これがアイテムボックスだよ~
新お母様はご不在だった。
えっ、お父様が家にいるのに?
私の顔に不安でも出ていたのか、気兼ねする必要はないと言われながら、アンディラートと共に奥へと通される。
わ、私が来たから慌ててどこかに逃げ…避難したのかな。さすがに気兼ねするよ。なんせ私は怯えられていたはずだからね、新しいお母様には!
ぶっちゃけ私にも邪魔だったけどもさ。今日これからお父様に色々話をするためにはね。
新お母様に私の秘密を明かしたい気持ちは1ミリもないので。
お父様はお仕事に行っている予定だったので、今日話すの自体は予定外だが、早いに越したことはない。
アンディラートは私とお父様を水入らずにしようとクールに去りかけたのだが、私が慌てて引き留めた。
もしかしたら疲れてて早く帰って寝たいかもしれないし、きっと私がお父様に受け入れてもらえることも疑ってないのだろうけど、何かこう…最後まで共に見届けていただけるのなら幸いです。
まごまごしてる間に使用人が私の見せ荷用の鞄を「運んでおきますね~」と素早く持って行ってしまった。久々のおうちでまだ感覚が取り戻せておらず、うっかり止めることができなかった私です。
私と使用人達ってもっとビジネスライクな関係じゃなかった? でも雇用関係としては使用人が荷物持ってくれる方が正しいのかな?
大体どこに持ってったのだい。私の使ってた子供部屋で合ってる?
…でも年単位でいなかったのに、まだ片付けられてないなんてことは…。もしかして、私の部屋は出ていった時のままなのかな。
久々に帰ってきた子供の部屋は物置になっている!みたいな前世感覚があって、勝手に客間に泊まる気になっていたけれど、考えてみれば貴族が敢えて個人の部屋を物置として潰す必要もないのか。
通販番組に乗っちゃう中年層も世界的に存在しないんだから、妙な健康器具が増えることもない。
エーゼレットさんちは由緒正しき貴族屋敷だから三世代同居も可能で無駄に広く、部屋も客室も余ってる。
倉庫も別に幾つかあるものな。1回くらい興味本位で覗いたことがあるが、使ってない家具類も沢山しまわれていた。古いし、如何にも両親の好みっぽくはないので誰のものかは知らんが、結構重厚なアンティークっぽいものとかあったわね。
それに、お父様は在りし日の思い出を残したがるというか…ちょっとロマンティストなところがお有りだ。
お母様のお部屋だって、亡くなってからもずっと綺麗に維持され続けていた。常に花だって飾られていて…まるで、部屋の主はちょっと出掛けているだけみたいに。
だから嫁に行ったわけでも死んだわけでもない家出娘の部屋だって、すぐ使えるよう維持されていたとしても、何も不思議はない。
お母様のお部屋って、今はどうなっているのだろうな。新しいお母様に明け渡されたのだろうか。内装も、変えてしまっただろうか。
受け入れると決めたのだから、あの部屋を新お母様が好きに模様替えして使っていても、不満に思うなんてこたぁしない。
大丈夫。ちゃんとお母様って呼ぶ。正直大して会ったことないから、顔も朧気だけど。
それよりも、そう、見せ荷よ。
大したものが入っていないとしても、よく知らない他人に自分の荷物を触らせたくないのだよ、拗らせてるから。
ビジネスライクにどこまでしてくれるんだ。何が正解なんだ。
旅行に出掛けたお嬢様の荷物なら、使用人が服類も片付けてくれそう。私には放置した洗濯物なんてないけど、普通なら旅の途中で出た洗濯物は…わぁ、イヤだわ、知らぬ間に荷物開けられるなんて。
子供の頃なら怪しまれないようにと諦めたが、魂レベルですっかり庶民色に染まりきっている私だから、出来るようになったなら自分の物は自分で運びたいし片付けたい。
…令嬢にだってプライバシーはあるはず。このくらいなら、もしや断っても良かったのかなぁ。
次からは断ってもいいかしら…うーん…。
ジャッジ!
そっと常識のお手本たるアンディラートに目を遣ってみたが、貴族令息は普通に荷物を預けていた。これが現実…冒険者として鍛えられた身体を持つ成人男子の、選択…。
家令は荷運び職じゃない気がするのに、アンディラートの荷物を持って後ろを歩いてる。
あー…これが世の常識なんですね。じゃあ、荷物を運ばれてしまうのは、お嬢様としては仕方がないね。
彼の荷物も大体はアイテムボックスに入れてあるから、あれも見せ荷だ。
中身は…ほぼ、おやつだったはず。
恭しくおやつを運ぶ家令か…そう考えてしまうと少し、フフッてなる。
なんて内心では笑っているが私の顔面は腫れぼったい。先程まで涙腺が決壊してグッショグショだったからだ。今はお父様のハンケチーフにて拭われ済。
当然ハナも出た。必死に垂れないよう隠してアイテムボックスに入れたよね。
美しい涙なんてお芝居の中だけ。リアルは乙女の危機だよ。
優雅な白鳥も水面下では超必死に水掻きしてる。私もそう。…そうかな?
うーん。それにしても、最近泣きすぎじゃないかね、私。もっと気を引き締めないといけないかな。
前世から見て子供とはいえ、こちらの世界での成人年齢には達しているのだ。
甘えはいけないよね…うっ、今、チロッてアンディラートが見てきた。そういやアンディラートは甘えてほしいんだったか。
もしかして何か感知した? すごいタイミングだったよね。
…えーと…ほ、ほらっ、今日だってお父様への説明会にまで無理についてきてもらったでしょ! ちゃんと甘えてますぜ!
表面上はツラッとしてるはずの私を無言で数秒見つめ、相手の目は逸れた。怖い。
偶然? 何か察してのシックスセンス?
そしてその流れなら、お父様にも甘えていいのでは…うぅ、甘えの定義とは一体…混乱してきたぞ。
これは後回しにしよう。今はお父様への説明諸々を控えている。パンクしてられない。
お父様のシャツは私のせいで胸元がお湿りなのだが、敢えて着替えには行かずに我々とのお話しを優先してくれるらしい。
正面から目に入る己の不始末。
イヤーン、半分が優しさで出来ているのかもしれないけど、確実な精神攻撃だよ。私に直に効いてます。
今すぐ乾かしてさしあげたいのだが、まだ使用人の目がある。
「あぁ、リスターにも、数日の内に会えるだろうと伝えてあるよ。彼にも、落ち着いたら会いに行くのだろう?」
ソファに腰を下ろせば、お父様はそんなことを言った。
仕事が早い。というか、私達がもうそろそろ着くということを知っていたのだろうか。
もしかして連絡してたの?
チラリとアンディラートを見上げると、落ち着いた顔で頷かれた。
犯人は天使。
そうすると犯行ではなくお告げ的なものに思えてくるから不思議。
きっと旅の合間の習慣だった報告書を、引き続き提出していたのだろうね。私を探す旅の間も、私と合流した後にも、定期的に連絡をしていたみたいだしな。
「リスターがどこに泊まってるのか、お父様は把握していらっしゃいますか?」
冒険者への連絡自体はギルドへの言伝てでも可能だ。そしてそれには、お父様本人が出向く必要すらもない。
リスターは顔面の煌びやかさとは裏腹に、華美なことを好まない。1人で泊まるとしたら下町の宿だよね、きっと。
お父様が滞在先を知らなかったら、もしかして宿をひとつひとつ回って調べるとかする感じ? ここ、王都なんですけど、宿ってどれくらい有りますかね。お問い合わせしようにも、電話なんてものはないしね?
いや、こんなところでお父様がぬかるとも思えない。きっとご存じだわ。違いない。
入口付近の台にアンディラートのおやつ…基、荷物を置いた家令は、そのまま壁際に立っている。
お茶を入れに出て行くかと思ったのに…そこで待機なのか。既にメイドがお茶の準備をしているパターンですね。仕方ない、お茶が来てから人払いしてもらおう。
もう、お父様にも全てを話すつもりでいる。まだちょっと怖い気持ちは残っているけれど、お父様も私を嫌悪したりはしないと確信している。
私は愛されし子。大丈夫。
何より、早くアイテムボックスをオープンにして、お父様のシャツとハンカチを綺麗にせねば。
女神の夫たるお父様を湿らせておくの、良くない。ましてや汚れも落とさぬままに自然乾燥など罪であるよ。
あれ、女神の夫ってことはお父様はもはや男神。成程、これが世界の真理。…え、この世界の宗教的な神はどうしたって? 知らない子ですね。多神教だし問題ないでしょ。
そも、私は天使狂信者だ。
「もちろんだよ。彼は今も銀の杖商会の用心棒として行動している。滞在先もそうだが、普段は店先にいるようだよ」
「…店先、ですか…?」
あの面倒くさがりが、店の前面に出てるの?
用心棒は「先生、お願いします!」って言われたら満を持してノッソリと出てくれば良いものではないかしら。
むしろリスターの場合は敵の眼前にすら出てこなくてもいいよね、魔法使いは遠距離攻撃だもの。
美貌の魔法使いが店先にいるなんて、ちょっとトラブルの予感しかしない。
絡みたいヤツが率先して寄ってきてしまうのでは。それをいつものように「ウゼェ!」って魔法でぶん投げているのでは。
銀の杖商会、新天地での商売や資金は大丈夫なのかな? リスターが冒険者業務をしていないのは、まさか、賠償しきれなくてタダ働きの用心棒なんてオチは…。
店内大破、商品弁償、利子雪だるま式…そんな阿鼻叫喚が脳裏をよぎっていく。
私の疑念の表情にも、お父様はふっと微笑んだだけだ。それを見て、エヘッと笑ってしまう私。手のひら返しじゃないんです、釣られ笑いです。
そうこうしていると、ようやくお茶が来た。
来たけども。お茶オンリーかよ。
ライトな挨拶的歓談だと思われてる。いや、あの、ちょっと長くなるんですよ。
しまったな、アンディラート用のお腹に溜まりそうな軽食も頼むべきだったな。
でも今からまた何か持ってこさせると、いつまでも話が始められない。
カラオケボックスで店員が入って来たら、出ていくまで歌を止めちゃう症候群みたいになってしまう。相手は注文を運んできただけ、注文をしたのは自分、ドアが開いていると音漏れするし、でも曲は無情に流れ行く。
誰も悪くないのに気まずさでシーンとしちゃう、正解が見えないやつ。
落ち着こうと、カップをそっと持ち上げる。
ふんわりと香る紅茶は、うちの味。
お母様のお気に入り。つまりお父様と私のお気に入り。
そして、何度でも思う。
…帰ってきたんだなぁ…と。
この茶葉に国外で出会ったことはなかった。
確かトリティニア南方の、どこかの貴族領地で作られているものだ。
美味しいとお母様が言ったその日から、そこの領主はお父様の中で路傍の石からお付き合い必須の貴族に格上げ。そうして長年、定期購入の間柄。
当たり前にうちで飲んでいたから、銘柄も知らなくて…よそでは探せなかったという。
そもそもこの世界、そんなにお茶に種類はない…というか種類自体はあるんだけど、下々にはこだわりのオチャニストは居ない。買う手段がない。
貴族には趣味人としてはいるかもね。でも、それも流行と違えばわざわざ社交の際に表には出さない。酔狂な趣味だと噂されたくはないから。
前世とは違う。そこまで各個人の嗜好品への情熱が成熟してない。まだまだ、偉い人と同じもののほうが興味も話題も価値もある。
つまり王様が自分の直轄地で作ってるお茶が貴族に人気だし定番の品で、それは庶民の店になど下りて来ない。
庶民にとっては近所で売っているお茶が、その土地で言うお茶の葉のこと。
種類があるのを知ってても産地というより小売店名で知られている感じ。
お茶はお茶でしかないという世界で、ひとつの店で何種類も茶葉を置くようなことはない。他の店との差別化のために別の地域のお茶を仕入れる商店はあっても、お茶専門店なんてものはない。
庶民、旅しないからね。商人でもなければ、産地なんて気にしない。
小さい街なら、ひとつの街で売ってるお茶の全部が全部同じものってこともある。
来てくれる商会が一社だとどの店も仕入れ先が同じだ。そして商人だって、こだわりがない相手には利益率のいいものを売りますよ。
栽培している領地の名前がわかれば銀の杖商会で探してもらえたかもしれないけど、遠い異国で茶葉ひとつにそこまで道楽するつもりもなかった。
二度と帰れないとは思っていなかったし、こんなにもお茶の味を懐かしむとも思ってなかった。
うん、懐かしんじゃった今となっては、買い占めてアイテムボックスにストックしたいわー…銀の杖商会・トリティニア王都支店で取り扱ってるかな。
うちの定期購入分からゴソッとしていくわけにはいかないものなー。
ふと、肩の力が抜けていることに気が付いた。知らぬ間に結構緊張していたらしい。お茶のリラックス効果を体感。
私はお父様に目を向け…家令をチラッとした。察したお父様が素早く使用人を下げる。
目にも付かない小さな身振りで言葉もなく人払いするお父様、さすがです。
「さて。何か問題でもあったかな?」
家令の退出をじっと見届ける私と、重ねて新たな入室者がないことをじっと確認するアンディラート。警戒バリバリの私達に、ほんのり笑うような声でお父様が問う。
笑い事じゃないんですよ。
家令にバレても何があるって訳じゃないけどね。あの人、お父様さえ健やかならば、娘が多少人外でも気にしないと思うので。
同担への斜め上の信頼。私だってお父様が健やかなら、周りは別にどうでもいいッス。
「いいえ、その、アンディラートから少し聞いていらっしゃるということでしたけれど…私の能力の一部、特定のものを見えない部屋に入れたり出したりできる能力を、お披露目しようと思いまして。応用で汚れだけしまうという形でお洗濯も可能なんですよ」
アイテムボックスからパウンドケーキを出して、お皿とフォークもテーブルに並べる。
ピンクがかったレモンを蜂蜜漬けにしたものを飾った、蜂蜜レモン味のケーキだ。
いつぞやアンディラートが街で甘味を探すのが大変だった事件を受け、パウンドケーキを定期的に作成している私です。
借りてたお父様のハンカチも綺麗にして横に置き、サッと視線を走らせることでお父様のシャツも綺麗にする。
やっとお父様の服からお湿りを撤去することに成功。私への愛で会話を優先してくれたのだとわかっているけれど、うん、私の仕業なので申し訳ないがとても気になる。
パウンドケーキはお土産ではなく、ただのお手製の非常食だ。甘くてフワフワのケーキ類なんてそんなもの、庶民の手の届く店にはない。その辺で手土産に買うとか無理。
まだ何本か冷凍してある。しかし大体アンディラートのお腹は非常事態なので、備蓄作成よりも消費のほうが早く、ローリングストックは間に合わない。
「これは…魔法なのか?」
「えっと、生まれつき備わっている力の一部です。もしかしたら本当には、魔法とはちょっと違うのかもしれません」
食べていいよ、と目でアンディラートを促すが、どっこい貴族令息はきちんとマナーを守っている。お預けワンコ状態ながらも、苦笑気味のお父様が「どうぞ」と勧めるまでは手を出さなかった。
そうでしたね。トリティニアマナー、ホスト側の一番目上が飲食を勧めるんだよね。
私が出したからって私が好きに勧めていいわけではないのだ。お父様も突然テーブルに湧き出たお菓子を勧めていいのか困っただろうけども。
私なら勧められたら食べちゃうとこだった。マナー講座に再履修の必要ありの予感。
ヤバいな、ロール剥がれてみたら、本気でちょっと庶民化しすぎてるかも。お母様におっとり叱られてしまう。
「便宜上、アイテムボックスと呼んでいます。実際には物品だけではなく、自分も他人も中に入れることができるので、人目にさえ気を付ければ、安全地帯にもなります」
それはそれとして、さらっと表情を取り繕って説明に入ります。
お父様もアンディラート相手にそんな厳しくしないって。ええねん、ええねん。
一人だけ山盛りなアンディラートの皿から目を逸らし、お父様は真面目に考察。
「…成程。それもあって国外へ出ることを視野に入れたのかな。人間も入れられるとなると、世にある魔法の袋の類とは制限が違うようだが…容量も多いのだろうね。品物に定着する前の段階の、魔法なのかもしれない」
大丈夫かな。キモがられないかしら。
今のところは顔色を変えずに、さらりと流してくれているお父様。
私が緊張してきたことを察したのだろうか。空気を変えるかのように一度こちらへ笑んで見せる。パウンドケーキを優雅にフォークの先で切り分け、ゆったりと口に運んだ。
「うん、美味しいね。しっとりしているし、レモンと蜂蜜の風味がすごく合ってる。珍しい菓子だが、どこの店のものかな?」
「手作りです! お気に召しました? お父様はハニークッキーがお好きでしたから、ここは蜂蜜レモン味を出すしかないって思ってたんですよー」
テンション爆上げ! 美味しいって!
蜂蜜レモンって、実はこの世界であまり見かけたことがない。だが庶民のお財布に蜂蜜はお高いので、冒険者してるときに見かけないのは、特に不思議ではなかった。
でも飾り付けとしても優秀だから、レモンの蜂蜜漬けなんて貴族のお菓子で出てきそうなものだけどね。お茶会なんかをわりと拒否っていたので貴族層にも詳しくないのだ。
蜂蜜もレモンも銀の杖商会から購入したので品質が良く、美味しい。ちなみにこのレモンは唐揚げに添えてみた時の余りだ。
アンディラートが「かけない方が(肉肉しさを感じられて)好き」って言うから、さっくり諦めて漬け込んだ。搾る以外、料理での用途がわからん。お菓子にはなるのにね。
そして全部漬け込んだ後に、実はレモン水にしてほしかったことが発覚して慌てて買い足した思い出。
私1人なら、酸っぱい顔しながらそのまま剥いて食べてもいい。嫌いじゃない。でも手に傷とかあると超しみる。
アンディラートは何でも美味しく食べてくれるけど、お父様はグルメなイメージがある。甘いものも、たくさんではないけれど好んで召し上がる。
あ、お代わりしてくれたぞ。嬉しいな。好きな物を作って、好きな人と食べられるのは幸せだな。ウキウキしてしまう。
アンディラートの皿が空きそうだったので、クルミとレーズンのものを追加でドンと載せてやる。
安心しろ、君のは3本確保してあるよ。
お父様が少しだけ虚ろな目で、アンディラートの皿を見ていた。
あの顔…もう見た目で胃もたれしているのではないかな。お父様は、アンディラートほどお食べにならないから…。




