予期せぬ客
ハッ。
メチャクチャ集中してお絵描きしてしまっていた。周りの音が完全に聞こえなくなってたよ。今、何時なの!
慌ててコソッと時計を確認するが、幸いにも30分程しか経っていない。
経ってないけど、アンディラート1人に接待を任せてしまった。大丈夫かな?
「それで、どうでしたの?」
「とっても美味しかった」
「素敵。どんなものか気になるわぁ…」
えっ、何の話してる?
意外にもアンディラートと新お母様がすんごい打ち解けてる。作ってない笑顔で朗らかに会話してる。さすが天使というところか。
わ、私、そこに入ってもいいです? 雰囲気クラッシャーになりませんかね。
スケッチブックを持ったままオロオロと見つめると、不意にアンディラートが振り向いた。気配を察したようだ。
「描けたのか?」
「ぅ、ええ、何枚か描けましたわ。時間が取れる時に改めてしっかり描き起こします」
うん、出来たよーって普通に受け答えをするところだった。危ない。
令嬢ロール、淑女、我に降りよ、高位貴族っぽさ。梅の…あ、間違い、梅の木は要らないです。仲良くしなければならないママン相手に威圧的な口調になってしまう。
亀裂待ったなし。のじゃロリするにはトウが立っておりますし、ご遠慮しますね。
「えっ、1枚だけではなく、何枚も? 今の時間でお描きになったの?」
「あ、でもその、スケッチですから」
新お母様はアンディラートの天使パゥワーによって見事に陥落されたらしい。私への遠慮や遠めの距離感が失われている。
見せて見せてと無言の訴えを発されて、私は「どうぞ」とテーブルの上にスケッチブックを置いた。じっと表紙を見つめる新お母様。
立ち上がったアンディラートがサッと私の椅子を引いてくれたので、まずは座ります。
…しかしスケブには新お母様もアンディラートも手を出さないので、仕方なく私が自分で開く。まぁ、他人の持ち物だと思えば、そうかな。仲良し相手でなければ待つか。
見られて困るものはない。万一を考えて新品のスケブに描いたからな。堂々と、閉じたばかりの赤子スケッチページを開く。
モソモソ謎の動きをしていた双子の様子から、まずは片方に乗り上げて仲良さそうな構図を。赤子は人間というより動物っぽいね。
出ていたヨダレは省略してあげましたよ。写真のように、あるがままを切り取ってはいけないこともある。優しさだね。
新お母様が「まぁ」と両手で口元を覆った。
なぜか私がページをめくるのを待っているようなので、次は?という目線に応えて紙をめくる。次は1人ずつの絵。
店員がカタログ見せてるみたいになってるけど、ご自分でめくってくれてもいいのよ。
手が汚れそうでイヤとか思われてんのかな。
「まだあるの?」
「はい…」
何枚かって言ったけど、正確には11枚ですね。引かれるかと思ったのだが、まだある?まだある?と期待に満ちた顔をされたので、つい全て見せてしまった。
「すごいわ。なんて上手なの。絵を描くのが本当に好きなのね?」
「はい。とても」
新お母様は気付いていらっしゃらないかもしれないけど、使用人が「まだあるのかよ」って数度おかしな顔になったよ。
1枚3分足らずで描いた計算になるものね…でも、初めの1枚こそ赤子バランスに慣れるのに時間がかかったけど、コツを掴んだらお急ぎスケッチは可能だったのです。
長居しないようにと急いだ結果、己の異常さを隠しきれなかったみたいだよ。無念。
「これが、オルタンシアです」
にっこり笑ってアンディラートが言う。
何だその、ドヤァ…。珍しドヤァ。おのれ、可愛い。必ず後で描き起こす。網膜に焼き付けねば。剥離も辞さない。治せばええねん。
これってどれだいとか、新お母様に私を自慢しても仕方ないのではとか、突っ込むのも忘れてついニコニコしちゃうよね。そうよ、私がオルタンシアです。ドヤァ。
…ドヤ顔をつき合わせた私達は、互いに正気に返ってソッと目を逸らした。
「仲が良いわねぇ」
すっかり気分の解れたらしい新お母様が、一切の含みを隠さぬからかい声を出してきた。逆に私が引くレベルで親しげにしてきたのですが、かつての怯えは何だったのかと。
いえ、不満になんて思いませんぞ。後妻と娘がギスギスしているなんて、お父様がおうちに帰ってきたくなくなっちゃうからな。
仲良くしていただけるのであれば、ホラー映画で殺人鬼に出会った時みたいな反応されたあの日のことも忘れて見せます。
なかなかないよね、危害を加える予定なんて欠片もなく目が合っただけなのに、ちっちゃな悲鳴付きで後退りされることって。
思わず何かいるのかと後ろを振り向いちゃったけど背後には誰もおらず…あぁ、私かー、みたいなね。
ちょっとしたトラウマだよ。
新お母様は決闘風景なんて直接見てないと思うんだけど。まさか見てたのかな。でも、見てたとしても貴公子だったはずだけどな。
しかしながら関係を一新することが出来たようなので、もう言われるがままに新お母様もスケッチしてあげちゃう。メイドもスケッチしてあげちゃう。
何だろう、私、似顔絵師か何かだと思われているのかな。すごく「似てる似てる!」って褒められるの。
街角で似顔絵描いて稼ぐことを視野に…ダメだな。財布の紐の弛んだ旅行客とかあんまりいないから、普通の街でやってもお客さんは付かなさそう。
そのままズルズルと帰る機会を逃しに逃し、3回目の「そろそろ、おいとまを…」と言い出してみる私。朝から来たのに昼食をご一緒した挙げ句、もう日が暮れてしまいそう。
3度目の正直だからか、アンディラートも「そうだな、そろそろ」と私の後押しをかって出てくれた。
新お母様も、さすがに引き留めすぎたかと苦笑気味に解散に応じてくれた。
良かった、まさかの泊まりがけになるかとヒヤヒヤしたよ。長男から嫌がらせを受ける未来しか見えない。
「今日はありがとう。楽しかったわ。次に会えるのは王都になるわね」
「はい、恐らくは」
もはや友達のような口調の新お母様。
はー、疲れた疲れた。でも無事に終わって良かったよ。この成果ならお父様も安心してくださるだろう。
アンディラートが一緒に来てくれて本当に良かったな。
彼が常時ピュアエアーとキュアエアーを放出してくれたお陰で仲良くなれたと言っても過言ではない。
もう、マイナスイオンを擬人化したらアンディラートの姿になる。間違いないよね。
折しも我々が場を辞そうとしたその時、バーンと玄関扉が開け放たれた。そして慌てた様子で駆け込んでくる領主一味。
…か、帰らせない罠かな?
疑いを持つ私の隣で、スンとアンディラートが鼻を鳴らした。何ぞ?
見上げてみれば、眉をしかめて警戒態勢。
えっ、本当に何があったの?
慌てて姿勢を正す私。
「血のにおいがする」
「え、物騒。マジですか?」
「ああ。来るぞ、怪我人かな」
その言葉の終わらぬうちに、ニ人の男が何かを運んできた。
二本の棒に布を張り、そこに乗せられたもの。赤茶色く汚れた布をかけられていて、中身は見えない。
確かに漂う血のにおい。
あれは担架だ。
そして布を被せられた…人、だ。
ぞわりと鳥肌が立つ。
異様なその光景に、誰もが思わず口を噤む。シンと静まり返る中、皆が注目するのは運び込まれた担架の、怪我人。
…生きているのよね?
領主一味は皆いる。怪我もないし、ヨレてもいない。戦いに出たわけではないだろう。
指示を受けた使用人が数人、慌ただしくいなくなる。玄関からは更に荷物を運び込む男。
その後ろから更に現れたのは、乾いた血と汚れにまみれた数人の…
「山の民!」
飛び出しかける私の肩をアンディラートが強く抑える。ニャンコ民族達の危機だぞ、これが黙っていられるか。
…あの、ちょっと痛いぞ。この力強さ、私以外の令嬢にやったらイカンやつ。
だが山の民のほうが気になっていて、注意するどころではない。
何があったんだろう。彼ら(山の民)は、トリティニアにはあまり生息していないはずだけど…。
「…フ、…ラ…?」
小さな、小さな声。
血の気が引くのを感じた。
「巫女様! 気が付いた?」
「巫女様、しっかり!」
負傷も痛々しい獣人達が、担架に乗せられた人物に駆け寄った。
領主一味が「まずは運ぶ、寝かせてから医者を呼ぶから」とそれを担架から引き離そうとしている。うまくいってはいないが、進路を確保することには成功したようだ。
ようやく使用人達が先導して、客室へと怪我人を運び込んでいく。
私も。
私も行かなくては。
だって、あれは…!




