戦わない選択。
今日は新しいお母さまのお披露目だ。
あえて言おう。私はまだ、顔合わせのときのご挨拶しかしたことがないと。
ちなみに顔合わせって軽くお茶飲んだだけで1時間もないのだぜ。
お父様がさっさと切り上げてしまったので、本当に当たり障りのない会話しかできなかったという。
しかしお父様がそうしたということは、長く会話できない状況であったということだ。多分、相手は決闘従士たる私に怯えているのだろう。
新しいお母様よ、義娘は決して継母をいびったりはしないのです。
お披露目日和のこの天気のいい昼下がりに、私は…部屋に籠っていた。
お披露目ホームパーティーは夕方から夜ご飯にかけてであり、数時間で終了の短いものだ。
招待客も宰相的には少ないし、申し訳程度のお披露目と言っていい。
それが父か義母かどちらの意向かはわからない。
…うちでアンディラートの家みたいな不和が起こらないことを祈るばかりだ。
お父様って面倒見はいいけども、それと興味はまるで別だからな…手を抜いてもいいやと思っていることはポンと抜く。
それでも後々フォローできる用意は一応してあるところが、抜かりないお父様なのだけれど。
もちろんオルタンシアは、そういう手抜き上手なお父様も大好きですよ。
使用人達は現在お披露目パーティーの準備を頑張っている。ラストスパートだ。
「…あれ。変だな」
ぽろりと絵筆を取り落として、慌ててアイテムボックスでキャッチする。
こんな日だ。緊張しているのだろうか。そんなつもりはないのだけれど。
けれど本日二回目の出来事に、私は絵を描くことを諦めた。
絵筆を絨毯に落としたら、絵の具が付いて汚れてしまう。
この忙しい日に使用人を煩わせてはいけない。
ならばと刺繍を取り出してみるけれど、しばらく縫っていると唐突に、狙った位置に針が刺さらなくなった。
「…なんだ…?」
私の手がおかしいのかしら。両手を目の前に持ち上げて、じっとしてみる。
…特に、おかしなことはない…。
そう思った瞬間、指先が震えた。
「あ、なんだこれ。ぷるぷるしてる」
少し震えて、止まった。痙攣というほどのものでもない。
「…やっぱり無意識の緊張?」
まあ、人体だし。そういう日もあるよね。
今日は大切な日なのだし、イレギュラーが起こらないように、なるべく部屋から動かずにいたほうがいいか。
…なんてね。
私は今、大慌てでアンディラート宛のお手紙を書いています。
ペン先が揺れる。
手がプルップルだ。
「…くっそう、何でこんな日なのよぅ」
使用人に頼らず、一人で早めの身仕度をしようとしていた私は、唐突に理解した。
ドレスを着る途中で腕が思うように上がらないことに気がついてしまったのだ。
身体に力が入らない。
これは…多分あれだ。
慌ててドレスをアイテムボックスに片付け、スポンと上からかぶるだけの自作のワンピースに着替えた。
もっと早くに気がつけば良かったのに。
「何が緊張なのよ。ああ、私の馬鹿…どう考えたって異常事態だった」
もうすぐ使用人が私の支度を手伝いに来るだろう。
こんな状態が見つかれば強制的にベッドでお留守番だ。
パーティーの始めから体調不良を訴えて部屋にこもるなんて、まるで新しいお母様を認めていないみたいに見えてしまう。
それでも、こんな様では、私はパーティーに出ることができない。
「オルタンシャドウ、影武者モード!」
ふわりと私の前で、靄が『私』を形作る。
未だ整えられない髪型は、シャドウだけでもきちんとアップにして、髪飾りを。
…ちゃんと笑える子にできたのかしら。
出来映えがよく見えないけど、あんまり時間がないわ。
ヤバイ。何だか視界が暗くなってきた。
「パーティーの挨拶が終わったら上手に寄ってくる人を避けて。途中で退出。もし…もしもアンディラートが気付いたら…お手紙を渡す。あとは…基本はベッドで動かない」
サポートには複雑な命令はできない。
だけど、それじゃあ、どこまでの命令ならできるのか…それ、試していなかったよ。なんてこと。
複雑なことができないならマニュアルモードでいいじゃない、とか言ってた過去の自分よ…怠慢のツケが今、大変です。
「ああ、もしも手紙を見たアンディラートが手伝ってくれたら…すっごい嫌なとこを見せちゃうなぁ…でもなぁ…できれば…助けてほしいなぁ…」
予知夢の日は、今日だ。
次第に動かなくなるこの身体が、それを示している。
きっと夜中には完全に動けなくなって、そこに謎の犯罪者が現れるのだろう。
まだ、対応できるようなサポート罠は完成していない。
なんで急にこんなことになったのか。全然わからない。
予兆なんて何もなかった。
この急激な身体の変化…私は一体、何の病気なんだろう。
これ、もしかして他人に感染したりするのだろうか。
ならば早くここを出なければ。
あの夢の最悪の事態とは、もしかしたらお父様にこの病を移すことかもしれない。
あとは…無理にパーティーに出ようとした結果、私がパンデミックを引き起こすとか…?
怯えて、見ようともしなかった予知夢が悔やまれる。
だけど…やっぱり何度試みても、最後まで見られたとは思えなかった。
早々に諦めたから、ファントムさんを作ることができたのだ。
むしろ脱出の物資を揃えられて良かった。そう信じるしかない。
「…ファントムシャドウ。秘密基地の窓から出よう。裏庭の、塀を越えて逃げよう」
あの夢ほどではないけれど、視界がぼやけてきた。
まだ何とか見えるうちに、移動しなければ。
ファントムが私をお姫様だっこした。
しゃらりと、その肩から流れた長い金髪が、私の頬を撫でる。
…お兄様、これ、かゆい。むしりてぇ。
なんで長髪なんかにしてしまったんだ。
文句を言っても仕方ない。
ワードローブの背板を開けて、私の小さな秘密基地へ。
それから周囲を小鳥部隊に探らせ、誰もいないことを確認してから窓を開け、逃走。
裏庭の塀の前に立って。
私は考える。
「…グッタリ女子を抱えて逃げるファントムさんは…通報案件だよね…どうしよう…」
どうしたらいい。
目立たず逃げる…目立たずに…ファントムさんだけなら目立たない…。
「中身の、ない、着ぐるみ…そうだ、ファントムさん…私を中身に入れるんだ!」
着ぐるみ、着るよ!
ファントムさんが、ぐいっと強く抱き締めてきた。
そのまま、ずぶりと、ファントムの腹に沈む感触。
うわぁ。引くわぁ。
…己でやったこととはいえ、多分これ、傍から見てたら相当ホラーだろうな…。
小鳥の視界をジャックして、ファントムさんを確認する。
…よかった、私の手足がはみ出したりはしていないようだ。
バグった外見にはなっていない。
しかし抱っこされていたときは楽だったのだが…。
ファントムバディに内蔵された現在、相当に窮屈である。
なんせファントムさんが動く形に、内部で強制むぎゅむぎゅされるのだ。
本物の着ぐるみならもう少し余裕あったんだろうけど、成人男子サイズに無理やり入ってるから、全然余裕ないよ。
ファントムさんは私の指示通りに塀を乗り越え、素早く貴族の居住区から下街区へと移動を開始した。
王都から出ようにも、ファントムさんでは貴族用の門から外には出られないからね。
それに、もしかしたら一般市民の住む地区に隠れるだけでも、今日を乗りきるには十分かもしれない。
なんせ結構離れている。
遠いよ…走らせてるけど、狭いし揺れるし、遠すぎる。
小鳥の視界とファントムさんの視界を切り替えながら、人目を避けて進む。
小鳥に歩哨を任せながら、ファントムさんは路地裏で座り込んだ。
…うう、酔う。この移動方法は酔う。
少し休んで、それから、
…それから…。
…………。




