そして世界は救われた。
まさかアンディラートも今、息できてないの? まずくない?
どうしよう。どうしてあげたらいい。
私の回復魔法では、怪我しか治せない。人工呼吸要る?
「…オルタンシアさんの場合は致死量だったのでは。アンディラートさんは、細いながらも呼吸はできていますから、大丈夫です。では…これと、これですね」
サトリさんが、どこからともなく取り出した小瓶。その中身をアンディラートの上に振りかける、という謎の作業を2回繰り返した。儀式か何か?
位置的にちょっと私にもかかって冷たい。
そっか、だから初めにアンディラートを貸せと言ったのか。
貸せませんね、濡れても構わん。
「しばしお待ち下さい。じきに効きます」
「…はい」
サトリさんを信じていないわけではないけれど…私は先程アンディラートと目が合わなかったことがそりゃもう怖くて。麻痺樹とやらを確認しても、まだ半信半疑。
ただ、アンディラートは…ずっと変わらずに、あったかい。
私がそうなることを思って怯え続けていたように、段々と冷たく、なってきたりはしない。
だから生きてる。
生きてるのよね? 私の体温が単に移ってるわけじゃないよね?
触ってないところは冷たいとかないよね?
触ってないところは手が届かないから、そもそも確認できないというジレンマ。
あ、脈をみれば早いのに!
そんなことすら気が付かないでいたわ。
しかし今抱えているのが頭部であるため、長身男子の手首は位置が遠くて届きませんね。
いや。
脈を計れるのは何も手首だけじゃないよね。手首よりも近い位置に、もっと大きく脈を取れるだろう心臓さんがいらっしゃるじゃないか。
手首も何も、脈とはココが動いているかどうかだ。肝心なのはコイツよ。
慌ててもぞもぞと胸当ての下に手をもぐり込ませようと試みる。
あまり隙間がないから、指先しか入らないけど…そこには規則的な拍動が存在していた。
…本当かな? これ私の脈じゃない?
こんな隙間に押し込んだ指先に、正確さなんて期待できないのでは。
胸当てで潰れた指先に感じる微かなリズムなど、願望か妄想か自分の脈拍という可能性も…うっ、指が挟まってる、抜けない。そもそも無理に鎧に指を捩じ込まんでも、目の前には首の頸動脈というものがあったんじゃないか。失敗。
いや、オーケーオーケー、半信半疑はそれでも三分の一疑くらいになってきてる。
焦る自分に気付かないふりをしながらも、まだ引き続き生存の確証が欲しい。
脈が無理なら…そう、呼吸を確かめるんだ。
サトリさんは「弱いが呼吸がある」ようなことを言ってたぞ。サトリさん嘘つかない。
頭部なら頑張れば届く。
ぐっと身を乗り出して自分の耳をアンディラートの口許に近付けた。
頬に感じる吐息。微かな呼吸の音。
ああ、これはもう確実に、生きている。
呼吸を聞いて、ようやくホッとして。
少しだけ視野を広げて、状況を見ることができるようになった。
あ。この胸当ても、アイテムボックスに入れればいいんだわ。
やだもー、そうしたら私の指も解放されて自由…おうわ、間違えた、上着やマントも収納された! しまった、アンダーウェア1枚にしてしまったあぁ!
いい加減自分では、落ち着いたと思ったのだけど…ショックは簡単に抜けていなかったらしい。まだ冷静ではなかったようだ。
アンダーといっても上半身だし、なんてこたぁないただの黒タンクトップなのだが、…うーん…袖を捲り上げただけで赤面して逃げた幼少時を思い出せば…下着にむしるとかこれもう「お婿に行けない」って泣かれても不思議はないほどの破廉恥行為なのでは。
ごめんねアンディラート。決して痴漢行為を狙ったんじゃないですから。思った以上に筋肉質だったんだなって知っちゃったけど、脱いでも凄いんですとか考えてないよ、全然ラッキースケベとかそういうのじゃないから。わざとじゃないから、どうか許してね。
生きてはいたけど嫌われて絶交されるとかいう絶望の再来、マジで回避したい。
でも、うっかりとはいえ容赦なく剥いたせいで、生きているのがよくわかる。
アンディラートの胸は明らかに、呼吸のために上下していたのだ。規則正しいということは、苦しがってもいないよね。
…だが薄布越しのマッスルが必要以上にナマっぽくてあったかいナリぃ…疑う余地なく生きている。それは嬉しいんだけど、何かちょっと…天使感より男子感が強すぎる。知ってたよ、成人男子であることは、知識として。でも思い知らせてくれなくていいんです。えーい意味なくマザー・タァッチ! ハイ、怪我はないようですね、何も回復しません!
…などとやっていると、ついにサトリさんからブフーッという音が発された。
我に返って、思わず音源を見つめる。
既に普通の顔してるけど、絶対笑ったよね。サトリさん、今、爆笑しましたね?
「失態を、お見せして申し訳ありません。これでも心の声には慣れているはずなのですが…」
常時他者の心が聞こえるせいでベテランのポーカーフェイサーであるはずなのに…私の動揺ぶりに我慢し切れなかったらしい。
お恥ずかしいッス。話題を、そう、何か話題変えを。
「…そ、そういやサトリさんはさっき何をかけたのかな~? アンディラートのこれは、サトリ汁による生存判定ですか?」
イヤアァァ、サトリさん特製ポーションって言いたかったのに!
聞こえないふりの上手なサトリさんに正面切って笑われたのは初めてで、私の動揺は収まっていなかった模様。失言がまろび出てしまった…羞恥倍率ドン、更に倍!
しかしベテランポーカーフェイサーは同じミスを繰り返さない。
サトリ汁という謎のパワーワードにも何の反応も示さない鋼のメンタルよ…見習いたい。
「所謂ポーション、傷薬ですね。それから所謂ディスパラライズ…麻痺解毒薬です。使用したのは私が作成したものですが、この世界にもきちんと存在するものですよ」
ひっとぽいんと…かいふくするなら…。
見たことないぞ、そんなファンタジーポーション。
薬草だってそれから作る傷薬だって、殺菌成分や代謝を高めるとかそういう薬効の、ノーファンタジーだったはずだよ。薬草の採集依頼だけでは食べていけないんです。
物凄い効果の出る草ならお金になるはずです。
「このような即効性のあるものについては、一部の王家によって薬師や製法を秘匿されていますね。そのまま失伝してしまうこともあり、作れる人間も限られますので…そうですね、昔拾った製法の書をこの辺に忘れて帰ります。この世界の方が拾って覚えるのが良いでしょう。協力者…アンディラートさんの保護は、多数の現地人に認知されない限り推奨されていますので、周囲の人間が作成できるようになる分には良いと思います」
やったね、今回は反魂香とか要らない感じで解決ですね、サトリタダシさんっ。
「それは実在しない薬で…がっかりはされていないようですね。調子が戻ってきたようで何よりです。…もう目が覚めますよ」
言葉と同時に、もぞりと膝の上で身じろぎをした幼馴染の気配。
何を思う間もなく勝手に、目から大量の汗が出た。
…すっっっごい鼻の奥がツーンとする。
目を開けていられない。ボロボロと涙が零れて。止まらない。無理、これ、止められない。
見えぬ。うちの天使が全く見えぬよ。
「…ん…ぅ、雨…、うわっ、オルタンシア、どうした!」
アンディラートの声だ。
超、切羽詰まってる声だ。生きてる。弱ってない。むしろイキがいい。
喜びも束の間、アンディラートは起き上がったらしい。
膝が急に軽くなったのでとてつもなく不安になった。
待って。どこ行った。
涙で明日も見えないし、やだ怖い。お膝回りの手探りの範囲にいない。
「ぼあッ、んぎぎががんがぼどじだぁっ」(サトリによる意訳:おや、何だか君を膝から落としてしまったような気がするのですが、大丈夫でしたか?)
「えぇ? 何、わからない、ちょっと待ってオルタンシぃあぁッ?」
いた!
逃がすものかと慌てて声の聞こえた前方に突撃する…と、全然近くにいました。
逃げてなかったわ、ホント起きただけだった。
そして案の定、アンディラートの胸に飛び込んだらしいね。向き間違えててサトリさんに飛び込んでたら、笑えるよね。ハハッ、人生迷子だぜ。
…あったかいよぅ。
わたわた動いてるし、喋ってる。よく見えんけど、私の両肩押さえるのかと思ったら諸手を上げて紳士触らなーい☆みたいな謎の動きはお馴染みだし、接触面ホカホカしてきたし、私の顔面に伝わる鼓動メッチャ速い。
生きてる。むしろこの心臓、生き急いでる。でも止まるよりはずっといい。
先程まで感じていた絶望は、綺麗に払拭された。彼の生を心底実感できた。悪いけど、アンダーウェアに剥いといて良かったな。
でもね、胸当てを付けてないはずなのに、筋肉は相当強固だったよ。実は顔面を強打しておりましたね。美少女なのに。
身体強化様の加護がなかったら、鼻が右か左にひん曲がってたかもわからんわね。
「…がーだぁいぃ~…」
「? …あっ、固いって? ごめんな?」
鼻をぶつけたことに文句を言うと、一切悪くないのに謝っちゃうアンディラート。
やだもう素直。やだもう濡れ衣着ないのよ。あー、生きてる嬉しい。
頭を撫でてくる手が優しいので、我が涙、止まる気配一切なし。
サトリさん、サトリさん、ありがとう。
でも本当にルール破りしてないですか。罰せられたりしませんか。
サトリさんには保証期間終了してるのにアフターサポート以上のことをしていただいて、それで何か不利益とかあったら申し訳ない。
ぎゅっとアンディラートを抱き締めながらそんなことを考えていると、サトリさんは否定の言葉をくれた。
「幸いアンディラートさんが呼んでくれましたので、駆け付けることができました。業務外の過干渉は許可されませんが、協力者の生命維持に対しては多少拡大解釈でも黙認されていますから問題はありません。無闇に協力者を量産しないための措置です」
アンディラートさんを協力者にしておいて良かったですね、とサトリさんが言う。
アンディラートがポーチから取り出したハンカチで一生懸命顔を拭いてくれたので、ようやく周りが見えるようになってきた。
その結果、幼馴染がひどくバツの悪そうな顔をしていることに気付きました。
そうね…協力者って何の話かしらね。
始めはね、私の協力者かなって思ってたの。
でも、今の話の流れは確実に「サトリさんの協力者がアンディラート」ってことだったよね。
「…アンディラートさんや。もしかして、私に隠し事…なのですか?」
汚れ…成長してしまったか。素直で無邪気な天使が、ついに他人を謀れるようになってしまったのか。
いいんですよー。全然サトリさんに嫉妬なんかしてないんだから。
私のほうがずっと付き合い長くて親友なんだからねーっだ!
「そうだと私も個人的な心配をせずに済むので良いのですが。残念ながら、アンディラートさんは本気で私のことを忘れていることが多いようです」
「…ごめんなさい」
深々と頭を下げる幼馴染は一切弁解しない。潔い。
サトリさんは疑問符いっぱいの私にも、説明をしてくれるようだ。
「彼には、私の仕事の協力をお願いしていたのです。あまり詳細にはお伝えしておりませんでしたが…捕獲できましたので、もう話してもいいでしょう。私の目的はこれです」
ひょいと取り出したのは、ピンク髪の生首。
思わず口を引き結んだ私とアンディラートの前で、その生首はにやりと笑った。
やはり生きている。あの状態で。
「お喋りは許可しません」
無慈悲なサトリさんによって、生首はまた何処かへ消えた。
…心臓、バックバク。待って。ついていけない。話題にも状況にも。
協力者とか言われていた幼馴染だって同様の有様だよ。警戒して一歩前に…ってあれ? 私、いつの間にか背に庇われてる。
くっ。紳士め。天使め。そして駄目な私め。
もう二度とあんなのはゴメンなのに、何としても私が彼を守らねばならないのに。
「…アンディラートさんは、所謂身体強化を自力で会得していますね」
「ああ」
「やはり。人間でありながら後天的に身体強化(大)を身に付けるのは、大変珍しい事例です。…オルタンシアさん、失礼ながら単純な戦力で言えば、もう貴女よりアンディラートさんのほうが強いのだと思いますよ」
宥めるようなサトリさんの諭しに、しかし私は脊髄反射した。
「…でも! あのピンクは単純じゃないしチート持ちで心も汚い私のほうが何かと何とかなるんじゃないかと思いませんかっ」
「他者の内心を許諾も得ずに語るマナー違反をお許し下さい。忠告しますが、アンディラートさんはそれを努力に対する不当な過小評価と受け取っておいでです」
「ひぇえっ!?」
サトリさんが言うなら間違いない。
私は滝のような冷汗を感じながら、恐る恐る幼馴染の顔を仰いだ。
いやぁっ! 悲しい顔してる! なんてこと!
あわあわと弁解の言葉を探す前に、サトリさんはフォローを入れてくれた。
「ですが少なくともオルタンシアさんの内心として、アンディラートさんを頼っていることも間違いないようです」
ほら、と示されて私とアンディラートは同時に目線を下げた。
見えたのは…アンディラートのタンクトップの裾を握りしめている私の手でした。
「おぉ…失礼しました。無意識だった」
口ではそう言うが身体は素直だぜ、という奴か。
突然のピンク出現に対し、私は素直に庇われてしまったようだ。
こんなことではいけない。ちゃんとしなくちゃ。
しなくちゃ。いけないんだけど。
「…ちょっとだけ握ってていいかな」
ピンクいなくなったし。次こそは、次こそはちゃんとするので、今だけ。
…ああ、震える手を隠したい。でも、見られただろうから諦めた。
心配はさせてしまっただろうが、せめてその心配レベルが小さくて済むように、大したことがないふりをする。
裾掴んじゃ駄目とか絶対に言われるはずがないと思っているので、彼からの返事は待たずに、幼馴染のアンダーウェアをシワシワにする職に就いた。
賃金要らないからずっと雇われたい。見事なシワを作って見せるよ。
…麻痺のせいとはいえ、何をも見ていなかったアンディラートのあの目を思い出して、…大変に不安になってしまったのだよ…。
おのれ、トラウマピンク。
「構わない、けど…こっちにしないか?」
「わぁい、熱烈歓迎」
アンディラートがそっと手を差し出してくれたので、私はタンクトップからホカホカおててに鞍替えすることにした。
照れて頬を染めながらも、私の不安定さを察して優先して慰めてくれようとするシャイボーイ、マジ天使以外の何者でもない。
増えよ、満ちよ、高次元素ピュアエアー。
空気が綺麗で美味しい。元気出てきた。
「サトリさんは、そのピンクを捕まえるお仕事をしていたんですか?」
急に気が大きくなった私は、サトリさんのお仕事に言及することにした。
聞いちゃ駄目だと思うから聞かないのであって、サトリさん自身に興味がないわけではないので。
「そうです。本来は私の担当ではなかったのですが、同僚達が抵抗と攪乱にあって次々と敗北したため私にまで回されたものです」
すっげぇ、認めたよ。あんまり私達が知っていい情報じゃなさそうなのに。
それゆえに、私は察した。
多分もう今後、生きている間にサトリさんと接触することはないのかもしれない。
きっとこれは、冥土の土産(極小)とかだ。
(極小)だから生かして帰すけど、(小)以上は即行お命頂戴するよ、みたいなアレだ。
「…俺は、テヴェルを見つけたら教えてほしいと言われていた。だが、やはり一緒にいるキサラギの方こそが本命だったんだな」
そっと「協力者」という言葉の意味を補填してきたアンディラート。確かにサトリさんが探すというなら、ただのクズよりアンノウン人外ピンクのほうが納得がいくよね。
サトリさんは更に言葉を続けた。
「それも嘘ではありません。私達は埒外のものですから、本来はこの世界に生きる人間に直接関わるようなことは推奨されない…しかし、ご存じのようにテヴェルさんは転生者でした。そして、彼の魂をこの世界に下ろしたのは我々です。転生者が世界に規定以上の損害を与えた場合は、我々が責任をもって処分せねばなりません」
目を見張るアンディラート。
しかし、私は少し、そんな気もしていた。
生まれ変わる前に出会い、生まれ変わった後は関わってはいけない存在だもの。
ガラポンくじの受付と思うから違和感があるが、生死を司る何かならば話は別だ。
神ではないという。天使でもないという。
でも、我々一般的な人間の目から見ればやってることに大差はない。
死んだ先には天国も地獄もなかった。ただ次の世界へと送り出されただけ。
わざわざ探して追って来たというのなら、それはもう存在の回収しかないのではないか。寿命を全うしたことになるのか、残りがあるのに打ち切りを宣告されたのか、運命などわからないけれど…その理不尽な唐突さは前世であっても同じことだ。
「魂を下ろす世界は我々が決めているわけではありません。そして大きな損害を与えればその世界が滅びる可能性がある。勝手なのは間違いないのですが、転生者の魂とはどこからともなく現れ、既にそれぞれが行き先を持っています。留めて放置すれば、私達の世界が飽和し壊れるでしょう」
薄ぼんやりとしていてわからないが、多分そこは明確に説明する気がないのだろう。
きっと、世界崩壊に関わる話なんて聞かないほうがいい。
でも死後の世界を管理するのも結構大変なんだな。閻魔大王の裁判とか、ただの伝説だったのだろうか。
「…キサラギは、サトリと同じ世界の人間なのか?」
問いかけたアンディラートの言葉は、ただの再確認だ。ここまで来て、無関係だとは彼も私も思わない。肯定だけで終わるのか、背景が語られるのか、それによって私達の関わって良い範囲を知るだけのことだった。
サトリさんは小さく頷きを返した。
それ以上、口を開く様子はなかった。サービスタイムは終了したようです。
すっかり落ち着いた私は、スルリと幼馴染の手を離す…つもりがサッと握り直された。
あるぇ。
無意識にもう一度外そうとしたが、さらりと繋ぎ直される。
え…いや、まぁ、握っててくれると仰るのなら構いませんが。
チラリと見上げてみれば、繋ぎ直したのは無意識だったのか…アンディラートの顔色が青赤の明滅みたいになっちゃってるじゃないの。どうしたんだい。表情だけを見れば「やらかした、死にたい」的な後悔が全開。
怒られると思ってんのかな。冗談だろうと本気だろうと、私が一言でも否定的な言葉を発せば土下座も辞さないんだろうな。
いいよいいよ、じゃあ握っとこうねぇ。
直列α波を拒否する理由なんてないからね。




