ハンカチ返せ。
倒れた犯人は、アンディラートがロープで縛った。
突入時から思っていたのだけれど、倒す→捕縛の連携があまりに見事すぎて、餅つきペアでも見ている気分だ。
ロープをかけて引っ繰り返すときなんて、もう犯人が餅にしか見えない。
「姫も無事に救出されたようですよ。良かったですね」
「本当か。いや、疑うわけじゃないが、裏は取らなきゃいけないからな…」
そう言いながらも、騎士はホッと表情を緩めていた。
こっちが素なのだろうか…。
当初はお堅そうだったはずの騎士の口調が、段々砕けてきていることが気になる。
不意にアンディラートが、私についてるらしいガラスの破片達を手で払おうとしたので、慌てて距離を取った。
あわわ、そんな悲しげな顔をしないでほしい。
嫌がっているんじゃないです、怪我させたら困るので自分でやりますです。
大きめの破片はそっと床に落とした。
手を切りたくはないので、どこについているのかもよくわからないガラス屑は、おまとめ指定でアイテムボックスに収納。
見た感じそんなに付いていないと思っていたけれど、ザラザラと砂みたいな屑も収納された。
うん。手で払わなくて正解である。
「大丈夫か? 怪我はないのか」
「ないよ。こんなことで怪我をしたら、君に怒られてしまうからね」
心配するアンディラートにそう言ってやると、困ったような顔をされた。
その横で騎士が何か言いたげな顔をしているので、チラチラッと背後に座り込んだままの要人を気にして見せる。
騎士のその目、もしかしてお説教だね?
後でいいじゃないの。あわよくば忘れておくれ。
ほれほれ、そんなことより、こっちだよ、はっちゃき王子は放置できない子でしょ? ハリー、ハリー。
私より優先すべき子だとは、騎士も思ったのだろう。素直に王子に手を貸して立ち上がらせていた。
やったね、回避成功。
「…だけどなぁ。勝手な行動は慎めと言ったはずだよな?」
しかし、回り込まれてしまった! 騎士は眉をしかめて説教体勢だ。
まぁね。呼んでない従士が勝手に参戦してきた挙句、窓までぶち破ったのだから、叱りたくもなろう。
でも、お役立ちだったと思うけどな?
私が飛び込んでいなければ、煽リストな王子の命が無事だった保証もない。
それでも喧嘩を売りたいわけではないから、一応は下手に出ることにする。
「申し訳ありません。この状況からの人質も面倒かと思いまして、勝手を致しました」
面倒だと…と、呆然としたような声が背後から零された。
いや、面倒だよね?
多少の問答はあったものの、長話をするべき時ではない。
ようやく王子様は私の背後から騎士の元へと保護された。
しかし騎士は明らかに鼻血を垂れ流している王子に対し、にっこりと「ご無事ですね、良かった」などと発言。
王子は殴られたので頬が腫れている。
無事でもなけりゃ、王子が雑に擦って顔に広がった鼻血がなかなかにアレな様。だというのに、完全スルー…だと…。
それってありなの?
逆に、騎士が何とかしてくれるもんだと思っていた私とアンディラートは、ちょっとソワソワし始めていた。
「…あの。王子、鼻血が」
アイテムボックスに水とタオルはあるけれど、さすがにここで濡れタオルを出すのは不自然だ。
綺麗には落とせないし冷やすこともできないけど、せめて新たに垂れてる血くらいは拭いたらいいじゃない。
そんな風に思って、耐えきれずにハンカチを差し出す私。
しかし王子は驚いたように息を飲み、私の手を振り払った。
「あ」
ぺそんと落下するハンカチ。
…あ、そうですか。要らないのですか。
「拭いたほうがよろしいかと思ったのですが…余計なことでしたか」
珍しくメッチャ純粋な親切だったのに…。
我が心、ほんのり悲しみ色である。
私の微妙な気分を察したかどうかは定かでないが、紳士の鑑たるアンディラートはすぐさま私のハンケチーフを拾い上げ、ぽふぽふと埃を払ってくれる。
流石は癒しの天使だ。ささくれかけた心が落ち着いたぜ。
うん、王子が鼻血カピ男でいいって言うなら、もう私にできることなんてないよね。
気を取り直して、ハンカチを受け取ろうと手を出しかけたのだが…。
「えっ」
アンディラートの小さな声。
彼が振り向いて私に渡そうとしたハンカチを、王子が素早く引ったくったのだ。
王子は唇を引き結んだまま、ハンカチを握りしめ…ゆっくりと目線と手を下ろした。
…え、やっぱり鼻血は拭かないの?
ハンカチ貸しても怒られるし、回収しようとしても怒られるの? 詰んでるの?
騎士が鼻血をスルーしてたのが、実は正しい対応だったということか。
なぜか王子自身にも動揺が見られるものの、何が起こっているのかわからないのは私とアンディラートのほうだ。
無言の三竦み。
微動だにしない王子と幼馴染み。
助けを求めて辺りを見回してみれば、騎士が半笑いでこちらを見ていた。
「アンディラート。お前、ハンカチは持ってるか?」
「はい。あります」
「じゃあ殿下に貸して差し上げろ」
2枚も使うの? まさか詰める?
私は目が点になったが、素直なアンディラートは文句も言わずに自分のハンカチをポーチから取り出し、王子に差し出している。
「よろしければ、どうぞ」
「…うむ」
何事もなかったかのように受け渡しが行われ、王子は眉間に皺を寄せて鼻にハンカチを当てた。
…反対の手に、私のハンカチを握ったままなのですけれど。それ、使わんのかい。
さては落ちたハンカチだから嫌なのか、落としたのは王子なのに!
要らないなら返してほしいのだが、王子はくるりとこちらに背を向けてしまった。
そのままアンディラートのハンカチでゴシゴシと顔を擦っている。
こちらからは見えなかったが、どうやらあまり綺麗にはならなかったらしい。
騎士が見兼ねたように「伸びてます」とハンカチを取り上げ、拭いてやっている。
擦ったせいか伸びた血のせいかはわからないが、王子の顔は赤みが強くなっていた。
と、グリューベルが外から騎士の接近を知らせてきたので、窓辺に近付く。
「おい?」
「他の騎士様が来たようですよ」
騎士は私の勝手な行動を警戒しているらしい。咎めるような声を出したので、お仲間の到着を教えてやる。
蹴破ったせいでガラスのない窓を開けると、外にいた5人程の騎士が気付いて一斉に顔を上げた。
「王子様はこちらにいらっしゃいますよ。犯人達も縛られています」
もう危険がないことをを伝えるべく声を上げると、向こうも声を張り上げ返す。
「そうか。先程大きな音がしたので、確認に来たのだ。姫は既に保護された。これで一段落だな。…そこにいる騎士は誰だ?」
えっ。
誰って? 名前なんて知らないよ。
困った私が室内を振り向くと、肩を竦めた騎士が早足で窓に近付いた。
「私と従士アンディラートです」
「…トリステルか。今そこから顔を出していたのは誰だ? 従士か?」
「従士オルタンシア・エーゼレットです」
「…エーゼレッ…、あー、彼女はなぜそこにいるんだ?」
「アンディラートと約束があったとかで、残ってたようですよ。あとは…ちょっと一言では説明できないので、とりあえず犯人達を回収して下さい。私はひとまず、殿下を安全な場所にお連れします」
外とのやり取りを聞くと、姫の保護スペースが設けられたらしい。王子もそこへ連れていくのだろう。
血まみれハンカチで鼻を押さえたままの王子の後を、騎士と一緒に付いていく。
そうして到達したゴール地点には、ニコニコ笑顔のお父様が立っていた。
「あうち」
男装の麗人モード剥がれかけ。
思わず呻く私に、同情混じりの目線を向けるアンディラート。
お父様はニコニコしながら…私ではなく王子の前に立った。
「殿下。迷惑です」
バッサァ。
何という切れ味…。こ、これが昼間のパパだというのか。
仕事とプライベートの態度をきっちりと使い分けるお父様、素敵です。
「…そっ…」
「もう幼い子供ではないのですから、公務中に遊び歩いて周囲を慌てさせるなど、自覚の足りない行動は控えていただかないと。まして妹君まで唆して連れ歩き、危険な目に遭わせるとは、お話になりませんね」
何か反論しかける王子はしかし、立て板に水状態の説教に流され、全く言わせてもらえない。
「あの、エーゼレット宰相、お兄様は…」
「あまり我儘を通されると、教育係が仕事を失うかもしれません。その可能性を考えましたか? 置いていかれた護衛が責任を問われ、クビになる可能性は?」
お父様が唐突に真顔になった。
「ひっ」
兄を庇おうとしていた姫は、ぱっと近くにいた騎士の背後に隠れる。
「本日、貴方の考えなしの行動により約二十名の騎士が通常業務を妨害されました。うち五名は腕の立つ正騎士。貴方は遊び歩いて、襲撃者に捕まりましたね。もし奪還の際に貴方を庇って正騎士が死亡すれば、有事の際に民を守る人員が減るのですよ。我々が国の指示で育成している大切な守りを、貴方は何の意図もなくただ害したのです」
正騎士は怪我をしてない、とか。そもそも王族を守るのもお役目なのでは、とか。
そんなことを誰も言わない。
不敬だとも言わない。
誰一人口を挟もうとしない。
本来は教育係がする説教なんだろうけど…なぜお父様に任されているのか。
「言い訳の機会を差し上げましょう。殿下。顛末書を作成し、教育係に提出して下さい。それを元に陛下の沙汰を待つことにします。言っておきますが…」
「…ぅ…」
「誰それを見に行きたかったから抜け出した、などという頭の悪い理由は書かないようにお願いしますね? …ではお戻り下さい。医師は手配してあります」
教育係と騎士達に宥められるようにして、王子と姫は護送されていった。
若干ぼんやりとしていると、お父様がこちらに向かってニッコリした。
反射的に、私もニッコリ。
「お前の言い訳は家で聞こうね?」
ぎにゃー。
あっ、でもこれは先に言わないと。
「言い訳は特にないのですけれど、お父様。実は窓をひとつ壊してしまったので弁償していただきたいです」
「…窓」
お父様が優雅かつ猛スピードで近付いてきた。そっと私の頬に手が当てられる。
その目が素早く私を観察するので、端的に答えておいた。
「怪我はありません、切り傷一つも」
ちょっとおうちモードの目をしたお父様が、私の頭をヨシヨシと撫でる。
「…そう。ではモリス君。私個人に請求を回すよう、伝えておいてもらえるかな」
目線は私に固定されたまま。しかし「はい」とお父様の少し後ろで答えた騎士が…あれ、騎士服じゃないなこの人、文官か?
モリス君とやらに向いてしまった目を咎めるように、両頬をお父様の手に挟まれた。
あっちょんぶりけしない、絶妙な力加減。これはお父様の愛に違いない。
「困ったね。従士隊にいる間はアンディラートを付けておけば良いかと思っていたのだが。彼が今日駆り出されるほど、目をかけられているとはね」
「アンディラートが呼ばれておらずとも、私に可能と判断すれば、手を出したかと思います。…皆が無事なほうが、お父様のお仕事も少なくて済むでしょう?」
「それは、従士隊にいる間だけだね?」
「もちろんです、お父様。じきに機会もなくなるでしょう」
いつでも生命を賭けて王子や姫を助けに走るわけではない。言外にそう答えれば、お父様はようやく安心したようだ。
「時にオルタンシア。間近で王族を見た感想はどうだったかな?」
「…感想…、ですか…?」
「感じたままを答えてくれればいい。見た目でも性格でも、腕っぷしでも構わないよ」
んー。
浚われ姫は着ていたドレスがピンク色だったことも合わせて、もはや桃プリンセスのイメージしかない。
興味がなさ過ぎて、二人とも既に顔のパーツも朧げなのだ。
王子も、鼻血のイメージとか答えるのは駄目だよね。
うーん。あ、どっちも銀髪だったな。
「…そうですね…。遺伝とはいえ、銀髪って若白髪みたいで可哀相ですよね」
ぶふぅっ、と複数の吹き出し音が響いた。うっそ。笑われること言ったかな。
思わず『ミスター公正』たるアンディラートを振り向き、その反応を確かめた。
あ、君は吹き出してなかったね。目が合うと、ちょっと微笑んでくれたので一安心。
血相変えて首を横に振ったりしていないので、不敬罪ということもないだろう。
向き直ったお父様も吹き出してはいない。よしよし、ならば問題はないね。
「確かにそうだね、うん。そっか。…さて、そろそろ私も仕事に戻らないと」
「はい。ご心配をおかけしました」
「娘の心配くらいさせてほしいな」
爽やかオーラを出しながら、お父様が微笑んだ。手を振って別れる父と娘の図。
「…宰相、妻と娘には甘いって本当だったんだな。見たことなかったけど」
残っているのは騎士と、アンディラートと私。
口を開いたのは騎士だが…きっと答えを求められてはいないだろう。
私は、気にせず話題をゴリ押す。
「それで、アンディラートはいつ頃帰れるのですか? 私はここで待ちますが」
「…あー。いや、アンディラートはここで解散でいいや」
「しかし、騎士トリステル…」
「言っておくし。宰相の娘のお目付とは知らなかったからな」
私は慌てて会話に割り込んだ。
一緒に帰る約束はしていたけれど、アンディラートのお仕事を阻む気は毛頭ない。
「アンディラートは我儘娘のお付きとして従士隊にいるわけではありません。共に行き帰れば父が安心するというだけのことですから、必要なことはきちっとこなしていただいて結構です」
騎士はちょっと眉をひそめた。
…わかってるよぅ…、結局は気の強い我儘娘がツンツンしてるようにしか見えてないんだろう。
「本当に待てますから」
「いや。帰っていい。どうせ戻って報告するだけだ、後片付けに従士は参加しない」
重ねて言ってみたけれど、騎士には首を横に振られる。
内心ションボリする私の横で騎士とアンディラートが幾つかやり取りをし、その場は解散となってしまった。
「…お仕事、邪魔したみたいでごめん」
「どうしても必要なら、帰っていいって言わないと思うから、大丈夫だ」
うう、優しい。
感動しながら歩いていくと、門の辺りにうろうろしているイルステンが見えた。
「あ。イルステンまだいたんだ」
「…オルタンシア?」
ひやり。
アンディラートの気配が、少し不穏になる。
「えっと、いや、私は君を待つって言ったんだけど、何か一緒に待つとか言ってて。一応断ったのよ? でも、ほら私、王子の危機を察知したから。つ、連れて行けないじゃない。私にだって色々あるしっ」
天使の裁定は、否である。
アンディラートは小さく首を横に振った。
…ですよね。
言い訳してはみたけど、私もちょっと悪かったかなと思う。
「襲撃者という危険が近くにあることがわかっているのに、一人で置き去りにするのはいけないと思う」
イルステンは、襲撃者達に出会う可能性もあるから、複数人で行動すべき状況だと言ったのだ。
結果的に、ここに犯人達は来なかった。
けれど例えば王子と姫を浚って逃げるときに、人知れずイルステンが巻き込まれる可能性だってあったはずだ。
「…そうだね。謝ってみる」
一応心配して待っていてくれたのだからと、意を決してイルステンにお礼と謝罪を告げたところ…なんか有りえないものでも見たような顔をされた。
さ、逆撫での上手いヤツめ…。




