絵師に出来ることは限られる。
その黒い服の女性は、属性としてはシスターではあった。マジカルかどうかは、まだわからない。
私の知るシスターよりずっと若く…三十代、くらいかなぁ…と邪推。
院長代替わりしたの?と一瞬慌てたのだが、単に子供が大人をつれてきたというだけのことであった。
「孤児院にご用事とお伺いしました。どうぞ、こちらへ」
用があるのは孤児院にじゃないんだけどなぁ…と思いながらも、こんなお外で細々と否定するのもややこしいよね。
子供達がまた集まって来かけていたのだが、シスターによって素早く散らされた。さすが、手慣れている。
かつて知ったる建物内を、勝手はせずに黙々と後ろを付いて歩いた。
シスター、全然喋りませんのよ。
世間話はしないタイプらしい。まぁ、仕事中だからね。仕事に対する姿勢が真面目なのは良いこと。そういうの嫌いじゃないです。
何もしていないのに、そっと上がる案内シスターへの好感度。
あれだね、ちょっとアンディラートのお陰で対人への拒否感が緩和されているらしく、基準が緩んでいるのを感じる。
もう少し引き締めないと、私、そのうち痛い目を見るのでは…?
悩みながら応接室へと辿り着くと、そこには懐かしのマジカルシスターの姿が。
「あっ、シスター! お久し振りです」
なんだ、案内シスターにもちゃんと話は通じていたのね。良かった。そう思って声を上げた私に、急に視線が集中。
えっ、べ、別に喋ってはいけない何かとかじゃなかったよね?
動揺は素早く装着した微笑の下へ隠す。私は令嬢、本音を隠す貴族教育も履修済みよ。
マジカルシスターはしばし私を見つめたあと、不意に察した色をその目に浮かべた。
よく見ればおわかりいただける。
瞳の色と顔立ちは変わりません。
孤児院ではフードで過ごしていたけれど、シスターには顔をさらしたからね。まして彼女は、髪を切る前の私も見ている。
「フラン? 無事だったのね?」
「はい。その節は大変お世話になりました。先般、帰郷が叶いましたので、あの日のお礼を申し上げたくお訪ね致しました」
しゃらりーんと綺麗にお辞儀をして見せる。孤児フランとの落差は物凄いことであろう。でも、あっちの方が素に近いんですよ。
私とマジカルシスターに面識があったことで納得したのか、案内してきたシスターは「さぁ、どうぞ、お座り下さい」と私達にソファを勧めたのちに去っていった。
素直に着席する私達。
そして私は姿勢を正した。偽名しか伝えていなかった相手への、名乗りのお時間だ。
「改めまして、オルタンシア・エーゼレットと申します。こちらは、えと、婚約者のアンディラート・ルーヴィス様です」
アンディラートが隣で会釈した。
社交的にはそこで何か一言二言世間話を挟んでも失礼にはならないのだけれど、その気はないようだ。礼は告げ終えたものの、私の話が優先だと思っているのだろう。
まぁ、そこで初対面の人相手に「うちのが世話になったねー、大変だったでしょー」みたいなことを言われても、アーン? 何様?ってなるよね……ん? なるかな?
アンディラートが「婚約者が世話になって、礼を言う」とかペコリする様を想像。
…うん、普通。
欠片もアーン?てならないわ。
むしろペコリが可愛い。いいぞ、もっとやれ。いや、安売りダメ。人気商品だから。売り切れちゃう。私の分がなくなっちゃう。あれ、何の話?
うーん…多分チラついたこれは、前世にあった何かの記憶だったのかもしれないな。ならば、もう、今の私には関係のないものだ…。
まだ完全に割り切れているわけではないけれど、私は今を生きているオルタンシアでしかないから、思い出しても仕方がない。そのように考えられるようになりました。
おっと、そんなものに気を取られている場合ではない。
「何か影響があってはいけないからと、トランサーグが明かしてはくれなかったのだけれど、宰相の…成程、確かに大物の貴族ねぇ」
「私には、ただの優しくて素敵なお父様なのですけれどね」
あらあらウフフと笑われてしまった。
一般人枠なら、お父様のことなんてそれこそ宰相の名字程度にしか知らないと思うのですけれど。むしろ生活に直接関係ないから、知らない人すら余裕でいるはず。
ここにはテレビもラジオもネットもないし、何かの通達は王命で出る。エーゼレットの名は出ばらないから、庶民なら知らなくてもおかしくないものだ。
でも、シスター、普通に知ってそうね。
実は庶民じゃないのかな。いや、孤児院トップなら街のお偉いさんとも話をするか。街のお偉いさんなら貴族とも関わる。それ系の情報網かな。
面識はないかもしれないけど、お父様の腹黒さとかを耳にしていそう。何かそういう感じの、あらあらウフフ。
「それにそちらも…ルーヴィス様というと、ご高名な騎士の方でしょう。お二人がご友人だというのは聞いたことがありますから、その子供達が婚約者同士というのも納得のことですね」
ヴィスダード様のことも知っているらしい。なんか納得されたぞ。
確かに、環境だけ見ればそう不自然なことではないのだろうか。私にとっては色々と劇的な変化だったのだが。
チラリと隣を見ると、アンディラートもこちらを見返してきた。
どちらも特に言葉は発しない。
…いや、何か言うことがあった訳じゃないんだけど。待たれてるかな? これ、私が何か言うのを待っているね?
でも、つい見てしまっただけで何もないのですよ。
うん、と頷いておく。アンディラートもコクン!と力強く頷き返してきた。可愛い。
特に意思の疎通的なものはなかったのだが、楽しかったので良し。
私は笑顔になった。
「あらあら、仲良しね。フランが…いいえ、オルタンシア様がお元気そうで安心しました。何だか雰囲気も丸くなったようね」
「ふふ、ありがとうございます」
そりゃもう。こちらの天使は癒し効果抜群なので、私の刺々しさなど彼の前ではボロンボロンに抜け落ちますわ。
ギザギザハートの孤児フランの時とは、前提からして違いますぜ。
令嬢モードでは言えないけどね。
「貴女に会った頃の彼女は命を狙われた後だったから、周囲に対して余計に気を張っていたというのも、あるのだと思う」
いつもトゲトゲしているわけではないんだよ、とアンディラートがそっとフォローしてくれた様子。
しかし実は、君の前以外では基本的にはトゲトゲンシアだったかと思います。
今は何かこう、トゲッティ・ヌケターノみたいな。…むしろちょっと沸いてるから…。
小さなノック。マジカルシスターが応えると、案内シスターがお茶を持ってきてくれたようだ。
「あ、そうだ…」
手土産があったのだ。ふと呟いた途端に、サッとアンディラートが立ち上がり、鞄から手土産を取り出して案内シスターへ手渡す。
早い。アンディラートの顔を見ると、再びコクン!と強めに頷かれた。
うん!と私も頷き返しておく。
「甘めのお菓子です。子供が何人いるのかはわかりませんでしたが、切り分ければ一口ずつくらいは当たると思います」
えぇ、またパウンドケーキです。定期的に焼いているのでな…。
孤児院だから、住んでいるのは成長期の子供達だ。成長期といえばアンディラート…ホラ、わかるでしょう。
あのように食料を消費するのだから、本当は道中でたんぱく源を狩ってきた方がいいのかなって少し悩んだ。
だけど、今回の私は孤児でも冒険者でもなく、家名付きでの訪問。
…令嬢が肉をドーンと差し入れるのはちょっとどうかと思った。
せめて「せいぜい大きくなるとよくてよ!」とか言って高笑いでもしてないと、レディと生肉という組み合わせは違和感が拭えない。
干し肉ならいいとか、そういうことではない。
あとね、いくら焼き菓子が日持ちするといっても、集落と集落の間がとても空いているうえにパカパカと馬車移動の旅。
王都から、喜ばれるような食べ物を持ち運ぶのは厳しい。保存食になってしまいます。
まして今回は寄り道で時間を食ったので、うん、これで良かったのだ…。
案内シスターが渡された荷物を抱えてよろけた。しまった!
慌てて立ち上がりかけたが、アンディラートの方が早い。
「どちらに運べばいいか教えてほしい」
「す、すみません。こちらへお願いします」
軽々と手土産を取り上げて、荷運び役として案内シスターについていくのを見送る。
なんてこと…自分がゴリラであることをすっかり忘れていたぜ…。
令嬢が荷物担いでいたらおかしいからってアンディラートに頼んだときも、私、あれ片手で持ってたわ…。
まぁ、アンディラートがフォローしてくれたから、ここは甘えておこう。
「…人目がなくなったので、少し崩しますね。とにかくそんなわけで…こちらでは何か困っていることとかありませんか。今ならそれなりのお礼が出来ると思うんです」
令嬢ロールを横に転がして言う。
シスターは私としっかりと目を合わせると、ふんわりと微笑んだ。
「実はこのところ匿名で継続的な寄付がありまして…きちんと子供達の衣食住を保つことが出来ていますよ」
ほう?
案内シスターの他にも人を増やしたらしい。きちんと子供の面倒を見られる大人が増えれば、必要以上に小汚れて飢えて荒むような子も出ない。
だが当然、人が増えれば無料奉仕であっても食い扶持がかかる。
経営がカツカツだと手も増やせず、目が行き届かなくなり、心と身体のケアも疎かになり…悪循環で荒れていくのかもね。
マジカルシスターに限ってそれはないだろうけど、お金はあるに越したことはない。
「寄付は最近始まったのですか?」
いつ頃からなのかと聞けば、私が帰宅したしばらく後くらいからだった。
チラリと脳裏にお父様の姿がよぎる。
私がお礼に行きたいなぁとか話していたから、直接向かうまでは家名を出さずに、気にかけていてくれたのかもしれない。
いきなり王都のエーゼレット宰相から、関連も謎な地方の孤児院に結構な寄付がありましたとか言ったら噂になっちゃうもんね。
開拓村での銀の杖商会に投資した件が既に噂だものね…。
お父様は名前が売れても気にしない子。良くも悪くも。
しかし手持ちの資金を寄付にぶちこむというお礼方法は、どうやら二番煎じ。しかも継続支援の方が助かるに決まっているよね。
ぐぬぬ。冒険者口座にいつの間にか増えていたお金(どこぞのゼランディ人は真面目にやっているらしい。が、増えすぎて怖い…適正価格だと思う額まででいいのに…)をソッと寄付する気だったのに。
顔を潰したくないから一度にお父様を上回る額は出せないし、幾らですかとは訊けない。
「元気な姿を見せてくれただけで、もう十分ですよ。本当に無事で良かった」
ニコニコとそんなことを言われてしまうと、これ以上欲しいものを掘り下げるというのもやりにくい。
さりげなく日常の話の中から何か出てきやしないかと、近況を伺う。
その結果わかったのは、この孤児院兼マジカル育成所が、早くも効果を上げているらしいことだった。
挿し絵作戦で子供達がイメージトレーニング。鍛えられた初代マジカル弟子達は、なんと全員が回復魔法を使えるようになったのだとか。何気にそこには私も含まれますね!
さすがに秘匿していることはできず、神殿に報告したところ、組織の皆でチャレンジしてみる方向に話が進んでいるらしい。
孤児院にいた子供達の行方もわかった。
希望する子で数人一塊のグループを作り、他所の孤児院での指南役を務めるべく旅立って行ったのだとか。
小さな子供もいたが、仲の良い子と離れたくないためにグループに入ったのだという。
結束固いな。そういや仲間意識を押し付けてくる系の場所だった気がする。
「大人に教わるよりも子供同士の方がうまく行くものだと言って、張り切って行ってしまいましたよ」
苦笑するシスターに、何と返したものか。
凄いな、子供達の意欲…。
だけど一定の年齢で独り立ちはせねばならず、ほぼ冒険者として出ていく子供達だ。怪我を治せる手段があるのなら、覚えたいに違いなかった。
全員が覚えたというのも、きっと皆で出来ない子の特訓とかしたのだろう。
そして、それを別の街の孤児達に伝えたいと思うのも、そう不思議なことではない。
似たような環境の仲間がいるのなら、技能を共有出来たほうがいい、ということだろう。
…仲間意識、強いから。
「実は、幾つか貴女の絵を複製させてもらいました。神殿で別途絵師に頼んだ物もあったのだけれど…どうやら貴女の絵が一番、子供達の教材に向いているようなの」
シスターは少し困った顔をしていた。
あげた絵…というかお金は貰ったけど、あれはこの孤児院の持ち物だ。どうしようと、それはそちらの自由である。
私の絵なのに勝手に複製して!って怒ると思ったのかな…そんな、私の絵だと偽って贋作として売られるわけでなし。
一応言葉に出して、複製可ですよと言質を取らせておくか。
「構いませんよ。複製のほうを私が直接描いたものだとか言わなければ、何も問題ないです。もしも急ぎでなければ、お時間をいただきますが私も描きましょうか? 同じように描いて、送ることはできると思いますよ。それを私からのお礼とさせていただければ助かります」
コピー機がないから複製するのだって大変だからね。私は…コピー機みたいな真似が出来るよ。今生の身体は本当に器用でして。
シスターの顔が明るくなった。
絵師としての依頼が舞い込む予感!
「オルタンシア様は」
「呼び捨てでいいですよ」
「…そう? では、オルタンシアは王都に住んでいるのよね? 出来上がったら王都の教会に届けていただけたら助かるわ」
そっか、王都は首都だもんね。どことも知らぬ教会の総本山にでも行くのかと思ったけれど、普通に一番大きいとこが本店ってことになるのか。
教会は店じゃないって? ハハッ、ええねん、細かいこたぁ。




