気合いは十分。
存分に市場を堪能して宿に戻ると、領主邸からの素早いお返事が届いていた。
3日後なら来てもいいよー、ということなので明日も自由時間だね。
義理とはいえ親戚、すぐに家に入れてくれるものかと思っていました…そして泊まっていきなさいとか言うものかと。だから私としてはあんまり時間が空くことは想定していなかったのだけど、まぁね、領主のお宅だからご都合もあるのだろう。
そもそも前世の庶民感覚では、心のスレ違いは必至。ぶぶ漬け叩き付けられなければ、訪問は成功に分類される。
ここまで来といて「家には入れぬ」とか言われたら泣くけど、そもそもお父様から「これから代理で娘が行くからよろしくね」って言われているはずなので、門前払いの心配だけはしていません。
宿の食事は私の部屋に届けてもらい、仲良く2人で食べる。階下に食堂もあるが、貴族は平民に混じって食べたりはしない。
そう、帰宅後からはお嬢様仕様だ。
3日あるなら、室内ロールはより完璧に仕上げておかなくては。いや、ぶっつけ本番でも出来るよ、出来るけど…怯えられる要素は極力少ない方が…。
新お母様に怯えられない自信がないのだよ。顔合わせの時すんごい怖がられていたもの。
お忍びはね、ほら、少し羽目を外しても許容されるから。お父様もヴィスダード様も冒険者してたから、少し普通の令嬢とは事情が違う…と言い訳できる。
実際には、お父様本人から冒険者活動の話なんて聞いたことないです。お父様はいつ見ても完璧な爽やか貴族美男子、時々腹黒。うむ、やはり完璧と思います。
「珍しい料理が多いな」
茹で伊勢海老みたいなのがドーンと乗った皿、令嬢的にはどうやって食べるのかな。なんか手を出しにくいぞ。
気後れする私だが、お手本アンディラートが次々に手を付けるうえ一足先に「こんな風になってるんだな」とか見せてくれるので、マナー違反になることはなかった。
それどころか「給仕がいないから」と食べ難そうなものを切り分けてくれるという…。
あのぅ、君を煩わせるなら令嬢ロール止めましょうか…え、楽しいの?
そう? 面倒だと思うんだけどな??
不可解な気もするけど、「大したことじゃない、たまには頼ればいい」と言われてしまえば下僕性癖ってわけでもなかろう。
何となく追求も出来ぬ。こんな天使にジョ太郎立ちで「実は性癖だ」(バァーン!)とか言われても困るしな。
本当にそう言うなら、あらそうなのと受け入れるけれども。
まぁ、きっとお兄ちゃん気質なん…、一人っ子…あ、違うぞ、今は弟がいるな。セーフ。
家にいる間に弟の世話でお兄ちゃんとして目覚めたのかもしれない。納得。
ちなみに弟の顔は見ていません。顔合わせの日は私とお義母様がテンパりすぎて自分達のことで精一杯でした。
お義姉ちゃん、君に挨拶もしないで帰ってごめんね、第2子よ。本当に強く生きろ。
そして第2子、ヴィスダード様を見ると泣くらしいぞ。それどころか部屋を覗くだけで気配を察知して泣くらしいぞ…勘の良さだけは遺伝してる。
うん、父親も強く生きろ…。
今生では珍しい海鮮の数々に舌鼓を打つ。
それでも、海鮮の街だというのにお刺身は出されなかった。
好き嫌いがあるからか、生は許されない文化なのか、カルパッチョ風までがせいぜい。
あぁ、新鮮な鯛をこんなバターまみれに…せめて、しゃぶしゃぶにしたいなぁ…。ポン酢ないけど。
あっ、ネギ塩ダレ! ネギ塩ダレならいけるのでは?
「旅館のコース並みに色々出てくるな…。私の胃袋はもう限界よ」
そういや、貴族は色んなものをつまんで、残ったら使用人に下げ渡す文化があるらしいね。だから出される量が多いのかな?
だけど食べ残したものを他人に食べられるとか有り得ないから、うちではそういう風習ないんです。お母様のお残しが誰かの口に入るとか、お父様が許すと思うてか?
いや、食べ残しっていっても普通は手のついてない物だけだろうけど…だけども、それでも私は嫌だな。
使用人とか、心の距離が遠すぎる。ましてや食後の皿の共有なんて気持ち悪い。
「良かったら、この辺とか手をつけてないから、お腹に余裕があるなら食べる?」
だが、そう、アンディラートなら。アーンすらもできる相手なので、彼に譲ろう。
私の胃袋は人並みだ。運動部でもないのに、こんなに入るわけがないですわよ。
だから人並みではない人に、行けるとこまでこちらの料理も食べてもらうことにしよう。
アンディラートは困ったような顔をしたまま、徐々に赤面し始めた。
なぜなの。
え、貴族は使用人に下げ渡す文化…君も皿の共有がダメな子なのかい。
口つけたとこなら思春期と潔癖性に反応される気はするけど、これはまるっと手をつけてない料理なのだぜ。
いわば私の手の届くゾーンに置かれたというだけではないか。
あ、もしかして大食漢だと思われることへの恥じらいの方かな。
恥じらいポイントが多すぎて見極められないよ。
「太っているわけでもないし、たくさん食べられるのは健康的でいいことだよ。小鳥のエサみたいな量しか食べない男子より、ずっといいと思うな」
さぁさぁ、若い者が遠慮などするでない。まだ食べられるのじゃろ?(謎のおばあちゃん感)
何だかんだと言ってみると、結局アンディラートはペロリと全てを胃袋に収めました。
全然お腹苦しそうじゃない。愕然とする内心を、淑女の微笑みで隠す。
買い食いもしてたのに…やっぱり君のお腹はブラックホールなのか。令息なのに食い溜めっぽいスキル生えてる?
どなたか鑑定スキルをお持ちの方はいらっしゃいませんか?
宿の人を呼んで食器を下げてもらう。
その間、一品も残ることのなかった夕食に心の中で震えながら、アンディラートの部屋へ移動。何ならこの部屋にもおやつが隠されているかもしれないな。
ところでこの世界の宿に大浴場はないっぽい。
まぁ、あっても性格的に他人の中にそんな無防備に入らないし、そもそも貴族だから女湯とはいえ平民の群れに裸ダイブとかしない。
お高い部屋なので、安心の個別お風呂が付いている。お好きな時間に入れます。ただしあらかじめ水が汲まれているだけで入る前に自分で沸かす。
多分普通の貴族は、連れてきた使用人が湯沸かしマシーンの魔石をスイッチオンする。
薪じゃないんだよ。なんでだい、スゴイ。
王都より進んでるよね。驚き。
「お腹、苦しくない?」
正直食後の紅茶も入らない勢いだけど、用意されてるからカップを持ち上げてみる。
この動作だけで胃に響きます。食べ過ぎたわ。デザートだけ見ると量が貧相だったけど、あのご飯の量ではそれでいいのだろうな。
私も他のお料理はアンディラートに押し付けて、最後にデザートだけ食べようと思ったら、入ったもんね。
「うん。平気だ」
無理をしている顔には見えない。
こっちもスゴイ。もはや一芸だよね。フードファイターとしてやっていける。
やはり食い溜めスキル的なものがあるのでは…。
「ねぇ。君のお腹は食べた分だけ胃がポコッと出るものなの? それとも、いつでもフラットなブラックホール仕様なの?」
どこぞの曽根さんは足の付け根辺りからポッコリする胃下垂らしいが…。
服の上からではポコリ具合はわからないな。
じっと見ていると視線に気付かれた。赤面して身体ごとあっち向かれた。
シャイボーイの秘密は守られた。
「…うーん。少し上の方が出てる…かな?」
そっと胃の辺りを撫でて、首を傾げるアンディラート。
特に秘密ではなかったらしい。下じゃないなら、胃下垂ではないのか。少し上なのか、少し出るのか。後者であれば、少しで済むのはどういうことなのか。
てか前者なら…容量目一杯って、もうマーライオン寸前じゃない? なんで苦しくないの?
そもそも貴族の令息だ、食べられる時に食い溜めしなきゃいけないような波のある食生活してない。
つまり、好きで食べている、と。
まだまだ未知。深すぎる天使の謎。
「明日は何をしようか。君は、何かご用事はないの?」
アンディラートは護衛を兼ねているので、基本的に自由時間を欲してくれない。
しかし私は自己防衛どころか反撃機能付きの令嬢なので、ベッタリ守られなくても死なないぞ。今となっては狙われる理由もないしな。
偶発的な山賊程度なら、対峙した相手の足元の土をモリッとアイテムボックスにしまうだけで勝てるからね…。何ならそのまま埋めますか。慈悲はない。
残虐のオルタンシア、はーじまるよー。
「そうだな…剣を研ぎに出したいかな」
思考が横道に逸れていたところに軌道修正が入った。
メインウェポンのお手入れか。
そうすると短剣使いになってしまうので、冒険者活動はできないな。
い、いや、冒険する予定はさすがになかったよ、うん。訪問の日までは、おとなしく街中で過ごす予定ですとも。
あまり他貴族の屋敷を訪ねた経験がないので、3日待たされるのが普通かどうかよくわからない。
はたして歓迎されるのか。
されませんね、知ってます。
お父様からの出産祝い?の運び人だから会ってもらえるだけに過ぎない。でもそこをこう、仲良しチャンスに変えていきたいところよね。
赤子生まれたてって聞いたから、私は手縫いのヨダレ掛けを包んできたよ。
刺繍ももちろん気合いを入れたし、肌触りの良い生地を厳選しました。まさに勝負ヨダレ掛け。
この個人的なプレゼントを、要らんわ!って投げ返されなければ仲良くできるはずだと思う。
頑張るぞ。




