スキマライフ!~昼寝枕。【アンディラート視点】
「お待ちしておりました」
深刻そうな家令に迎えられて、少し動揺する。
それを表に出さないようにちらりと周囲を窺うと、使用人達が皆こちらに注視しているのがわかった。
「…待っていたって…何かあったのか? 屋敷に言伝などは受けていなかったが?」
問いかければ、家令からは逡巡が返る。
「いえ、緊急というわけではなかったものですから…我々もどうしたものかと」
歯切れの悪い言葉だ。
こちらへ、と促されて庭に出る。
テラスで待たされるのも慣れたけれど、どうやらそれだけでもないらしい。
「オルタンシアに…何が?」
「ご本人は何もないと仰います。周囲も問題となるようなものは見かけておりません。しかし…顔色が悪く、最近はあまり食も進みません。医師を呼ぶことも拒否されるものですから…可能であれば、何かお嬢様から聞き出していただけたらと思います」
体調不良なのか?
どうして医師を拒否するんだろう…。
「旦那様から許可をいただいておりますので、裏庭をお使いください。すぐに簡単な食事を用意します。少しでもお嬢様に食べさせてほしいのです」
「わ、かった」
一礼して家令が下がる。
風が木の葉を揺らす音だけが響く、静かな庭。
いつもの椅子に勝手に掛けて待つ。
リーシャルド様の後妻が決まったと、公にされたのは一週間ほど前のことだ。
再婚なので大事にはせず、ささやかなパーティーを自宅で催して、お披露目とするらしい。
オルタンシアの様子が気になって、俺は今回の遠征を見送った。
今回は国境沿いの砦まで行くというものだったから、少し興味はあったのだけれど…どのみち彼女と天秤にかけられるものじゃない。
ことは宰相の再婚だ。お祝いを持って駆け付けるのは俺の役目ではなかった。
まして屋敷が来客の対応に追われているであろうさなか。
子供が遊びに行くには時機が悪い。
公表から一週間も経てば落ち着いたかと、訪ねてみたのが今日のこと。
…だけど…もう少し早く来るべきだったんだろうか?
不安になる俺の視界の端に、待人の姿が映る。
何気なくそちらに顔を向けた。
「やあ、久し振りだね、アンディラート」
息が、止まるかと思った。
「どうした、オルタンシア!」
「え、何?」
自分が椅子を蹴倒したことにも気付かずに側へ走ると、相手のほうがもっと驚いた顔をしていた。
「ひどい顔色だ。具合が悪いのか?」
「…え、いや…別に?」
青白い頬に伸ばした手を避けようともせず、彼女は首を傾げる。
触れた頬は、冷たい。ひどい隈だ。
ああ、それに少し痩せたのかもしれない。肩の辺りが華奢になった気がする。
その下の減らなかったのだろう部分は目を逸らし、ざっと全身を確認する。
何だか動きにも力がないし、まだ午前なのに、全体的に疲れたような気配がする。
いつもかっちりとした男装を好むのに、今日は形こそ男物ではあるものの柔らかな生地の服だ。…身体がだるくて、固い生地を着るのが辛いのかもしれない。
使用人が辺りにいるから、ここでオルタンシアを追求しても、きっと何の答えも得られない。
家令の言う通り裏庭へ移動したほうが良さそうだ。
「裏庭へ行くから、敷くものをくれ」
使用人に声をかけると、用意している最中だったのだろう、ちょうど別の使用人が敷物を運んできた。
「あの。もう少しお待ちください」
早速移動しようとすると、使用人は困ったような顔をした。
ああ、軽食か。
食べさせろって言われたけど、まだ準備ができていないんだ。
どうしてかはわからないが、この家の使用人は決して裏庭へは来ようとしない。俺達が裏庭へ引っ込んでしまったら、届けられないのかもしれない。
「オルタンシア、先に裏庭へ。俺はまだ受け取るものがあるから、後から行くよ」
「受け取るもの?」
「うん、何か軽く食べる」
「わかった。先に行ってる」
にっこりと笑って見せるオルタンシアは、しかし顔色が悪すぎて痛々しい。
ふらふらと歩く姿を見送って立ち尽くす俺を、使用人が再び椅子へと促した。
一体どうして、あんなことに。
思い当たること…最近の変わったことと言えば、リーシャルド様の婚姻か。
親の再婚が、やはり嫌なのだろうか。
だが、宰相がいつまでも寡夫でいるわけにはいかない。奔放の代名詞のような父上でさえ、許されなかったのだから。
本人に聞かなくちゃ何もわからない。
そう理解しているのに、頭の中でぐるぐると疑問が回る。
しばらくして、家令が軽食の入ったバスケットを運んできた。
「お嬢様をお願い致します」
「…うん」
それ以上言葉を思いつけず、バスケットを受け取って裏庭へ向かう。
必死に走って追いかけたりしたら、驚かれるだろう。
駆け出したいのを堪えて、自分を落ち着かせながら歩く。
きつく問いつめてしまわないようにしないと。
きっと俺しか聞いてあげられないのに、俺が話しにくい雰囲気ではいけない。
しつこいほどに深呼吸を繰り返して、裏庭へと辿りついた。
敷物の上に、座ったオルタンシアは俯いている。
「…オルタンシア?」
こちらを見る気配もない。
そっとバスケットを下ろして隣に座り、顔を覗き込んだ。
「…寝てる?」
何だか疲れたような顔をして目を閉じている。
急に引っ繰り返らないように、横たえておいたほうがいいだろうか。
そっと肩に手を掛けた瞬間、はっとしたようにオルタンシアが顔を上げた。
「やっ」
反射のように手を振り払われて。
えっ。
今、嫌だって言われた?
…思いのほか、ショックを受ける俺。
「い、嫌だったのか、ごめんな」
ちょっと泣きたい…けど、そう、女の子に軽々しく触れたのだから自業自得だ。
オルタンシアだって、いつまでも駆け寄って抱きついてくる子供じゃないんだ。
「オルタンシア…な、なんで泣いてる?」
そんなに?
泣くほど嫌だった?
立ち直れる気がしないんだけど!
…なんて、考えていた俺は、すぐに間違いに気付く。
ぽろぽろと涙を零した彼女は、不思議そうに俺を見上げていた。
「アンディラート?」
「どうした。どこが痛い?」
まばたきのたびに、雫が落ちる。
身体が痛むのではないのだろう。何となく、そう思った。
「アンディラート?」
確かめるように、彼女は再び俺を呼ぶ。
ならば、確かだと肯定しなければ。
何を確かめたいのかなんて、知らなくてもいいんだ。
「うん、そうだよ、オルタンシア」
答えても、様子のおかしなオルタンシアは、不思議そうに泣くだけだ。もしかして寝ぼけているんだろうか。
涙を止めたくて、先程振り払われたことも忘れて、つい抱き締めた。
腕の中でギクリと強張ったその身体に、失敗したのかと内心で慌てたのだけれど。
「…アンディラート?」
「うん」
「アンディラートだ」
「俺だよ、オルタンシア。ここにいるのは、アンディラートだ」
オルタンシアは、そのまま俺に凭れた。
「アンディラートの匂いがする」
「…ぇ、く、臭いのか?」
急にドッと変な汗が出た。
待て。
今出たら余計に汗臭くなるじゃないか。
どうやって止めたらいい。
朝の鍛練の後は拭いて着替えた。風呂入ったほうが良かったのかな。
焦れば焦るほど汗が出てる気がする。
「ううん。アンディラートだった」
否定の言葉にほっとする間もなく、オルタンシアはしゃくり上げた。
え。もっと泣いた。なんでだ。
どうすればいいんだ、これ。
もう、わけがわからないけど、とりあえず抱き締める腕に力を込める。
泣くなよ、と思うけど。
泣きたいのを我慢していたのかもしれない。それなら泣かせてやったほうがいいんだろうか。
抱き締めても嫌がられないのは、嬉しい。だけど泣きやませてやれないのは、困る。
しゃくり上げる声を聞きながら、ふと、そこに言葉が混じっているのに気がついた。
…こわい?
「オルタンシア?」
呼んでも答えないオルタンシアの泣き声に耳を澄ませて、俺の胸に伏せて聞こえにくいそれを、必死に聞き取る。
やっぱり、怖いって言ってる。怖いという言葉と、俺の名を呼ぶ、それだけが繰り返されている。
「オルタンシア。何が怖い? 大丈夫だよ。何もいないよ」
繰り返される泣き声に、変化はない。
ここには使用人も来ないのを彼女だって知っているのに、一体何が怖いのか。
いや、使用人も来ないから怖いのか?
もしかしたら裏庭での、襲撃の予知夢でも見たのだろうか。
「怖いんなら俺が見張るよ。オルタンシア。大丈夫だよ。俺が一緒にいる」
腕の中で、彼女が身じろぎした。
何かに反応した。何だ?
わからないけれど、同じ言葉を繰り返しかけた。俺にしがみつく力が強くなる。だからつい、俺が抱き締める力も強くなった。
どのくらいそうしていたのだろう。
ふっと急にオルタンシアが力を抜いたので、抱き潰しそうになった。
「わ、ごめん、痛くなかったか?」
慌てて声をかけるけれど、返事はない。
…泣き声も、いつの間にかやんでいる。
「オルタンシア…寝てる?」
顔を伏せていてわからないけれど、何だか呼吸が規則正しい。
眠ったのなら、やっぱり横たえてあげたほうがいいんだろうけれど…。
「…このままが嫌なら、嫌って言って?」
返事はない。
眠っているので当然だ。
「…じゃあ、このまま抱いてるから。嫌になったら、ちゃんと嫌って言うんだぞ」
やっぱり返事はない。
泣いたせいか、随分とあったかいオルタンシアを、片膝を立てて支える。
オルタンシアは、すっかり日が暮れてしまうまで目を覚まさなかった。
「すっごいスッキリ」
ぱっちりと目を開けたオルタンシアは、そう言って笑う。
顔色も良くなった。
いつも通りの様子に、俺もホッとする。
「何があったか、聞いてもいいのか?」
言いたくなければ無理に聞く気はなかったけれど、乾きかけのおしぼりで顔を拭いてやりながら、一応問いかける。
「うーん。ごめんね、何か最近怖い夢ばっかり見るからあんまり眠れなくて…メチャクチャ寝不足だったみたい。だから情緒不安定だったのかな。他には、特に何もないよ」
食欲も問題なさそうだ。
薄暗い中で、俺達は冷え切ったお茶とサンドイッチを平らげる。
「できることがあるなら協力するから、あんまり心配させないでくれ」
どんなに剣の腕を上げたって、オルタンシアが無事でいなけりゃ意味がない。
そんな風に思ってしまう一日だった。
「…あ、えぇと…じゃあアンディラート」
「ん?」
「どうやら君がいると安眠できるのですが。今後の遠征のご予定などお聞きしても…?」
俺がいると、安眠できるって…。
これって喜んでいいのだろうか。
「昼寝用の枕をしに来いということか?」
一緒に過ごせるのなら昼寝だろうと構わないのだけれど。
ちょっと男としてどうなのかという複雑な気持ちが、微妙に拗ねた言葉になってしまう。
頬に俺の服のボタンの跡をつけたオルタンシアは、ちょっと目を細めた。
あ。碌なことを言わないときの顔だ。
気付いたけれど、止める暇はなかった。
「そうね、さすがに夜に泊まって同じベッドで一緒に寝てとは言えないよね」
「…っ!」
できるわけがない。何てことを言うんだ。冗談にしたって他の奴に言ったら駄目だ。
色々言いたいことがあるのに、完全に固まってしまった俺は声の一つも出せない。
オルタンシアは「あははっ」と何でもないことのように軽やかに笑う。
笑って、そして、…一人で抱え込もうとする。
「言ってみただけよ。今日で随分すっきりしたから、またしばらくもつと思うし。君にだってそんなに迷惑かけられないもの」
迷惑なんて思ってない。
…正直なところ、役得しかない。
だから俺は、言うしかなかった。
「明日も来るよ」
従士隊は、少し休もう。
騎士の遠征に行かないのならば、従士の訓練はもう、俺にとってはあまり魅力的なレベルではない。
オルタンシアが俺の知らない間に泣いているよりは、枕代わりにされているほうがずっといい。
本当は、意識してくれるともっといいのだけれど。
でも…意識した結果、手を振り払われるくらいなら、今はまだ、このままでもいいかな。




