もう黒靄は出しません。
「待て、勝手に屋敷の奥まで入るわけにはいかない。許可を願ってみよう。俺が行く。回復魔法については話して良いんだな?」
アンディラートは私が何をしたいか瞬時に察すると、いつものように、理由を問い質すこともなく動いてくれた。
シスター直伝の回復魔法は、今や続々と会得した人間が増えている。
私だけに出来る特殊なチートではないから、知られても平気だ。
何か突っ込まれたら、私には師の他に魔法使いのリスター兄貴もいるのだから、魔力に触れて開眼したっぽい言い訳をしよう。
「うん。お願いします」
任せろとばかりに頷くアンディラート。
うぅ、確実に後で拝もう。そして美味しいものとかをめいっぱいお供えするのだ。
この天使ぶりを当たり前だとか思って、万一にも軽く流して有り難がらなくなったりしたら、もう自分が許せなくなるものな。
張りつめていた場の空気は、怪我人とケモ耳ズが立ち去ったことにより少し弛んでいる。だが領主一味が玄関で指示出し中なので、未だ落ち着いてはいないソワッとした感じ。
そんな中、帰るはずの私達が近付いてくるのを、領主が目に留めた。
「我々も手伝わせていただけないだろうか。オルタンシアは回復魔法を会得している」
「何だと? 馬鹿なことモグ」
特にモーグリさんではない。長男の口が、次男によって塞がれたのだ。
ムムー、モゴー、とそれでも何か喋る長男。
おねむの三男坊はと見れば、スッゴイ疲れた顔をしていた。コレ、連勤の企業戦士かな?
目は普通に開いた状態に戻っているので、眠くはないようだが…何があったんだろう。
「…それは…、本当なのであればお願いしたいところだが、これは領の問題。それにお2人はもうお帰りになるところだったのでは?」
「彼女が、今の怪我人は知り合いかもしれないと言うのです。ならばこのまま放置して帰るというのは難しい。どうかお願いします」
「なんと。もしもそうであったなら、彼らとの話し合いはいま少し簡単になるかもしれないな…むう…だが確証はないのだな?」
「顔がよく見えませんでしたから。万一知り合いでなかったとしても、怪我をすぐに治してやれれば、そちらと山の民との間の交渉には有利に働くはずだ」
そうッスよ。私、役に立つッスよ。
青ざめた私を気遣いながら、アンディラートが言い募る。頑張れ、アンディラート。
ふと、長男が腑に落ちない顔をした。
「馬鹿な。回復魔法だけでも馬鹿馬鹿しいのに。あれは隣国の山奥から来た土着の原住民らしいぞ。そんなものが、王都の高位貴族と関わるようなこともなかろうが。馬鹿も休み休みモガムムーメ」
ば、バカバカ言うなし。
使えるもんは使えるし、知人は知人なんじゃいと言うしかない。こやつが幾ら疑おうとも現実は変わらぬ。
これを令嬢ぽく変換して言い返さねば…と、思っていたら真顔で唐突にモガムムーメられて吹き出しそうになった。
耐えろ、頑張れ表情筋。動くな、固定よ、令嬢スマイル。開いちゃダメ、鼻の穴。
…無事に耐えきった。
長男は令嬢の中の人を揺さぶってくるので、実に危ない。なんで口を塞がれても話続けるのよ。我が強いよ。
再び長兄の口を塞いで後衛に下げたのは、誤魔化し笑顔の次男。そんなダブル兄をそっと背に隠し、疲れた笑顔を浮かべる三男。なんで前に出てきた?
しかし幾らピュアでも、それでうちの真面目っ子が誤魔化されるはずもない。
長男に散々バカって言われたせいか、少しムッとした顔でアンディラートは補足する。
「彼らはゼランディの山の民、ニャルスの民でしょう。私の知人にもおりますよ。彼女はゼランディで彼らの集落に立ち寄ったことがあるらしい。そこで知り合った相手ではないかと言っていました」
領主からは「隣国の山奥に令嬢が?」と疑問モリモリの目で見られた。
冒険者活動していましたって言っていいのかしら。お父様からは今回、非の打ち所のない令嬢っぷりを見せつけてこいと言われているのだけれど…うーん、非になるよね。
ええい、ならばこのロールのまま押し切る!
しっかりと令嬢のマスケラを被り直した。とくと見よ、我が奥義!
「今は問答するよりも、怪我を治す方が先ではございませんか? 誰ぞ医者を呼びにやるよりも、早うございます。もし魔法というところが信じられないのだとしても、まず試してからでも遅くはありませんでしょう。治療行為が早ければ早いほどに、彼らの信頼も得られるのでは」
お母様直伝、美しく儚げでお願いを聞いてあげたくなるような、しかしどこか押しの強い笑顔を作る。最後は語尾を下げ、尋ねていると見せ掛けて「それが一番良い方法ですよ」という含みを持たせた。
さあ、頷くがいい。圧を上げていくぜ!
オルタンシアのスマイル攻撃! なぜか断れない圧が、領主一味に降りかかる!
「そうだな」
「確かに」
「助かります」
「…ぬぅ…」
領主は頷いた。次男は頷いた。三男は頷いた。長男はへの字口になった。
テッテレー! オルタンシアは面会の許可を手に入れた!
「では私がご案内致します。こちらへ」
新お母様が客室への先導をかって出た。
おうちの人が誰か付かないといけないけど、領主一味は着替えたりしたいんだろうね。
親族になったとはいえ、初対面の人間。さすがに邸内のプライベートゾーンには、使用人だけ付けて歩かせるようなことはしない。
されたらむしろこちらが困る。それは何か冤罪とか擦り付けられる予兆な気がするよ。ついてっちゃダメなヤツ。
しばし歩いていくと、前方から困ったような女性の声が聞こえてくる。
「ここは私どもが見ておりますから、どうか身体を清めて少しでもお休み下さいませ」
「フシャー!」
「お医者様が来るまでに、せめて包帯で血止めだけでもさせていただかないと…」
獣人がメッチャ威嚇してる。そんなにメイドさんが信用ならないのかい。ここまでシャーシャー聞こえているよ。
そんなやり取りの場に、そっと新お母様の声が滑り込んだ。
「治療をして下さる方をお連れしました。場所をあけて下さいませ」
こちらを見た獣人ズが、ビョン!と後ろに跳んだ。素早く場所を空けようとしただけなのだろうが、室内でその跳躍。
使用人達と新お母様は驚いて立ち尽くした。チャンス! 見られていない今、この隙間、ちょっと通りますよ!
出そうになるジャパニーズチョップスタイルを何とか気合いで抑え、私はこれ幸いと令嬢らしくないダッシュでベッドの横へ陣取る。
その途端に獣人ズがビャッと跳び戻って真後ろに来た。これには私もビクッとした。
彼らは私に何事かを訴えかけようとしたが、マネージャーのアンディラートがサッと片手を振って押し留め、私を守るようにして距離を取らせる。
そう、山の民って妙に距離感が近いから…。
邪魔されないことを確認してから、ベッドに寝かされた怪我人の上掛けをそっと捲る。
…火傷、だろうか。一番酷いのは。
焼けた服が皮膚に張り付いて…痛くて仰向けにはなれないのだろう。背中の広範囲に渡り、模様みたいな毛並みが焦げたり煤けたりしてボロボロ。
アイデンティティの耳なんて、右耳が裂けて取れかけている。痛すぎる。
それに、切られたような長い傷口が幾つも。そこからは、今も血が流れ出していた。
あんまりだ。
「エルミーミィ…何があったのよ…」
痛々しすぎて泣けてくる。
アンディラートが泣きそうな私の肩に触れ、「話しは後で幾らでもできるよ。…やれるな?」と優しく、しかし強く問いかけた。
私は頷きを返す。
やれるよ。やる。是非ともやりたい。
そうだよ、泣いてる場合じゃない。一刻も早く、治してあげなくては。
部屋の外が少し騒がしい。
領主が来たのかも知れない。魔法は隠さなくても良いことだけれど、令嬢ロールが剥がれかけの様を見られるのはマズイ。
急いで目を閉じて集中する。
時間をかけてイメージしなくとも発動するほどに、魔法は私に馴染んでいた。
「『マザータッチ』」
何度も使って慣れたからか、心配のあまり魔力がこもりすぎるのを感覚で理解する。
落ち着いて目を開け、余分な魔力は供給を止めて、宙に霧散するように丁寧にほどく。
エルミーミィはうっすらと輝くような光に包まれていた。目の前では黒靄の出ない、正しい回復魔法が発動していた。
良かったよ、禍々しくないよ。回復魔法はもう完璧だな。
いつもはイメージに忙しかったり、切羽詰まりすぎていて、自分の魔法が何を成しているのかをじっくりと見る機会はなかった。
ちゃんと自分で、その経過を視認するのは初めてかもしれない。
重傷だからか、一瞬では治らなかった。理屈はわからないが、ファンタジーに治りゆく様を観察する。
グロはまばゆい光で隠される仕様らしく、患部が完全に見えないくらいの輝きが治療中。光が薄れてくれば完治のようだ。
解明しようと見つめすぎて、ちょっと目がチカチカしますね。
見ちゃいけないヤツだったか。チカチカの視界で怪我の治りを確認する。よし、完治したね。目はやられたけれども、エルミーミィが治ったならば何も問題はない。
…耳が綺麗に治ったのが、本当に嬉しい。そんな隠せないような場所、ちぎれなくて良かった。女の子なんだもの。
回復魔法がなければ、私の心が死ぬような事態は今までも何度もあった。
魔法を教えてくれたマジカルシスターには、感謝してもしきれないな…。
シスターに送る約束だった絵は、予定よりもたくさん描いて送ろう。オルタンコピー機として、メッチャ複製作るよ。思うがままに魔法使いを量産してね。治癒ならば人を傷付けることもない、良い力だと思います。
…うん? 私には悪用方法は思い付かないが、教会や国の偉い人は、何か悪いことに使おうとするかな…?(偏見)
シスターチルドレンが悪事に使われないように、一応、お父様にはお話ししておくか。貴族や金持ちからの治療費ふんだくりなら別にいいけどね。




