故郷へ向けて
トリティニアから出てがむしゃらに進んだあの日々を思い返せば、随分と果てもなく、遠く長い道を走り続けていた気がする。
なのに、帰国するとなると1日があっという間に過ぎるし、街から街への距離もやたらと短く感じる。疲れ知らずのサポート馬が引く馬車は、便利だ。
時折休憩を挟んでいても、私が並盛の身体強化で黙々と走るのにも劣らないペースで進み続ける。地図を見ては、もうこんなに進んだのかとびっくりする。
…まぁ、行きには行き当たりばったりな国境ショートカットや、道なき道の走破もしたんで、同列には考えられないけど。
不安からひたすら目を背けて、1人でテンション上げて、黙々と進んで。そのくせ、本当はただ家に帰ることを心の支えにしていた。
それが今や…もはや帰路なのだと思うと、とても感慨深いな。
グレンシアを出る際に銀の杖商会が「馬車買わないの? まさか歩きなんじゃないの? これは…商会から馬車の護衛依頼出しとくべきなんじゃ…」(チラッチラッ)みたいな気配を出されたので、慌ててファントム兄さん付きの馬車を制作。臨時パーティの馬車持ち冒険者と一緒に旅立つから平気よ~という演出をしておいた。
そしてグレンシアから出たあとはファントムさんをクビにして、馬に指示を集中した。
考えてみたら、もし野営地で他のパーティとかち合ったりしたらアドリブ操作するのが面倒かなって。
しばらくお兄ちゃん悲しみの脳内ミュージカルが消えなかったので、うっかり見入ってボンヤリしてしまい心配されたりもしたが、私は元気です。自我はないはずなのにキャラが濃い。
自我がない以上は私の無意識設定なんだろうけれども…納得しがたいぜ。
ファントムさんに代わり、アンディラートは操作の要らないはずの馬の手綱を握っていた。
揺れるから絵が描けず、暇潰しの裁縫(身体強化様がオートで避けてくれるので手には刺さらない)に明け暮れる私とは違って、基本的には御者席に陣取って辺りを警戒していたいのだという。
馬には「人なり魔獣なり、何か出たら連絡ヨロ」と指示してあるので、そうそう察知できずに襲われるようなことはないと思う。
でも見張りをしないのは気になると言って、真面目に御者するアンディラート。歩かないから暇なのではなく、歩かないなりに油断しない。正しい冒険者である。
馬も「街までこの道あっちに歩いて」という私の雑な指示の上で、穴ボコや大きな石を避けるというアンディラートの手綱による細かな指示も受け付けているようだ。
多分「馬はこういう指示でこう動くもの」という私の無意識的な命令が根底にあるのだろうが…私の許諾の範囲でとはいえ、他者の命令を聞いたとも言える気がするのよね。それってありなの?
まだまだサポートについては、調査と理解を深める必要がありそう。
道中の異変はぶっちゃけ、馬よりもアンディラートのほうが早く察知するだろう。
なぜって、馬の判断に任せたら、蟻の時みたいに何を異常と判断してくれるものかサッパリだ。だから、まずは異常の方から馬の視界に入ってきてくれないと判別がね…気配とか読めないしね、私。
それに、彼が御者となることで、適切な距離が保たれている。
…内心でそっと危惧していた、帰国までのハイパーシュガー行軍…そうはならなかったこと、とてもありがたい。
旅の間中「無理じゃよォ」状態では情緒が帰宅まで持たなかった可能性がある。鍛えられる前に砕け散る。限界突破した私が、突然夕日に向かって走り出すかもしれない。
某日のタガが外れたキャッキャウフフは、やはり私達にはハードルが高くありますわよ。
ベタ甘覚醒アンディラートも、実はあの日だけだ。
むしろ午後にはやや積極的くらいに、翌日にはいつもの照れっ子に戻っていた。跳ね上がったテンションが、時と共に落ち着いたものと推察される。
跳ね上がること自体珍しいよね。私もアレだったが、彼にも色々あったのだろう。
照レニストが照れないなんて超常現象が起きていたものな。
時空の歪みかなんかだったのかしら。羞恥がバミューダに飲まれた的な。
まぁ、お互い急には無理だよ、そうだよ。
ゆっくり走ろう北海道。
しかしながら、確かに私達の関係は幼馴染から、こ、婚約者にクラスチェンジしたのだ。行くよ、私は嫁に!(壮大な決意)
いや、本当に当初の人生設計が180度変更になりますので、そんな感じにもなるわ。
お父様になんて報告しよう。お父様、泣かないかしら…まぁ、泣かないよね。
これで確実に家を出ることになるのだから、新しいお母様はさぞかしホッとすることだろうが…却って実家への顔出し理由が容易になるよな。嫁的不安とか、女親にしか話せないことも相談できるという名目で。
前はそもそも上辺の付き合いしかするつもりもなかったのだけれど、今なら。新しいお母様とも、可能ならば、仲良くしてみたい…かな。あの、でも、無理ならいいんです。今はちょっと人付き合いにも前向きだけど、もしかしてコレ何かの気の迷いかもしれないし。
あとは…お母様の墓前にも、報告したい。諸々色々細々と、うまく言葉にできない気もするけど、伝えたいことがたくさんある。
…あぁ、だけど何だかお母様は、何を報告しても「そうなると思ったわ」ってフワフワ笑いそうな気がする。
それなら私は結果として、各所で正しい選択をしてきたのかもしれないよね。
ただ…そう、お母様が生きている間に、もっと勇気を出せていたら、良かったのかなぁ…。
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「…まぁ、色々と世話にはなったから、作らないとは言わないが」
呆れた顔でそんな言葉を紡ぐのはディトリーリィさんだ。
私達が道すがら目指したのは魔道具職人がお引っ越していった先…コロッケ大ヒットを経験したあの街だ。もちろんコロッケをアンディラートに食べさせる目的も兼ねる。
私は何としても、持ち帰りたい。お風呂を最低あと2つ。
お父様へのお土産と、アンディラートの…コホン、我々の新居用だ。
ちなみにヴィスダード様の分は「父上は風呂に拘りはないから、気にしなくていい」とアンディラートがバッサァ!と切って捨てた。
しかし、こんなもん(私のことだ!)貰わせるのだし、嫁入りの賄賂として渡しとかない? 今、君んちにはママンもいるのよ。
別にバスタブ以外の物にしても良いけど、奥様への賄賂は必要な気が。
でもお風呂は、もうひとつくらい予備を持っていたいよなぁ。
作成が可能なのであれば、幾つ買っておいてもいいと私は思う。
だが当初「とりあえず5つくらい発注で」と言ったら周囲が一瞬シン…とした。
なので「間違い! 3つでした! お父様とヴィスダード様とアンディラートの分ね!」と内訳付きで必要数を申告したらば婚約賄賂分がバッサリされてしまった。
すごく時間かかるんなら涙を飲んで諦めるけど、手伝う気は満々。材料だってできる範囲で調達するよ。銀の杖商会も容赦なく頼る算段。
この街に支店はないが、時折商品を卸している小売店があるらしいから、連絡は取れる。
それにやっぱり…いいじゃんね、お風呂はたくさんあっても。お世話になった人に配ったりすればいいよ。引越蕎麦ならぬ引越風呂。
むしろ銀の杖商会の商会長だって欲しがるかも知れない。
ところで、少し見ぬ間にアロクークさんのお宿は大繁盛からの改装をしていた。
建物が改築されて大きくなってる…これが…マッシュ揚げ御殿。
通行の邪魔にならないようにか、建物横にマッシュ揚げテイクアウト専用窓口が作られていたが、こちらは既に売切れの札が掛けられて閉まっていた。
もしや、泊まれば確実に食べられるのかな?
食堂の人員は更に増えており、活気がある。
そして少しばかり様子の変わった旅装屋さんが、当たり前のように宿の受付に陣取っていたのだが…君、自分のお店はどうなったん? 気になり。
また素敵な掘出し物がないかと期待していたのだが、店を畳んだのか、誰かに譲ったのか、単に自分はこっちに来てあちらには店員だけ置いているのか。
でも食堂が忙しそうなので悠長に世間話はできず、詳細は聞けなかった。
というか、そもそも彼はフードを取ったこの美少女オルタンシアさんと、室内でもフード絶対取らないマンの冒険者フランを上手く結び付けられなかった。当然だ。
久し振りって言って貰える気がしてた。
でも、初対面の顔で普通に店員として満室と宿泊のお断りを告げられた。
その時になってようやく私の心には、ほのかに、今までの私が正しかったのかどうかと疑問が掠めていたのでした。
旅の間「オルタンシア」を隠して人と関わりを持たないようにするっていうのは、こういうことだ。わかっていたはずだ。
なのに、こうやって再会しても「やだー、揚げ物食べ過ぎで太った? そして減量のために鍛えた? 結果、ちょっとムキッた?」なんて話も出来ないのだ。ちょっと柔道部っぽい体型になってるのに…突っ込めない…固太り…。
当たり前だし、知っていたはずだった。
その前から、人との関わりなんて煩わしいからと、自分で避けた。
だけど仕方なかったよね。今でこそアンディラートもいて、前世の私もなんか上手く癒されてきて、精神的には人生で一番の安定期にある。
振り返って、あの頃は…このままではいけないとは感じ、改善を手探りしつつも、まだまだ人間不信真っ只中。
あれ以上はどう足掻いたって無理だったのだ…だったのだ…。(エコー)
しょんぼりしながら別の宿を探しますと撤退しかけたら、こちらに気付いたアロクークさんがビュンと走ってきた。
「フランさん、お帰りなさい! 貴女のお陰で、こんなに繁盛していますよ!」
エルミーミィ程じゃないが、結構距離ある内から跳躍してきた。
建物内! しかも混んでるのに!
だがここは彼女のホーム。完全に空間を把握している彼女は、どこにも、誰にもぶつかりはしない。これが…プロの犯行。
「フラン…て…? え? お、女じゃないか?」
アロクークさんを抱き締め返しながら、訝しげな旅装屋さんに笑みを向ける。
バレた。隠していたくせにバラされて嬉しいなんて、本当におかしいね。
「そうよ? トーリオ、わからなかったの? 人間はこういうところが不便なのね」
そう、獣人には匂いで人の判別が付く。
しっぽブンブンでピョンピョンされたよ。アロクーク・ソー・キュート!
そして飛び込みワンコを察知しながらも、危険はなさそうだと邪魔せずにいてくれたアンディラートと、驚愕と嫉妬をあからさまに出してきた旅装屋さんの落差よ。
今の私、フードなしの女子姿なのに嫉妬の対象なのか。
さてはハニーに飛びつかれたことないわね?
まぁ、わかるよ、アロクークさんは可愛い。しょんぼりから一転のテンション爆上げ。
こんなに懐かれていた記憶もないのに、どうしたのだろう。お店ウハウハだから?
アクティブなアロクークさん、とても犬っぽいわぁ…とか思って癒されていたら、即行でVIP的な部屋へ案内されていた。いちばんいいへやをたのむ。
そこは入口となる共用の部屋1つから寝室2部屋へ繋がる計3部屋でひとつという作り。アロクークさんのとこは庶民派の宿だけど、ちょっとリッチな層向けにも1部屋くらいそういうのを用意すべきだろうと考えて作ったらしい。
値も張るので庶民層へは提案すらもしないが、見るからに小金持ちな商人や、装備が良いパーティに限って提案してみたところ実際に需要があったのだという。
1人部屋2つとリビングという構成、素晴らしい。よくわかってくれてるぜ。
もしダブルベッドだったら、私の情緒が死んでた。
道中どうしていたのかって? もちろん冒険者仕様の野営だから、交代で見張りしてたよ。集落で休息を取るのでもないと同時に寝ることはないし、今まで泊まった街も冒険者が冬越しに群れるほどの大きさじゃないからシングル2つ取れてた。
そう、だからあれ以来、進展は特にない。
照れっ子に戻ったアンディラートと、意識しすぎてポンコツ化することの増えた私。イコール、何かあると2人でフリーズ。
婚約者という免罪符を手に入れただけで、我々の実態は一進一退であった。
大きく一歩を踏み出したけど、そのままササッと二歩下がったかもわからんわね。こんなんで結婚とかできるのかな…あ、いや、するよ、するけども。
だってもう今となっては、いくら優しくて可愛くて性格のいいお嬢さんが現れたとしても譲ってあげられない…。
そんなお嬢さんには、きっと他にもいい人がいるからな。この天使は私に譲ってくれたまえよ。
あと、可哀想だけどアンディラートにも、どんな美女が現れても諦めてもらう。私、返品きかないんだもの。よろしく頼みますわ。
心変わりはまずないと思うのだが…何かあれば恥も外聞もなく、雨の日のマントかオルタンシアかってくらいベッタリしてやる。
そしてロールチェンジを駆使して引き留める所存。どんな役でもやったるわい。好みがあるなら演じ通してやるよ! ネガティブ方向にポジティブ!
…こういうことを思い出したように妄想しては時折発作のようにムフッとするのですが、私、大丈夫かな…。せめてなるべく外からわからないように妄想しないと。
「オルタンシア」
「ヒョーイ!!」
「…あ、今話しかけても大丈夫だったか?」
共有リビングみたいなとこにいるから、話しかけても当然というか…そのためにソファにいるようなもんなのだが、つい悲鳴が。
心に疚しいことがある人間は、大抵そうなる。
「もちろん大丈夫よ。どしたの?」
慌てて顔を上げると、不思議そうなアンディラートが「依頼を見てこようと思うんだ」と呟く。
ようやっと宿に落ち着いたばかりで、時間を持て余しているというわけではないはずだが…アンディラートは余暇を感じるとすぐ、ひと狩り行ってしまうのだ。パパンの血かもしれない。
魔道具作りに寄付すべき素材は特になかったが、3個(勝ち取った!)作成するには少しお時間が必要とのことでした。
ぶっちゃけバスタブってそんな売れ筋商品じゃないから、入れ物が不足した。新築するか壊れるかしないと入れ替えないし、そもそもない家も珍しくないし。
何よ、平民はタライでも使ってろってこと? 水深が浅いぞ!(注・普通は拭うだけで、タライにインはしません)
幸いアロクークさんとこで不具合があったらすぐ交換できるようにと予備を作って保管してもらっているお店がある…そうなのだが、それを回してもらっても2個足りないので追加で作ってもらってます。
突然の風呂特需。
魔道具本体はむしろ材料が前より手に入りやすくなったから、数日でできるぽい。
ディトリーリィさん、前の街では干されてたけど、今は順調にお仕事も増えてるらしい。良かったね。無理しない程度に隙間を縫って作ってもらうとして、全体での納期が1週間の予定だ。
「アロクークさんのご飯は美味しいからね、今日はあんまり遠くに行かずに、晩御飯までには戻っておいでよ。売り切れちゃうかも」
「そうか。どんな依頼があるか見てくるだけにして、街の外には出ない。すぐ戻るよ」
ご飯につられた気配を感じました。
コロッケは人気メニューだろうし、アンディラートも食べればいい。私はそんなに揚げ物気分じゃないから、普通でいいな。
前に泊まったときはお客さんは私だけ(旅装屋さんはアロクークさんの身内にカウント)だったし、本来営業前だったからメニューから選ぶことはなかった。
マッシュ揚げがブレイクしたらしたで私も従業員カウントに移り…結局は出されたものを食べていただけなので、何が選べるのか知らないのである。
間違いなくご飯は美味しいはずなので期待、大。
従業員が増えているから、安心してお客さんしていられるぜ。




