往生際ワルインシアとフッキレラート
酷くダルい。
全然起き上がりたくなんてないし、何ならこのまま黙って目を閉じる選択すらチラついている。
だって視界が肌色過ぎます。
起き抜けに胸筋はやめていただいてもよろしいか。
あとね、その腕。つらっと抱き締めてくれているものだから、ダイレクトに体温と呼吸と諸々の密着ぶりを認識するハメになっている。
良くないよ。これは良くない。
…赤面はね、私ではなく幼馴染の専売特許だったはずなのだよ。
そうだよ、私は今、この上なく顔が真っ赤な自覚があるよ。これで朝のご挨拶とはハードルの高さがあんまりじゃないかね。
不意に頭上で「…ん…」と彼は唸った。
少し掠れた、ごく小さな声。
それだけで昨夜の諸々がギャロップ走馬灯。やべ、起きちゃうよ、無理、逃げ場…逃げ場はどこ!
私は咄嗟に…アイテムボックスへ逃げました。
「仕方ない。致し方なかった。色気のパワー力で危険が危なかったのだもの…」
起きた? 起きちゃった? ビクビクしながら観察を続ける私。そっとグリューベルを放ち偵察を行ったところ、アンディラートは唸っただけでまだ寝ていた。
腕の中のお荷物がなくなったことを察したのか、何だかもそもそとその辺を手探りしている。
どうやら私が離脱したことによる違和感を感じているようだ。まずいぞ、このままでは起きてしまうかもしれない…。
グリューベルからオルタンシャドウへ、モードチェンジ!
速やかに枕を引っ掴んでアンディラートの腕に突っ込み、よいしょと反対向きに寝返らせる。
さぁ、どうよ!
…しばし待ったが、眠りは継続されたっぽい。
よし。今だ。
アイテムボックスから出て、オルタンシャドウの手を借りつつベッドから撤退! 防御力ゼロのままでは心許無いので、予備シーツを出して頭から被った。
床に散らばる衣服が目に入る。
誰だよこんな乱雑に脱いだの。私だよ。自らな。ぐわあぁ。
スリップダメージを受けながらも横目に回収。
ありがとうアイテムボックス。救世主アイテムボックス。ゴリゴリ精神が削られる中、立ち止まって一枚ずつ拾うとかそんな余力はない。スピード命。寝室、危険、トラップ過多。
抜き足差し足で部屋を出ることに成功した。
そのまま、オルタンシャドウに担がれるようにして何とかお風呂まで移動する。
脱衣所の扉を閉めて鍵をかけ、ようやく一安心。
「…おぉ…危なかった」
正直、何の危機だったのかは良くわからない。
でもとりあえずお風呂入って、着替えて、彼が起きるまでに、ご飯の支度くらいは…。
「…できるかしら…自信ないぜ…」
こんなにオルタンシャドウが侍女として活躍したこともない。それくらい、私の動きが鈍い。各所諸々が様々にキツイ。
ちゃんと動きたいなら、身体強化様を用いればいいのだろう。
もしかしたら、回復魔法を使えば体調も良くなるのかもしれない。
わかっているのだ。そうなんだけど…こう、何となく使いたくないのだよ。
昨夜の時点でも意識して身体強化様を使わないようにしていた。多分、できるだけ本当の私で、ありたかったのだと思う。
どの程度が自分の素の体力なのかはわかっていた。呪われていたときには身体強化が働いていなかったからね。だから現状は予測されたことだったし、甘んじて受け入れる。
…嘘です。コレすらも、受け入れたいんだと思います。やだ私の頭おかしい、非合理的、ぅぐはぁ、何もかもが恥ずか死ぬ。
もだもだと時間がかかりつつ、何とか身仕度を整えた。
しかし再び、シャドウに担がれて移動する私。
もう歩けぬ。お風呂で力を使い果たした。
色々と見返してはいけなかった。罠だった。
ただ洗いたかっただけなのに鬱血の位置や数が…まさかあんなところにまでそんな。しかも嫌悪感皆無だったとこまで含めてつまり死ぬ。
謎の敗北感に包まれながら、ようやく辿り着いたリビング。有り得ないほど遠く感じたよ。シャドウから降りてソファに転がったらもう、起きられる気がしない。疲れた。
やはり調理はオルタンシャドウに手伝わせよう、動けん。
ちょっとだけ目を閉じ…。
…、……ん?
あれ、寝てた?
重い瞼を上げると、いつの間にやら心配そうな顔をしたアンディラートが。
ソファの横に片膝を付いて…やけに心配そうに…。
何だろう、そんな顔をされるようなことは何も…、…な、うおぉぉ!?
「ギャー!」
「えっ?」
思わず跳ね起きると、相手も驚いた顔をしてのけ反った。
ついでに私は痛みで瞬殺。前方に折れて、ソファから転げ落ちた。
しかし相手は咄嗟に滑り込み、私を受け止めた。
温かい。逞しい。知ってます。
ひいいぃ、無理じゃ、こりゃとても無理じゃよぉ!
ガンガン集まる顔の熱に、どうしていいかわからない。
あわわ、筋肉質な肩に触ってしまった手が震える。メッチャ・バイブレーシア。
「オルタンシア。その…」
「ぴぃ、ま、まずはお風呂だ!」
見れません、聞けません。
オルタンシャドウを召喚し、半ば無理やりアンディラートを引っ立てる。
「え、ちょっと…」
「お風呂が先! 何より先です! 入らない人とはおおぉ話できないのであります!」
勢いのままにそう言えば、反論を飲み込んでくれる相手の優しさよ…すまぬ、すまぬ…。
彼はオルタンシャドウに腰の辺りをグイグイ押されながら、浴室へと消えていった。
視界からいなくなってくれたことで、ようやく少しだけ冷静さが帰ってくる。
「うぅぅ、こ、こんな態度を取るつもりではっ…」
違うのよ、嫌なんじゃない、嫌なんじゃないけども、合わせる顔がっ…。
落ち着かなくては。時間が稼げたこの隙に、ちゃんと落ち着いておかなくては。
一夜を共にした直後にこんな対応して…、きっと傷付いたに決まってる。謝らなきゃ。
何かもうクラクラする。辛いよぅ、もう全て後回しにして寝てしまいたい。
だが放っておいた問題とは、悪化することはあっても、消えてなくなってくれることなどないのだ…。
キッチンにはやっぱりちょっと立てそうにないので、リビングのローテーブルで調理再開。オルタンシャドウがとてとてと働いて補助してくれる。
思ったよりも時間をかけて、アンディラートは戻ってきた。
もしかしたら私がパニックだったので、ゆっくり時間を取ってくれたのだろうか。
…くっ…風呂上がりか…これはこれでダメージがあるな。
一体どうしてしまったのか、私の情緒よ。
もうアンディラートの何を見ても照れる。
奥歯を噛み締めて俯く私に、アンディラートが不安そうだ。
「…オルタンシア…、そちらへ行ってもいいだろうか?」
ごめんなさいねえぇ!
そんなことすらお伺いを立てないといけない空気にして、ホントごめんなさい。
ちょっぴり泣きたい気分で何とか顔を上げる。
こんなにも駄目になるなんて思わなかったんですよ。
「ど、どうぞお座り下さい…」
何とか顔は上げたけど、どうしても目線は上がらないのですよ。床ガン見。
必死に言葉を考えながら、何とかそれだけ、絞り出す。
え。隣に座られた。
もう駄目、心臓止まる。
私は包丁をオルタンシャドウに託した。
シャドウよ、我々の朝食を頼みます…。
シャドウがキッチンへ去ってから、私はぎしぎしと油切れのカラクリ的動作で隣を見た。
アンディラートは不安そうにこちらを見守っている。頑張れ私。負けるな私。天使にこんな顔させていいと思っているのか。お前の血は何色だ。
勇ましい内心とは裏腹に、口からは切れ切れの超ちっさい声が出る。
「実は、あの、その…今朝からとても大きな問題が生じており、なぜか君の顔がうまく見られません。ものっすごく…あの…、照れるのですよ…」
必死に自白した。
ちょっと不思議そうな顔をしていたが、最後まで聞き届けたあと、アンディラートは「あぁ」と納得したように頷いてくれた。
さすが照れの先輩。理解は深い。
「本当になんかもう…見られなくて。決して嫌だとかそういうのではないので、あの、お、落ち着くまで、ちょいとごめんねっ」
「…その…、俺が怖い、のでは、ない?」
やだ、この子どこまで覚えてるのかしら。
私、酔っぱらい相手だと思って結構色々大開放した気がする。あんな有り得ぬ行動ばかりするからには、翌朝には記憶がリセットされる勢だと信じていたのに。私の…私の記憶をリセット頼む…だが記憶飛ぶほど飲んでない…辛い…脳内の全オルタンシアが私に有罪判決出してる。
あぁ、いかん、アンディラートが不安げに返答を待ってる。
怖いか、怖くないか…と言うと…。
「怖く、ない。ただ…」
「ただ?」
「…君を凄く意識しちゃって………死ぬ…」
両手で顔を覆った。
私、今までよくアンディラートにあんなに懐けたな。
隣に風呂上がりのあったかめ体温で存在されるだけで、この様なのですよ。
「………そうか」
ぽつりと零したその一言、ちょっと嬉しそうに聞こえました。
でも顔を見られないので確認できません。
そんなことを考えていたら、そっと肩に、か、肩に腕が回されっ、ヒッ、なんで抱き寄せるの、照れ死ぬんだってば!
「…嫌か?」
ピキンと固まった私に、小さな問い。
距離が距離だけに…囁くというのではないかな、それは。
答えを返せないでいると、そっと腕の力が緩められた。
その目に悲しそうな色が揺れたので。
「いやじゃ…ないです…」
腕の力は込め直された。
ああぁ、なんで一挙一動に動揺しているのだ、私は。ボスケテー…ボス誰だよ。こんだけ翻弄されるなら、もうアンディラートがボスなのでは。
助け来ないじゃん。殺しにかかる側じゃん。
「耳まで赤いな…珍しい」
「むしろにゃんで君は平気なのよぉ…」
耳撫でるから噛んじゃったよ!
自分がふるふるしてる理由がわからない。甘えるんじゃない私、意味なく震えて許されるのはチワワだけなのよ!
動揺している間に膝に乗せられていた。
…え。既視感。
待って。どういうこと。あ、もしかして彼はまだアルコールが抜けてない?
ハッとして顔を確認する。
それならば彼が照れぬことにも理解でき…いや照れてる、ほんのり頬染めて嬉しそうにはにかんでた…あぁ、正気だったね。可愛いね、困る。
負の申し子たる私の目が潰れそうなので顔はやはり上手く見れそうにない。段々目線は下がる。顎でもまだ無理。喉もむしろ無理。鎖骨…シャツの第2ボタン…無理。
どうやらお腹を見るので限界だ。
私、これから君のお腹と話しますね。ハロー腹筋。
「目が覚めたら、いなくて、慌てた」
すみません。色々無理だったので。
頬撫でるのやめてもらっていいですか、もう私いつ死んでもおかしくないんで。死因は心臓破裂。あの、何を察知したかわからないんですけど、髪の先ならいいってことじゃないんですよ。ほら、呼吸に支障が出ているので。
そうか、ここが死地か…。
「起きたら、こうやって触れたり、話したり、したかったのに、いなかった。ちゃんと抱き締めていたはずなのに………枕になってた」
ハの字眉して。
かわゆい。拗ねるのやめてもらっていいですか。キュンキュン来るんで。
幼馴染が私を殺しに来ている…プリティ・ユニバースをついに制したその可愛さで。お母様の可愛さは永久名誉職。1位は後進に譲られた。
しかしながらこの言動…今朝の私は、あのアンディラートに、起き抜けのイチャイチャを期待されていたらしいよ。そんなん無理でしたよ。今でも無理ですよ。
でも、お願いされてしまっていたらわからなかったかな…生命を賭けてしまったかもしれない。命の灯を燃やし尽くしたやも知れぬ。危険。先に目が覚めて本当に良かった。
「…オルタンシア。顔、見たい」
あ・まーい。声があまーい。ぎゃあ、髪の先にちゅーしよったぁ。
でも…やっぱりほんのり頬が赤いからには…これ、正気なのよね。
なんで正気でそんなことできるの。絶対昨日の昼間なら出来なかったよね。一夜にして積極性が爆上げなの。ちょっと見ぬ間に何か刮目するやつね。冷静ぶってみたけど冷静になれていないので、結局言葉が何も出てきてくれない。アヤフヤンシア。
「顔上げて」
そう言われても。頑張って何度も思い切ろうと試みはするのだけれど、決して剥がれない、腹筋への私の視線。まるですごいシックスパックラヴァーみたいな。
「…嫌なの?」
「いやじゃないです…多分、グレンシアは重力が強くて…下にかかる力がこう…」
うまく顔が上げられぬのです。
不思議な力が阻んでいるのです。
抗えぬ不可視のその力に、しかし、なんとアンディラートは指先一つで対抗。そして勝利。ゆあっしゃー。
どういうことなの。なんで、ちょっと顎クイされただけで上を向いてしまったの。
重力すら操れるようになった? アンディラートっょぃ…。
目が合った。逃げたい精神が視線を何とか別の場所に向けようと画策。
しかし察した彼の「見て」という一言に退路は断たれた。見た。
ほんのり笑んだアンディートの目に映る、テンパってる私の顔。
無言で見つめ合う…見つめ…見つめアーウトオォォ!
…おかしい、今、何かがアウトになった。私は自分の女子力のなさを痛感した。仕方ないよね、そりゃあ素直にオサベリもできないよ…オサベリって何?
「こりゃダメだもう無理だ気絶できない図太さが憎いぃ…ぃや令嬢だろ私本気出せよおぉ出来る出来る気絶できるよこれだけ焼き切れそうなんだものよし逝け」
「…わかった。ゆっくり慣れてくれていいから。気絶は、しないほうが俺が助かる」
「じゃあしない気絶しないぃぃ」
「うん」
俯きたい私の顔を支えたまま、微かに触れるだけのキス。
…何も助かってないぜよ。この天使、むしろトドメ刺してきたのでは。




