スキマライフ!~貴族には、よくある話。【アンディラート視点】~
「貴方のような強い方が味方にいてくれると安泰だったのだが…」
優秀な弟。何かと比べられてしまう凡才の兄。弟が褒められる度、歳を重ねる毎、長子としての重責のみが重みを増していくのだ…そう言って苦く笑う姿。
ミュラン・ディクレート、十七歳。
色鮮やかな衣装とは裏腹に、翳りある目をした貴族嫡子。
何とはなしに同情してしまう。
しかし、彼が決闘の際、遠目に見ただけのオルタンシアを「あの程度の小汚れた女」などと評したことは許しがたい。
正確には「エーゼレット家のご令嬢というのは実在したのだな。婚約者というのは、最近なったのか? …そうか、まぁ、これからは私がなるようだからエーゼレットに気兼ねする必要もないだろう。腕に覚えがあるのならば、エーゼレットだというのにあの程度の小汚れた女の話は横に置き、私の側近にならないか。給料については要相談で」というようなことを言われたのだが、ワンフレーズの許しがたさに、他はもう一切どうでも良い。
この街の薬屋という薬屋から目薬を買いしめて三日三晩はこの俺が手ずから差してくれようかと思ったくらいだ。
無論、寝かせない。ご飯もおやつも抜きだ。俺も抜くからお前も耐えろ。
しかし現実的に他家のお子さんに強制絶食目薬は出来ないので、断腸の思いで「目を洗って見直せ」と述べ手早く倒すに留めた。
オルタンシアは可愛いのに、不当な評価だ。
こういうことが起こるたびに、俺はいつも悔しい思いをしている。
可能ならばオルタンシアが着飾りニッコリ笑う姿を見せて、彼に「あぁ、発言は誤りだったなぁ」と思い直す機会を与えてほしい。
でも綺麗で可愛いオルタンシアを見て、うっかりと惚れられては良くない気もする。
オルタンシアは、完璧な令嬢所作も出来るのだ。してほしくもあり、してほしくなくもあり、何かもう悩ましい。うーん、やっぱり僅差で、してほしくないかな。
こんな試合を用意し、俺達を足止めしたくらいだ。息子のやる気が出てしまうと、領主がまたその気になってオルタンシアを狙わないとも限らない。
オルタンシアの気持ち自体は動かないと、信じているけれども。
ミュランはなぜか、俺の剣さばきを見て目が覚めたなどと言っていた。
負けられない戦いだったので確実に相手が場外になるように当てはしたが…それだけだった。褒められるほどまともに剣を振っていないので、あまり過剰な評価は困る。
そして「貴方に敬意を評し、お連れの方の装いに言及したことを謝罪する」と頭を下げられたが、服の話なんてしてた…か…?
そして、謝罪はされたが、俺が謝ってほしいのはそこじゃない。こう、モヤッとする。
オルタンシアはもっと自分の容姿をッ…、いや、あれで理解してはいるし気に入ってもいるんだよな。
…単に、着飾ることにはそこまで興味がないだけなんだよな…。彼女には、他に興味のあることが多すぎるのだろう。
俺の悔しさはさておき、現実に彼は謝罪してきた。己の言動を見直し、自身の過ちを正そうとしているのだ。
そこで俺の意図と多少違うからって…どうこう言うべきではないよな。
結果として、彼は先のような発言を二度としない。つまりオルタンシアがあのような言葉を聞く機会はない。
…ならば、良しとしようと思う。
悔しいけど、俺はとても頑張って、「謝罪を受け入れる」と返答した。
するとミュランは感動したような顔をしたあと勧誘を再開し、でなくばせめて一泊してほしいと熱心に誘った。
俺は一応、オルタンシアの護衛なんだ。リーシャルド様からきちんと依頼を受けたので、旅程を好き勝手にはできない。
しかし全然相手には引く様子がない。
ちらりとオルタンシアを確認すると、板挟みの俺を心配したのか、すぐに頷いてくれた。
「では、明日には出立するが、今夜はお言葉に甘えて宿泊させていただく」
街の宿より、寝具はきっと上等だ。オルタンシアも少しは疲れが取れるだろう。
でもここで就職はしないぞ。そこは万一にも誤解がないよう、ハッキリさせておく。
するとミュランは先の台詞を口走り、俺がこの領地に留まらないことをひどく惜しんだのだった。
…同情は、する。
思わず通りすがりの俺を勧誘をしてしまうほどに、彼の置かれた状況は良くないものらしかった。
弟は彼より十歳も年下の子供でありながら、神童として名高く、頭脳明晰、人望高く取り巻き多数にして、既に兄を追い落とす野心も高々な7歳児、なのだという…。
賢い上に、幼くして兄を追い落とそうと考えるとは、末恐ろしいなと確かに思う。
だが年を考えねば、貴族にはよくある話だ。
従士隊でも騎士団でも、チラホラ聞こえてくるタイプの話題だった。
長子は無条件に「自分が家を継ぐ」と思っているからな。弟妹が多少優秀であろうとも、基本的には「その優秀さを領地や自分の役に立てよう」と判断する傾向にある。
弟妹が優秀なだけならば、余程仲が悪いのでもない限り、問題はないものだ。
だがそれを踏まえても危機感が募るならば、弟妹の意志、又は煽動する何者かの意志があるはずだった。
同年代とは、残念ながらなかなか話す機会がない。俺ほど訓練を課されている者もいないから、空く時間が合わないのだ。
過酷な訓練に、自分はルーヴィスじゃなくて良かった、なんて冗談交じりに言われることもよくあった。
特に説明すべきことでもないので、俺は黙っているけれど、あんまり同年代の貴族とは合わないのかもなぁ…とは思っていた。
だって、訓練の量は確かに多いけれど、俺には必要なことだった。
これを受け入れている俺と、程々の訓練を欲する従士層とでは、イマイチ合わなくても当然なのだろう。
そういう意味でも騎士に紛れている方が気楽だし、為になったな…。
とにかく、後継者問題というのは貴族であればどこにでも転がっている。違うのは兄の目線か弟の目線かという視点の差のみ。
俺は長く一人っ子だったので、敢えて誰かと比べ、自分をより良く見せようとは考えたことがない。
だからイマイチ、こういう話には疎い。
強いていうならば、父のダメな部分と比較したり、同列には扱われたくないくらいだ。
一人っ子は余程の無能でなければ、後継から弾き出されることもない。他所から養子を貰ってまで弾き出そうとする親もなかなかいない。つまり兄弟がいなければ、家督争いという点については完全に他人事で、気楽なものだった。
今となってはもう、それすら俺には関係ないけどな。
「晩餐までしばしお寛ぎ下さい」
そう言われて、俺達はそれぞれ隣り合う客室に案内された。
オルタンシアには何人もの女性が後を付いて歩いていたので、少し心配だ。
彼女はあまり近しくない人間を側に置きたがらないからな。
そう思いながら与えられた部屋に入ろうとしたら、案の定お断りされたメイド達が隣の部屋から閉め出されていた。
「しかし、湯浴みや身支度のお手伝いを…」
「自分で素早くできるので結構です」
うん、やっぱり。
メイド達も、客人に晩餐に相応しくない状態で出てこられると困ると思っているのだろうが、俺達は身支度に他人のテが要らないタイプの貴族だからなぁ。
従士隊や騎士出身者は大体そうなのだ。家の格如何せず、素早く戦いに出られるようにそうなってしまう。
「彼女は自立心が強いので、必要があれば頼むはずだ。または何か仕上げが必要であると感じれば、手を貸してやるといい」
与えられた部屋に入る前に声をかけてやると、隣室のドアの引っ張り合いは止まったようだ。
「…こちらも手伝いは不要だ」
俺も、背後にいたメイドに告げた。
ここのメイドは仕事熱心なのだろう。だが、男にはそんなにやることないから。そんな顔をしても、俺にも手伝いは要らない。
「しかし、お召しかえは」
「移動中だからな。1人で着替えられないような作りの服を持ち込みはしない」
手荷物等はつらっとオルタンシアが用意して使用人に渡していた。俺の貴族らしい着替えも部屋に運び込まれているはずだ。
…大丈夫だよな?
晩餐に俺の服だけ下町仕様だとまずいが、ちゃんと考えて入れておいてくれたよな、オルタンシア?
まぁ、ダメならこっそりと出し直してもらって、もう一度着替えれば良いだけか。
多分ディクレート家ではあまり自分で身支度をしないのだろう。貴族らしい考え方の貴族は、そうすることも珍しくはない。
そういう家は使用人も多く、それぞれの仕事が細かく分かれている。雇用を生み出すと考えれば、それも良いことかもしれない。
物足りなさそうな使用人達を置いて、俺も湯を使わせてもらうことにした。
綺麗好きのオルタンシアによって俺の汚れは常に片付けられているので、土埃どころか汗一滴すら残っていないが、それはそれだ。
家によっては客室ごとに風呂を付けたりはしないのだが、こちらの屋敷には付いていた。もしくは客室のうちの幾つかにだけ付いているのかもしれない。風呂も嵩張るからな。
ちなみに俺の実家では客用のバスルームというものはあるが、客室自体は寝るための部屋でしかない。
オルタンシアの実家の客室には…俺が泊まった部屋には風呂もトイレも個別にあった。
どの作りが貴族として正解ということではないし、当主の考えが替わってリフォームされることもある。
だが客室に必要なもの全てが付いているならば、家主はあまり客人に好き勝手出歩かれたくはないのかもしれないと考えたりもする。
俺とオルタンシアの、新しい家は、どうしような? 客室は…ないとダメだよなぁ。
だけど部屋を多くすると、掃除する使用人が要る。オルタンシアは、あんまり使用人を置きたくないはず。
少しくらいなら自分で掃除してもいいのだが、あの土地を見る限りはそこそこの家が建てられる。家の掃除と言っても、始めたら1日2日じゃ終らないよなぁ。
新居。オルタンシアとの。
…はやく、早く考えて建てなきゃ…!
家がなければ嫁に来てくれたところで、別居になってしまうのではないかと心配だ。
リーシャルド様が、王都で娘に貸家や宿暮らしなんてさせるわけがない。
「とんとん、お邪魔していいですかー?」
髪の毛から垂れる水滴を必死に拭っていると、オルタンシアがやって来た。
「ああ、入ってくれ」
「失礼しまーす」
ドレス姿のオルタンシアが、背後のメイド達を手で押し止めながら入ってきた。
お化粧を、髪を、と言い募る声が聞こえている。確かに、髪は下ろしたままだし化粧していないようだ。
そのままでも十分可愛いけれど、いけないのかな。
彼女は支度を続けるから時間になったら呼ぶように言い残して扉を閉めてしまった。
「ドレス、似合っている」
「ありがとう」
あのドレスは見たことがないから、帰宅後に王都で仕立てたのだろうか。
オルタンシアはふんわりとこちらに淑女の礼をしてみせた。
こちらも礼を返すべきかと立ち上がるが、そのまま近寄ってきたオルタンシアが身振りで座るように示す。
「髪を乾かしに来たよ」
「…それは助かる」
返した途端に髪もタオルも水気がなくなった。アイテムボックスは便利すぎる。
乾いてしまえば、こちらはもう上着とタイくらいしか準備するものもない。
幼い頃のオルタンシアの影が現れた。
どうやらここで髪と化粧を整えるらしい。
支度をする姿なんて見たことはないけれど、見たいけれど、それは無粋なのだろうか。
「…あの、見ていてもいいだろうか?」
「別にいいけど、君もう準備終ったの?」
「うん」
シャドウがオルタンシアの横髪を編み込んでいく。くるりとひとつ回して留めた。
見たことのある髪留め。いつか俺が買ってあげたものだ。
うん、似合っているな。




