マジカル☆シスター
真っ黒マダムことシスターが起きてくるまで、冒険者に話を聞いていた。
こんなトラブルに巻き込んでしまったが、シスターは今日の朝、本人たっての希望で別の町の孤児院へ異動となるところだったのらしい。後任が着き次第の交代で、馬車で1週間ほどかかる道程だという。
正直な話、『王都の一般住民』というものはあまり移動したりしない。
整備された街道沿いを進むとしても、騎士団が間引きに勤しんでいるとしても、町の外には大なり小なり魔獣が出るものなのだ。
そもそも国で一番栄えている地に住んでいるのに、わざわざ身の危険を冒してまで他の町に移動する理由がない。
だというのに年配のシスターは利便性の高い王都を出て、魔獣に襲われるかもしれない旅をするのだ。
私の疑問に気付いた冒険者は、シスターの内心を教えてくれた。
曰く「もう十分に働いたので、余生は田舎で孤児院の子供達の面倒を見つつ、細々と暮らしたい」と。
なんという聖人だ。真っ黒マダムとか言ってすみません。
そしてその街までの護衛として雇われた冒険者が、彼というわけなのだね。
「私も同行させていただけませんか。ご存じだとは思いますが、腕っぷしには自信がありますよ」
言ってみたところ、相手は思いきり表情を歪めた。
私の正体が宰相さんちの一人娘だって知っているのに。こんな遠慮のない相手もなかなかいないだろうな…。
「一般庶民に迷惑をかけるのはやめろ。貴族の娘の家出など手伝ったら、宰相からどんな報復を受けるか知れない。俺だけでなく、シスターも危険にさらす気か」
「はい」
キッパリ答えてみたら、信じられないものを見る目をされた。
「でも報復はないと思うよ。お父様は、この世の唯一を失ってしまったから。お父様にとって、取り乱すほど価値のあるものなんて、もう存在しないの」
一応フォローしておいたが、相手の目には「不可解」との色が加わっただけだった。
うん…まあ…貴族令嬢なんて厄介なものを連れ歩きたくない気持ちはわかるのだけれど。今、家に戻るわけにはいかないし、…シャドウがどうなったのかも、知るのは怖い。
アンディラートが異常に気付いてシャドウからお手紙を受け取ってくれていたら、何かが変わっているかもしれないけれど…それを確かめる勇気は、ない。
だって影武者シャドウには暴漢を引き付け、私の代わりに朝まで耐える役目を頼んでいたのだから。
人形を置いて、「あんな目にあったのは私じゃない」と耳を塞ぐ、虚しい行為だ。
それでも、私が無事でいてくれたならと、願わずにはいられない。
「えぇと。私に危害を加えようとしたものは、何となくわかっていて。多分、しばらく家から離れたほう
が安心かな、と思うのね。護衛を手伝うのが駄目なら…多少ならお金はあるから、馬車に乗せてくれない?」
何とか説得しようと試みていたところに、第三者の声が割り込んだ。
「構いませんよ。出自がどうであれ教会に助けを求めてきた人を追い返すなんて、決してしてはいけないことです」
あ。高潔シスターだ。
私はさっと立ち上がり、振り向いて頭を下げた。彼女には礼を尽くさねばならぬ。
衛兵にも引き渡さず、聞き取れなかったせいとはいえ治療も拒んだという、なんか死にかけの困った生き物を見捨てなかった聖人だ。
泊めてくれて、本当に助かりました。
「この度はお世話になりまして、ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」
「いいえ。驚いたわ、そんなに動けるなんて…診断をしてみてもいいかしら?」
「…は、い」
診断をするの? これから?
よくわからないけれど、首を傾げて了承する。
「では、見せていただきます。『診断』……まぁ、すごい回復力ね。一晩でここまで毒が抜けるなんて…けれどもまだ残っているようです。治療をしても?」
「…はい…」
何かされた気もしないのに、シスターはそんなことを言い出す。
解毒薬なんて教会にあるのかしら…と思っていた私の前で、シスターは祈るような姿勢を取った。
「『解毒』……うん、これでいいわ」
ふわりと身体が温かくなった途端、倦怠感やモザイクの残りが霧散した。
急激にクリアになる感覚。
まさか。
「…ま、ほう…?」
「ええ。魔法を見るのは初めて?」
「はいっ!」
魔法使いが! こんなところに本物の魔法使いがいますよ!
えー、呪文ってあんな単語なの? それとも短縮してんの? 私もできないもんかしら?
よくわからんけど初めて見たというか体感して感激。効果即行だし!
うわー、すごーいと目をキラキラさせている私に、シスターがゆったりと笑う。
彼女は冒険者へと視線を向けた。
「トランサーグ。貴方が言うほど警戒が必要なお嬢さんにも見えないのだけれど?」
「有名な貴族の一人娘であることは間違いない。関わることは推奨しないぞ」
そ、そんな名前だっけ、この冒険者って。なんか「決闘したから知り合い、お前も俺を知っている」みたいな態度をされるから、聞けなかったのよね。ええ知ってますよ、何か?みたいな顔して耐えてた。
シスターは私の正体を知らないようだ。この冒険者はシスターに余計な危険が迫らぬようにと、私の情報を伏せたのだろう。
「シスター。どうか私も共に連れていってもらえないでしょうか。お邪魔であれば、王都が見えなくなる位置で下ろしてくれて構いません。どうしても私であることを知られずに、外に出たいのです。私には、やらねばならぬことがあります」
「…あらあら。乗せるのは構わないのよ。途中で降りるなんて言わずに一緒にいらっしゃい。ただ、そうは言っても、どうしたものかしらね…トランサーグ?」
やはり王都の出入りには身分証が必要なのだろうか。でもファントム冒険者証は、ちょっと使えそうにないな。
「門兵があんたの顔を知っているとは思わないが…そうだな、手口は後で考えるとして、まず、呼び名からだな」
ああ、確かに。オルタンシア・エーゼレットが行方不明になった日に、オルタンシアさんが門を通っていますって記録されていたらバレバレよね。
身元と行き先が確かなシスターに、迷惑がかかるのは避けられない。
私の偽名、か…うーん。シスター…教会…ルーベンス…ネルロはちょっとこの辺にない響きだから駄目…。
「…フラン。フラン・ダース、男性ということでお願いします」
これならば書類上、私と何の関連も見出せないだろう。
あとは、門兵にオルタンシアの似顔絵を見せても気付かない程度の変装が必要だ。
「そうだ、鋏をお借りできますか。この髪も、少年らしく切ってしまいますから」
「正気か」
トランサーグが目を丸くした。
「いつでも正気よ」
冒険者に敬語を使った方がいいのか、砕けたほうがいいのか、判断できなくて態度がバラついてしまうぜ。
この人、さっきまでの素の私も見てるし、貴公子してたことも知ってるし、本当は貴族令嬢であることも知ってるからな。なんか、やりづらい。
「そんなに長くて綺麗な髪を…いいの?」
シスターはおっとりとまばたきをする。
貴族女性がショートカットにすることはない。つまり、髪を切れば私が貴族令嬢だなんて一見してわかることはない。
「はい。あ、髪って売れます、よね?」
「ええ。修道女となる際に切る方も多いから、売る伝手もありますけれど…今日出かけるまでには、さすがに時間が…」
「結構です。寄付代わりに置いていきますので、後で何かの足しにしていただければ」
ちなみに、後任の馬車に孤児が一人隠れて乗ってきた設定に落ち着いた。いつの間にか乗り込んで、箱の中で眠り込んでいたので後任にも気付かれなかったのだ。
後任が来た後に馬車に荷を載せようとしたトランサーグが発見する。急いで門兵の元に走り、嘘設定を説明して入都税を払ってくる手筈だ。
入ってきたことが記録されるのだから、出て行けるというわけである。
誤魔化して入り込み、潜伏するなら不法移民だが、手違いならば許される。孤児とはいえ、身元確かなシスターが保護者だ。
誤りの直後に説明してお金も払うのだからフランは犯罪者にならないし、しかもすぐに出ていく人間だ。いちいち門兵も捕まえて訊問したりしない。
そして入出を誤魔化すのは書類を混乱させるいけないこととはいえ、オルタンシアは『住民』だ。出奔自体は、罪になどならない。せいぜい貴族門から出なかったことくらいしか叱れないだろう。
そうと決まれば早速支度だ。転びまくったことが幸いし、フード付きマントがそのまま使える。
小汚れた孤児の少年にロールチェンジ!
髪を切ってさっぱりし、体調もすっきりしている私は今、気分も軽やかである。
後任、これで、いいヅラ作れよ!




