エピローグ
気付けば年単位で時が流れていた。
恋人感覚から当分は新婚でイチャイチャと過ごすはずの予定は、あっという間の妊娠により早々に崩れた。
うん、その…まぁ、それだけのことをしたんだから…全く疑問のない結果だよね。
ちなみに、娘でしたよ。
お産直後のぐったり状態で「そうかアンディシアだったか…」と呟いたら、「名はもう考えてある! エグランティーヌだ! どうだろうか!」とアンディラートが必死に言い募ったので、いいですよーとそのまま受け入れました。
彼女はエッちゃんか。庭には野ばらを植えようねぇ。
ところで、さすがに子持ちともなれば、もう無職な両親ズでは不安だと思うでしょう、皆様。案ずるなかれ、我々は職を得た!(誰)
ヴィスダード様が割譲しようとしてくれていたのは小さいながらも豊かな穀倉地だったそうで、彼は彼なりに息子を愛しているのだなぁということが伝わってはきた。
だがブン投げ教育が悪かったのか、そんなことは関係なかったのか…結局、アンディラートは領主の地位をお断りしてしまった。
…そして、「じゃあ今、こんなことで人手がほしいんだけど」というお父様による職業斡旋を受けてしまったのだ。
つまり、アンディラートは現在、お父様の部下である。
国の宰相としてではなく、エーゼレット家に私的に仕える形。家格としては婿養子でも古参貴族のエーゼレットの方がルーヴィスよりも一段高いので外聞としても問題はない。
ないけども…オルタンシアはお父様の庇護下から出られない!
えっ、我々は職を得たと言ったのに、我が得ていないと?
…我はその、いつも絵師、ですから!
一応、アンディラートとお父様には「王領の山の民とその事業を主導する、外部機関の運営」という今後の展望があるらしいので、アンディラートがやりにくくなければ別にそれでも良いのかなーと。
王様への報告では職人一族を引き渡したものの原材料やレシピを明確にはせず、材料の入荷をアンディラートが独占した形だ。というか、お父様がそうした。うーん、お父様っょぃ…。
ナナイロの実は、アンディラートが押し固めた塊からイキイキと発芽しました。私のからも出たけど、ちょっと元気ない。
何なの、硬さが栄養なの? かなり土地の硬度を必要とするよ、この植物は…。
正にアンディラートと山の民にしか養殖は出来そうにない。身体強化必須。
だが、この就職によりヴィスダード様は「実の父より義父の下がいいっていうのか!」と大いに拗ねた。そしてゴネた。
でも多分嫌われてるの、そういうとこだぞ。
同情はするけれど、たまに「魔獣狩りに行こう!」と突然現れて、うちの大天使を拐っていくのは心底やめてほしい。
執務室に居ると思っていたのに、顔見に行ったら居ないんだもの。そして誰も所在を知らないという。
突然の神隠しかと思うよね。最初の頃は本当に必死で探しましたよ。そして油断するとエッちゃんも連れていかれそうになる事態発生・犯人判明。
エッちゃんは泣き叫ぶし、私も泣いた。当然、アンディラートはヴィスダード様と喧嘩した。
その後は、アンディラートには外すとグリューベルになるサポート製品を常時付けさせ、緊急時には伝書雀させることにより最近は皆慣れた…。
そんなヴィスダード様がいい父親かどうかもアレなんだけど。
私は…正直、あんまり、良い母親にはなれないと思う。
最初は頑張って何もかもやろうとした。
前世の感覚として、『普通』ならば、『一般的な女性』には出来るはずのことだと思ったから…。
結果は惨敗だ。
私には出来ない。思い知った。
エッちゃんが可愛いと思える時もあるし、もう何をしても泣かれてしまい、無理だよオォと私の方が泣きたいこともある。
しかし、この家にはアンディラートが幼い頃から仕えてきた使用人しかいない。
むしろベテランの群。
娘の泣き声が響くと、どこからともなくワラワラとオモチャやぬいぐるみを手にした使用人達が現れる。
育児ノイローゼになる前に夜も娘を交代で見てくれたし、アンディラートが私のケアを欠かさない。
そして、娘の存在にメッチャクチャお喜びで、毎日のように感謝を伝えてくる有り様だった。
娘は半分君で出来てるのだから、私にそんなにも感謝しなくても良いのよ…私なんて1年近く娘を腹に匿っていただけだよ。むしろ生み終わったらもう、不足で不測な毎日だ。
後手後手だし、本当、何もできてない。
でもそれでも許してもらえる。
皆、優しい。
お父様さえ孫にメロメロらしく、私の幼少時よりも甘々な心意気。お父様、私の時には幼児語でちゅまちゅ言葉なんて使用なさらなかったですよね? 私、覚えてるんですよ?
こんな環境で、私が荒むがままなんてこと、あるはずがなかった。泣いても必ず笑いや癒しが支えてくれる。
何だかんだで、エッちゃんもちゃんと育っている。
ぽてぽてと前を歩く娘は、何か安定が悪い気がする。
お母様達、よく見守ったな。私なんてこんな少しの散歩でも転ぶのではと不安すぎて、すぐ抱き上げたくなるのに。
「おかしゃまー」
「はいはい、お母様ですよー」
「おうと、ぶじー」
「えぇ? 何だい、急に。今日も王都は平和ですよー」
思わず苦笑した。
昨夜読み聞かせた絵本に、ドラゴンと騎士団の戦闘場面があったせいかな。
あれはまずかった。臨場感たっぷりに読み上げすぎて泣かれたから…。エッちゃんはお話途中で脱走し、1人で寝るのが嫌だとアンディラートのベッドへ。娘に嫌がられながら私も追い掛け、2人のいるベッドに突入した。
アンディラートは困り笑いで私達を宥めていたが、結構嬉しそうであった。そして、エッちゃんはアンディラートが一緒ならばドラゴンも怖くないらしい。ダブル天使か。ここが楽園か。
でもさぁ、棒読みの絵本なんて楽しくないよね?
「りーしゃま、あしたくるよー?」
「明日? リーシャルドおじい様は明日は来ないねぇ。明日来るのはヴィスダードおじい様だねぇ」
「びーしゃま、ふりまわすから、やー」
やー、と言われましても。遊び方が激しすぎて子供に不評なの、予想通りすぎて笑う。
珍しくお義母様と息子ちゃんと一家で来るらしいので、そこは接待意欲を燃やしているところだ。
ヨ…ヨメトシ、テ…。
本当、いつ慣れるの、これ?
ヤレヤレしつつ、ふと立ち止まって…夕日を眺めている娘を見る。何だろう、真顔で太陽見てるな。
太陽光の直視は、目に良くないのでは。
「エ…」
「ぽしょん! いぱーいる!」
呼び掛けようとしたが、エッちゃんの方が早く何かを言った。
一瞬聞き取れなくて、周囲の様子に目をこらす。異常は特に見当たらない。
ぽしょん…ポーションかな。
いっぱい居るというのは、何がだろう。
辺りには何もいない、と、思う。
だとしたら………ポーションが、いっぱい要る?
「ポーション? 欲しいの? どっか痛い?」
使い放題は特権よ。
でも転んだわけでもなく、先程までご機嫌だったエッちゃんだ。そんなことないよね?と思いながらもしゃがんで目を合わせ、その短い腕をさする。
…ぷにぷに。
嫌がる様子はなく、エッちゃんは私に腕プニされていた。
「いわゆる、すたんぴーど。さいなんぶ、かいたくはじきしょーしょーでしょう」
…所謂。
「スタンピードォ!?」
えっ、何、この子、予言者? 今、予言した?
慌ててエッちゃんを抱き上げてアンディラートの元へと走る私。キャッキャッと喜ぶエッちゃん。
えぇ? 明るいな?
実はただの子供の意味なし予報? でも、今までこんなこと言ったことないんですけど!
アンディラートに報告してはみたものの、うちは開拓事業への投資や商売なんかをしているわけでもないから、確認のしようがない。
「何かあれば明日、父から聞けるかもしれない。必要ならばリーシャルド様からも連絡があるだろうし」
そして、エッちゃんはさっきのことなんて忘れたみたいにケロリとしている。
「うーん…。最南部、開拓は時期尚早…そう言ったと思うんだよなぁ。大体、子供がいわゆるなんて言葉使うかしら」
「エグランティーヌは賢いから…」
おっと、アンディラートさん親馬鹿が暴発していますよ。
だが私も親馬鹿なので否定はしない。
「えー? まさかサトリさん入ってるとか?」
「サトリか。懐かしい名前だな」
「なとりなー?」
「ナトリではないな」
抱き上げたアンディラートと、顔を見合わせて首を傾げてるの可愛い。至高の一瞬。カメラがないなら私が描く。
画材を求めて振り仰いだ背後から、スケッチブックを差し出す使用人。…相手は…さすが、プロ!
微笑んだままの使用人から、コクンと頷いて受け取った。
さかさかと大天使と天使をスケッチしながら、取り留めのない家族団欒に流れていく。
すっかりそんなことを忘れて数日を過ごした。
お父様からも何も連絡はないし、アンディラートはチラッとヴィスダード様に訊いてみたけど何も知らないようだったと言っていたので、子供が適当に言うってこともあるよねーくらいに流してしまった。
しかしながら、確かに最南部開拓は失敗し、小規模ながらスタンピードは起きたらしい。
もう少し後になってから、慌ただしくポーションの多数納品があり、支援団の出立の噂までもが聞こえてきたからだ。
開拓地、ましてや最南部から王都までの連絡には、早馬を用いたところで何をどうすることも出来ないタイムラグがある。
既に事は終わっており、遠い王都には何の影響もなかった、けれど。
「マジすか…あのね、エッちゃん、君には何か不思議なチカラがあったりします…?」
「ちーずー?」
「チーズ違う。サトリさん、入ってたりする?」
「はいってますんー」




