て、てん、て、天使の彼
部屋から光が漏れていたのか、背後にバタバタと駆け込んでくる足音が。
…令嬢ロール、オッケー!
「おぉ…本当に傷が治って…」
現れた領主が、信じられないものを見たように呟いた。
魔法使いなんて、トリティニアでお目にかかることはほとんどないからね。国外に出ないほとんどの人々にとって魔法は、おとぎ話を現実に見ているようなものだ。
ふと気が付くと、獣人ズが私の側に跪いていた。ぎゃあ! や、やめてよ、ナニゴト!
見ればエルミーミィほどの重傷ではなくとも、その身はボロボロで傷だらけた。
彼らにも、取り敢えず回復魔法を使っておくね。いのち、だいじに。
「エルミーミィの怪我も全て治りましたよ。もう大丈夫です」
「聖女様! ありがとうございます!」
「聖女様! もう痛くないよ!」
え。違います。
顔がひきつりかけたが、人前であることで、辛うじて耐え抜く。
すんごい私には似合わない二つ名を付けようとするじゃないのよ。やめてよね。
照れじゃないからね、普通に引いてるぞ。
「えっと。聖女ではありません。私は、オルタンシア・エーゼレットと申します。どうぞオルタンシアとお呼びくださいませ」
「…違うにゃ…。このニオイは、同志…フランなのにゃ…」
からかうように、背後からそんなことを言われて、慌てて振り向く。
「エルミーミィ!」
うおぉ、マイ・ブチャカワキティ!
ズタボロ仔猫ちゃんはもう勘弁しておくれよ。マジ私が泣いちゃうからね!
ちょっと鼻にツーンと来ている私に、しかしエルミーミィは辛辣な台詞を吐く。
「…わぁ。髪も伸びて…初めて会った時にそんな格好なら、きっと仲良くはなれなかったのにゃ…」
「え、ナゼに?」
「あの頃は荒みきっていたから…。苦労知らずっぽい、綺麗に着飾った人間の女になんて、どんなに親切にされても反発するだけにゃ…。つまりは、女の嫉妬だにゃ」
「まぁ、恐ろしい」
…そうよね。フルボッコ奴隷として生きている時に着飾った貴族令嬢が同情してきても、そりゃあ反発したくなるかもね。
けれども、にゃにゃんな口調は前と変わらないのに、どこか大人びた笑顔だった。
苦労したのかしら…なんて、あの大怪我では聞くまでもないよね。可哀想に。
「死にかけをフランに助けられるのは、2度目にゃ。フランと私は運命の糸で繋がっているに違いないにゃ」
「運命の恋ならまだしも、友情ってあまり聞いたことありませんね」
「ふふん、これもみな、天使様のお導…」
言いながら周囲を見回しかけたエルミーミィが、アンディラートを見て固まった。
メッチャ鼻がフンガフンガしてるけど、大丈夫ですか…女子的にはちょっと危ういよ。
「…て…、て?」
出ない言葉ながら、こちらへ問い掛ける目。
私はコクコクと頷いて見せる。何を聞かれたかはわかっているつもりだ。
五体投地はやめなさいね、怪我が治ったばかりなんだから。いけませんってば。
慌てて転がらないよう押さえるが、さすがのニャンコ、力が強いぜ。
「ほら、周りが心配してしまうから。落ち着いて深呼吸して」
こんなのは口先だけの心配だ。心の中はハイテンション。
やー、エルミーミィったら私の同志なだけありますわ。彼、大分大きくなったんだけれども、やっぱり気付きました? あの隠せない可愛さ、気付いちゃいました?
どうよ。かつて絵で一目惚れした王子様、こちらが本物になりまーす。
ニヨニヨしそうなのを必死に堪えるが、多分口の端がニヨッと動きました。そして正面のエルミーミィには目撃されました。
しかしそれにより、彼女はこれが現実であることを飲み込んだようだ。
「…あ…、あにゃ、ぁ…」
様子のおかしくなったエルミーミィにケモ耳ズが不安そうに「巫女様?」「どうしたの?」と呼び掛けている。
全く耳に入らないようにアンディラートだけを見つめているエルミーミィ。
突然爛々とした猫目を向けられ、動揺を隠しているのか、無表情になってしまったアンディラート。
「…天使様にゃ…ありがたや…」
ついにはベッドの上で跪き、祈りの姿勢を取った彼女に、獣人達は呆然とした。
当然、アンディラート本人も呆然とした。
「…え、な、何…、オルタンシア?」
ぽそっと呟いたアンディラートが、ハッとしたように小さく私の腕を引いた。
そう、犯人は私です。
獣人達も、ハッとしてアンディラートに向けて跪き、祈りの姿勢を取る。
私の周りはフリーになったので距離を取ろうかなーとも思ったのだが、アンディラートがチラッと心細げな目で見てきたので、逆に守護神として立ち塞がっておきますね。
はい、猫さん達はもう少し下がってくださーい。ご神体に手を触れてはいけませんよー。
さながらアンディラート警備員だ。自宅を守るよりもやりがいを感じるな。
「天使様? 本当? すごいね!」
「面影あるよ。そういえば巫女様が前に、人間として顕現なされてると言ってた…」
即信じちゃった敬虔な信者達よ…。
どうする? 私も祈りの姿勢を取るか?
正直、私こそが第一の信者だぞ。よぅし、今こそ誰よりも見事な五体投地を!
何かに勘付いたアンディラートが、ギュウッと私の両肩を掴んで跪かせないように阻んでいる。
ちょい痛いですわよ。力強すぎですわ。
私が痛いってことはコレ大分ヤバイって。割れる。割れるよ。君はクルミ割り人形か。じゃあ私はクルミか。クルミといえばブラウニー食べたい…だがまだチョコとココアは見つかっていないのだった。
…仕方ない、祈るのは諦めてフォローに徹するか。
「彼はフランクな対応がお好みです。立って普通にご挨拶してあげてください」
「コンニチハ、天使様」
「お会いできて光栄ですにゃ」
すくっと立つニャンコ達が素直可愛い。
アンディラートが動揺しつつも「よろしく…いや、俺は天使ではない」等と返している。
否定されて疑問顔のニャンコに、フォロー要員たる私は笑顔で伝える。
「彼はシャイなのです。ですがどんな人であっても、彼と接するうちに嫌でもその恩恵を理解することでしょう」
「奇跡ニャ…奇跡の邂逅ニャ…ありがたや…ほれ、お前達もっと熱心に祈るにゃ!」
「みんなと合流できますよーに」
「いいことばっかりありますよーに」
「や、やめろ、祈るな。オルタンシア、オルタンシア、これ、何の話をしているんだ。どうしてオルタンシアは通じ合っているんだ」
ウフフと笑って誤魔化しておく。
アンディラートは天使、エルミーミィは巫女か。ならば私は宣教師かなぁ。
カルトが育っていく光景。
本来は、ポカーンとしている領主の前ではあまり見せられないので、そろそろ話題を逸らしましょうかね。
「エルミーミィ。領主様がお待ちです。お話ができるようならば、状況をお伝えくださいませ。助けていただいたのでしょう?」
「…お嬢様ごっこ…? にゃ、せっかくならもっとヒラヒラしたのが着たいニャ」
「あ、うん。よろしいのではなくて?」
というか私、元々お嬢様なんです。
つい適当に返事してしまったため、エルミーミィは後で自分にもドレスを着せてもらえると思ったようだ。
それは構わないけど…君らは滞在するだろうが、私達はここには泊まらないのだぜ。宿に帰るのだよ。
帰るのだよ…。
…帰れなかったのだよ…。自業自得だよね。
山の民はどの子もボロボロ服とガビガビ毛皮になってしまっているので、まずは軽く着替えてから事情聴取をすることとなった。
休息? いや、本人達は元気だからそこまでは要らないそうだよ。領主チームが過酷に急かしたわけではない。
お風呂に入るほどには領主を時間を待たせたくないという獣人達に敬意を表し、サービスで綺麗にしてあげました。「クリーン!」とか魔法っぽく適当に唱えておいた。でも本当はただのアイテムボックス。
猫だから単にお風呂嫌いなのでは?という疑惑が掠めたけど、そこは突っ込まないでおくよ。
領主の館にはお客様用に貸し出せる服が揃っており、エルミーミィはご要望のヒラヒラドレスを着られるらしい。良かったね。
私達は、領主と獣人の対談に緩衝材として加わる羽目になり、夕食に招かれた。
どうやらこの件は三男が責任者のようで、思いのほか苦労成されたご様子。
事の起こりは2日前。この地の領民達が不審な木箱を発見したことに遡る。
それらは元々ロープで連結していたようだが、漂流するうちに千切れたらしい。次々と流れ着いたロープ片、そして木箱からは、見たことのない生き物達が現れたのだ。
人のようで人でない姿の不気味の谷と、突然対面することになった領民達は、当然不安と嫌悪と恐怖が入り交じることに。
思わず迫害しかけるが、さすが山の民っょぃ。元々ボロボロなのに、余裕でひらりと身を躱す。
しかしながら山の民は攻撃してくる相手に対して、怪我をさせないように防御に徹していたのだという。
それを見て「もしや敵意はないのでは?」と気付いた者により、領主館へ連絡が入った。
対応したのは、この地の領軍を担当している三男だ。
三男は…不眠不休でこの事態に当たったという。それは、眠いわけである。




