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おるたんらいふ!  作者: 2991+


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236/303

前世がやっと往生した。



「やーもーこれ無理ッス。照れ死ぬッス」


「とてもよくわかる」


 ですよね、先輩。

 しかし先輩は既に一歩先を行ってますよね。そんな時代もあった系の達観だよね。


 と、思っていたら伏した相手の胸から伝わる鼓動が凄いビートを刻んでいたので、正気さんと冷静さんが長い旅路からフラッと帰省してきた。

 むしろこの心拍数、私以上なのでは。大丈夫かな、アンディラートの心臓と血管。そういう思考によるお戻りだ。でももうログインしてくれれば何でもいいですわ。


 日常には戻れないまでも、僅かな余裕を手にした私は強張ったままの自分の頬肉をむにむにする。

 この強張り顔は、確実に、怯えのせいではない。ロールじゃない対人経験値、基、恋愛経験値の低さのせい。

 でもそんなのは他の人にはわからないよね。アンディラートから見れば、ちゅーした途端に私の顔は強張っている。怖がっているようにしか見えないかもしれない。

 恥ずかしいからって黙っていてもきっと彼は我慢してくれるけれど、それではいけない。


「あの、私、怖がってないからね」


 紛れもない、一夜の過ちである。しかし、選択したのは私だった。

 嫌じゃないなんて曖昧だわ。何をどう言い繕っても、押し倒したのは私なんだもの。

 彼は最後まで、私の意思一つで己を律する気だった。

 一言でも嫌だと言えば、どのような状況でも…彼は止めたのだ。


 だから嫌だって言えなかったじゃんよ。「イヤ」と「ダメ」を封じられた初心者の辛さ、わかれよ。本当に止めちゃうんだからな。羞恥プレイか。ドSと紳士の差とは何ぞや。

 まして今朝の様子を見れば、一切記憶は飛んでくれていない。

 あれで寸止めの結果だったら、今よりもっと気まずいこと必至ですわね。よくやり遂げた、自分。


「………そう、か?」


「うん。今、思考や情緒がグチャグチャなのは私の問題で、君には全然関係のないふブォ」


 頬モミモミ中だった私の手ごと、彼の両手が私の顔を上げさせた。

 力強すぎですわ、ちょっとブーになったじゃん。サッと自分の手を頬から浮かすことにより瞬時に美少女顔をキープ。

 昨夜の今日でブー顔全開はあまりの辱め。続けて褒めたい、自分の素早さ。


「それは、嫌だ」


 そして目が合った途端の拒否宣言に戸惑う。

 嘘。惑う以前に真っ白になってた。

 宣言よりも、両手がおっきいとか、近距離の見つめ合いはやっぱりアウトだとか、纏まりかけていたはずの思考が飛び立つ鳥の群れのようにバサバサーッとどこかに羽ばたいていった。


 お待ちなさいよ。私、今って何考えてましたったけね。

 全部飛んだよ。言い訳しようにも、何を言えばいいのか…お願いだから一羽くらいは残ってよ。手が、手があったかいんだよ。正気さんと冷静さんは? どこへ隠れたの?

 帰宅は確認したんだ、出て来い、いるのはわかっているんだ。逃げられまいぞ。


「…えっ、と…?」


「関係がないのは、嫌だ」


 おぉぅ成程、そうだった、関係ないって言ったのね。

 言葉選びを間違えたのだね。


「…う…うん、そうだね。私の言い方が悪かったよね。君以上の関係者はいないね」


 こっくりと頷いた彼の真剣な目には、反論など封じる力がある。

 実際には、問題なのは前世から継続している私の駄魂(ダタマ)であって本当にアンディラートには一片の非もないのですが。

 謝罪したことにより、拘束力は弱まった。そっと頬から離した両手で相手の手も浮かせて、軽く宥めて解放すれば、相手の陣地へお帰りいただくことに成功。


 とりあえずは多少精神的な落ち着きを手に入れたので、今のうちに朝食にすべきよ。

 そうだ、可及的速やかに日常を取り戻すのだ。

 どうだねシャドウ、いけそうかい? そっとシャドウの様子を片目に映す。


 よしよし、もうテーブルに並べる段階に入ってる。

 朝からよく食べる系男子のために、オルタンシャドウはサンドイッチを作ってます。

 ハンバーガーに適したバンズがないので、ハード系のパンに薄めのハンバーグとレタスを挟んだり、チーズとハムとハムとハムをモリモリ挟んだり。固いパンのほうがよく噛むから、満腹感が得られるのではないかという地味な抵抗だよ。もうさ、今朝は体力的に沢山作れないのでね…。

 シャドウ作のハッシュドポテトとウインナーに目玉焼きもつけたので、何とか足りてほしい。


 私はあんまり食べられそうにないので、スープメインだ。

 野菜とハンバーグの残りを肉団子にして入れてあるけど、…うーん…実のところデザートの果物だけでもいいくらい。だが並んだ品数にあまり差があると気遣われてしまうか。

 …シャドウよ、私の皿には上手く汁だけよそうのですよ。


「え、ええと、そろそろ朝食もできたみたいだよ、食べようか」


 よし、いざ朝食を言い訳にしてこの密着状態を解除しよう。

 さあ来い、オルタンシャドウ。ダイニングテーブルまで私の杖代わりとして補助をお願いし……ようと思ったのに…何…ちょっ、困ります、素早いお姫様抱っこ、困ります。

 寄ってきたのに荷物の引渡しを拒否されたシャドウは手持ち無沙汰に。

 着ぐるみでしかないそれは、アンディラートにとって気を使うべき相手ではないからなのか、ぷいっと容赦のないスルーを食らう始末。

 …まぁ…その場に立ち尽くしていても仕方ないんで、とりあえず靄に返すか…。


 アンディラートは代謝が良いせいか、二日酔いはないらしい。疲れた様子はない。

 私は殊更丁重に運ばれ、そっと椅子に下ろされた。


 サンドイッチの他にも、テーブルの上には買い置きのあんなパンやこんなパン。おかずを頑張って作れないせいで、まるでパン屋みたいになっている。

 突然のパン祭りにも嫌がるそぶりがないどころか「俺が作っても良かったのに」とこちらを気遣う姿勢まで見せてくれる幼馴染。


「うん、無理ならちゃんと言うよ。大丈夫、私が作りたいから作ったの。固めのパンを使ってみたから、よく噛んで食べてね」


「…ああ。ありがとう」


 相手はなぜか嬉しそうな顔をしているが…正直これは自衛だった。

 作ってくれるというその気持ちは嬉しいのだが、多分彼のご飯は…朝からハイカロリー…。こちらの胃袋までは気遣ってくれないと思うので、本気で弱っている今はその、…ちょっとだけゴメンね。


 パン祭り自体は体力と手間と量を鑑みた悪くないアイデアだと思うのだけれど、料理というと何かもう昨夜作れるものは何でも作ったような感じだったから、レパートリーが尽きてきたな。

 とはいえ私の調理の基本は前世レシピだ。

 今のうちに、改めてこちらのレシピ本でも探しに行こうかしら。

 令嬢ロールに戻るのならば必要のない知識だが、私は生憎と結婚ができないタイプだし…。


 テヴェルがどう考えていたかはわからないが、この世界は別にメシマズではない。

 農作物の品種改良だって、原種と好みの方向性が違うだけで、されてきたのだと思う。


「レパートリーを広げたいな。清貧でも美味しいレシピを学びたい」


 キノコの見分けは素人にはお勧めできないというけれど、山菜も嫌いじゃない。

 …あっ、勝手に山奥の自給自足な修道院を想定してしまった。

 でも鄙びていればいるほど良いのは確かだよね。


「清貧? なぜ?」


「胃袋さえ掴んでしまえば、シスターに邪険に扱われないのではないかと思って」


 ふーん、という感じでサンドイッチをモグモグしていたアンディラートは、唐突にカッと目を見開いた。な、何だ?

 急激な表情の変化に、スプーンで野菜スープを掬っていた私の手も止まる。


「…どこの、シスター?」


 険を含んだ視線。

 失言に気付いて、私は内心でアッと声を上げた。


 私達は今し方照れ照れタイムを何とか乗り越えただけだ。

 今後についての擦り合せなど、まだ一切手を付けていない。

 そして紳士の一夜を奪った以上は、もしかすると、彼の中では、既に責任を取る方向になっていても何もおかしくはない。


 だが。

 一夜の過ちは、過ちでしかない、ので。


 幾ら突っぱねても彼は嫡男だ。

 そして思春期の少年少女が家出するなんて、よくある話だ。一度の家出だけで二度と敷居を跨げないなんてことはない。

 まして相手は今まで好き勝手やってきたヴィスダード様なのだ。

 家出程度で廃嫡なんてしないだろう。

 それで、その…私では、貴族の妻を務めることはできない…それは自明の理というものですよね。


「…まだ、どことは、決めてないけど」


 そっと濁して目を逸らした。

 ああぁ…ダメだ、刺さってる。視線がめちゃんこ突き刺さってきてる。

 これ、誤魔化しきかないヤツだ。


「国に戻ったら、炊き出しを、したいのか? それなら手伝おう」


 ニコリ。

 そんな風に表面的に笑う君を、私は知らない。


 まるで一周回って、マイルドにキレてるような。

 だがしかし、まさかそんな。


 あっ、もしかしてお父様の教育の賜物なのでしょうか。

 素直な彼にはできないと思っていた、言葉の裏の駆け引きでしょうか。

 心の内を隠すための笑顔か…ちょっぴり貴族らしいかもしれない。私のせいで、天使が汚れ…いやいや、貴族嫡男としてはスキルアップだ、これは、そう、成長。


「…いえ…その…炊き出しではなくて」


 …うーん…。

 いずれ修道院に身を寄せます、と…言える空気じゃないけど…でもなぁ。

 何だかんだで人を殺めた私が修道院で祈りたいと言い出したところで、不思議のない話。死者に祈りたいと言えば、彼が立腹するようなことだとは思えない。

 昨日の今日でそれはないだろうと、言われるとは確かに思う。

 でも本当は、朝には…アンディラートが、忘れている予定だった…。


 持っていたサンドイッチを取り皿に置いて、取り出したハンカチで手を拭うアンディラート。

 お残しだと?

 こんなに頑張って作ったのに、もうごちそうさまをする気なの?

 …これってハンガーストライキということかしら。

 無理だ、彼がご飯を我慢する姿など、私の心が先に折れるに決まっている。

 内心オロオロしながら、椅子から立ち上がった彼を目で追った。


 動作から、テーブルをぐるりと回ってこちらに寄って来るだけ。

 進路予想ができたので、到着までの数十秒を何とかおとなしく待っていられるだけだ。これが今すぐ家から出ていく素振りでも見せられたのならば、私は迷わずスライディング土下座をしただろう。

 でもさ。だけどさ。

 私じゃダメだから。過ちだから。


 やがてアンディラートは私の横に跪いた。

 ぐんと下にきた彼の目を見下ろしながら沙汰を待つ。

 先程までの赤面から打って変わって目線の泳ぐ怪しい私が、相手の目の中に映っている。


「トリティニアに帰るよな。帰ったら、結婚してほしい。…すぐに言わないのは良くなかった。でも、当然、そうなると思っていた」


「か…帰るよ。帰るけど…私の、ライフプランでは…その…結婚というのは…」


 皆迄言わずとも察したのだろう。

 明確にお断りの言葉が出る前に、さっと手を振って遮られた。


「どうして。…俺の気持ちは、わかってくれたものと…同じ思いでいてくれたとばかり…」


 混乱しきりといった表情のアンディラート。

 驚かれたのは本当に申し訳ないと思う。

 しかしながら、どう考えても、貴族嫡男の嫁というのは決定的に場違い…ですよね。


「本当は…そうじゃない…? 迷惑だった? 断れなくて我慢して、その、俺のこと…」


「そ、そんなわけないよ!」


 それについては…さすがの私もちゃんと答える。

 昨夜の記憶があるのだと思ったけれど、こんなことを言い出すということは…酔っぱらっていた彼は細々した部分についてはよく覚えていないのかもしれない。

 私が言い出したんだよ。前回の死に様も伝えて…途中で駄目になるかもしれないけど試してみたい、なんて。だがそれは…この明るさで2度は言えぬ…つまり私が襲っ…、襲ったうえでこの状況って、もしかして私、アンディラートを弄んだと思われ…勇気! 今一度私には告白する勇気が必要…ううぅ、でも出ません!


「きっ…君が、いや、…ただ、その、私には貴族らしい世渡りができないと思うんだよっ」


 そうした場合に迷惑がかかるのは、夫だけではなく、その婚家一族郎党なのだ。

 それが家と家の繋がりを持つという貴族の婚姻なのだから。

 むしろ相手のために身を引ける…この思い、まさにLOVE(ルァブ)!(巻き舌)

 そうでしょう、わかってるのに欠点を隠して結婚しようだなんてクズじゃないの。

 だから、きっと、これが正しい人間の姿ってものなんでしょう。己の願望のまま色々ヤッチマッタとこは弁解できないクズだけど、ちゃんとこれで、可愛くて格好良くて優しくて真面目で将来性のある貴族の嫡男をクズに巻き込む人生から、ちゃんと解放してあげられるでしょう。


「だからやっぱり君には、優しくて可愛らしい愛想のいいお嫁さんを貰っ…」


「今更何を考えて覆る想いじゃない。…俺が嫌なら嫌って、言えばいい」


 アンディラートは声を被せて遮ってきた。

 何にしても土下座したい。

 地べたに身を投げ出そうとする身体を押さえるのが大変だ。

 辛そうな目をする彼を見る、こちらのほうまで辛すぎて、もう心を鬼にするとか不可能なのじゃないかと思えてきた。


 …これ、天使を苛めているのではないの?

 ねぇ、これ本当はLOVEじゃないのでは? 正常な人間ってこんなことするの?

 もう私がさっさと折れて言いなりになる方が正しいのでは?

 ルーヴィス家メチャクチャになるかもしれないけど、仕方なくない?


 …そうだ、正妻は非の打ちどころのない女の子に譲って、妾なら…って日和るな、スカタンシア! 真面目な彼にそんなことできると思うてか、アンディラートの誠実さ舐めんなよ!

 誠実…だから責任取ろうとしてんじゃん、あぁ、全部昨夜の私が悪いですね!


 ただ…昨夜無事にコトを完遂した私は、もはや誰がどのような状況と言葉を用いたとしても、彼でなくば無理なのだと心底理解した。

 誰の命がかかったとしても、どんな不都合が待ち受けていたとしても、全部無視して自害したほうがマシ。そういうレベルで、他の人ではできないと思った。

 あれって私にとって、それほどのことだった。

 いざとなれば政略結婚できると思ってた昔の私、マジ短慮。


 真面目な話、天地が引っくり返る程のアクシデントが起こらない限りは、私がその、死刑に等しい政略結婚イベントをこなすことはないだろう。

 試していなければわからなかったことだが、万一そうなってしまった場合…頭では「お父様のためなら我慢できる」などと受けて立ち…敗退するという、残酷な結果に。


 結婚承諾しておきながら初夜に舌噛んで死んだね。

 下手すると結婚式段階で誓いのキスが失敗する。そして天地が引っくり返る程のアクシデントも全く何も覆らず、ただただ準備した周囲にものっそい迷惑がかかる。


「だけど私じゃ、ルーヴィス家の社交がメチャクチャになるのが目に見えているんだもの。家族が悲しめば君も悲しむよ。他領と自領の利益の兼ね合いに、根回しのためのネットワーク…時にそれは夫の愛人を許容し、その伝手までも使うというのが貴族の嫁の手腕よ。君じゃなくて他の人だったら昨夜のどの行程ひとつたりとも絶対無理だったので、私はそもそも嫁になんか行けないんだよ」


「…くっ…」


 取り繕おうと苦戦しながら、あっという間に頬を染めている彼の素直さよ。結婚できない話をしてたはずなのに突然私情ブチ込んで複雑な顔をさせてすみません。

 しばしじっと考え込んでいたアンディラートは、小さく首を振った。

 彼とて貴族男子。家の為に生まれ、その存続を念頭に育てられたはずだ。己の心よりも、家の利益を考えなければならない身。

 いよいよ決別の言葉がくるはずだ。身構えながら、それを待つ。


「俺は既に家を出た身だから、ルーヴィス家の社交は関係ないのではないだろうか」


 あれ?

 まだ説得を諦めないだと?


「いや…だから、それは一時的なことでしょ。おうちに帰れば、ヴィスダード様だって何食わぬ顔で君に家督を譲るよ。決まってるじゃん」


 やめてよ。死刑執行を無駄に引き伸ばすのは。

 アンディラートはしかし、真剣な顔をして私の両肩を掴んだ。


「つまり、俺が…社交も関係ない、例えばただの冒険者なら…結婚してくれるのか?」


「君には、」


「反論の前に考えて。そして本音で答えて」


 脊髄反射は許さない、と彼の目が言う。…そんなのは夢物語なのに。

 でも、まぁ…私は根が一般人だ。ましてや役柄の在庫を失い、演じるのが昔よりも下手になった私には、どう転んでも貴族社会では生きていけまい。一日二日のことじゃない、もう子供でもないのだ。家に閉じ籠ったりもできない。他人の目と噂…貴族でいる気なら、うん、修道院一択。

 お父様は宰相で、それを投げ出すことはない。多分、今の生活を変えるほど彼の心を動かすような興味が、この世界には存在しないから。現在、周囲に娘の不在をどう話しているかは知らないが、何たってお父様だ。私がそのままいなくなったって、どうとでもするはずだ。実家は今の「私抜きでも回せる」貴族の生活が続いてく。

 そうすると貴族生活しない私が誰と結婚しようと、実家に与える害はないわけで。

 自分の思いひとつでいい。それなら。


「…そうだね。貴族っぽいことを何もしなくて良かったなら…」


 代わって想像した、冒険者となったアンディラートとの生活。

 ごく普通の一般家屋に、使用人もなく2人で。取り繕う必要もなく。

 …それなら気楽で、とても楽しいことだろう。旅の延長のようなものだ。2人で冒険者して、たまに絵を売って、遠くからお父様を眺めたりして。

 なんて素敵な、夢物語。


「それはきっと、…とっても、幸せね…」


「結婚しよう」


「ふぉ!?」


 唐突に抱き締められて、私は混乱した。

 あるぇ? 私達、結婚できなくても仕方ないよねって流れじゃなかった?

 ましてやシャイボーイが明確な意図を持って私を抱き締めるなんて…意識してはいけない。待つんだ私の乙女回路。今は停止していてくれないと困る。出来るだろう、今まで死んでたんだから。やめて、止まらないとか聞いてないよ、貴様、所詮は欠陥品か!


「あのね、だからっ…」


「言っていなかったが、弟が出来た」


「………おめでとう?」


「ありがとう。だから、俺が家のために何かを我慢をする必要はなくなった。父は跡取りがいれば戦場を好きに飛び回れるし、両親は昔より仲良くやっている。今更そこに俺が割り込んでも、昔よりギスギスするだけだ」


 そっと身を離して、彼は私の顔を覗き込んだ。まっすぐなその目が、じっと私の目を見つめている。逸らすのも伏せるのも、申し訳なくなるまっすぐさ。

 うわ待て何だよ間近の真剣な顔がフッて笑ったぞ今のいつどこで会得したヤバ格好いいキスしていいですk…ウボアァどうしたちょっと戻って来いよ私の正気ぃeィ!!(接続が不安定になっているようです)


「俺は冒険者として生きるので、社交は要らない。どうだろう」


 捕らえたぞ正気この野郎! これが恋愛脳かよ、恐ろしい!

 しっかり! 冷静によ、負けるなオルタンシア、しまっていこう!


「いや、君、騎士になりたいんじゃん! 知ってるし! そんな君が不幸になることできないよ」


 アンディラートが顔を歪め、それを隠すように俯いた。深く深く、息を吐く。

 そしてすぐに顔を上げた。

 なんか、ちょっと目が据わっている。


「こんなに言っても理解しない。そうやって。自分の思い込みだけで他人の幸不幸を勝手に判断しようとするのは、オルタンシアの悪いところだ」




 失望

 さ れた。




 びくりと無意識に身体が震える。

 咄嗟に下を向いた。

 これだけ相手を傷付けておきながら、私今傷付きましたなんて顔を見せるわけにはいかない。

 そんなの嫌です。クズの所業です。


 胸の奥で悲鳴を上げたのは前世の私。


 誰も彼もが匙を投げた、誰も教えてくれなかった、私の悪いところ。

 今知っても。こんな時に知っても。

 もっと前なら。誰か、言ってくれてたら。


 ええぇ? 私の都合を、今の今まで無理に押し付けようとしてたってことでしょ?

 むしろこの状況で私の悪いとこまで教えてくれるなんて、さすが天使だわ。

 うちのアンディラートに文句付けるとか馬鹿にしてんの?

 誰お前、本当にそれでも私のつもり?


 私って、私ってどんな生き物だっけ?

 怖がってるのは、誰?


 今は。そう、いつもなら、期待外れの私が、ぶたれるはずの場面だ。

 罵倒されるはず。みんな私が嫌いだから傷付けることを言う。


 待って、おかしい。彼が私をぶつはずはない。

 だけど悪いって言われたよ。

 …えー…と、落ち着いて考えて、それって…ただの思ったことだよね。

 私の言動で嫌だったことを教えてくれたんだよね。

 だったら、それ、私が改善していくべきことだよね。

 なに、え、なんで被害者ぶってんの? おかしいよね。

 おかしいのは…前の私? 今の私?


「…そうか。何が悪いかわからないのか」


 下を向いたまま息を詰める私に、思っていたよりもずっと穏やかな声が降る。

 怒ってない。

 そうだろうか。怒らせるだけのことはした。

 でも正直なところ、たまに、してた。…いつもだったりする?


「…きっと俺の知らない、何かのせいで色々と考えるんだろう。でも、お前だけが無理や我慢をしていたら、周りは誰も喜ばないと思わないか」


 リーシャルド様も喜ばない。俺だって、リスターだって、もちろんグリシーヌ様も。イルステンや従士隊の仲間。トランサーグは怒るかも。アグストだってハティだって、お前の悲しい顔を喜ぶもんか。そんな風に、彼は言う。

 それは…でも…。

 そうかもしれない。だけど…。


 前世と今生には大きな差がありすぎて。それでも前世の私は警鐘を鳴らし続けていて。

 だって私は、私のクズな性根は、何も変わってなんていないから。


「だからお前の悪いところ、一緒に直そうと思う。一度だけ折れてくれないか。ちゃんと見ていてほしい、本当に俺が不幸になるかどうか。俺にはお前の考えが間違っていることを、証明できる自信がある」


 思わず顔を上げた。

 なんて言った?


 アンディラートは微笑んでいる。


 なんか言わなきゃと思うけど、なんにも浮かびはしない。

 この状況で、爆笑も激怒もしないこの紳士は何なのだね?

 怒鳴っても詰っても許される権利を持つ彼は、しかし、ただ穏やかな顔でこちらを見ている。


「あの…あ、えと…」


 言葉はまだ、浮かばない。でも、私の手もいつの間にか、相手の袖を掴んでいる。

 どうにかしたい気持ちだけはあるのだ。クズでいたいと思ったことは、ない。

 出ない言葉を転がしては躓きながら、一生懸命に何かを伝えようとする私。急かしもせず、むしろ「慌てなくていい」などと言ってアンディラートは見守った。

 スゲェ根気だよね。真似できないよ。でも、今わりと必死だから心底助かる。


「わるい、の、あの…私、クズで、なおらなくて…どこがわるいか、ずっと…わからなくて。誰も。教えてなんか…ずっと、そ…」


 ダメだ、違う。これはただの泣き言で、言われても困ることだ。自分で何とかするべきことを、吐露したところで…。

 そう思うと息が詰まった。

 詰まったのは喉かもしれない。胸かもしれない。だが、もう言葉は出ない。

 あぁ、こんな半端なことをして。私は駄目なヤツだ。だから、私は…。


 アンディラートが、そっと首を傾げた気配がする。怒ってる…とは、思えない。彼ならば。多分、言葉が止まってしまったことを、ただ、不思議に思っているのではないかな。

 彼の手が移動して、ぽむりと私の頭の上に乗った。

 そのまま、慰めるように撫で始める。


「クズじゃない。だから、そんなのは幾ら考えてもわからなくて当然だ。誰が何を考えてそう伝えたのかは知らないが…」


 アンディラートは静かに話す。

 私の悪いところ。

 強い思い込みで、他人の考えを決めつけること。それを強要しようとするところ。


「俺は、悪いけど大きなお世話だと思った。もちろん何が俺の幸せかを考えてくれるのは嬉しい。でも、無理にそうさせようとしないで話を聞いてほしい。俺の気持ちはお前にとって聞くに値しないのかと…却って悲しい思いをすることもある」


 ぐうの音も出ない。

 …いや、でも本当に、騎士になりたいって言ってなかった…?

 似合うからって勝手に思い込んでた? マジで? そりゃ怒られるよね?


「お前にそんな台詞を残した人間も、俺と同じようなことをされたのかもしれない。自分にとって大切なことを、お前の思い込みに否定されたのかもしれないよ」


 でも…私の悪いところはそれだけでは、ないはずだ。私が怖いのは老若男女だからね。もっと山のように、良いところなんて見えないくらいに、あるはずだ。

 たどたどしくそれを伝えるが、アンディラートは揺らがなかった。


 本当は良いところがないだけかもしれないのだが、その台詞は心の奥にしまっておく。

 否定させるために自虐するような、薄気味悪さを感じたからだ。


 良いところが何もないだなんて、もう私自身が信じていない。

 例えば過ごした日々の中、彼を笑顔にしたお菓子も料理も、私が作った。それだけでも滅茶苦茶良いことをしたはずだ。

 なにせその時、世界の空気が浄化されたのだよ。

 社会貢献と言ってもいい。私は誇る。


「何年も前の、違う世界の人間だろう? 俺達の「今」にその人達はいない。この世の誰に訊ねても解決しない問題だ。そして、オルタンシアはクズなんかじゃないんだ。それらを踏まえて、オルタンシア自身が納得できる答えを、一緒に探そう。出来るよ」


 視界が歪む。

 それなら…どんなにいいだろう。

 だけど、そんなはずはなくて。

 皆、私が嫌いなの。でも、何が悪いかわからない。

 そうして私はクズのまま、今も最低な人間のはず。でも、ずっと…クズでいたいわけじゃなかった。前世で詰られた私を、マイナスで作られた私を、今からゼロに戻して良いのなら。クズじゃないと言ってくれるなら。


 出来るかな。

 できる…かなぁ…?


「…俺を、信じてくれないのか? 俺は、嘘が得意じゃない。オルタンシアは、よく知っていると思っていたけど」


 それなのに。

 どこか微笑むような温かな声が、言葉が、頑なな心の奥底にじんわりと染みていく。


 知っている。嘘が苦手な様を。何事にも真摯に向き合って、決してその場限りの適当になんて、はぐらかしたりしないことを。

 幼い頃から見てきたからこそ、彼は本心から告げていると、否が応でも理解する。


 彼より自分が信用できるのか?

 彼よりも、顔も名前もわからない前世の誰かを、信じられるのか?

 …考えるまでもない。


「これからも、悪いと思ったことがあれば、言うよ。今みたいに叱ることもあるかも知れない。でも、どんなことがあっても、それで嫌いになんてならないよ。一緒に笑いたいから、そうするんだ。わかってほしい」


 クズな私をクズではないと言い張り、いるだけで不利益と言われた私を側に置きたがる。

 誰もが目を逸らした私の悪いところだって、見つけたら教えてくれるうえに嫌わず、直すのに手まで貸してくれると言う。

 ほんと、ほかに、いない。こんなひと。


「マジ…すか…。やだもう。好き。やっぱり私、絶対、君しか無理じゃん。もー…君には幸せになってほしいのにぃ!」


「側にいてくれれば、それは十分叶う」


 誰より幸せになってほしいのに。隣にいられれば、それだけで幸せなのだと彼は言う。

 この生き物は何の奇跡か。

 ええい、チラッと上目遣いするな、可愛い。


「…もう観念して、俺を幸せにしてほしい。オルタンシア。俺と幸せになろう?」


 鼻の奥が近年稀に見るレベルのツーン…。

 こんなにいい子なのに。

 私なんかを好いたせいで幸福を逃すなんて、あってはならない。そんな理不尽、起きてはならない。誰も、起こしてはならない。

 幸せにしたい。

 …私も、幸せになりたい。

 win-winかよ。そうか、君の隣(そこ)が楽園か。天使だもんな。知ってたな。


「うわぁん、お婿にもらうぅ。頑張るから、今後ともどうぞよろしく!」


 限界だった。

 私は滲んだ視界の向こうにいるだろう相手を見上げた。ボヤンボヤンで全然見えない。

 目を擦ろうとしたら、途中でその手を掴まれた。ちぅ、と目尻で小さな音。


 …ちょ…、え? 

 驚くうちに反対側の目も。2回目は見えたぞ、片目がクリアだったからな!

 どういうことなの! シャイボーイがシャイを捨てたよ!?


「もっと早くに言ってやれば良かった。気付いてやれなくて、ごめんな」


 びっくりまなこの私はスルーかね!?

 お酒も入っていないのに、何があった。

 …いや、ほんのり赤い。照れてる。照れてるぞ、こやつ。

 お酒飲んだときは恐ろしいほどに照れが消えていたからな。今は正気だな。

 …正気でこれは、やっぱり変じゃん?


「あのね、あの…君は何か今、体調が悪かったりする?」


「特にしない。何かしてほしいのか?」


「いえ…あの、もう十分です…」


 アンディラートがはにかんだ顔で斜め上を見上げたので、そっと目を逸らした私も斜め下を見つめてしまう。

 涙ですか、驚きで止まりました。下を向いても、もはや一滴も垂れないぜ。

 おかしい。私の方が真っ赤だなんておかしい。どういうことなの…。

 私今凄い間近で見てたのに。なんか一瞬でメキッと成長したみたいなんですけど。

 私、刮目、足りてなかったのかな…?



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― 新着の感想 ―
[良い点] 私は今、心の中にガッツ石松が大量発生しております。 ここまで読んでよかった…… [一言] いや、続きもちゃんと読みますよ。読まずに成仏はできない。
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