エーゼレット家は安泰です。
画材を売ってくれた商人さんは、ブランクはあれども顔馴染み。こっそりと売れる絵がないか打診してきた。
どうやら画商へのお問い合わせや、「手付払って待つから、入ったら優先して売ってほしい」というお客さんが複数いるらしい。
今は全て「作者が出張中のため入荷未定」と言って断っている状況なのだとか。
残念、完成品は品切れ中です…。
というか、入荷したのが好きじゃない絵だったらどうするのだい?
優先して渡されても「おわ、これ要らないや…」ってなったら悲しいじゃないの。
高い買い物だよ、ちゃんと実物を見てから買うかどうかを決めたまえよ。
あと、複数って「何人か」いるのか「何人も」いるのか、そこ大事だからね。1桁だとしても多めか少なめか判断つかないから。
モチベーションに関わるところだから、何人いるのか詳細に教えてほしい。何ならオマケとか付けてあげたいくらいよ!
手をつけ始めた描きかけの王都外観(とても下書き)の絵も見たがられたが、下書きはちょっとね…。
助言求めて絵描きさんに見せるならまだしも、商人さんに下書きって。お値段付かないものを見せるほど親しくないかな。
…そもそも売らないしさ、この絵。
そんな話をしたら、2作目でいいので王都の絵が売りたいと言う。
欲しがる人にアテがあるみたいだ。
まぁ、私の分の後でいいんなら…と予約を受け付けた。
昔馴染みの商人から「帰ってきたなら、絵を売りたいから描いてよ!」って発注を受けるのは、銀の杖商会に持込みで売りつけていたときよりも、テンションが上がる。
なんかこう…こちらが必死に売り込むのではなく、相手から求められているのが、プロ絵師~って感じでイイ。
私はこの旅を経て新米絵師を卒業し、プロの冒険絵師へとクラスチェンジを果たしたのかもしれない。
名が売れてきた…あ、いや、トリティニアで名前は出してないな…えぇとそう、もう一定の顧客が付いてるってことだものね!
よぅし、いっぱい描くぞ!
そして商人さんは高位貴族相手に、更には決闘従士だったことも知ってるくせに手打ちも恐れぬおねだり発注、勇気あるぅ!
この人、下手にヘコヘコしないとこ好きよ。仕事に自信持ってる感じがして。
令嬢あるいは貴公子っぽい態度での遣り取りしかしていないはずだが、絵師としての私に絵をおねだりしても機嫌を損ねないことはわかっているらしい。
さすが宰相家に出入りする商人、人となりを見極める目をお持ちかな?
…なんてね、散々この商人さんに絵を流しといて、見極める目も何もなかったね。過去に何描くとかこれ描いてとか、既にキャーキャー盛り上がってたわ。
むしろ理不尽かますことの多い貴族の子供と共に盛り上がってた商人さん、やはり凄いのでは。
その同調力が商売上手の秘訣かな。
トリティニアに戻ってきた途端に「令嬢だから絵描き業では食べてはいけない」という、貴族教育に染まった考えになっていた私。
けれど…冒険者フランを前面に出して生きるなら、絵師として活動しても、あんまり他人の目は変わらないのではないだろうか。ダメ令嬢的な意味で。
んでも、知り合いに広めちゃう忖度発注とか、別に私の絵をいいとは思ってないけど宰相のご機嫌取りに買ってみたよとか、そんなことが起きたら嫌だな。
やはり私の絵は、私と知られないまま売られるのが良いかな。
フランの名前なら出してもいいか。
他国では出してしまったのだし、この国でも絵を売り続けていれば、どこかで伝わる可能性はある。
あれ、じゃあ今後もこの商人さんに頼めばいいだけじゃん? 既に身バレには気を遣ってくれている相手だもの、今後はペンネームがフランってことで伝えればいい。
冒険者として生きるダメ令嬢の傍ら、隠しジョブ:絵師として活動を…ああぁあ、嫁業務失念してた!
私、そもそも冒険者になれるかどうかも瀬戸際だったんでした…。
下手すりゃ貴族戦線真っ只中に放り込まれるのだ。社交でウフフ☆オホホしながら、背中で泣いてる漢女の美学だったのだわ。
そしてアンディラートの家にお邪魔してご両親と話し合わないと身の振り方は何も決まらないという。
服の重要性よ…。こんなにも、ドレス1枚に予定を左右される私だよ。
つい勝手に色んなことを決めようとしてしまうのは、相談なんて概念のなかった前世の弊害だね。
だけど今後は、アンディラートと連携を密にしないといけないのでした。
オルタンシア、天使に陥落した時、ちゃんと学んだ。そして、天使はオルタンシアを落としたとき、わりと広範囲の我儘を聞く姿勢を見せていたはず。
先走ってはいけませんね。
…でも案として考えるだけならいい?
んー…嫁に行くからダメなのかな。
婿に取ればいいんじゃないだろうか。
アンディラートは家を継がないと言うし、うちのお父様だって入婿だ。
そう、オルタンシア・ルーヴィスよりも、アンディラート・エーゼレット。
…いいんじゃない…?
天啓を受けた気分で頷く私。
相手の家に染まらない方法、ちょっと相談したいな。我儘すぎてダメって言われたらシューン↓て諦めればいいよね。
うん、まずは我儘を言ってみよう。
…即行で却下されました。シューン↓↓
夕食の際にお父様に申し出てみたのだが、さらりと「それは出来ない」と言われてしまって思わずお父様の顔を二度見した。
え、ええー?? そんなに大層なお願い事だったのかな?
むしろお父様についてはサラッと許可を得られるものだと信じていたぜ。物申したいとしたら、ルーヴィス家の面々だと思ってた。
「すまないね。アンディラートを入婿にすると、対外的にはエーゼレット家を継がせるのだと思われてしまう。そうすると、まぁ…妻の実家に影響してしまうんだ」
つま。
あ、新お母様ね? なんか不思議な感じだが…妻だよね。お父様から見れば。
お母様の話をするときって、私に対しても「お母様は…」って話し方をしていたと思うのだけれど…なんか妻には距離を感じるな。
新しいママンはお前の母ではなく、自分の妻なのだよ的な何かが込められているのだろうか。…いや、込められていない。(反語)
そんな独占欲を持てる女性なら、お父様の人生には張り合いも出ていいのだろうけれども…ちょっとなぁ。勘弁してほしいなぁ。
お母様だけを愛し続けてほしい、そんな我儘な娘がここにいますよ…。
だがそれはそれで新お母様が可哀想で困る。
お父様、うまいことやって下さい。
大丈夫、お父様なら出来る。私はそう知っているのです。(盲信)
「新しいお母様のご実家にですか? どんな影響があるのです?」
ホント、私が婿を取ったからって何の影響があるというのか。
向こうの実家なんて、もう、全然私とは関係ない人達じゃん…なんて思っていたら、お父様が困ったように微笑む。
「妻が生む男児がエーゼレット家を継ぐ。そういう契約なんだ。実際にはアンディラートにうちを継がせるつもりではなくとも、生まれたばかりの長男が成人する日まで、彼らは長く疑念を持つことになってしまう」
ははぁ。単に「娘の駄々で婿にしただけだよ」とはならないのか。
お父様に迷惑をかけるのは本意ではないから、仕方ない。
というか、今、気になる言葉が。
「…生まれたばかりの…長男…?」
「うん。男の双子でね。先日無事に出産したと知らせが来た。次男は多めに領地を分けて分家にするつもりだよ。後継は仕方なくとも、待遇にはあまり差を付けたくないしね」
「生まれたて! 双子が!!」
お父様ーーーー!?
思わず立ち上がってしまったのは、私のせいじゃないと思うな!
なんっ、え、いつの間にか私にも弟が出来てるよ、それも2匹もおるぅ!?
ちょっと! お祝いどうしよ!
つかマジで新お母様はどこなのよ!?
「どうして仰って下さらないんですか。お父様が全然話題に出さないので、聞いちゃいけないのかと思ってたんですよ。新お母様は出産のために入院でもしてたんですか?」
「新…。いや、実家に里帰りしているんだよ。私は少し前まで忙しくて不在にしがちだったからね。実家の方が心休まるだろうと」
「…お父様が提案したのですか?」
「向こうの親が提案してきたんだ。産前産後はどうしても隙ができる。こちらとしてもその方が安心だ。少し早産だったそうだから回りに信頼できる人間がいて、妻も安心したことだろう」
どうりで帰宅後のお父様がいつもゆったりと過ごしているはずだ。
これ、お一人様満喫してたところに私が帰ってきちゃったのだな。
「お前が生まれた頃はまだ敵が多くて、お母様を1人には出来なかったからね。今回は随分楽をさせてもらっているよ」
お?
それは私にも何だか身に覚えのある話じゃないですかね。
メイドに襲撃されたりなんだり、予知夢様大活躍の幼児期ですよね。
あれは皆がお母様と子供に気を取られているうちに、そっとメイドに馴染み込まれた例なんですね。
でも、隙と言うなら、なんで夜中のベビーベッドやら昼間の子守中で殺そうとしなかったのかは、わからないけど…。
そのほうが簡単そうなのにな。
まぁ、私は全力で抵抗するから、現実には言うほど速やかには殺れないと思うけれど。
なんせ身体強化を用いてくるからね、この赤子は。新人類だよね。
「1人に出来ないって、どうしてたんです? トリティニア出身ではないお母様を、敢えて預けられる場所なんて…」
「私が家で護衛しつつ仕事をしていたよ? 使用人も気を付けて選んだつもりだったのに、ダメなのが結構混ざっていたりしたし…。まぁ、書類仕事なら運ばせればいいだけだから。代わりにその後しばらく帰れなくなったが、グリシーヌが動けるようにさえなれば、彼女自身少しは戦える」
職場に我儘を通しちゃってたよ。
男の産休育休なんてないこの国で、よくクビになりませんでしたね、お父様。
元々多かった敵、それで更に増えたんじゃないですか…? 娘を狙いに来る有象無象、うっかりと増やしませんでしたか…?
そして全く想像のつかない、戦うお母様。
うーん、でも思い返せば忘れられた姫君はリィと共に冒険者になったはずだし、お父様についてトリティニアまで、一緒に旅してきたんだもの。
武器は剣かしら。見習い隊で剣習おうとしたらいい顔されなかったし、違うのかもな。
貴婦人の武器と言えば扇かショールなイメージがあるな。
鉄扇だったり刃が仕込まれていたりするんでしょ? 舞うように戦うんでしょ?
…アリですね。
「グリシーヌのために出来ることはしたつもりでいたけれど、今にして思えば、私も若かったんだねぇ」
はははと笑う爽やかな姿。後ろめたさなど一切ない清々しさ。
いえ、私は否定など致しませんぞ。お母様のために全てをなげうつ姿勢、素晴らしい。
誰もが簡単には出来ないことを、お父様はやって見せたのです。
刮目せよ、世の愛妻家ども。
「ご出産後に改めてお会いしには、行っていないのですか?」
「忙しかったからね。妻の家は普段は領地にいて、必要な時だけ王都に来るタイプの貴族なんだ。数日の休みでは会いに行けない」
なんと、そもそも王都にはいないのか。それはお一人様も満喫するか。
弟か…お父様似かなぁ。気になるなぁ。赤子なら怖くないし、可愛いといいね。
あんまり見たことがないから、ちょっと描いてみたい気もする。
かといって身軽な私だけがヒョイヒョイ訪ねていったところで歓迎はされない。
「…見に行きたいのかい? お前は妻に興味はないかと思っていたよ」
ちょっとソワついたのがバレた。
慌てて私は首を横に振る。
仲良くない人のおうちなど、ひたすら気まずいだけである。
ましてや私は継子、向こうも歓迎するべき要素がゼロだよ。
「うーん。もしもアンディラートと相談してみて2人で行けるようなら、届け物をしてくれないかな。冒険者ギルドに頼むか、商人ギルドに頼むか迷っていたのだけれど」
「エッ!?」
「冒険者としてグレンシアのダンジョンまで行って活動してきたのなら、そうそうこの辺りの魔獣には負けないね?」
お父様が突然の対人教育スパルタを?
声を裏返して動揺すると、珍しく、悪そうな顔で微笑まれた。
「あちらが実際に私の娘に会った時にどんな対応をするか、気になってもいたんだ。妻も顔合わせの日にうまく話せなかったことを気にしていたしね。丁度いい」
か、帰ってくるまで待ってたら?
私の困り笑いは通じない。
お父様の中では決定事項なのか。なんでぇ?
…うむぅ。
しかし、覆らないのなら引き受けるしかないのである。
「…可愛い娘を誤解されたままなのは、私も気に入らないんだよ。エーゼレット家の娘として、行って来られるね?」
誤解って何ー。
そして確実に高位貴族令嬢の外面バリバリモードをご指名じゃないですかー。
私、向こうにどんな奴だと思われてるの。
ゴリラ令嬢? 男装の麗人? それとも決闘大好き人斬りオルタンシアみたいな?
もしもヒャッハーだと思われているのなら、お父様がご納得されないのも理解できる。
でも…ゴリラも男装も、事実だよ。
突然の予定詰めに、私もハッと思い出してマジカルシスターを訪ねたい旨を報連相。
どうやら経由して行ける道程のようで、これ幸いとお父様はますます笑顔になった。
悪い。なんて悪い笑顔だ。お父様が、娘に腹黒さを隠さなくなってきた。
でも、それはそれで嬉しいや!
「あのぅ、お父様…もしかして何か、私が王都にいると都合の悪いことでも…?」
使用人にも「好きにさせたげて」と言ってたのに、急に私をどこかにやろうとするのは、何か面倒事があるからなのかもしれない。
例えば…偉い人に呼ばれそう、とか?
…ねーわ。
年下とはいえ王女様ももう取り巻きは選び終わってるでしょ。
王子は…子供の頃ならまだしも、年頃になれば男女では交流のしようもない。
王様が今更決闘従士を召し抱えたいと言うこともないだろう。
エーゼレットより偉いおうちは案外少ないのだよ。余程世間的に見てこちらに非がない限りは、そうそうお父様を突っつけはしない。
例えば後妻とかね。
世間的には娶らないとダメな感じだったから、つけ込んでクズが涌いちゃったアレ。
「そうだねぇ…何だかお前が帰ってきたことが広まってしまったようで、パーティーに出さないのかと言う声が多くて。どうせもうアンディラートにやることは決まっているのだから、他の男になんか会わせても無意味じゃないか。社交は嫌いだろう?」
「ま、まぁ…、それで、断りきれなさそうになってきたんですか?」
「そこまででもないけれどね。興味を拗らせて、私がいない間に家に押し掛けるようなことがあっても困る。本当はもうお前をつれて領地に引き籠ってもいいくらいなんだが…私ももう少し頑張らないといけないから」
宰相職はそのうち後任に譲るから、もう少し仕事は楽になるとお父様は言う。
あれか。妻子が増えたから、時間の取れる部署に移してもらうのかな。
…あれ、でもお母様の時には宰相まで駆け上がったんじゃなかったっけ。
イマイチお父様のお気持ちはわからないが、新お母様と弟達が寂しい思いなんて、しない方が私もいいと思う。
お母様だってきっとそう言うよ。
「アンディラートには私から先に連絡しておこう。お前もそろそろ訪問するのだろう?」
はい。
ドレスはそろそろ…明日にも届くはず。
2、3日余裕をみて予定を組んだので、服が届いたらまずアンディラートに「訪問は予定通りで」とお願いするお手紙を出す。
向こうから「じゃあ何日何時でよろしく」と返事がきたらようやく日取り確定になる。
1ターンは使用人を通して文通をしなきゃならない。ちゃんと「返事書くまで待って、受け取ってきてね」って伝えなければ。
さもなくば置いてくるだけとなり、向こうの使用人が改めてうちに届けに来ることになる。無駄足、可哀想。
というか人伝にしなきゃいけないことがもう面倒だよ。電話をくれよ。(物理的に)
グラハム・ベルさんもエジソンさんもいないので、電話か電報っぽい最速の通信手段は独占技術。どうやらギルドや国の偉い人達の間で秘匿された、お高い魔道具のみとなっております。
…前世の諸々は本当に便利だったよね。
まぁ、このイベントが終わったら、別に電話なんて不要な生活に、また戻るわけで。
カレンダーで大体この辺って大まかに見ておけば、そんなには困らないよね。
最短で…多分、ヴィスダード様の休みに合わせて、今週末になるのではないかな。




