マジで、お帰りください。
私への急な訪問客というのは、基本的には取り次がれない。門前払いだ。
見知らぬ人からのお手紙も、お父様か家令の検閲を経た上で、必要なものだけ渡される。
こんなでも一応令嬢だからということもあるし、宰相さんちのセキュリティ的な話でもあるのだろう。
唯一の例外はアンディラートだ。
彼は最早「変人お嬢様のお目付け」という地位を確立している。
いつ如何なる時でも通すように言ってあるので、むしろ誰も私にお伺いなんて立ててこない。
テラスにお通ししておきましたよー、とか言われる。
彼もすっかり慣れたもので、私が行く頃には茶菓子おかわりまでしてたりする。
だから、メイドが少し困ったように声をかけてきたときには驚いたのだ。
「お嬢様にお会いしたいというお客様が見えています」
「…え?」
なんで私に聞くのかな?
そんな風に思っても仕方がない。
そしてメイドは、訪問者の名を告げた。
「イルステン・ラニーグ様です。従士隊のご友人だと仰っておりますが、如何致しましょうか?」
ますます、私の頭の中には疑問符が増えた。
最近、ちょっと距離詰めて来すぎじゃない?
…というか、ちょっと待って、私の友人ですって名乗っちゃったの?
アンディラートが、イルステンは私と友達になりたがっていたと言ったことを思い出す。
そんなわけないじゃんと思っていたけれど…もしかして、友達いない子なの?
あの様々な発言、実はブーメランだったの?
言いたいことは多々あれど、来ちゃったものは仕方がない。
…うん。用事があるから来たんだろうしな。
「では、一番小さい応接室に通してもらおうかな」
「お嬢様」
「おや、悪巧みはしないよ」
そうではありません、と不満げにメイドが答える。
一番小さい応接室は密談用だ。
客との距離が物理的に近くなるので、望ましくないと遠回しに窘められているのだろう。
距離を詰めて来すぎといえば、新しい使用人達もそうなのだ。
入れ替えされる前の使用人達はもっと私に対してビジネスライクだったので、どちらが適正距離なのかよくわからない。
教育係でもないのに、やたらと私を令嬢ナイズドしようとする不思議よ。
「…では、応接室へご案内しておきます」
「うん。すぐに行くよ」
メイドは一礼して下がった。
とりあえず手慰みの刺繍を片付けて、鏡で身だしなみをチェック。
よぅし、今日もとっても貴公子!
部屋を出ると、どこからともなく別のメイドが追従してくる。
私にはご案内など要らないが、何の予備として配置されたのだろう。
こんな子供対子供の応対に本気で貞操の心配なんてしていないだろうし…もしかして密談室=悪さするってを警戒されてる?
いきなり決闘したりしないけど…まぁ、使用人達から見れば何しでかすかわからん令嬢だわね。仕方ないのか。
しかしイルステンとて遊びに来たわけでもあるまい。
いっそ今いる待機部屋で話せば良かったんじゃね? 主人に確認してきますとか言って一時待たせる用の小部屋。
十分じゃん。茶も要らんじゃろ。そこならすぐ帰すってわかるから心配しないだろうし。
本心としてはそう思うのだけれど…貴族対応としてNGなので、我慢します。
貴族、ご近所さん違う。玄関で立ち話して帰ったりしない。
どちらにせよ、早いとこ話を聞いて帰ってもらおうと思う。
下手に親しくなって、ボロを出しても困…いや、もう出してないとは言えないね…知ってた。
「そろそろアンディラートが来てくれるかと思ってたのに、まさかイルステンとはねぇ」
ぽつりと呟いてしまうと、メイドが言葉を返してきた。
「ご友人なのでは?」
「同じ期の従士隊に属していることを、友と呼ぶのならね」
私が待っていたのは癒しの天使であって、噛み癖のある小型犬じゃないのだよ。可愛くないワンコじゃ癒されないよ。
文句を心の中に押し込めて、上っ面だけはしっかり取り繕う。
家の中とはいえ、基本的には男装の麗人ロールを崩す気はない。
私は相変わらず使用人を信用していないのだ。
うちのお嬢様、家と外とでキャラ使い分けてんのよ、などとどこかで言いふらされては困る。
応接室に辿り着くと、少し固い表情のイルステンを発見。
待機室から連れては来られたものの、まだ全力のおもてなしはされていない。
なにせ、突然の自称友人の登場だ。
使用人達も戸惑いはすれど、アンディラートと同じ扱いはしていないようで安心する。
当然といえば当然なんだけどね。
メイドは別のメイドにお茶を手配させているのか、私の傍らを離れる様子はない。
イルステンと2人きり…とは言わないまでもそれに準じるほど使用人が距離を取ることには警戒をしているようだ。
正直な話、サポートについて問い詰められる気しかしないので、使用人達には話しが聞こえないくらい下がってほしいんだけど…どうしたものか。
「急な来訪で驚いた。今日はどんなご用件で?」
余計なことは言うなよ。
ハラハラしながらも、そっと私は口の端を上げる。
先日のクマ魔獣騒動で、私達のクラスはしばしお休みになってしまったのだ。
森の中は騎士団が調査或いは掃討し、実習に相応しい状況になるまで従士の立ち入りは禁止。
あのクマには怯えちゃった子もいるようなので、休み明けにはもしかすると何人か従士隊を辞めてしまうのかもしれない。
「…体調は、どうだ」
「えぇ?」
予想外の言葉を寄越されて、私の表情が歪んでしまったのは致し方ないと思う。
そんな対応に、イルステンはプンスコした。
「ええとは何だよ。こ、こっちは曲がりなりにも命を救われたんだ、女だてらに熊型魔獣に立ち向かったお前の身くらい心配して何が悪いっ!」
よして! メイドが目を見開いちゃったじゃないの!
こっちはクマに副担騎士が負傷させられたくらいしかおうちに報告してないっつーのよ!
慌てた顔を隠しもせず、しぃーっと口の前に人差し指を立てる私。
その意味に気付いて、相手はジト目になった。
「お前…親にきちんと報告していないな…?」
「そ、そんなことない。なにせ当面、従士隊が休みになったんだからね。事情はきちんと説明した」
「…成程、クマを討伐した当事者であったことは伏せたわけか」
こ、このやろぉ。
あぁ、お茶を持ってきたメイドと傍らに立っていたメイドが交代した。
さらっとチェンジしたメイドは何食わぬ顔をしてワゴンを下げていく。
これ、家令に報告される流れだわ。
「それで、君は一体何しに来たんだい…身体の調子なら全く問題ないので、お帰りいただいてよろしいかな?」
「馬鹿。こんなもん本題なわけないだろ。それでも貴族か」
もちろん存じておりますが、遠回しな話題から痛恨の一撃を貰ったのだよ。
お手紙で言うなら、時候の挨拶部分が殺人予告だったようなものだ。
本文では殺しに来るに決まっているではないか。
本題だろうサポートの件についても、このお馬鹿は使用人の前でペラペラと話しかねない。
「もう貴族的な遣り取りすら煩わしいので帰ってください」
「直球にも程がある! 相変わらず非常識なヤツだな!」
「ご安心下さい、普段はきちんと対応致します。ですが、何事にも例外というものはあるのですよ」
さあさあ帰れ。今すぐ帰れ。
にっこにこと慇懃無礼な態度を取ってみるも、イルステンは拳を握り締めて俯いた。
んん? 売り言葉に買い言葉で帰ると思ったのだが。
本当に何か言わなきゃいけないことでもあるんだろうか。
ふと家令が「アンディラート様がいらっしゃいましたが、別の場所にお通ししますか?」と耳打ちしてきた。
おお、待望の癒しが来たらしい。
丁度いい、何がしたいんだかわからんキャンキャンワンコの通訳をしてもらおう。ここに通しちゃって。
家令は頷いて、扉の外のメイドに何やらサインを送っ…。
家令! いつの間にかメイドと入れ替わってた!
ハッとして相手を見てしまったが、にこやかな表情を返されるだけだ。
ダメだ…これ、完全にお父様にクマの件、報告行ったわ。
オルタンシア、敗北。
取り繕うことも忘れてシュンとしちゃう。
俯くイルステンと長い沈黙。
けれども不意に、意を決したようにイルステンは顔を上げた。
大ダメージの予感に、私も身構える。
「あれ、イルステンじゃないか。本当に俺も一緒でい…」
「お前に結婚を申し込む!」
天使の声に戸口を振り向きかけた姿勢のまま、私はイルステンを凝視した。
口を引き結んで、なぜかこちらへ指を突きつける姿は「犯人はお前だ!」と言ったとしか思えない。
家令と、部屋に入りかけていたアンディラートは完全に無表情になっていた。
「…えぇと。うん、アレだね、今、決闘を申し込むって言ったんだよね? ハハッ、やだなぁ、なんか聞き間違えちゃったみたい」
うんうん、結婚とか有り得ない。決闘のほうがよっぽど自然だ。
でしょ、でしょ?
笑顔で家令とアンディラートにそう振ってみる。アンティラートはぎこちなく口の端を上げただけだ。
しかし家令は実に冷静に、ゆっくりと首を横に振って否定してくれた。
そ、そんなー。
「馬鹿! この、大馬鹿! じゃあ言い直すぞ、婚姻の申し込みだ!」
うわ、これは酷い。
自棄っぱちのイルステンが怒鳴り、私は一瞬にして冷静になった。
「…いや、こんな結婚の申し込み方は聞いたことがない」
「何事にも例外はあるんだろうが!」
「そこにこじつけちゃうわけですか」
さすが不条理の申し子。イルステン・ファンタジー。
しかし、何だってこんなことを思いついたんだろう?
「でもね、君って私のことが嫌いでしょう? どうして結婚なんて申し込もうと思ったのか理解できないんだけれど」
イルステンは真顔になった。
なんか「こいつ、正気か?」みたいな目をされているんだけど、君こそ正気か?
そして、なぜかちょっとずつ顔を赤くして、とんでもないことを言い出す。
「それは、お前。先日の。その、俺達の秘密の件で。あんなことをさせておきながら、責任を取らないとか、ないだろ…」
今度は私が真顔になる番であった。
左右から突き刺さる、家令と天使からの視線が痛い。
これはむしろ、私が決闘を申し込んでもいい案件だろう。ガチで。
「誤解を招くしかないような言い方は本気でやめてくれないかな。君の命を救ったのも、クマを私が倒したのも、それを君が倒したことにしてもらったのも確かだけれど、君に責任を取ってもらうようなことは何一つ発生していない」
思いのほか、冷えっ冷えの声が出た。
しかしイルステンは「いいや、ある」と頑なに言い張って引かない。
「何だろう。名誉毀損かな。やっぱり決闘を申し込みに来たんでしょう?」
「違うっ。だから、ほら。その…、命に関わることだったからっ」
「命を助けたことでこんな侮辱をされるのならば助けなきゃ良かった」
「そうじゃない。あぁ、もう、だからっ、そう、お前のっ、寿命を俺に使ったということっ」
はぁ? と言いかけて、ようやく理解した。
中二奥義。あれか!
「…あぁー…うん…まぁ、…そうとも言えないこともないかも知れないんだけど…」
それこそ家令の前で余計なことを言ってほしくはないし。
アンディラートに余計な心配をかけたくもないし。
そもそも、それ、嘘だし。
甘かったよ。読みが甘すぎたみたいだよ。
寿命を削ってまで助けてくれた相手になら、無駄に絡まないかと思ったのに。
そうまでして助けてくれたなら、責任を取りますだなんてね!
「…とりあえず、結婚なんてお断りだよ。どうしてもお礼かお詫びがしたいというなら別のことにして。…何だか疲れちゃったな、もうこの話はおしまい。アンディラートも来たことだし、庭でお茶にしよう」
溜息をついて立ち上がる。
イルステンは鼻息荒く「だが!」とか言ったけど、だがもしかしもない。
お断りったら、お断りである。
無視してスタスタと庭へ向かう私の背後で、イルステンとアンディラートが何か話している。
「…悪かったとは思ってる…」
「えっと。何か理由があったんだろう?」
細かい話は聞こえないが、そんな言葉が漏れ聞こえていた。
見当違いの暴走だったとはいえイルステンなりに考えたんですよー、という話をしているのだろう。
そして、私とはまるで何言ってるかわからん状態になるイルステンが、アンディラートとはきちんと会話できているということに驚く。
やっぱりアンディラートは、イルステンと仲がいいんだ。助けたのは正解だったんだよねぇ?




