幼馴染とワイン。~酔った勢い
いやぁ、これは大変なことになってしまいましたね、オルタンリポート始まって以来の危機ではないでしょうか。現場では引き続き各種状況に注意していきたいと思います。
では、一旦スタジオにお返ししまーす。
はーい、こちら脳内スタジオのオルタンシアです。
解説には対人恐怖症のオルタンシアさんと、前世強姦殺人被害に遭ったオルタンシアさんに来ていただいてまーす。
いやぁ、この状況ですら赤くなっていないアンディラートさん、一体どうしてしまったんでしょう、心配ですねー。
酒は飲んでも飲まれるなとはよく言ったものです。
左手に感じる圧が凄いんで、何かもう私、アイテムボックスに入ったほうがいいんじゃないですかね。
いやいや、うっかり朝になってもまだ彼が椅子に座ってたら、出るとこが再度膝の上なんで。
正気づいてたら照れ顔二度美味しい、どころじゃねぇや気まずさ再びですよ。
アンディラートのほうを一旦収納してからベッドに取り出して、そっと寝かし付けてきてあげたほうがいいのでは。
でも、手の中のコレがアレなうちは、彼も簡単に眠ることなどできないのでは?
それにもし収納したとして、取り出した瞬間に「膝から下ろすの、やだったのに」ってポロポロ泣かれたりしたら、オルタンシアさん耐えられます?
無理ですね。
土下座ですね。
むしろ何度でも膝に座り直しますね。
チーズケーキエンドレスアーンですね。
…でしょう、土台我々に彼を見捨てる選択肢など有り様がない。
そもそも、ドン引いている方はいらっしゃいますか?
(シーン)
…ホラこれですよ。
どうしたのです、対人恐怖症さん。よく考えて下さいよ。
親友にこの所業、裏切りではないですか。悔しくはないのですか。
…え。でも親友に性欲を持て余してはいけないという法は存在しない。
あったとしてもアンディラートなら何もかも許せるし、むしろ天使を裁こうなどという悪法が早急に改正すべき。その後の彼のメンタルケアをどうするか、そっちのがずっと重要な案件。
…ッかー。
どうです、強姦殺人被害者さん。
貴女、わりと本気で男が怖かったはずですね。実際には恐怖で身動きが取れないかもしれないけれど、もしクソヤロウに性的な目を向けられたならば蹴り潰しても止む無しが信条、と伺っておりましたが?
…むしろ今、この左手に嫌悪がゼロなことに驚いている。気は動転してますが、内心といえば驚きと羞恥と謝罪の気持ちでいっぱいです。
考えてみれば、ほっぺにちゅー、くらいは余裕でできるな…どこまでできるのかというと…………あれ、私、もしやアンディラートなら最後までいけるのでは?
実際そうなったら恐怖で身動き取れないかもしれないけど。
えぇい、どいつもこいつも頼りになりませんね。ストッパーなど居やしないのですか。
私?
そりゃあアンディラートですもの、突然の異性感はパニックショックでありつつも、脳内の片隅では「まぁ、そりゃ男の子だしなー」という冷静な私がいます。
仕方ないよ。思春期男子が、こんな可愛らしいオルタンシアさんを膝乗せしてケーキをアーンして抱き締めて、挙句に手の下にはアレが位置してしまったのです。反応するのは自然の摂理。
仕方のないことです。前世分、私が大人にならねば。
…ほらね、どうせ我々は、私のことなどどうでもいいのです。
今は如何に彼が正気に戻った時、葛藤や羞恥から守るべきか。そのためにすべき最善手は…
スタジオさーん、スッタジッオさーん!
どうしました、現地のオルタンシアさん。
何か状況に動きがあったのでしょうか。
そうなんです。俯いたままの幼馴染が「触りたい」だの呟き出しました。耳元なので聞こえてしまいましたね…。
独り言っぽかったですが、聞き流すべきなんでしょうかねぇ。どうしましょう。
「…よし、もー無理」
私は両手をアンディラートの胸に突っ張って身を起こす。
身体強化をこんなことに使う日が来るとは。反射のように抱き締めようとしてきたアンディラートの頬に、両手をササッと移動させた。
落ち着くのだ、アンディラートよ、拒否ではない。ステイ、ステーイ。
じっと目を合わせると、ホールドマシーン幼馴染は動作を停止した。
「悩んでも、出ない答えなら、いざ特攻」
「…オルタンシア?」
「いいよもう。好きに触れてみたまえッ」
謎のテンションで発した男らしい宣言に、急に幼馴染は「怒ってる…」と悲しそうな顔をした。
な…なんでだい。
思春期男子、ここは喜ぶべきところじゃないんかい。
悲報・決意が空回りする件について。
「えぇい、引っ込みつくかー!」
「あ」
君の左手も同じ目に遭うがいい!
おらよ、とっ捕まえて、私の右胸にドーン!
「やわい」
真顔で感想を述べられたので、急激に正気に返りました。
あーあーあー。
触るだけでは飽き足らず、無理やり触らせるとか。どんなセクハラよ。
自分の顔面に急激な熱が集まっているのがわかりますね。ええ、よくわかります。
「…しにたい…そうだ、きょうといこう」
「え。だめ。どこ」
何、この片言会話。
そして反射的なんでしょうけど、左手ギュッてすんなし。息を詰めて顔を歪ませた私に気付いて、アンディラートはハッとした顔をして左手を開きかけ…たけど、やっぱりやめて弱く握り直した。
「…んんっ…」
そして、ゆっくり揉んでる。
待って、何だこれ。君、いいのか、それで。
「…やわ」
固かったら多分、筋肉か爆弾。
しかし今となっては、我々カタコト連盟には、長文を紡ぐ力はないようだ。
「ごめん」
「…な、にっ…」
「やわい。幸せ」
ああ、そう。幸せなのかい。そいつは良かったよ。
顔は熱いし、他人の手がやけにリアルだし、俯いて呼吸するのが精一杯。とても何か言葉をかけてあげられそうにない。
怖いな怖いな、ゾワゾワするな。でも無理ってほどじゃない。
喜ばれてるなら耐えられるかな。どうかな私、どうしてもやめてほしいか、そんなに嫌かというと…そうでもない気がするけど、よくわからないな。
アンディラートの左手は揉むのをやめて、ひどくそっと、輪郭を確かめるかのように触っている。そわそわするな、もー。無理だ。今、私は何の仮面を被ればいいんだ。
空いていた右手が私の頬に触れた。少し、上向きの力が加えられる。
「…可愛い…」
アンディラートが、とろりとした目を合わせて呟いた。
その瞳には、困ったような顔で口をへの字にした美少女が映っている。
私です。
本当にもう。なんで赤面しないの、君。そんなのいつもと逆だし。あぁ、もう、ホント顔が熱い。
頬に触れていた手が耳に滑り、髪を梳いて、首の後ろを撫でて、肩甲骨に落ちる。
見えるわけないのに、目が勝手にそれを追おうとしたら、左手で顎に触れて止められた。強くもないのに、動けない。
「そっちじゃなくて。俺を見てほしい」
確実な熱を籠めた声。
何だろうな、ちょっとそれ、難しいですね。
一度逸れた私の目線はそわそわと抵抗して、私の背中にある右手を見ようとする。
「オルタンシア。こっち向いて。嫌だったらちゃんと言ってほしい…けど…ねぇ、キスしてもいいかな…怒らないかな…可愛い」
ひえぇ。
どんな顔してそんなこと言ってんのよ。
そりゃつい見ちまったわー、やだもー、何だその目、えろーい。
「…だめ…? キスしたい」
悲しそうな顔をしないでほしい。
それだけでもう拒否するなんてできないし、そもそも最初からダーかイエスかウイムッシューしか表示されてないとか完全に選択肢がバグ。
「だめじゃないです…」
しかし「選択肢4.消極的肯定派」の日本人よ…。
この消え入りそうな声が自分とか信じらんない。
怖いのかな…自問してみるけれど、怖くはないかな…。
でも、じゃあこの胸のモヤモヤ感は…ううぅ、不安に期待に、焦れ…ですかね。したい、の、ですかね私。うわぁ恥ずか死ぬ。
「よかった」
困ったように微笑んで、するりと唇が重ねられた。
なんと。心の準備、する暇なし。
でもする暇を作られたらそれはそれで困る気がする。
触れて、離れかけてはやっぱり触れる。くすぐったい…でも、嫌じゃなかった。
これは認めざるを得ない。恐怖のドキドキじゃない。嬉し恥ずかし、興味もあり…私にはアンディラートの「触れたい」を何も否定できないということ。
私のためにも法改正…いや、違うぞ、私は持て余してない…が、酔っ払ってもないな。
より言い訳ができない。
完全に正気ゆえに、私のほうが、親友を裏切ったのかもしれない。…付け込んだのは私の方…って、めちゃんこ後ろ頭撫で撫でされてる。
多分、私が逃げるだけの余白を、空けてある。
嫌だと言えば、すぐやめるのだろう、な…。
「…それも腹立たしくない?」
「なに?」
それはさぁ、やっぱりただの酔った勢いであって。
別に私じゃなくてもいいっていう…そりゃそうに決まってるけど、なんで私はこんなことを考えてるんだ。
そういう欲に火がついたら自力で止めることが不可能なのが男なんじゃないの。だから前世、抵抗した私は殺されたんじゃないの。
世には奇跡の両親のような特異例もあるけれど、それだって…コトはやはり女性にとっては暴力でしかないんじゃないの。所詮は暴力でしかないものを許容できるのが貴族女の矜持、または絵空事的な愛なのかと思っていたのに。
天使とはいえアンディラートは人間の男性なのだから、根本に欲を持つこと自体は否定しない。動物として、生き物として、本能に根差すものだから…そこまで彼を幻想的な存在だとは思い込んでいない。多分。
ただ、彼の誠実さと常識の鎧を緩めない姿が…それを継続して示すことが、前世の私が恐怖した対象とは、確実に違うことを私に知らしめた。
だから、私のこの気持ちは、矛盾している。
私に逃げ道を残すことを不満に思うのは、間違いだ。
誠実さの鎧を剥がそうとするのは、間違いだ。
怖がっても逃がさないでほしいと、思うのは間違いだ。
それでも怖がったなら、どうかやめてほしいと願うのは間違いだ。
「…泣かないで。悲しませたくない」
「泣いてないし」
「嫌なら触れないから、嫌わないで」
「絶対嫌えないし」
怖いし怖いし、でもアンディラートなら大丈夫な気がする。でも土壇場でやっぱり駄目って言ったら止まるのかな。止まってくれなくても怖いし、止まれなかったことを後で後悔するのは可哀想だし、止まってくれても凡そ人外の無理をさせるのならば可哀想だし。
「ごめんな。………好きになってごめん」
それは。
それは、ちがう。
私は他人に好きになってもらえるような人間じゃないのに。
好きになってもらえるのなら、喜ぶべきことで、それを謝らせるだなんてとんでもない。
でも私は、クズで。
「君のは本当に、そういう、好きなんですかね。…一体いつから…その、女子として?」
彼の態度は昔から一貫していたような気がして、いつの間に恋心なんて抱かれていたものか見当が付かない。ライクがラブに変わる瞬間って、一体どこにあったの。
なぜ、何があってそうなった。
…やはりこれはただの酒の勢いなのでは。
「ずっと好き」
「…ずっと? じゃあ、そもそも私は、君の、友達には…なれていなかった…とか?」
「好きだと友達でいられないのか?」
えっ、どうなんだい。
友達は…。待てよ、友達って何? 前世いたことないし今生メイン君なんだけど。
友達とは、もっと無邪気な関係…では別にないな、相手を認めつつ切磋琢磨する真面目な場合だってある…。心の中で対等な…遊んで楽しい…困ってるなら助けたい…何かそんな…。
逆に好きな相手って何。
好ましい人。でも恋人になるまでは知り合いか友人でしかないよね。ということは、私とアンディラートが友達であることは矛盾しない。
親友であることは揺るがない。両思いになるまでは。
両思いに。
今…なっているのでは?
え、私は親友を失う流れなの? 困る。
「…困らせてごめん。迷惑なら…」
「おおっと! ところが迷惑ではない! いらっしゃい両思い! ということは恋人ですか、自称じゃないやつ!」
悲しそうだったアンディラートの目に、少ししてから不思議そうな色が灯った。
酔っ払い相手だ。
明日は忘れられているかもしれない。
そもそも、本心ではないかもしれない。
きっと、そう。
そうだったとしても。
別に困らないわね。責任を取らせるつもりもないし。
一夜の過ちで結構だ。元々、私に縛りつけるつもりなどない。
幸せでいてくれればいい。
可愛くて優しくて、貴族対応のできる奥さんを貰って、騎士になって、生きてくれればいい。
そうだ。忘れてくれればいい。
「…本当のことを言うとね。私、前世で、…男の人に襲われて死んだんだよね。だから、男の人怖いし無理だなって思ってて…だから、結婚願望なんて元々全然なくて…」
アンディラートは固まった。
もうひとつ、大事なことがあって。確認をあえて避け続けた、ことがあって。
「君、どこまで見てるのか、わからないけど。私が家を出た、時もさ、シャドウだけど、私だし、サポートが使えなければ、私だし、身代わりにしたところで、私だし、私もう、何か、こう、人に好いてもらえるようなアレじゃないっていうか、き、汚いって言うか」
「それはない」
抱き締められた。
こんな話をしていながら、怯えるより先に安堵した。
この腕が私を傷つけることは…やはり考えられない。
「怖がらせて悪かった。何も知らないで。…前世は助けられなくて…悔しい」
「こ、怖くないし、前世なんて君…」
「でもオルタンシアは汚れてなんかいない。あの日、シャドウは無事だった。だから。オルタンシアも、無事だったんだ」
思わず顔を上げた。
いつも通り真摯なその目に、嘘はない。
嫌悪も、拒絶も、何もない。
「俺、いたよ。だから、お前は無事だ」
あの時、ワードローブの中で全て見ていた。黙って見過ごすなんて有り得なかった。何を考えるより先に飛び出した。剣を持っていなくて、あんなに後悔したことはない。
そんな言葉が降り注ぐ。
彼はひたすらに、私が、無事であったのだと説明した。
この件について聞かないよう、触れないようにしたのは…結局は、私がそういう被害を受けただろうと諦めてた部分が大きい。
身代わりシャドウに、アンディラートが気付いたかは半々だと思っていた。
気付いたところで、父の祝いの場でそれを指摘して場を壊すことは考えられない。
きっと日を改めて問いに来ると思った。
そうしたらもう、手遅れなのだ。
紳士な彼が、体調不良の令嬢の部屋を尋ねる。
それどころか寝室まで入り込み、シャドウからヘルプコールを受け取る。
そんなことは、もはや夢物語に近いから。
更には誰にも言わずに夜まで私の部屋に隠れて、暴漢を退治して。
殺さずにお父様に引き渡して…状況を、言い訳して?
誰がしてくれると思うの、こんな面倒なこと。
君以外の、誰がしてくれるの。
君なら。してくれるかもしれないと…、思ったよ。
「…きみ…、たすけてくれたの…」
「当たり前だ」
断言する様の頼もしいことと言ったら。
いつの間にか頬を流れていた涙を、アンディラートの指が拭う。
ふと目を伏せて。
濡れた指を、なぜかアンディラートはぺろりと舐めた。
おい、なんだその突然の色気。
「…今なんで舐めたの」
「美味しそうな気が…甘そうに見えたんだけど、普通にしょっぱい」
ああ、やっぱり酔ってるんだな。
真顔で変なことをする。思わず笑ってしまった。
それから両手を伸ばして、彼の頬に触れる。少し背伸びして、口付けた。
やはり嫌悪感はない。胸の奥がふわふわする。
「どこまでできるか、試してみたい。君なら、怖くないかもしれないから」
何をできても、できなくても。
酔っ払っているなら、どうか明日には忘れていて。私もワイン1杯で酔ったのだと、そう思って。
「…怖いんだろう。無理に触れなくても平気だ。俺は、一緒にいられるだけで、いい」
反射のように抱き寄せておきながら、キスは思い止まって、とろりとした目でそんなことを言う。ほらね。そうやって、私を優先しようとする君だから。
「私の実験に、付き合って。君のしたいように、してみてほしい。君となら、その…あの…できる気がする。君じゃなければ…アンディラートではない人とでは、多分…」
「だめ」
焦ったような声と共にキスが降り注ぐ。
口だけじゃなく、涙の後も、鼻のてっぺんも、額にも、頬にも。
思わず笑って悲鳴を上げた。歓声だったかもしれない。
「そういうこと言わないで。俺以外に」
お願い、と。
掠れた声にぞくりとした。
「君以外に言うわけないのに。いつも、そう言うのね」
「お前は何するかわからないから」
信用がないせいだったよ。




