ニック誰やねん
しかし、味よりも問題は量だ。
メニューが決まれば材料が決まり、値段が算出できる。
慣れない素材を使うのだから練習は当然のこと。つまり味は後で改良できる、が、庶民向けなのに高くてちょびっとしか出さないなんてのは致命的。普段からよく食べるタイプのお客さんには、全然足りないってこと。
小腹しか満ちないアンディラートが、切ない顔をしてしまうじゃないの。
…え。ダメだよ、そんなの。
空腹で悲しい顔なんかさせられないよ。
ランチ価格でというならば、もっとお得感を前面に出したランチメニューを打ち出さなければダメだろう。
ただでさえ、王都民には馴染みのない食材を使うのだから。
せめてボリューミーであれ。
「私なら、同じ値段の別の店に行くわ。味はトリティニア向けでもなく、少ないのにダイエットメニューって訳でもない。これはパンが食べ放題とかじゃないと売りがない」
「俺1人なら、もうちょい不味くても値段の安いとこ行くな。これじゃなくていい」
案外堅実なお財布を持つリスター。
そうなのよね…なんか不味くてもわりと文句言わないんだわ、リスターって。食べられるのならばそれでいいみたいな。
本人にその気がなくとも、食いしん坊の私には苦行に挑んでいるようにしか見えないのが困りもの。
そんなリスターが、なぜかここでは辛辣。
つまり、多分ここで酷評しているのは感想を求められているからだよね。
福利厚生というより仕事の内だったのかも。
ガックリとオッサンが項垂れた。
…こちらも可哀想である。
せっかく地球産の新素材にチャレンジしてくれているのに。打ち捨てられたおジャガ以外を救出してくれようとしてるのに。
でもね、出来ればアンディラートをお腹いっぱいにしてあげてほしい。
想像してみて。
初めて見るお店にフラッと入ってみたら肉と葉っぱのみ食べさせられて、物足りないまま出てくる彼を。
それでも文句は言わないだろう。
知らなかった、下調べしなかった自分が悪いのだと言うかもしれない。クレームなんて単語を知らなさそうだものな。
もしご飯が足りないままに午後の予定に入ってしまったら、カロリー不足も甚だしいよ。燃費悪い子なんだから。
ここはひとつ、元日本人が米を炊くという概念を教えてあげよう。
私はゆっくりと立ち上がり、オッサンの横を通りすぎて調理場へ向かう。
慌ててオッサンが追って来た。
当然です、不法侵入です。
ざっと見回して材料を確認。
お米を炊くでしょ。でも米自体がこっちの人には不慣れでしょ。あんまり見えない方が、本当の最初も最初なら抵抗がないのでは。
安くて早くて美味いのならば、つまりは…丼!
丼になるならお肉と玉葱だけでも十分。
でも牛は高いか煮込むかで面倒だから、別の使おうねぇ。
いいじゃん、シェフの気まぐれで日々、具のお肉が変わるの。
「『肉丼』作るよ。さっきお肉に使ったソースは何? 使いたいな」
「…ニック・ドーンて誰だ?」
なんで? つか本当に誰?(本日3回目)
えぇ…そうか、日本語だったか…。
多分こっちに単語として無いと、脳内で変換されずに、思ってるままに口からポロンと出ちゃうんだな。
肉はあるけど丼はないものな、該当語が。米自体無いんだから当然だ。
…きっと私はこの料理をドーンさんから学んだんだ、そういうことに…あ、ダメだな、貴族名鑑で探されたらいないのバレるし、万一同名がいてもマズイ。
そうだ、本で読んだと言おう、開発者の名前だと言い張ろう。それなら読者からは本名かペンネームかもわからないからな。
「これは…かつてとある国のニック・ドーン伯爵が考えた料理だという。タイトルは忘れちゃったけど、本に書いてあったよ」
「そうか…俺もその本を探してみる。タイトルを思い出したら教えてくれ」
無理だよ、脳内出版だから。
トリティニアじゃない、きっとどっかのニック伯爵。そういう、主張だ。
さぁ、そんなことより醤油めいた何かを早く差し出すのだよ。さぁ、さぁ!
ぱったんぱったんと手で急かすと、オッサンは何だか仕方なさそうに、調理場の奥からビンを持ってきた。
…ちょっ…と、予想と違ったぞ…。
何だこのドス緑色の液体は。黒というには緑のような。緑というには黒っぽい。
ちゃんと、さっきのソースの素をお願いしたよね、私。誤解されて別の何かを持ってこられるような言い回しはしていないよね。
わー、濃緑が過ぎるぜ。しかしミーソが蛍光であることを思えば、まだ食べ物の範囲…。
「さっき…肉、緑じゃなかったよ…ね?」
「色々足してんだよ、あのソースは。元はこれだ。原料は豆で、…手を加えてるけどその方法は企業秘密だ。下手に真似されて腐っても責任取れないしな」
はい、発酵だね。
やっぱ醤油じゃないかよ。作り方は知らないが、大豆の発酵食品だということは知っている。仲間の納豆と味噌とは、過程か材料のどこでどう分岐するのかは知らない。
流石のオルタンシアさんも作ったことはないね、その辺は。
小皿に入れて貰い、勇気を出してちょっとだけ舐めてみる。
うん。醤油。
多分豆が大豆じゃないからちょっと味が違うんだろう。いいよいいよ、些細なことだよ。
あとね、肉にかかってた時よりこっちのが、醤油らしくて美味しいって…えぇ…じゃあアレって何を入れてたのよ…。
あぁ、レモン。入ってたね、うん。
黒砂糖と…え、別の肉を味付けするのに、ついでに肉塊沈めて…? 同じ肉だからいいだろう? そしてマッシュポテトと合うようにジャガ芽の茹で汁でちょっと薄めて…?
ん、んー、色々怪しくなってきたぞ。
料理人の常識とか知らないから突っ込みどころなのかどうか…だって秘伝のタレだって継ぎ足しで作るものだけど、溶け込んでる初代作成分に一般人感覚で思いを馳せると、口に入れるにはアンティークすぎない?
えっ、そして黒岩塩と、海塩を!? ここでまさかのダブルソルト! 薄めた分のしょっぱさを取り戻してるよ。
頬が引き攣る私を見て何を思ったか、オッサンは切々と弁明してくる。
そ、そうなのね、塩のブレンドでオッサンなりに王都人の味に近付けようとしたの…。多分王都人はそこまで繊細な舌を持ってないと思うけど…うん、料理って難しいねぇ…。
そう考えれば私の肉丼がオッサンに受け入れられるかどうかもちょっとわからないよね。
醤油を使うから、リスターにも受け入れられるかどうかわからないし。
米を洗って、…えーと、鍋で炊いたことなんかないぞ。だが、キャンプでも炊けるくらいだ、もしも底が焦げようとも無事な部分は残るだろうから、水加減はちょい少なめで。
ベチャってしまうよりは多少固くてもいい。3人で味見して食べ切れる一食の量ってこのくらいかしら?
まぁ、うっかり多量に余ったらおにぎりでもするし平気よ、初めての炊飯だしね。
肉を薄切りに、玉葱もザクザク切って。
…さっきのダメランチって、わざわざ牛のいい部位をステーキにするからランチの料金内に収まらないんじゃないのかな。
微妙に焼きが生っぽくて好きじゃなかったけど、高い部位ならば生でも食べられるのに固くするのは、料理人的には嫌かもね。私は肉は何でもウェルダンでお願いしたいけど。
フィレだのサーロインだの「ステーキといえば!」って部位があるのは確かだ。
そして、ステーキとは素材たる肉をドーンと単体で焼くものであるから、何か別の物でセコくかさ増しは出来ない。
サラダも、お腹に溜まらないのにこんなに量と種類要らないよね。馬じゃないんだから。
ハム入れるから高上がりになるんじゃないの。加工品だし。知らんけど。
あと、謎野菜は原形を知らなくて探せないから、要らないし、今はスルーしますね。
レタスとカボスとジャガ芽で付け合わせ程度に。それにジャガ芽は切ろうよ、こんな太さのままじゃなくて。サッと茹でて水にさらせば十分シャキシャキだよ。ほら、一度の使用量も減ったよ。コストカット完了。
オッサンが呆然としている。
色々食べた後なので、私とリスターには味見用の小盛りセット、オッサンには普通丼で用意した。
「肉丼とサラダで、料金内に収まりそう?」
「…もう一品、何か付けられるかもなぁ」
「付けられるならスープ類かデザートが欲しいよね。ランチセットなんだもの」
良かったね? 本当、何にお金かけてたの?
残りのメニューは自分で考えていただくとして、試食会スタートである。
リスターが無言で肉丼をカッ込んでいる。
うん、肉の大きさに気を付けたから、スプーンで行けそうね。
あー、懐かしの丼もの…。
こっちのパンも美味しいけど、恋しがるほど白米に未練もなかったけど、それでも食べると「これだ」って感じがある。
「おかわり」
「何だと…さっきご飯食べたのに?」
「うめぇ。そこにまだ残ってただろ」
ちぃっ、意図的に少し残して持ち帰り、アンディラートに味見させる作戦失敗!
でも冷めちゃうし、アンディラートだって味見ではとても足りない気がするので、これはこれで良かったんや。
というわけでやはり別途、米を売ってほしいです。
残りのご飯と具を、リスターが一生懸命差し出している丼(と勝手に呼称する深めの皿)に入れた。
珍しくノリノリなので、マズメシに文句こそ言わないが謎のオッサンメシにはフラストレーションが溜まっていたんだろう。
オッサンもおかわりしたかったのか、出遅れてちょっと羨ましそうにこちらを見ていた。
オッサンには1人前入れてあげてたよ、謎ランチより多かったよね。自分も足りないような量を他人に売っちゃダメだよ。
てか君、これから自分で作って味見祭りなんだろうから、お腹あけといたほうがいいよ。
食材を無駄にできないから、商会の人のご飯で試してるんだろうし。そしてヘドロ出すから3食でなく昼1食しか任せてもらえないんだろうし。使いきれてなくてピーマンを萎びさせてるし。
うーん、ピーマン欲しい。
「米とピーマン…食材を報酬にいただけるのなら、メニュー開発に付き合っても良い」
醤油も欲しいので、要求範囲を広げておこう。交渉のしどころと見て、私は自分の欲をぶつけてみた。
あるなら欲しいのがピーマンだよ。そして安定供給を切に望む。是非とも再開拓村で作ってほしい。でも大量に作られても買い上げきれないな、腐らすのは嫌だな。
オッサンにピーマンメニューを教えればこの店用に必ず作るはず。
オッサンが、肉詰めすれば…いや、もっと簡単でないとランチは回らないか?
青椒肉絲なんて贅沢は言わないから、普通に炒め物に入れてもいいよね。残念だけど中華は無理…あれ?
前に銀の杖商会で、オイスターソースの薄いのに出会った気がするぞ。
もしかして中華もイケるのでは?
真剣にこの店のお手伝いをして、食材を手に入れるべきだわ、これ。




