ピュルトレイカ・オーリ・ドゥエル
アンディラートも反射だったのだろう。
自分の台詞をどうにか挽回しようとちょっと慌てた顔をしている。
どうしようか。王子が無礼だとか言い出す前に取り繕わないといけないからなぁ。
悪いが王子では、私の相手には力不足であるよ。
「殿下、申し上げた通り私はパートナーとたくさん踊る予定なのです。ピュルトレイカのために、体力を温存しているのですわ」
「ピュルトレイカくらい私にも踊れる」
「まあ。一曲分のドゥエル(倍速)ですが、安請け合いしてよろしいのですか?」
お断りのため、やむなく隠し玉をぶつけるはめに。
ちいぃ、踊る寸前までアンディラートには内緒にしておくつもりだったのにぃ。
サプライズ計画が台無しだ。
ドゥエルというのは、同じ曲でありながら二倍速で踊るバージョンのことだ。
元の世界で社交ダンスなんてしたことがない…と思うからよくわからないけど、こちらではたまに、一組だけが倍速ステップで踊って目立つという謎の風習がある。
誰が何の目的で早回しダンスを踊るのか。
レッスンのときに家庭教師に聞いてはみたが、明確な回答は得られなかった。
習得したいと言えばレッスンはしてくれたので、私が踊っていけないものではないようだ。
しかし曲は変わらないのに二倍ステップを踏むのだ。ただでさえ長くてキツいピュルトレイカを…二曲分ぶっ通しで踊ることと同じである。
しかも早けりゃいいってもんじゃない。
周囲が普通の速度で踊る中で、一組だけ倍速。
カクカクして見えないよう、より滑らかに美しく華やかに踊らなければならない。
「ドゥ…、えっ?」
王子は驚いたようにアンディラートを見た。
初耳だったアンディラートも、きょとんとして肩越しに私を見た。
「ピュルトレイカ・オーリ・ドゥエルです。1曲通して倍速ですが、お相手いただけますよね?」
私はアンディラートの目をしっかりと見て、笑顔でドゥエルをお誘いする。
アンディラートは理解したようにパッと顔を輝かせると、迷いも見せずに頷いた。
…そして王子は、そんなアンディラートを二度見していた。
「しょ…正気か。踊れるのか」
「踊れます」
アンディラートは力強くそう答え、ぐるんと振り向くと突然私の両手をガッと握ってきた。
おお…これ、シャイ的にはセーフなのかな。
顔色は普通みたいだけど、なんでこれは赤面しないのかな。
私から触るのは駄目だけど、アンディラートからならいいとか、そういうこと?
違うな、真っ赤になりながら私の裾を整えてくれたこと、あったものな。
顔に出さずに悩んでいると、アンディラートは目をキラキラさせて詰め寄ってきた。
「オーリ・ドゥエル。俺がやってみたいって言ったのに、忙しくなったせいで、一回も合わせられなかった奴だ。…オルタンシアは、もう忘れてると思ってた」
「あら、ちゃんと練習しておりましたわ」
何せ心の友からのご希望なのだ。
すぐには無理でも、来たるべき日には備えていたに決まっている。
当然の返答をしたのだが、アンディラートは感極まったらしい。
ぎゅうぎゅうと手を握り潰そうとしてくる。
うーん。普通のご令嬢だったら、これは悲鳴を上げるんじゃないだろうか、痛くて。
私は身体強化様で耐えられるから、いいんだけれども。
今は楽しそうなところに水を差す必要はないけど、いつか教えてあげないといけないな…他の女の子はもっとか弱いのだということを。
「面白い話をしているな」
第三者の声に、私達は揃ってそちらを見た。
王様がいる。
お姫様もいる。
そしてタロウ…じゃない、王子がここにいる。
つまり、トリプルロイヤルを追って、会場の目線もここに集まっている。
あれ、なんかヤバくない? 我々、視線を一人占めしすぎじゃないの。
令嬢モードだからしないけど、ついそんな軽口を叩きたいほど、周囲がこちらの会話に集中しているのがわかった。
「特別従士には姫の相手でもと思っていたのだが、姫にはドゥエルの相手はまだ早い」
残念そうに胸の辺りで両手を組んで特別従士を見つめる姫を、アンディラートは…全然気にしてなかった! こ…これは、視界外だ!
まる無視された状態の姫がちょっとプルプルしているが、アンディラートの目は完全に彼女を素通りしている。
特徴のある豪華服の銀髪だよ。認識できてるかな。大丈夫かな。おーい、さっき兄のほうとは会話できていたじゃないの。
王様がさっと手を上げて楽団に指示を出した。
「…ピュルトレイカを演奏せよ! オーリ・ドゥエル(通しで倍速)とは言うが五楽章に分かれて構わぬのだろう?」
普通は夜会で踊るには長すぎて、汗だくになっちゃうから五つに分けられているのだ。さすがにそこに我儘を挟むつもりはない。
「はい。大丈夫です」
アンディラートもあっさり答えた。
「ピュルトレイカ・オーリ・ドゥエルなど滅多に見られるものではない。楽しみだ」
王様は朗らかに笑っている。
王子に同時にダメ出しをした件については見逃していただけるようだ。
トリプルロイヤルに礼をして、ダンスの位置取りに向かう。
私達に続いて、何組かのペアが進み出た。
例によって、他の従士は、一人も出てこない。
「…緊張するな。失敗するかもしれない」
少し不安そうに、アンディラートが言った。
大見え切ったような格好だもんね。
でも、私はあんまり緊張していない。
「ステップなんかミスしたっていいよ。綺麗に踊れなくても構わない。目的は誰かに見せることじゃない。君とピュルトレイカでドゥエルすることで、楽しく踊れればそれで成功なんだもの」
大体、王族やらがイレギュラー参加しているだけで、祭の主役は従士なのだ。ミスだって立派な訓練なのですよ。
とはいえアンディラートは、言うほど緊張の見えない無邪気な笑顔を浮かべたので、多分失敗はしないだろう。
「…いつから、ドゥエルのつもりだった? だって、始めは男装のまま出席するつもりだったんだろう?」
軽やかな音楽の始まり。
向かい合って手を取って。
周囲が一歩目を踏み込むと同時に、すかさず二歩目に移行する。
「ドレスを作るときかな。レレットワくらいはいいけど、ピュルトレイカは花が崩れてしまうから、流行のドレスでは踊れないって言われて」
「それで花のにしなかったのか?」
「ううん、それは元々しないけど。それならピュルトレイカに出るペアは少ないんじゃないかなって。混んでいなければドゥエルしやすいじゃない?」
イレギュラーのお陰で、予想以上に踊り手が少なかったけどね。
くるくると回されて、息が弾んできた。
そろそろ喋る余裕はなさそうだ。
滲んだ汗をすかさずアイテムボックスにしまう。
ホカホカしてきた空気もだ。
はっ。酸素だけ集めてアイテムボックスに入れておいたら、こういうときに取り出してアスリートが運動後に酸素吸入してるみたいな感じにできたんだろうか。
酸素吸入って、何に効くのかな。
息が上がるのは変わらないよね。
…だったら動いてるときに酸素出したって意味ないのか。
余計なことを考えていたら、ステップを間違えそうだ。
優雅、優雅と意識して、指の先まで神経を集中する。
他人とぶつからないかとか、そういうのは一切考えない。
そういうのはアンディラートの役割だ。
アンディラートはとても楽しそうだ。
その顔を見ていると、私も自然と笑顔になってしまう。
私達は、失敗することなく踊りきり、会場を沸かせることに成功した。
ちなみに、ドゥエルが「このパートナー以上に上手く踊れる自信があるのなら誘ってみるがいい!」という牽制の意味であることを私が知るのは、何年も後のことになる。




