巣立ちのときは近い。
※性犯罪者がいるので、ダメな方は注意です。
また、男性諸氏には、み゛ゃっ!とするかもしれない表現があります。
念の為、スキマあけて後書きに内容を書いときます。
モヤモヤと視界が揺らぐ。
ボワボワと音が籠る。
知らない男の声。何を言っているのかはわからない。
あまり感覚のない皮膚の上を、撫でているのが他人の手だと気づいて、ぞっとした。
まるで麻痺しているように動かせない身体に、何とか力を入れようともがく。
「…いが…、…う…さん…」
全然聞き取れないけれど相手は何か喋っている。嘲るような調子だけが不快を煽る。
現状打開のヒント。
そう思っても、嫌悪が勝って聴覚には集中できない。
(…嫌いなら、放っておいてくれればいいのに。わざわざ、私じゃなくてもいいのに)
こんなことが前にもあった。
誰も、何も、脅かしたつもりはないのに。
どんな言い訳も聞かないんでしょう。私以外のものが、正当なんでしょう。
力では到底敵わなくて。どうせ殴られるだけ。
抵抗なんて意味がない。
ああ、ここで死ぬんだ。
だって何も敵わないのだもの。
何ひとつ、叶わないのだもの。
『頑張って。幸せになってくださいね』
(本当に、叶わ、ないの?)
違和感。
…敵わない? この、私が?
(…そんなはず、ない…身体強化様…!)
そうだ、敵わないはずがない。
今の私には、身体強化様があるのだ。簡単に負けるほどヤワではない。
少しだけ、指先に力が入った。
揺れたカーテンの隙間から、月明かり。照らされても、相手の顔はボヤけて見えない。
上手く瞼が上がらず、視点も合わない。
反撃に気づかれないように、右手だけに集中したほうがいいか。
目を開けかけたことで反応があると思われたのか、男は胸を鷲掴んできた。
うわ、マジ、キモイ。
むしろ感覚のない麻痺り気味状態で良かった。
ふん、馬鹿め。
そんな掴み方で喜ぶ女はおらんわ。一人善がりヤロウ確定。
プロのお姉さんに裏で笑われてろ。
「ま……、…に…、わすれ…ひ…」
キモ男が独り言めいて駄弁る。
くっちゃべるのは油断の証。
いざとなったら異端を明かし、アイテムボックスに逃げ込んでもいい。
ううん、アイテムボックスに、相手をブチ込んだっていい。
閉じ込めて、中の空気だけ取り出せば、腕力なんてなくても勝てる。
手段はある。
私はまだ戦える。
私の上に覆い被さる相手の、一点だけに集中して。深呼吸。
いざ。
性犯罪者は、もげ死ねえぇぇぇ!
「はっ!」
ビリィッと布を裂く音で目が覚めた。
もぎり取った手を高く掲げ、降り注ぐ羽毛の中で、状況を理解できずに目を凝らす。
暗い。
先程と変わらぬ、自分の部屋。
先程と違い、私の他には、誰もいない。
「…夢、だぇっぐしょいっ」
舞い散る羽毛で鼻がムズムズする。
慌てて室内に舞う羽毛と埃を指定し、アイテムボックスへと収納した。
ぶわりと立ったままのチキン肌を摩りながら、枕元の魔石灯をつける。夜中であることに配慮して、少し光量を落とした。
唇を引き結んで周囲を窺えば、ベッドの上では枕さんが惨殺されている。
犯人は私だ。
ボロ布と化した枕を、そっとアイテムボックスにしまった。
「平気。身体強化様は無敵だし」
意識はしっかりハッキリしている。
けれど、呟く声は震えていた。
「身体が動かなくたって。アイテムボックスから文鎮を落として、相手の後頭部を強打したっていいし。平気」
戦う力はあるのだ。
生半可な人間に負ける気などしない。
ちょっと考えただけでも対抗手段は思いつくのだ。
良く考えれば、もっともっと手段はあるだろう。
なのに。
怖い。震えが止まらない。
「平気。…こんどは、こんなふうに、ころされた、り、しな…」
ああ、しまった。
堪えきれず、ぼろぼろと涙がこぼれた。せめて嗚咽は噛み殺す。
思い出してしまった。
前の私は、私に執着する男に、襲われて殺されたのだ。
自分のことと同様に、相手の顔も名前も思い出せはしない。
こうも私が嫌っているのだから、恋人ではないと思うのだが…随分と長い期間、悩まされていた気がする。
しかも結果として殺されるのだから報われない。
詳細な関係はやっぱり思い出せない。
顔が良くて、背の高い男。
世間一般の評価は、イケメン。
彼が私に執着するせいで、ただでさえ嫌われものの私は余計に、女の子から嫌がらせを受けた。
駄目な奴、出来ない奴なんだから俺の言うことを聞いていればいいのに。
グズでマヌケなのに、どうしてあいつなんかが気に入られるのかしら。
お荷物なクズのくせに、理想ばかりが高いのか。何様のつもりなんだ。
がんがんと痛む頭の中で、言われ続けた言葉がぐるぐる回る。
誰も助けてなどくれない。
私が駄目な奴だから。
…ううん、もう、一人でも平気。
自分の手を額に当て、頭痛を堪えると同時に冷え切った指先を温める。
一人でも平気。
戦える。
だって今は、私を心配してくれる人はいる。
「…まえとは、ちがう…」
私が駄目なのは変わらないけれど。私には、お父様とアンディラートがいる。
諦めたりしない。だって、諦めたら…あんな死に様の私を見つけたら、きっとお父様もアンディラートも泣いちゃうわ。
気高く美しいお母様だって、私がこんな結末を受け入れることを、決して褒めては下さらないはず。
震えはまだ止まらないけれど、涙は止まった。鳥肌も寒気もおさまらないから、布団を巻きつけて暖を取る。
予知夢様は、しばらくずっとお休みだった。だというのに、急に今夜現れた。
だから私は予測を立てる。
予知夢様はきっと、起こりうる条件が揃ったときに警告として発動するのだ。
発動したときから事が起こるまでの間は、その条件を崩すための補助として、夢を見続けることができる。
私にとっては唐突であっても、現実ではどこかで役者が出揃い、情報が渡り、悪夢を引き起こす環境が整った。
ならば、直近の行動が原因か。
まずは私という存在。決闘やらで、派手に周囲に認識されてはいた。
引き籠もっていれば存在の発覚は遅らせることができたのだろう。しかしお父様のためにもこれは不可避だった。
続いては、そんな状況でありながら破天荒な男装ではなく、お母様似の美少女である様をさらしたこと。
恐らくそれが、未だにお母様を探していた者達の目に触れた。
相手が既に私を特定していたかどうかはわからないが、丁度、周囲をウロウロしている時期だっのだろう。
そのタイミングでアンディラートのパートナーを引き受けたことが最後の岐路、か。
「…だけどきっと、少し早くなっただけ。私が人目に付く場に出れば、いつか起こる可能性は、あると思っていた」
貴族の、それも宰相の娘が、成人しても長くパーティーに出ないでいることは難しい。
貴族とは損得や足の引っ張り合いを常としていて、友達だろうと伴侶だろうと、とにかく繋がりを作ることに余念がない。
それこそ、早いうちに修道院にでも入って、しがらみから離脱しなければ無理だ。
夢の中の男の言葉を思い出す。
『忘れ』と『姫』。絶対にそう言った。
ならば、これは今生、絶対に断ち切らねばならない私の鎖。
「『忘れられた姫君』…途切れ途切れだったけど、きっと、そうに違いない」
お母様のおとぎ話。他のお話と違って絵本も開かずに語られたそれは、万が一のためのお母様からの警告。
そうとは告げずに語られた、恐らくはお母様の過去。
お父様が私に教えないのは、既に終わったことだと思っているから?
予知夢様を無理に拒否して起きたから、あの夢が殺される結末であったのかどうかはわからない。
『忘れられた姫君』を殺しても、お母様が望んだように、世の中から『完全に忘れ去られる』だけでしかない。
わざわざこちらを探していたならば、それを望まない勢力のはず。
連れ去られる可能性のほうが高いならば、あの場はおとなしくしていた方がいいのかも、しれない、けれど…。
「うう、舌噛んで死んだほうがマシ」
性犯罪者の言いなりになるのは無理だ。
…うん。その時どうするかは、ちょっと…ひとまず横に置いておくとして。
あんなにも動けず状況も掴めないというのなら、相当重い病にかかったときに起こることなのだろう。
体調管理に、まず気をつけよう。少しでも変化を感じたら警戒を始めたほうがいい。
場合によっては正面切って戦うよりも、逃げた方がいいかもしれない。
…そのほうが、お父様と、新しいお母様に迷惑がかからないのかもしれない。
これはお母様の血筋のことだ。そして、私が男の子に生まれてさえいれば、起こらなかったことだ。
そう、私ではない誰かが、この家の子として転生していれば、お父様にこんなご迷惑をかけたりはしなかったのに…私が、クズで駄目な奴だから…。
…ノゥ。顔をお上げ、オルタンシア。
負に傾く思考のシーソーを、力を込めてギリギリとポジティブに引き戻す。
「…私ではない、もっとか弱い女の子が生まれていたことを思えば、チートを握り締めて生まれた私で良かったのよ。幼少時の襲撃を思い出せ。か弱い赤子が死んで、喜ぶ両親に見えた? 彼らが笑って過ごすためには、生き延びられる赤子が必要だったはずよ」
か弱い女の子は、きっと他の場所でも幸せになれる子。
危機とは引換えだが、あの奇跡のカップルの間に生まれて愛された挙句に、癒しの天使を幼馴染みに持つ…そんな素敵ポジションなのだぞ。天国とはここのこと。
一度知ってしまった以上、例え話でも、こんな楽園を誰かに譲ることは出来なかった。ならば、私で良かったのだと証明せねば。
身体の震えは、いつの間にか止まっていた。
あらすじ:おるたんは性犯罪者に殺された過去があったよ。
なんか同じ目に合いそうで怖いけど、今生では、
性犯罪者もげ死なす勢いで頑張るよ。




