政略婚約とは
「これ以上は待たせるわけにもいかないから諦めてほしいって手紙を書いたのに、チビ君の罠のせいで全然信じてくれない。余計に国に帰りにくくなったんだぞ」
2人並んだ肖像なんて入れられて、諦められるような悲恋系女子ではなかった。
うん…過去のちょっとした悪戯が本気の令嬢出奔に繋がってしまったと…。
いや、でも本当に君、なんで逃げてるの?
「結構いいとこのお嬢さんなんだよ。家に戻らないつもりの人間に付き合わせていい女じゃないんだ」
…嫌いでもなければ、まるで身分違いみたいな言い方するわね。
でも、元々婚約者なんだから身分違いなわけがない。山賊ヅラして、己に酔ってる系か?
そんな浸りきった顔してるが、我々トリティニア人の意見は違うぞ。
見ろ、良識のアンディラート(二つ名)ですら首を傾げているではないか。
だって、この山賊貴族の、婚約者でしょう?
不精ヒゲとモサ髪がなくなったので多少若返ったとはいえ、結構年上っぽく見える。
老けてる可能性はあっても、ハタチそこそこまではまだ小僧感の方が強かろう。話している感触からも、こやつはもっと年上と見る。
年齢当ては不得意なので何歳なのかは存じ上げないが、今生と前世どちらの感覚としても、この人は完全に大人だよね。
「…もう相当に遅くない? むしろお国では行き遅れ扱いだろうし、早く合流して式あげた方が親御さんも安心するんじゃないかな」
トリティニア貴族の結婚、早い場合は成人と同時である。つまり最速で十四歳。
もちろん他国の貴族の風習なんかは存じ上げないよ。だけど政略結婚の性質上、前世より年齢早めなのは変わらないと思うの。
だというのに、それを何年も…目の前にニンジンぶら下げた馬みたいに、他国を駆け回らせ自分を追わせているのだ。
客観的に見ることさえできれば、こんな無情な扱いはやめることだろう。
だって、それでも身を引くのが相手のためだなんて…あのね、何か身に覚えありすぎる…。
これだから、思い込みは良くないのよね。
自省も含めて本当にそう思いますよ!
「…えっ…行き遅れ? そ、そんなわけ…」
「お前、いつまで若いつもりだ? 俺でもその女が可哀想な気がしてきたわ」
リスターからも、まさかの同情票が。
更にアンディラートが口を開く。
「貴族女性を彷徨わせているなんて、非道だと思う。道中に何かあったらどうするつもりだったんだ。気が付いたなら、一刻も早く迎えに行ってあげた方がいい」
それよな。
私みたいな特殊な令嬢はそうそういない。
チートまみれじゃない限りは、悪漢から完全に身を守る術などない。
あまり旅行概念のない世界で、長期間戻らずに国外をうろつくなんて…私に言えた義理ではないのだが、世間体がよろしくない。
何というか、その…。
「そいつ、もう傷物だと思われて敬遠されてるだろ、地元の貴族から。尚更お前以外の婿なんか無理なんじゃねぇの」
ズバリとリスターが切り込んだ。無情。
でもまあ、そういうことである。
だからお父様も「娘は他国の知り合いに頼まれて貸し出している」と…しっかりとした後見がおり、親元から離れていても貴族女性としての価値は変わらないと広めてくれた。
実際にどうなのかなど、噂好きの貴族には関係がない。ただ、少しでも弄れる箇所があれば、憶測を取り混ぜ、抉って喜ぶ。
彼女の名誉を守りたいのであれば、同行すべきであったよ。
少なくとも婚約者同伴なら婚前交渉を疑われたとしても、結婚してしまえば然したるダメージではないのだから。
ショックを受けた様子の山賊貴族。
この様ったら。本心から親切のつもりで、別の男との幸せを願って遠ざけたのだろうな。
うぅん、しみじみと良くわかりますわぁ…でも、悪手でしたよね。
男なら1人でどこをフラついていたって、勝手に名誉が地に落ちはしない。
むしろ顔が良くて金があれば、多少遊び人でも女の方から寄っていくものな。ちょっと危険なカホリがある方が、純真めな箱入り令嬢は引っ掛かりやすかったりする。
しかし、女性がフラフラしていれば話は別。
男女差と人の悪意を考えていないのが敗因。
彼女がおとなしく引いてくれるタイプであれば目論みは叶ったのだろうが。
いいとこの娘さんなのに出奔しちゃう辺り、親近感湧きます。
きっと先進的な方なのでしょう。山賊貴族よりは婚約者ちゃんを応援するよね。
この世界は貴族社会のせいだけではなく、魔獣の脅威が身近ゆえに力が正義なところもあり、ホント、男尊女卑なんだよ。
女性の名誉は、ほんの少しの悪意で簡単に崩壊するものだ。
悪意のある噂はなるべく沢山の証言をもって引っくり返すか、早急に別の目立つ話題を掲げ、浸透する前に押し流して忘れ去られるよう誘導する必要がある。
だから貴族のご令嬢ってものは人気の…所属人数のより多いオホホ・コミュニティに属して群れたがったり、社交界で力のある人にすり寄るよう教育されている。
親の躾も厳しかったり、ビックリするほど自由がなかったりするけど、身を守るためにそれを当たり前に受け入れていたりするのだ。
利に目を曇らせた親もいっぱいいるけど、本来は、他人に付け入る隙を与えぬようにという親の愛なんだよ。
その、私も、昔は全く理解しておりませんでしたが。…ただの慣習だと思ってた。
帰ってきてからお父様と沢山話したので、常識について少し知りました。遅い。
国での名誉もさることながら、更に女子には過酷なのが冒険者生活。
女子冒険者なら、メスゴリラでないと、その荒波を渡ってはいけないよね。
体力のない冒険者に、冒険はできない。
魔法使いちゃんや賢者ちゃんは?ってなるけども、魔法使いは圧倒的少数派だし、回復魔法の使い手は教会が主に囲っている。
ゲームやらで想像しがちな、最大HP少なめのヒーラー女子冒険者などいない。
いたとしても、弱いとすぐ死ぬ。なので、結果として「いない」こととなる。
リアルにはリスポーンなどないので。
「いや、彼女は腕が立つし、そう、女性の護衛も付いているはずだしっ…」
「腕自慢の貴族令嬢も、成人してるなら結婚相手としては敬遠されると思うよ? それを覆すくらい実家に旨味があるなら別だけど。例えば、お父様が宰相やってるとかね?」
そのせいで、顔すら見たこともない私に興味を持つ人々がいるのは確かだからな。
私には理解はできないが、実際に手紙の山は見た。これがこの世界の現実。
決闘従士の名は薄まっていても、消えてはいないと思う。
ただ、年頃の宰相の娘という価値の方が魅力的だということなのだろう。
だからって私には何の権力もないのだが。
お父様の溺愛はある意味、最強レベルの権力と言えるのかしらね。
「そんなのそうあるわけ…、えっ、チビ君? 君のおうち、まさか、そういう…?」
ドン引き顔されてますけど、今は貴族令嬢として行動しているので、全く隠してはいないことです。
さすがに他国貴族を家紋で理解しておけだなんて、そんな無茶は言わないよ。
「…いやぁ、実家がどんな仕事をしていたって、ホントに婚家に便宜を図ってくれるのかは別だと思うんだけどねぇ」
宰相の娘が嫁いできても、別に不正し放題とかになるわけじゃないんですよ。
むしろお父様の足を引っ張らんとするならば、私により粛正される可能性もあるとは思わないかね。
あ、だから婚家乗っ取りまでは行かずとも、お茶会やらでは夫の上手な操縦なんかが良い嫁の条件みたいに言われるのか。実家の方針もあるけれど、それが女の側の意見なんだ。
政略結婚、やっぱ全然したくないわぁ…。
令嬢仕様の笑みを崩さなかったはずなのに、アンディラートに頭をポンポンされた。
「面倒だろうが、常時でなくとも利を期待するのが貴族の政略結婚というものだからな」
「私達、恋愛結婚で良かったね!」
「ん゛ッ、ぅ、…うん…」
貴族が婚家に求めるのは腕力ではないのだ。
そして自分より強い女は、半端に腕に覚えのある男ほど敬遠する。
そう、男のプライド問題。
無能な男ほど、何事であっても有能な女子を貶める。腕自慢はその最たるものだ。女のくせにとか言われるの、あるあるだよ。
貴族的な目で見るのならば、婚約者ちゃんは婚活市場では売れない部類であろう。
もちろん、うちのアンディラートさんのように、偏見に惑わされない目を持つ貴族男子がいれば話は別なのだが…私は、彼が唯一無二の大天使であることを知っているので。
ちなみにその婚約者殿は、先程の遣り取りで照れてしまい、顔を両手で覆って動かなくなっている。
素直な感想だったけど…なんか、ごめんね。
代わりのように、リスターがこちらに向かって声をかけた。
「…おい、これどうすんだ?」
一瞬アンディラートのことかと思ったが、リスターが会話していた相手は山賊貴族だ。
…うーん…そちらはそちらで、真顔で頭を抱えたまま、動かなくなってますね。
そう言われても、それは私のものでも何でもない。顔見知りの親切で、ここに案内してあげただけですから。
「え、知らないよ、君のお客だし」
「仕事中にこんな、考え込む男の像みたいなヤツ置いていかれても困るぞ」
固まった山賊貴族を放置し、リスターは観戦席へとやってきた。店員さんが山賊貴族と御者を別テーブルへとご案内。
傍からは、思考も止まっているのか、頭の中だけ忙しくなっているのかはわからない。
しかし、正気が帰ってくる頃には、ちゃんと真剣に婚約者ちゃんについての答えを出してくれるであろう。
…こんなに追っかけて来てくれる人はとうに覚悟が決まりきっているので、生半可な説得などでは納得しない。(心を)殺すつもりで「嫌い、迷惑!」ってバッサリ言わなきゃ、意味もなく追跡をやめたりもしない。
そしてそうすることは、確実に相手を瀕死にまで傷付けるのがわかっている。
ホラ、言えているならばもっと前にそうできたはずで…つまり最初から追っかけてなど来ていないのだよね…。
思い込みが重めの、私や山賊貴族。
傷付けることを相手のためだと言い張るのならば、自分がしっかりと嫌われる覚悟も整っていなければならない。
リアルストーカーならわからんけど、こちらにも好意があるならもう諦めるよりないよ。来てもらいなさい。そして娶りなさい。
アンディラートだって、どうやってか私を見つけ出して合流してきたのだものなぁ…。
成長したアンディラートが、私の前に現れた時の目を思い出す。嫌いとか迷惑とか、方便でも言えないわ。
捨てられる寸前の子犬みたいな目で見られたら、もう絶対無理だよね。持って帰るよ。
しまった、ラッシュさんに犬は禁句。
とにかく、山賊貴族も、婚約者ちゃんにそんなことは言えないのであろう。
悪いけど、本気で嫌がっているようにはとても見えないもの。モンタージュな肖像画だって、そりゃあ細かく顔立ちやらの情報を吐き出してくれた。どうでもいい相手ならば、肖像画ひとつにあれほど拘ることもなかろう。
万一本当に傷物になったなら、双方共にこの上なく傷付くのだから、諦めてくっつくのが一番良い。別に道連れではない。
まだ意識が復帰してこない山賊貴族を横目に、私は先程から生じていた疑問を解消することにした。
シティーガールには関係ないわと言いつつも気になる、開拓地の話だ。
まるで貢献したら貴族になれるようなこと、言ってましたよね。
「ところで、開拓地で頑張ったら、爵位なんて貰えるものなの?」
簡単すぎやしないか。そんなの、新興貴族か大量に出来てしまうぞ。
不思議に思って問うが、リスターは鼻で笑い、アンディラートは首を傾げる。
開拓した土地が貰えたとしても、治めるノウハウもないのに、爵位と領地貰っても困るよね。小作農に統治は無理だよ。
それとも、爵位は領地なしの一代限りのヤツなのかしら。見渡す限り一面を芋畑とした功績だとしたら芋男爵に…え、異世界に芋男爵とかが大量に生まれるの? まぁ、トリティニアは男爵とかじゃなくて、第1種とか2種とかの数字なんだけども。
…やっぱり困らない? 農地耕したいなら爵位なんか貰っても。
「余程でなけりゃ貰えねぇだろ。1人でメチャクチャ広範囲を開拓したとか、災害レベルの魔獣が出てそれを倒したとかさ。そんなんは人集めのエサに決まってる。こういうバカを引っかけるためのな」
こういうバカ…って。
今の言葉はどっちにかかったの?
世間知らずな私かい、それとも、行こうとしてた山賊貴族かい。
でも、そうだよね。そうそう貴族に成れはしないだろう。冒険者からいきなり貴族になっても、生活が激変しすぎて大変だし。
腕力で魔獣と戦っていたのに、今度は舌戦で貴族同士争うことになるのだものな。
争うのが前提かって?
…はい。
何か足引っ張り合ったり、陥れ合ったりするのが好きなんだよね、貴族って。
まともな人も稀にはいるよ。
或いは友達になったら、もしくは利害関係を結んだらまた扱いも違うのかもしれない。
しかし、成り上がり新興貴族に、イヤミスキー中高位貴族が黙って仲良くできるとはとても思えないのであった。
リスターのお仕事をあまり中断させるわけにもいかないので、一旦引き上げようと提案。私かアンディラートの家に泊めようと相談しかけたのだが、リスターがサッサと銀の杖商会に部屋を頼んでしまった。
「俺の客だろ。仕方ねぇ」
…心底嫌そうな顔で、言うけれど。内心はそんなに嫌じゃないから手配するんですよね?
まぁ、確かに私達のお客ではない。
いつの間にか運ばれていた軽食をしっかりと食べ、おかわりまでしていたアンディラートと共に席を辞することにする。




