いざ、挨拶!②
紆余曲折を経て応接間へ。
使用人がノックして、室内へ私達の来訪を告げる。
私はピッと背筋を伸ばした。
「オルタンシア嬢! 大きくなったな!」
ニッカー!と笑うヴィスダード様に太陽の笑顔の系譜を見た。だが、こっちは日差しがキツすぎるな。
令嬢モードで、私も挨拶をする。
「御無沙汰しております。本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
笑顔で令嬢の礼。そして初対面のママさんに笑顔のまま視線を向ける。
えっ、何か今ママさんビクッてしなかった?
動揺を隠して笑顔を貼り付けたままの私に、ヴィスダード様が奥様紹介タイムを入れてくれる。
「オルタンシア嬢は初めてだろう。妻のアンゼリカだ」
奥様は何だか困ったようにペコリと会釈。
良い印象を与えたいオルタンシアさんが、おとなしめの顔をして「好意を持っていますよ」の笑みでふわんとしてみたら、ちょっと笑み返してくれた。
…これね…、決闘が響いてる。
新お母様と同じような怯えを感じます。
怖くないよ~、敵対しなければ無害だよ~。
そんな思いを乗せて令嬢ロールをきちりとこなします。
そう…息子さんは貰ってゆく!
「それにしてもよく決心してくれたな。アンディが帰ってきて早々結婚するなんて言い出した時は、自分の耳を疑ったよ! 本当にこいつで良かったのか?」
奥様がもう空気に!
スウッと気配を薄めて待機の体勢になってる。できる妻が、夫が仕事仲間と話を始めた場合に邪魔にならないよう会得する技だ。
これは彼の両親と話をしに来た私には痛恨。
ヴィスダード様は存在感を出しすぎだよ。笑い上戸だから、私が何かしても大体大丈夫そうだけど、奥様の方はもう少し距離を詰めたいですよ!
「アンディラートほど私に良くしてくれる方もおりませんわ。私こそ、彼に見合うように努力をしていかねばなりませんね」
アンディラートの隣に着席すると、すぐに紅茶が運ばれてきた。
ふふん、指先まで気を遣った優雅な私を目に焼き付けるがいい。もう決闘などする必要はないのだ、全力を令嬢ロールに注ぎ込む。
…なんでヴィスダード様は真顔なのか。
怖いよ、やっぱりお前じゃダメだとか言わないよね。見てないふりでチラ見してみた奥様は、何か言いたそうにも見えるし…。
「オルタンシア嬢、異国の姫様の護衛剣士をしてたんじゃないのか? それとも大穴の侍女の方だったのか? こんな大人しそうに育っちゃって…どう考えてもお前、高嶺の花だぞ。本当にお前の嫁に来てくれるのか? リーシャルドも、いいって言ったよな?」
「大丈夫。それより今後のことを話したい」
あんら?
ぱちぱちと瞬きをして、そっと首を傾げてみる。奥様はどことなく安心した風情だ。
ほらね、ボク、悪い紫陽花じゃないよ。上手くやっていけそうでしょ、奥様?
「本当はうちの領地を分けて、そこを守ってくれりゃいいと思ってたんだが」
あぁ、こっちも分家にするつもりなのか。
お父様もヴィスダード様も、それなりに子供を平等に扱うつもりらしい。
わりとこの辺は当主次第だ。次期当主以外は成人したなら出てお行きって方針の家もあれば、実家よりも爵位は下がるが分家として独立させてくれる家もある。
領地が小さければ分けられないから、低位貴族だと子が成人したならどこへでもお行きと放流派になる人も多い。
高位貴族でも、財産を分割したくない(一族とはいえ権力を分散させたくない)人達は、次男以下をスペア&都合のいい人足扱いだ。
ビュンと風切り音。
猫被りを披露している最中なのに、視界に入ったので、身体強化様がオートで跳躍。
視界の端には飛ぶフォーク…って、ヴィスダード様かよ、何やってるのよ!
ソファに座っていたのに、宙返りして安全圏までジャンプする私。
スカートも抜かりなく押さえていたよ。無意識さんのお仕事。
奥様の目が徐々に開かれていくのも、視界の端に捉えております。この速度と反応が上流階級の奥様、正しいと思います。
令嬢\(^o^)/オワタ!
こんな、こんな失敗しちゃいかんとこで私はッ…もうだめ…。
反対されたらアンディラートは…アイテムボックスに隠して持って帰るしかない。
いぃいやまだわからないぞ、良く見るんだ、相手の目に否定があるかどうか、勇気を出して顔を…アァ゛ル! アリマスェコレェ! 何を見たかわからない顔してますどす奥様ァ!
落ちッ、落ち着っ、れ、れ、令嬢は、ぎせ、犠牲の犠牲に、犠牲ェレイヒー!
表情は取り繕ったまま、心の中は大嵐だ。令嬢かDJか忍の者かわからなくなっている。私は誰。君も誰。初対面ですかこんにちは。
「どういうつもりですか」
気付けば、フォークはアンディラートが受け止めていた。
というか、フォ、フォーク!
マジックのようにぐんにゃりしているじゃないですか力業ァ!?
私じゃないよね、念力とかでねじ曲げてない。曲げたのはアンディラートの指ぢから。
…えっ、凄くない?
「いや…た、退化したのかなーって…確かめておかないとなーって」
「何がですか父上。本当にやめていただけませんか、何でも戦闘力を見ようとするの。ましてや、女の子にフォークを投げつけるなんて。有り得ない。正気ですか」
「オルタンシア嬢のあの類い希な身のこなしが、つまらないそこらの女レベルになっていてはもったいないと…」
「父上には関係ないと思います。何一つ」
あの、私は全然無事です…。
奥様へのフォローを切に望むところだよ。
しかしアンディラートが驚きのアグレッシブさを出している。久し振りに見たけど、おこなのどうしたの。
「あの…急に席を立って驚かせてしまって、申し訳ございません」
誰もしてくれないので、仕方なく自分で奥様へのフォロー。直接話しかけたりしたら、余計に怯えられるのじゃないかしら。
こちらもビクビクしながら、ソソッと座り直す。そうか…こちらの使用人達は主に対しても放任主義なのだな。
呼ばれるまでは壁際からガンとして動かぬその姿勢、それはそれで仕事人。
「…本当に、その、身軽なのね?」
奥様が喋った!
チャンスと見た私は、勢いがつかないように一挙一動に先程よりも気を遣う。野生の小動物と相対するが如く!
「そうなのです。このような場で、あの、お恥ずかしいですわ」
物が飛んできたら避けるのは当たり前なので、実は別に何もお恥ずかしくはないのだが、とりあえず困った顔してそんな感じの言葉を投げておけば良いであろう。
奥様は意外にも笑顔を見せている。
これが壁を作られた上っ面の笑顔だったら大ピンチだが、わりかし柔らかくていい感じ。
取り戻せるか、淑女への信頼を!
「夫がごめんなさいね。私も、本当に理解できない部分ではあるのだけれど…ああいう人なのよ」
存じております。
まさかフォークを投げてくるとは思わなかったので、当然のように好感度は下がったけれど、なんかおかしい人なのは知ってた。
貴族社会で生き難そうなのが可哀想だし、その独自の感性が私の外出をサポートしてくれたこともあるし。
…零れた言葉から察するに、お嬢様擬態が上手すぎて過去のお転婆ぶりが夢幻かと確かめたくなったということだろう。つまり擬態を褒められたと言ってもいい。
「アンディラートが叱ってくれているから、どうか許していただけないかしら」
「大丈夫ですよ、当たりませんでしたから。荒事の気配で奥様の心に負担をお掛けしたのでなければ良いのですが」
「…まぁ。こんなことになったのに、私を案じていただけるだなんて」
まさかフォークを投げられるなんて思わなかったものね。短刀とかじゃないだけマシだったのか。
家に帰ったら、確実にお父様には言いつけてやるんだからな。
「オルタンシア嬢、悪かった、この通りだ。どうかアンディを宥めてくれないか。これ以上はなんかこう戦いたくなって仕方ないんだが、それをすると息子が家出する気がする」
謝罪が微妙。
全然困ってないじゃん、バトル開始したくてウズウズしちゃってるよ。
しかし、確かに今「パパとバトろうぜ!」などと言ったら、アンディラートの好感度はものっそい下がってしまうだろうな。
元々そう高くもないだろうし、マイナス値になるかもしれない。
「…おじ様はもっと反省なさった方がよろしいと思いますが、当主様に私達の結婚を反対されてしまったら困りますからね…」
アンディラートが握ったままだったグニャグニャフォークを取り上げてテーブルに置く。
激おこアンディラートは、私を見て少し表情を和らげた。和らげはしたが、それは私を怯えさせないようにという配慮なのだろう。
ホッと安堵の息をついたヴィスダード様へ、素早く投げた視線は鋭い。
「オルタンシア、だけど」
「君が守ってくれて無事だったのだから、もう良いのですよ。本当に、危害を加えるつもりではなかったと思います。フォークが君の前を通る時点で、どちらかというと試されたのはアンディラートかもしれません」
天使の目が真ん丸になった。
しかし、殺る気なら妨害要員の前は避けると思うのよ。もちろん何を投げても普通の令嬢相手ならアウトなんだけど、ほら…元決闘従士相手ならば然程大したことでもないっていうか…事実、アンディラートがキャッチしてるのにも関わらず目視時点で避けてたし…。
ヴィスダード様が少しニヤついているので、私よりもアンディラートを狙った犯行なのは当たりの様子。
もしかしたら、私の方に投げはしたけど、そもそもギリギリ当たらないコースだったのかもね。
「事実は小説より奇なりと申しますけれど、実物は高潔な淑女でしたのね」
ぽつりと呟いた声は、静まり返った応接室で思いのほか大きく響いた。
…なぬ?
「あ、その。私…じ、実はオルタンシア様の本を持っておりますの」
…ほん?
キョトンとしてしまう私の前で、ヴィスダード様が笑いながら補足する。
「あぁ。知らないんだな。名前なんかは変えてあるのだが、どう見てもオルタンシア嬢をモデルにした本が出回っているんだよ」
えっ。
……えっ?
肖像権の侵害を誰に申し立てれば良いのかと思っていたけれど、そもそもこの世界ではまだそこまで人権に配慮されてはいない。
悪意をもって書き立てられたのか、面白おかしく茶化されたのか。
道化であるのは間違いなかった。それでも、あれは確かに私の覚悟だったのだ。
奥様はウズウズした様子で非礼を詫びると、突然応接室から駆け出そうとし…しかし心得ていたらしい侍女から扉の前で包みを受け取ると、室内に取って返した。
(主にヴィスダード様の)お茶を端っこに寄せて、テーブルに広げられたそれ。
…肝心のその…書物、ですが…。
「これですわ!」(ドーン)
本というにはあまりに薄い。
そして装丁は簡素。
けれど…たくさんある。
「母上。これが、全てオルタンシアが主人公の本なのですか?」
「ええ! もちろん!」
「…ぉぅ…」
令嬢ロール中なのに抑えられず何かが漏れ出てしまうの、致し方ないと思うの。
これは所謂、同人誌ですね。
とある貴婦人が主催するお茶会の中で細々と売買されているものだという。
…表紙を開く勇気、私にはない。
「初めに貴女の噂を聞いた時にはね、怖かったのです。私達のように後妻に入る女性にとっては…婚家にて斯様な反発が待っていても何ら不思議はありませんから」
女の子が、剣を取ってまで父親の結婚に反対する。それは、それ自体がとてもセンセーショナルな話だった。
結婚とは政略であることが、当然だから。
家同士の利益とは、しばしば花婿と花嫁を始めとした個々人の感情を視野の外に置く。
強引に縁談を押し進めて相手先から悪意を得るのは、縁談を進めた実家ではない。親兄弟の命令に諾々と従い、実家の利益のために嫁に行こうとする後妻候補、すなわち自分達。知らなかったわけじゃない。
でも、それを大衆の前で突き付けられた…恐ろしい話だった。
その従士は、実家に逆らえない女性そのものと対比的だった。
一段低く見られがちな女性が、上から目線で力任せの男性を身軽に躱し、鮮やかに勝利する。それが現実に起こった。
恐怖を感じながらも、憧れを抱く。
なぜ「彼女」はそんなにも後妻を拒否したのかしら?
ーーー妻の喪に服すその時間を、父親に与えたかっただけ。
己の母に相応しくなくば、見境なく決闘を申し込むというわ。
ーーーいいえ、それは後妻候補を相手取るものではなく、利を得ようとして婚姻の仲介を迫る者にだけ。
そうして憶測と実話が入り交じる中、快進撃の報だけは一度の曇りもなく。
天は、その従士に勝利を与え続けた。古式ゆかしきその方法で、斬新で破天荒な「彼女」が正しいと、世に知らしめ続けたのだ。
「そうこうするうちに宰相様は結婚を決められ、紫陽花の従士様は世間から消えてしまいました…」
間違ってない。
何も間違ってないけど、なんか薔薇の騎士の劣化版みたいな二つ名付いてる…。
いや、実際、薔薇の騎士のパチモンなところまで間違ってないんだけれども。
奥様は頬に手を当て、溜息をついた。
彼女は長く王都にはいなかった。実家ともヴィスダード様とも折り合いが付かず、疲れてしまったからだ。
継子を王都に置いたまま、領地で引き籠っている間に起きていた、その出来事。
知人達からの近況や世情の手紙と共に、薄い本は送られてきていた。
父親の命令で結婚し、旦那と上手く行かず、息子を愛せない。疲れきった奥様にとって、紫陽花の従士は酷く眩しく映った。
奥様は…従士の物語にハマった。
「…この子が追ったのが紫陽花の従士様であったと、王都へ戻って来て、夫ときちんと話ができて、初めて知りましたわ。もう、先日アンディラートが帰宅してからは根掘り葉掘りお話を聞いてしまって」
引き籠っててもったいないことしたとでも言いそうな勢いだ。
アンディラート、ちょっと嬉しそうだ。今更であっても、義母と仲良くできるようになったのは嬉しいのだろう。
今更何言ってんだ!等と反抗したりしない、良い子だからな。
反抗期は何処。あ、家出がそうなのかな。
サインをねだられるという初めての経験。オルタンシア・エーゼレットって書くけど良いの? 本の中では違う名前なのでは?
何にせよ、これはもう、奥様に反対される未来はないな。
まさかこんなところで婚活に役立つなんて…やってて良かった決闘従士!
「今度いらっしゃる時には、是非男装を見せて下さいね!」
マジっすか。
妻の台詞にヴィスダード様が大爆笑。男装をやめた時にメッチャ喜んでいたアンディラートも、困り顔になっている。
今日はこんなに完璧に令嬢をキメてきたのに…解釈違いだったんだね。
だが、奥様の好感度は欲しい。だから。
「ええ。お望みとあらば、そのように」
貴公子はいつだって可憐な女性の味方であるから、少し声のトーンを下げて、ニッと笑って見せる。
途端に奥様が黄色い声を上げた。
ルーヴィス邸は不思議なところ。
訪ねればいつもアンディラートに対してそうだったように、今日も使用人達は「奥様、良かったですね」と言わんばかりのあたたかい目をしていた。




