ニャルス神殿域の戦い
ドレスを着た猫が現れた。
ニャニャーッとどや顔までしている。巫女巫女言われていた割りには、神聖さは特にない。安心した。
まぁ、アンディラート天使教の巫女だから、神聖さも何もないのだけれど。
「では、ゼランディからの亡命を希望されているというお話でよろしいのですね?」
三男は少しホッとしている。
ゼランディが山の民と長く戦いを続けているのは周知の事実。そんな中で突如現れた山の民から「旗色悪いから、国境を越えて逆向きへ侵攻するわ」とか言われたら、王都へ馬で猛ダッシュ案件なのだとか。
え、馬? 早馬なのォ…?
「もし侵攻なんて大変なことが起きたなら、ギルドの…通信設備を使わせてはもらえないのですか?」
緊急事態なら貸してくれるのでは?
そんな風に思うのだが、三男は驚いた顔をして首を横に振った。見回すどの顔も、そりゃ無理だという目をしている。
ここの領主一族には、冒険者ギルドや商業ギルドのサクサク通信は使えないらしい。
「ギルドは国家を跨ぐ独立組織ですし、あれは各ギルドが自腹で揃えている高価な物なので、そもそもギルドの上層部が認めた時にしか使えないはずです。…彼らには本来、国の命令をも跳ね退けられる自治権があります」
私とアンディラートは顔を見合わせた。
確か銀の杖商会では所属商会ならお金を積めば使えると言っていたし、うちのお父様に至っては旅の間アンディラートと定期的に使用していたのでは。
というか「国の命令をも跳ね退けられる(キリッ)」じゃなくてね。自分ちに火の粉が飛びそうなら、ギルドだって協力して対策取ろうとするでしょうよ。状況的には普通に許可が出そうなものでは。
個人依頼じゃないと話も聞いてくれないとか、そんな縛りでもあるのかしら。
商会の方はまぁ、ギルドの上層部が許可しているのだろうね。商機を逃さないためとか言ってた気がするし。
でも、お父様は…、んん。お父様だからな!
それに今回みたいな案件はきっと内密に進めたいのかも。領主さん的には万一ギルドに内容が漏れたら困るから「不安で使えないや」とか、きっとそういうヤツ!
脳内で己を納得させ、頷く。
アンディラートは疑問顔のままだが、追及しても仕方ないという割り切り方をした様子。
「その様子では、お2人とも使用したことがあるのですね…」
察してしまったと青ざめる三男の言葉に、ザワつきかける領主チーム。
しかし私は「ございません」と首を横に振る。事実、私が誰かに連絡するために、自ら使ったことはない。
だがアンディラートは「結構、あります…」と嘘もつけずに答えていた。
山の中に住むニャンコファミリーは下界の事情に疎いのか、何の話をしているのかわからないようだ。
当事者である彼らが会話に入れていない。だが、彼らは気にせずに、運ばれてきた料理を口に詰め込んでいる。
…リスの頬袋みたいになっているな。
沈黙の中、チャッチャッチャッとスプーンでリズミカルにスープを掬っては口に運ぶ音が響く。
スプーンが小さくて焦れているっぽい。誰もやらないから我慢しているだけで、何なら皿を傾けて直接口を付けたいのだろうね。
そうね、人間の貴族的なマナーとかは知らないよね。見様見真似ですごく頑張ってると思う。
たまにちょっと跳ね飛んでくるらしく、隣の次男が躱しては眉根にシワを寄せている。
しかし相手はどう見てもわざとではない。美味しそうに食べているし、何しろ顔が猫なので、幸いにも何か嫌味を言う気にはならないらしい。
ちなみに彼らの纏め役っぽいエルミーミィも食事風景は同じだ。ドレスに跳ねちゃうぞ。
…おーい、天使の前だぞ、いいのかい?
うーん。黒歴史になったら可哀想だしな。
彼女の中に眠る乙女を呼び覚まそうと、気を引くために、口を開く私。
「エルミーミィ。そろそろそちらの事情をお話しくださいませ。なぜ、あんな怪我を負いながら、海からやってきたのですか?」
しかし同時に後悔した。
お嬢様ごっこだと認識しているらしいエルミーミィは、自分も令嬢ロールにチャレンジしようとしたのだろう。妙にやる気満々の顔を上げ、ふんすとひとつ息をついたのだ。
ふんすの力で口元の毛からスープが飛んだ。
ああぁ。周りがちょっと身を引いた。
「口元が、濡れていますね…」
上げた顔の短い毛にスープが付いちゃっているので、私は近くの使用人を見た。あちらに、おしぼりひとつお願いしますね。
しかし届けられる前に、彼女は手の甲で拭おうと…おっと、隣の長男が止めた。
しかも布巾を受け取って、猫の子にするようにグイグイと拭いている。…拭き方ェ…。
当然「ほら、口元についてるぜ」(ドキッ)などという展開は1ミリも起こらず、エルミーミィの瞳孔がキュッと開く。
長男としては親切にしてあげたのだろうに、シャーッと威嚇されてビクッとしていた。
私もやられたことあるからわかるけど、あれ、なぜか結構大きめのショックなのよね。
人っぽいのに人じゃないからなのか、猫っぽいのに大き過ぎて威嚇が怖いからなのかは、よくわからないんだけども。
「そうですにゃ、失礼致しましたにゃ」
哀れ、長男。追い払った相手のことなど見もせずに、エルミーミィは令嬢ロールにチャレンジする。
自由気ままなの、いかにも山の民っぽいね。
しかし、癖になっているあの語尾が邪魔をして、デスワな口調になれていない。
…ただのやる気顔の猫さんであった。
「どこから話したものかにゃ…。うーん。私達は、本当は、わりと穏やかに暮らしていたのにゃ。だけど最近、他の地域からたくさんの好戦的な山の民が流れてきたのにゃ」
国境線を近場に持つ領地としては、聞き流せない話だ。
領主一家は静かに耳を傾けた。
一方、私の脳内はエルミーミィ特有のニャーニャー言語に侵食され、だいぶ真面目さからは遠のいているのにゃ。
顔だけは真面目に取り繕っておきます。
ゼランディの山の民と人間との戦いは、どうやらクライマックスに差し掛かっていた。
国中に蔓延る人間と、隠れ里に分散する山の民だ。やはり圧倒的に人数が違うからな…。
そして他の地で追い詰められた山の民の戦士達は、仲間と土地を求めて、エルミーミィの住む集落を探し当てたのだという。
もしかしたら、エルミーミィの集落というよりは、ニャルス神殿を目指して来たのかもしれないね。
アロクークさんの説明では、バウルスの民は人に混じろうとしたけど、ニャルスの民はそれを良しとはしなかったって話だもの。
彼らは元々人間と戦いたい派だ。
拠点となる土地も欲しかったろうが、戦力になる人材も欲しかったはず。
つまりエルミーミィ達の前に姿を見せたのは、匿ってほしい意図だけではなく、共に戦おうと呼び掛けに来たのだろう。
片やエルミーミィ達は迫害こそされているが、一番近いシャンビータが討伐に乗り気ではないため、自分達さえ隠れ住めば平和でいられることを知っていた。
ニャルスの民は元々、バウルスに比べて刹那的な性質だ。ねぐらを維持できるのなら、敢えて攻めに行きはしない。
出会った当初こそ警戒していたが、人間である私をあっという間に受け入れたような、純朴な彼らなのだ。
攻められていないから、強い危機感が維持されていない。
戦わないから、仲間も死なずに増えていた。
そこに、銀の杖商会が定期的に来てくれている。獣を狩って暮らすサバイバル集落とはいえ、そう不自由のない生活を送れている。
何より、出入りしている商会長だって人間だ。
なのに、彼らが、人間達と全面戦争に打って出るなんて考えるはずがない。
わりと文明的な生活をしていれば、わざわざ戦いに飛び込もうという気概も薄れていくものだ。
戦争なんて疲れちゃったにゃ。美味しいもの食べてまったり過ごしたい。
そんなニャルス神殿域の住民と、怒涛の戦域を生き抜いてきた流れ者達との意見が、合うはずはなかったのである。
現役バリバリで戦闘脳になっている流れ者達と、小さな幸せを拾って過ごす神殿域の住民達が険悪になるのに、そう時間はかからなかったという。
そして、互いの好感度が下がれば、争いが起こるのも必然。
余所者のくせに生意気にゃ。同族のくせに非協力的にゃ。そんな風に、互いに募る不満。
ついに血の気の多い流れ者一派は、戦意煮えきらぬ同胞を見捨てることに決めた。
親切にも軒を貸して、母屋を取られた格好のエルミーミィ達。…相手は疲れ果てた可哀想な同胞に見えていたのに…。
侵略者と化した奴らは、ある夜、集落に火を放った。
………え?
なんでやねん。




