スキマライフ!~冒険者リィと忘れられた姫君
あるところに、樫の扉に格子の窓で捕らわれた姫君がおりました。
建物の外へ出るなんて、もってのほか。
理由がなければ、部屋の外へすら出してもらえないのです。
「ああ、代わり映えしない景色はとっても退屈。森もこの建物も吹き飛ばされてしまうような、強い嵐が来ないかしら」
彼女はいつも2階の窓から外を眺めていましたが、景色は木々と木の葉に覆い隠されていて、強い風に枝葉が揺れたときにだけ、辛うじて空の色が見えるのでした。
一日の始まりには、フードをかぶって顔の見えない侍女が起こしに来ます。
それから、『先生』が教養や作法や、色んな授業をしに来ました。
『先生』は決して1人ではありませんでしたが、侍女達同様、使用人達同様、誰ひとりとして顔も名前も明かさないのです。
「愚かな民、狭き世界に忘れられてしまった可哀相な姫君。いずれ来る日のためにどうか学んで下さい。いつか外に出たときには、再び、皆があなたにひれ伏すでしょう。正当な後継者は、あなたなのですから」
『先生』はいつもそう言いましたが、捕われの姫君とってはあまり魅力的な提案ではありません。
愚かな民も狭き世界も。
それで幸せに回っているのなら、無理にひれ伏してもらう必要なんて、ないのではないかしら。
「世界が私を忘れてしまったなんて嘘。綺麗さっぱり忘れてくれなかったから、こんなところに閉じ込められているんだわ」
いずれ来るという外に出られる日は、あまり素敵なことには思えませんでした。
それでも、部屋に押し込められるだけの日々は、ひどく退屈なのです。
「未だに顔も名前も隠してわからない、この家の人達も、もうたくさん。お散歩くらいはいいでしょう?」
唯一、顔と名前のわかる老齢の男に、姫君は言いました。
「おお、姫様。外はとても危険なのです。悪い奴らがあなたを見つけたのなら、きっと殺してしまうでしょう。あなたのお父様とお母様をそうしたように」
姫君は誰にも教えてはいませんでしたが、実は魔法が使えましたので、そう言って笑う男の言葉が、けれども嘘だと知っていました。
同じ建物の中で、とある部屋に閉じ込められている気のふれた女性が、本当のお母様であることを知っていました。
(あの女性は『娘を殺して、死ななくては。このままでは不幸になる』と言った)
ここに閉じ込められていることは、あの女性にとって、恐らく死ぬよりも不幸なことなのです。
(同時にこうも言っていた。『もしもあのひとが生きていてくれるなら。せめて、あの子を連れ出してくれるなら』と)
父親は、生きているのかもしれません。
どちらにしても、老人の言葉を信じるだけの理由は足りていませんでした。
(それに、あなた、言っていたわね。『時が来れば、傀儡の女王を手にして必ず返り咲く。我儘な子供の相手も、一時の我慢だ』と)
老人以外の誰をも頼れぬ環境にして。女王を仕立てあげて政治を操りたいのでしょうか。
摂政として? 伴侶に収まって?
姫君の魔法は、けれど戦いには向いていません。
追求のためにと手の内を明かせば、より強固に囲われてしまうでしょう。
こうも閉じ込められているのは、老人の手駒としてあるためなのだから。
そうして打開の手段がない日々は続き。
唐突に、彼女は、冒険者と出会ったのです。
「あなたが忘れられた姫君ですか?」
真夜中の部屋に響いたのは、聞いたことのない少年の声。
辺りをどれだけ見回してみても姿はどこにもありません。
「…誰? どこにいらっしゃるの?」
「外に。私は『忘れられた姫君とその母親を、逃がすか殺す』という依頼を受けて参りました。死か、生か。お選び下さい」
なんとも、まあ。
あんまりにも簡単に告げられた内容に、姫君は笑ってしまいました。
打開の手段が、少年の姿となって飛び込んできたのです。
「あなたは、どなた? 助けていただくにしても殺していただくにしても、顔とお名前くらいは知っておきたいわね」
この建物の中で出会う人間は、どんなにお願いしても顔も名前も教えてはくれません。
知る必要がないと、ただ、それだけ…。
口にしてはみたものの、きっと少年も同様であろうと、彼女は思いました。
だから、窓が陰ったときには、とてもとても驚いたのです。
少年は足場など何もないはずの、2階の窓の外に立っているのですから。
「失礼。お邪魔しても?」
「…え、ええ、もちろん? 騒ぎ立てたりはいたしません」
少年は、魔法のように簡単に格子を外して背に負い、外から窓を開けました。
「まあ。あなたも魔法を使えるの?」
「…いいえ? 木製の留め具なんて、無理に抜かなくたって燃やせば取れますよ」
「だって、浮いていらっしゃるし…窓も、固定されていたと思うの」
「足場は作ってありますし、窓は昨夜のうちに開くようにしました。数日窺っていたのですが、ここの方々には、この窓は開かないという固定観念があるのでしょうね。むしろ、ここが一番手薄です」
音もなく室内へ入り込んだ少年は、格子をそっと絨毯の上に下ろしました。
顔を上げて、姿勢を正して一礼。
「私は冒険者のリィ。縁あって、志半ばで倒れた男性の依頼を引き受けました。依頼は女性を2人、逃がすか殺すこと。もう1人の女性は、殺すつもりでいます」
リィの言葉には、嘘を感じませんでした。
彼は倒れた男性の依頼を達するだけ。姫にも母親にも、興味はないのです。
「なぜ、殺すのですか?」
別々の部屋に閉じ込められ、抱き締めてくれた記憶もない、母親。
自分は彼女と共に逃げたいのだろうか、と姫君は考えました。
答えはすぐに出ました。
「数日窺っていた、その結論です」
彼女はまともに言葉をかわすこともできない状態だったはずです。
連れて逃げるにはリィの負担が大きい。
それにこれは、志半ばで倒れた男性からの依頼。
ならば、彼女は、もう外に希望など…。
「私は殺さないのですか?」
「どちらでも、依頼を達せると考えます」
そうかしら。立派な足手まといだわ。
本当は、あまり死にたくはないのだけれど…。
姫君は自分の身体を見下ろしました。
それをどう受け取ったのか、リィは着ていた外套を脱いで渡しました。
着ていた上着、それも男の子のものを貸されるだなんて。そんなことは初めてです。
外套は少し大きかったけれど、外の匂いがしました。
憧れた、匂いがしました。
この外套は、リィと共に外の世界を旅してきた外套なのです。
「着替える時間はないですよ」
「はい。…それに、残念ですけれど着ている夜着が一番動きやすいと思います」
リィは少しだけ笑いました。
純粋に、面白いと思って笑った、ただそれだけの笑顔でした。
この建物の中では、見たことのない笑顔でした。
姫君を窓から連れて森へと隠したあと、リィは1人で建物へと戻りました。
2人でひとつのこの依頼を、達成するためです。
真っ暗な森の中に隠れる姫君はもう老人の駒ではなく、顔の見えない者達にかしずかれるでもない、ただの女の子でした。
身を守るものは、リィが残した魔物除けと外套だけでしたが、不思議と怖くはありませんでした。
虫の音も、木々の葉擦れも、遠くで吠える獣の声も、高鳴る胸ほどにはうるさくありません。
先の見えぬ暗い森も、闇と同化した空も、いま惨劇のさなかにあろうあの建物も、少年の笑顔ほどには気を引きません。
冒険者にとって、女の子を助けるのは冒険だったのでしょうか。
だとしたら、リィは今後もたくさんの女の子を助けていくのでしょうか。
太陽が冒険者を連れてくるまで、女の子の考え事は尽きません。
「冒険者になるのって、女王になるより難しいのかしら」
2階の窓の外に立ったり、そこから人を抱えて飛び出したり。彼女には、少しばかり難しそうに思えます。
リィは夜明けと共に、悩む女の子のところへ戻ってきて言いました。
「冒険者になるだけなら、登録するだけでなれるけれど。興味がお有りですか」
「はい!」
「ふふ。どうせ街の出入りには身分証も必要ですから、ついでにほんの少しだけ冒険しましょうか。姫君の自由のお祝いに」
リィはまた、面白そうに笑いました。
自由って、なんて幸せなのかしら。
そうして『忘れられた姫君』は、冒険者リィの手によって、本当に世界から忘れ去られることができたのです。
めでたし、めでたし。




