなくなり、避けられなくなる。けれどぎりぎりで気づいて避けなければ、その不都合な出来事が現実に起こってしまう、と」


 まずは予知夢。

 眉を寄せたリーシャルド様は、口を開かずに続きを待つ。


「最初はメイドに殺される夢でした。初めて歩けるようになった日に、階段から落とされる。次は大きな黒い犬。幼いオルタンシアのいる時を見計らって、人の手によって放されたそうです」


「…それは…!」


「赤子の頃から、今と同じように思考することができた。それは両親にとってどんなに不気味なことだろう、と…小さな頃からずっと悩んでいました」


 唖然とするその顔は、きょとんとしたオルタンシアに少しだけ似ていた。


「俺が彼女の能力を知ったのは、偶然にシャドウ…先程の黒い靄で形を作る練習をしているところを見てしまったからです。他にも、彼女には人とは違うところがあって。それを誰かに知られて嫌われてしまうのを、極端に恐れていました。オルタンシアは臆病なのに、妙に大雑把で。バレてしまえば、俺にも無頓着に能力の練習を見せてくれました。秘密を打ち明けても嫌わないと信じてくれたはずなのに、それでも、全てを話してはくれなかった」


 リーシャルド様は、難しい顔をして考え込む。

 俺の言葉をどこまで受け入れたのだろう。

 説明のまずさでオルタンシアの不利益になることがないように、祈るしかない。


 リーシャルド様がオルタンシアの手紙を読み終える頃には、俺も声を震わせずに話せるようになっていた。

 折り畳んだそれを自分の内ポケットに仕舞おうとするので、思わず「あっ」と声が出てしまう。

 俺を睨むその視線にも。怯むことはできない。


「あげられません。それは、俺のものです」


 オルタンシアが俺に残してくれたものだ。

 俺が今夜、異変に気付くと信じてくれた、証だ。


「…いいだろう。私としてはもうひとつの封筒も開けてしまいたいのだが」


 不機嫌極まりないと伝える、低い声。

 唇を引き結んで、手紙に手を伸ばした。思いの外あっさりと、それは手元に戻ってくる。

 大事に両手で握りこんだ。


「全てが終わったら、と。オルタンシアが言っているので…せめて侵入者を何とかしてしまいたいです」


「正論だな。…すっかり落ち着いたようだね、アンディラート」


「落ち着けやしません。犯人については貴方に頼めと書いてあるし、秘密とやらは全てが終わらないと見られない。俺は今夜、無様に泣き叫んだだけだ。彼女の能力を知っていたってそれだけ…。あんなに、家族を愛していると言っていたあの子に、家を出させるはめになって…。何の力にもなれず、ただただ申し訳ないです」


 強くなりたい。色んなことが出来るようになりたい。

 俺がもっと強ければ、オルタンシアは作戦に俺の助力を組み込んだだろう。

 俺がもっと頭が良ければ、作戦自体を一緒に考えてやれたかもしれない。

 俺が頼りになると思えば、犯人を父親に引き渡せなんて書かなかっただろう。


「アンディラート。私は、お前に言わなければならないことが幾つかあるよ」


 眉間の皺を指先で揉み解してから、リーシャルド様はそう言った。


 当然だ。

 オルタンシアを守れなかったこと。

 彼女の秘密を自分の胸に秘め続けたこと。

 父親の立場からすれば、俺の顔も見たくないことだろう。


「色々と…隠していたことも、本当に申し訳なく…」


「違う。あの子には私達に知られたくない秘密がある。…内容を知らなくとも、隠していることは知っていたよ」


 息を飲んで、相手を見つめた。

 その目に否定的な色がないことを確認したくて。


「昔から、あの子はとてもいい子だった。常にいい子であろうとしていた。そして、守りたがりだ。私すら守ろうとしていた…その結果があの男装なんだからね」


 オルタンシアは男装の理由を言わなかったから、俺は目を見開く。

 まるで俺が知らなかったことを喜ぶように、リーシャルド様はニヤリとした。


「お前のことも守ろうとした。…薄汚い犯罪者なんかを怒りのまま手にかけることで、お前の心が歪まないようにとね」


「…っ!?」


「私から見ても、お前はとても真っ直ぐでいい子だ。侵入者を私に引き渡せば、私がお前のフォローもすると思ったのだろうね。汚い仕事は腹黒い私に任せるといい、適任だよ」


「俺はいい子なんかじゃ…結局、何もできなくて、迷惑を…」


「いいや、オルタンシアの自慢のお父様に任せておけば、大体のことは間違いないよ。…ふふ。本当に、グリシーヌに似て強かな娘だよ」


 そう言って、いつも通りに。

 ひどいことなんて何もなかったかのように、爽やかに微笑んだ。

 

 ほら見ろ、オルタンシア。

 やっぱり大丈夫だったじゃないか。気味が悪いなんて、言わなかっただろう。

 嬉しくて、ようやく俺も笑う。


「ありがとう、アンディラート。幼い頃から悩むようなあの子を、一人にしないでくれて。お前は何もできないと言ったが、最良の行動で予知夢の行程を終えたはずだ」


「…いえ。いいえ、…俺にもっと力があれば…」


「お前はオルタンシアの期待に見事に応え、最悪の事態が起こる前に犯人を捕らえてくれたじゃないか。感謝している」


 そんなに、言ってもらえるほど立派なことはできていない。

 そう思う俺の顔を見て、リーシャルド様は溜息をつく。


「言葉を変えよう。お前がいなければ今夜、娘本人ではなくともその姿をした何かが暴行を受け、屋敷からは手引きをした使用人すら逃げ仰せる。オルタンシアの名誉は汚され、いつの間にか娘自身も消えていて全て闇の中だ。…残された私にとってはあんまりな出来事だとは思わないかい?」


 そう言われてしまえば、返す言葉もなかった。

 俺が今日、シャドウに気がつくことができなければ…、ぞっとする。


「突拍子もなくて、秘密主義で、守りたがり屋の娘だが…お前を巻き込むことを選べた。お前に助けを求めることができたんだ。それはお前があの子を裏切らずに日々を積み重ねてきた証だ」


 リーシャルド様の言葉に、ふと胸が温かくなる。

 見捨てられたんじゃない。嫌われたんじゃない。

 どうでもいいから、俺を置いていったんじゃない。

 そう信じたい俺の心に、染み込んでくる。


 きっと、俺がもっと強ければ、オルタンシアを守れたんだ。


 それでも。

 俺は少しでも、支えになれたのだろうか…。



あらすじ:性犯罪者は未遂で退治。幼馴染は凹みつつ、パパへチートの説明だよ。

     あと、忘れられた姫君なんて、実際は一言も言ってなかったんやで。

     思い込みって悲しいことなの…。

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