グレンシア住宅事情
道すがらに訪ね歩いては見たが、その辺の宿屋も含め、やはり大体の長期滞在用不動産は埋まっていた。冬目前のこの時期だもの。
…越冬のことなど欠片も考えぬ猪ぶりで挑んでたよ、当たり前じゃん、命懸けなのに季節なんか知るかよウワァン!
だが銀の杖商会で相談を持ちかけたところ、相談に行ったその日に入居可能な物件が見つかったのだ。
商会長の「こんなこともあろうかと」が発動していたらしい。
銀の杖商会、頼りになる。
「ただいま資料を揃えて参ります。本日はお時間はございますか? 現地確認をご希望であれば、ご案内もさせていただきますよ」
思わず顔を見合わせる私達。
歩き通しからの商会訪問なので、アンディラートの小腹の空き具合が心配…と思ったら説明がてら広げられるお菓子と軽食。
当たり前のようにまずはおやつにしてくれる商会の人…これは多分、「ラッシュさん対応マニュアル」が従業員に徹底されている。
「商会長からは「ラッシュさんがグレンシアで越冬される場合には、まずは商会に客人としてお泊まりいただくよう打診してほしい」とのことなのですが…」
「それはできない。借りられる物件があるのならば、きちんと契約をして一冬借り受けたい。もちろん滞在中に何か依頼があるならば、最優先で受けさせてもらうつもりだ」
「…と仰るだろうとの予測でしたので、こちらが物件の詳細になります。ただし商会としては既に貸出可能な物件がございませんので、こちらは商会長個人の所有になります」
はい、最低限の賃料しか発生しませんでした。
申し訳程度の契約金に反論したいアンディラートだが、「でも商会の商品じゃないし。ここ以外に物件ないよ。こんな時期に長期滞在用のおうちなんて、もう探せなくない…?」という空気をやんわりと出されてしまえば引き下がるよりない。現実なんで。
…騙された、ションボリ…みたいな顔しないのよ。海千山千の商会トップに、成人したての素直男子が勝てるわけないじゃんよ…。
鍵と共に「いざというときは、ラッシュさんに貸し出してね!」という言伝てがされていたという物件は、この後早速、商会の人に案内してもらえることになりました。
相手方からは「むしろ商会の客室でも良いんですよ~、三食昼寝付きですよ~」なんて勧められた。当然「そんな迷惑はかけられない」ときっちり遠慮するアンディラート、ブレない。
勝手には誘えないだろうから、一応の追撃も商会長の指示なのだろうね。
商会長、本当にアンディラートのこと好き過ぎだよね。仲間意識が高ぶりますわ。
でもちょっと甘えすぎてるのはわかっているので、なるべく私も抑えめ価格で絵を売りますし、商会で欲しい素材とかあれば冒険者として取りに行きますですよ。
…こう言っては何だが、割りとできること少ないな。
個人的にお礼ができれば良いのだろうけれど…私との関係は絵の売買こそあれどただの商売相手。商会長が個人的に親切にしたいのは私ではない。
向こうにとって私は「ラッシュさんの付属物」でしかないと思うので、そんな奴があんまり出しゃばってもな…何とも難しい。
「グレンシアでの個人宅としては立地が不便であることを、まずはお伝えしなければなりません。買い出しなどは私どもが御用聞きにお伺いすることができますので、お許しいただければと…」
「いや、大した距離じゃない。買い物くらいは自分でできる」
「そう、ですか…もしもご用意できるものであれば、是非当商会にご用命をいただければと思います。装備品のみならず食品、衣類に家具まで、当商会は品揃えには自信がございますよ」
悲しげな顔からのニッコリ営業スマイル、押しが強い。
「…う、うん…」
アンディラートが板挟みになってる。商会利益と相手の手間を考えて困っちゃってる。
流されてるなぁ…8割くらい、「あれ、御用聞き頼んだ方がいいのかな?」って顔だ。
商人相手の交渉じゃ、君には荷が重いよね。
「冬といってもグレンシアですから、閉じ籠っているのも不健康ですよ。ダンジョンやギルドにも行くでしょうけど、お散歩がてらこちらへお買い物に来るのも気晴らしになるのじゃないかな」
特にお買い物ないときに来られたら余計に気まずいじゃんね。
やんわりと口を挟みながら腕をつついてやれば、彼はこっくりとこちらへ頷いた。
商会の人も、とりあえずは引き下がってくれるようだ。騙し取ろうとかじゃないからいいけども、囲っておきたい感がビンビン。
なまじ大半の商品を商会長価格でご用意できるだけに、変に余所の商会に行かれたら悔しいってことなのだろうか。それか商会の人達も単にアンディラートが好き。うん、後者かもしれん。
ぺらりと資料をめくる。
商会長の個人資産だという、町外れのおうち…大きさに対して有り得ない破格で貸していただけるようだ。
元は冒険者の拠点で、平屋建てながらお風呂付き、何人で住んでいたかは知らないが鍵付きの部屋が3つはあるらしい。
この時期にこの価格でこの家屋を借りるのは、例え事故物件でも難しいよ。
本来なら足元を見て値をつり上げるべき時期なんだから、余計に。
なのに足元見て値を下げられるという、不思議な生き物ラッシュさん。これが人徳か。
一般家庭だとトイレと寝室とダイニングキッチン…のみ!みたいなおうちもザラにあるらしいので、本気でお風呂付きに感謝。
いえ、なければ普通に自分のお風呂をアイテムボックス内で使うのですけれど…そもそもそこに住んでた人はちゃんと銭湯通ってたの? 前住者がもし、むっさい冒険者なら…ニオイ染み付いてそうじゃありませんの?
魔獣対策の外壁に囲まれた城都内、その中の賑やかな地区や比較的治安のいい地区は大人気だ。トリティニアと違って、あんまり土地は余ってない。
建物がボロいと賃料もお安い。
安ければ人が来る。ボロい部屋を入居者が自腹で修理するなら、大家も快く見逃す。見逃されれば気が大きくなる。
そして人が無秩序に集った場所では、行政による大掛かりな改革でも入らなければ、各自の自由に混沌が積み重ねられていく。
行き着く先は違法建築である。
いえ、元々建築にそんなに決まりはないのですけれど、大工入れずに自分で好き勝手にリフォームしちゃう人もいるからね。
ヤバい集合住宅になると何度もそれが繰り返され積み重なって…過去住んでいた人がDIYした場所がどこかなんて、もうわからないカオス。
酷い部屋は割れた支柱に適当に丸太を括り付ける一時凌ぎぶり。適当に壁を抜いて窓付けちゃう人もいる。更にはそこから階段付けて上階作っちゃう人もいる。
それが満室の集合住宅ならもう、誰にも手の施しようがない。
たまに屋根に小屋まで作られてる。賃貸とは一体…自由すぎだろう…。
地震があるのかは知らないが、特に耐震強度なんて怪しいものです。
グレンシアは魔獣が多い。安全な土地を求めて都に人が集った場所柄、庶民は詰込の集合住宅が普通。そういう意味でも都会的。
もし家を建てられるだけの土地を手に入れても、周囲の地下に上手く接続できる隙がなければ排水工事が出来なくて…新築ほどバス・トイレなし。つまり公衆用を使うしかなく、井戸すらご近所と共用なのだ。
しかも割とあるあるらしい。マジかよ…お腹壊したら大惨事じゃないのよ。中世ぶん投げ式じゃないのを喜ぶべきなの? 志低いよ。
それに銭湯文化自体は日本人としては親近感持つけど…実際には知らない人との裸の付き合いなんて、絶対イヤだよ。仮想敵地に全裸なんて無防備、とても無理。
女がか弱いなんて幻想だ、腕力が男ほどにはないだけだ。そして、力がなければ道具を使えばいい。時にその道具は立場の弱い人間…陰湿な人間はどこにでもいる。ガクブル。
この様ですから、そりゃあ番頭さんはいるのだろうけれど、コインロッカーもないのに脱いだ服や荷物を放置できるほど、他人を信じられないよね。
そもそも番頭が敵ではないと誰が決めたんだよ!(重症)
…今なら頭ではわかってるのよ、番頭さんが悪ならその銭湯は栄えないということは。
え、昔なら? ハハッ、番頭は悪だよ。当然、賄賂貰ってるじゃん。銭湯を牛耳る悪の組合がバックに付いてんだよ。荷物どころか靴まで盗んで裏で売るに決まってる。
…だが、前世風な私の考えではグレンシアでは生きていけないのだろう。
魔獣の脅威が身近なこの国では、ご近所さんとの密な信頼関係を、当たり前にしないといけないのだ。
ホットな魔獣ニュースを得るにも、沢山の冒険者という外部の人間が流入する環境対策としても、…自分や家族に何かあった時の遺族フォローとしても。
落ち着いてみると、トリティニアの穏やかさ、とても恋しい。




