サトリさんがまだ帰らない。
改めて見回してみれば酷い惨状だ。
絨毯はボロボロだし、壁も家具も傷だらけ。
まぁ、それはドットコムさんが自分で如月一味を邸内に引き入れたのだから、私のせいではないよね。
少なくとも自分達の痕跡だけは消して行かねばと、まずは簡単なお片付けをすることに。
私が半狂乱になったせいで、色んなものが色んな所に飛び散っているのです。指紋鑑定みたいな捜査方法はないけれど、凶器を残していく犯罪者もいないよね。
…あー、犯罪者かぁ…ハハッ…。
前世ほど法整備も人権も高度でないこの世界で言えば、過剰であろうが正当防衛でしかないんだけれども。やっておいて何だが、前世感覚が色濃い私には、そう綺麗に割り切れるもんでもない。
いえ、やりますよ、同じ状況となれば恐らく何度でもやるのですけれども。
感情的に泣き喚いた後なので、より一層、意識的な冷静さが己の至らなさを攻撃してくるというか。
すぐにとは言わないが、避難させた使用人も戻ってくるだろう。
それから通報するのだろうから、私物のお片付けさえしておけば、現場から私達を割り出せはしない。
例えば…この毛足の長い絨毯。
わぁ、なんてことだいトム。ジェノベーゼソースだって? とってもクレイジー!
そうさ、見ておくれよマイケル。織りの赤に紛れるこのバジルのツブ感…オリーブオイルのお陰でよく馴染んでるぞ。もはやこういう模様だ、サッと拭いたくらいじゃとても取れない。これは豪快にやってしまったなー。
でも? 大丈夫!
アイテムボックスにかかればホラ、この通り! ゴシゴシと擦るような手間も力も要らないンです。
凄いや、スルスル落ちるぜ。一家に1つは欲しいアイテムボックス! いやいや1つといわずお父さんの分、お母さんの分、おじいちゃんの分…ちょっと待って、でも、それってお高いんでしょう?
やべっ、アンディラートと目が合った。
あの…いや、真面目にやってるよ。ちゃんと片付けてる、ホントよ。
え、なんか楽しそうに見えた? あ、うん…まぁ、うん。否定はできない1人上手…ソロプレインシア…。
私達と同様に、サトリさんにはまだこの場を去る様子がない。
ただし私達とは違う場所をウロついているので、彼は彼で如月さん達の痕跡を消しているのかもしれない。
人形のようにバラバラになった如月さん。
そういえば、…あんな状態でも如月さんは生きていたんだよな。
思い返してみたら、ファントムさんが胸を刺し貫いた時も、血が出てなかったような。
あの時は必死すぎて、そんなことまで気が回らなかったけれど…生き物であるのなら、人外と理解していても不可解なことだ。
私の作ったご飯は食べていたしなぁ。
ファントムさんのようには、破損しても消えない。魔力で作ったものでもないのなら、サポートとは違うものだよね。
アッ、まさか彼女の正体は殺人鬼の霊が乗り移った人形、キサッキー!
…語感悪いなキサッキー。ではキッキーなら…うん、ただの猿だな。
キッキーとゴリランシア、傾国を賭けた猿人系美女子の戦い…ウホ。
考えても正解がわかるわけはない。だが、答えられる人がそこにいる。
せっかくなので、人外ボディについて訊いてみることにした。ほら、答えてくれるかはわからんけど、訊くだけは無料なので。
「サトリさーん、如月さんは…いや、サトリさん達って素は霊体ですよね。今って人形的なものに乗り移ってるんですか?」
サトッキーなの? やっぱり語感が悪いからサッキー…なんか昭和のアダ名っぽいな、男の呼び名にジュリーやサリー。サトリさん、グループサウンズしてました?
「そうですね。私達の身体は肉体に似せただけの作り物です。本来の我々は所謂『魂の状態』のようなものですから、そのままでは下りた世界に取り込まれて戻れなくなります。それを防ぐために防護服を着ていると思って下さい。味覚も痛覚もあり、血を流すことも可能なのですが、痛がって仕事が出来ないようでは意味がありませんから、機能をオフにすることも出来るのです。この身体はここより上位な世界の力で作られ、動いているものです。異物ですから、切って埋めたくらいではこの世界に還りません。持ち帰って処理しないと、どれほど壊れていても周囲の魔力を取り込んで変換し、いずれ再生します」
雑談は例によってスルーされたが、意外と詳しく説明してくれた。
けど、防護服なのかぁ。そりゃ、見た目に年は取らないわね。
…あれ、肉体がなければ世界に取り込まれるということは…この世界ってアンデッドが存在していようとも、幽霊はいないってことよね。あくまでもアンデッドは空の器に魔力が干渉をして変じたものであり、生前の自我を取り戻すことはないのか。
…そうね。それは、生者の希望でしかない。失われてしまえば、それまで。
それに、世界に取り込まれるというと何か怖い感じがするけれど…もしそのまま下りてしまった場合には、赤子としてどこかの夫婦の間に生まれるってことだよね。
私がオルタンシアとして生まれてきたように、サトリさんであってもそれは避けられないことなのだね。
お仕事しに来てるのに赤子スタートでは、如月さんを探すどころではないだろう。そりゃ防護服を着るしかない。
ただ、痛覚や血液の流出を止めることが出来ても、大きな破損をした場合には再生に時間がかかるとのことだった。
こちらの攻撃直後に動きを止めて「気絶したのかな?」と思うような状態の時は、ひっそりと大ダメージからの回復作業中なのだね。
成程、成程。ちょっとわかってきたぞ。
つまり彼らの防護服にはデフォルトで常時回復が付いているので、恐らくはそうそう殺すことができない。
だが、厄介なだけでノーダメージというわけではない。入れ物に対し、なかなか回復できないような壊しかたをすれば、ダウンから立ち上がれないままの状態が続く。
具体的には、心臓貫かれたり浴槽顔面にぶち当てられたりしたら、それなりに壊れるってことなのね。
ならばあのとき、剣がサポート製でなければ…ファントムさんと共に消えなければ、私はもっと上手な戦いができたのだろう。
身体が剣に阻まれて再生できず、心臓に大ダメージを受けた状態が継続していれば、復活はできなかったのかもしれない。
2度と戦いたくはないけど、知識と手段が多いに越したことはない。
もしも似たような危機が起こった場合には、問答無用で浴槽を量産して投げつけるか。
戦いは数だって聞くものな。
いや、投げるより重力さんの手を借りるか。足元の地面をアイテムボックスに詰め込んで落とし穴を作り、メテオの如く大量の浴槽を降らす。
よし、これだ。
イメトレして作戦名だけで発動できるようにしておけば、心を読まれてもバレずにいけるだろう。作戦名は何かしら。バス・メテオ、ミーティア風呂…うぅん、メテオだけで動きの予測が立つかな、警戒に値するかも。
如月さんは唐突な浴槽という単語にペースを乱された。だから他人から意味がよくわからないような、かつ、すぐ言える短さが必要なのでは。
そう…ダイレクトに『作戦名・風呂』!
サトリさんが急に俯いた。
目を向けるとそっと右手を口許に当て、何事もなく顔を上げる。変わりない真顔で「私はそろそろ失礼致します」と呟いた。
いよいよ今生のお別れか…。
「あ、待って下さいサトリさん。もう1つだけ! 大事なことが!」
思わず声をあげた。これだけは訊いておかなくてはいけない。
必死そうな私の声を聞き付け、幼馴染が何事かと駆け寄ってきた。しかし状況判断も素早く、特に危険はなさそうだと判断。そのまま私の隣で待機した。
ぽんやりしているけども…アンディラート、君のことだぞ!
「アンディラートさんについて、ですか?」
「俺?」
きょとんとしてるわね。だけど、本当にこの子、心配じゃないのかしら?
だって、謎の協力者とやらなんでしょう。
人外との契約には普通大抵リスクが付き物よ。なぜなら同じ常識で動いていないから。
もちろんサトリさんに限っては、好意的だし、悪魔でも何でもない。アンディラートに不利になるようなことをしないと、信じてはいるよ。
だが、サトリさんはお役所勤め。
相手方が現世にあまり影響しないようにと考えているのなら、信じるだけではダメだ。
勤め人とは時に情や利益に関係なく、会社や上司の意向で動くのだ。向こうの規定で使われている契約書の隅に、小さい字で「ただし完了後は全て忘れる」とか書いてあったら記憶を奪われたって文句を言えない。
「アンディラートの協力者契約は満了ですか? 契約書とかはあるんですか? 見せていただきたいのですが」
どういう取り決めをしたのだい。
リスクや貢献度に対する報酬とかペナルティとか、そういうのはないのですか。契約前と何も変わらない状態で解放していただけるのでしょうね?
いえ、もちろんサトリさんを信じておりますけれども!(2度目)
「契約書というものはありません。報酬も特には。…ですが、アンディラートさんの魂には私の協力者であることが刻まれており、これを削除する方法はありません」
「えっ」
驚いた声を出すアンディラート。え、まさかの事後承諾?
ちょっとサトリさん! 全然説明してないんじゃないですか!
「寿命を全うされた後はこの世界に分解されるでしょう。問題ありません」
死んだら契約も消えますよ、と?
確かに生まれ変わって記憶もないのに「前世で契約したので」と、しれっと関係者を続けられてたら困るけれども。
完全にアンディラートは初耳の顔してますよ。何、ツラッと人の幼馴染を傷物にっ…。
「大丈夫です。これは私とアンディラートさんが縁付くだけのもので、生活に支障はありません。協力者として登録することで、決まった言葉を用いてお呼びいただくと、私に声と居場所が届くという効果を使用していただきました。今後はこちらにも呼出しに応じる理由がありませんし、呼び出すキーワードも日常では使わないような言葉ですから、本当に問題はないのです」
…えー、心なしか弁解の口調が早口じゃないですか?
私が怒りそうかなって実はちょっと思ってたんですね?
もしもうちの子に危害を加えたら、勝てなくたって全力で楯突きますからっ。
ついついジト目になっちゃう私。
だというのに幼馴染は隣で「ふうん?」という感じに頷いている。
この様子では、あまり考えて契約した感じがしない。単に頼まれたから頷いたのね。
そうよね、リスクやメリットなんかより義理人情で動く子だよね。知ってた。
そもそも、何があってサトリさんと契約するなんて事態になったんだろう。
しかし、サトリさんは完全に私の内心を聞き流した。となると私が知るべきではないか、発言にアンディラート側の了承が必要と考えているか、かしら。
これだけ情報をモレモレしてくれているのだから、どちらかというとアンディラートに訊けってことかもね?




