「チートではなく、仕様です」(規制前モデル)
腕の中の幼馴染を、床に置くことを躊躇する。
離したくない。万が一にも、ピンクが彼を狙ったら守れないから。
どうしよう。
ぎゅう、と剣の柄を強く握ったその時。
「そこまでですね」
現れたのは唐突な乱入者。
「…ウェ、ル、カアァァァ!」
聞き覚えのある声。それを認識するより先にピンクが叫ぶ。
細い短剣を握り締め、余裕は崩れ、切羽詰まったようなその姿。
へぇ。私よりも乱入者への対処が先なのか。それほど、相手は脅威なのか。
そうかもな。こんな、空っぽな私よりも。
ふしぎな、不思議な光景。
対峙する男女。その周囲から、スッと現実味が消える。
突っ込んでいく女が、まるで大人に突っ掛かっていく子供のように見えた。
剣どころか獲物など何も見当たらない男。細身の短剣ひとつを振り回す女。
当たらない攻撃。女の焦りと、男の冷静さ。
状況など何もわからないのに、何だか妙に嬉しくなった。ピンクが追い詰められている。少しでもあいつが不幸になれば楽しいのだと、そう気付いて、愕然とする。
「捕まえました。終わりです」
私は、他人の不幸を素で喜ぶまでに落ちたのか。いつかはクズから脱却したいなんて思いながら、最底辺にまで落ちていたのか。こんなものを守って、アンディラートは。
…幼馴染に、顔向けもできない。そんなのは、いや…。
「よくもこのタイミングで! お前などにこの私を…」
「会話の必要はありません。回収致します」
回収?
身構えかけた私の前で、不意に如月の身体はバラバラになった。
乱暴に、あっけなく。
人形が壊れたみたいに。血も出ずに。
…え…。
信じられない。
何に驚いているのか、自分でもよくわからないままに。
武器も持たない男と、目が合う。
「申し訳ありません、予定よりも随分と遅くなりました。本当に、無能な上司ほどなかなか現場に権限を寄越さないのです。余程私を動かしたくないのでしょうが…結局は始末を押し付ける」
現れた男は、見覚えのある姿のまま。
かつてのアフターサポートから何年経ったか忘れたけれど、そもそもが私が生まれる前と変わらない姿形をしている。
そう。人間ではないから。
でも、一体なぜ、彼が。
サトリさんには、私の味方なんて出来ないはずだ。
ならば、何を目的としてこんなことを。…本当に、この、タイミングで?
「仰る通り、オルタンシアさんのために来たわけではないのです。申し訳ない限りですが…。しかし、何とか間に合いましたね」
何に?
そもそも彼はどこから現れたのか。
いつから見ていたのか。
何を、見ているのか。
間に合ってなんかいないよ。
知らず、幼馴染を抱く手に力が籠った。
わかってる。私のことなんて助けてくれるはずがない。
業務外だ。だから、登場が遅いなんてのは理不尽な八つ当たりで。
…でも、あんな簡単にあのピンクを…。
それならもっと早くに来てくれていたら、こんな、こんなことにはさぁ…!
私はいいよ。私のことなんか。どうでもいいけど。だけど、アンディラートは…。
何も言葉にはならなかった。
泣き言めいた本音も、罵るような雑言も、ただ浅く引きつるような呼吸にかき消される。
それでも…サトリさんにだけは伝わる。
「わかっています。大丈夫ですよ。落ち着いて下さい、オルタンシアさん」
大丈夫?
…何が!
「まだ大丈夫ですから」
何を言ってるの。もう…やめてよ!
泣いてしまえば立てなく、なるのに…。でも……もう…立つ必要も、ないのか…。
ほら。サトリさんがつつくから、ギリギリで保っていた感情が決壊した。
押し込めてきた弱音と絶望が、あっという間に心を浸食する。助けて。
無理。無理サトリさんもう駄目。馬鹿でグズだから私が昔からそうだったアンディラートが私のせいでアンディラートがどうしよう死ぬなんでこんな目にお母様もう嫌助けてまた死んじゃうの不利益な私は予知夢も活用できずにこんな何の役にも立たない私なんてどうせクズのまま最低最悪ほら疫病神で…
「しっかりなさい、自棄になってはいけません。目を逸らさずに、ちゃんと自分の腕の中を見て下さい」
見る?
ははは、見るべきものなんてない。今更何も変わらない。
罪を見つめて? 贖えと? 贖いますとも、死にますね今。
「駄目ですよ。アンディラートさんは生きています、見て下さいと申し上げました」
如月パーツを拾っては消し、拾っては消し、サトリさんが近付いてくる。
いつの間にかテヴェルの姿も消えていた。
サトリチートだろうか。一体何をしたのか、やけにクリアに耳に響いたその声。
でも、壊れかけた私の脳にきちんと意味が届くまでには、随分と、時間がかかっ…いま…なんて?
いき、て…る、って。いきてる?
「生きています。大丈夫です」
だっ…て…ぴくりともしなくて。
そうだ、どんな怪我をしたか、まだ確認してない。
………怖い…いやだ…見たくない。
見なければ、怪我してないかもしれない。
頼むよシュレディンガーさん。…そんなわけない。わかってる。
でも怖い。
吐きそうなくらい胸を叩いてくる心臓に、浅い呼吸を何度も繰り返して。
「見ないと、いけないでしょう?」
わかっていますね、と。
掛けられる声はあくまで穏やかで。なのに、逆らえない。
やけに明度の低い視界で、やっとの思いで膝に抱えた幼馴染を見下ろしたけれど…やけに濡れているだけ。ガラス玉のような、光のない目を、開けたまま。
めが、あわないよ。
…だめ、じゃん…?
あぁ、でもなんで、いつの間にこんなに顔が濡れてるの。可哀相。雨なんて降ってないのに。拭いてあげなきゃ。でも駄目。ちゃんと両手で抱えていたいの。
もう彼に、少しも痛いことなんてあってほしくないの。
歩み寄ってくるサトリさんの手には、長いピンク色の髪。
布を噛まされた生首。自害しないように? それとも喋らないようにだろうか。
いま、目が動いた気がした。そんなはずない。あんな状態で生きてるわけない。
それをぶら下げるという、異様な姿のサトリさん。ホラーでしかないが、ピンクがどんな目に遭おうが正直知ったことじゃない。
現実感はない。
だけど許さない。首だけだって二度と油断しない。
もうこれ以上、アンディラートに何もしないで。
「それ、いや。きらい」
睨みつけて低く唸る。野性動物のような私に、サトリさんは何でもないように頷く。
「ええ。…ほら、もうありませんよ」
珍しく幼子を宥めるような調子でサトリさんが言うと、あの生首もなくなった。
いなくなった。
ようやく。
みんな。
ふぐ、と自分の立てた音に気付いて、視界が歪んで…自分が泣いていたのだと理解した。
「大変でしたね」
…なんで落ち着いてるの、サトリさん。
アンディラートが、アンディラートが私のせいで。こんなの。あんまりだ。
私さえいなければこんなことにはならなかったのに。
「まだ助けないのですか?」
ついに私の側まで来て、地面に膝を付いて。幼馴染の顔を覗き込んだサトリさんは、そう言った。
…………助け、る…?
「はい。致死量ではない。間に合います」
「…あの、え、はいって…ちしりょう、…あの…、た、助かる、り、まする、か?」
お母様は駄目だった。助けてくれなかったよ。
でも。え。
駄目って、無理って、…言わないの?
「ええ。今、この世界ではアンディラートさんだけが、私が手を貸すことのできる人間だと言えるでしょう。といっても、許される手助けは本当にほんの少しだけなのですが」
アンディラートだけが…なぜ?
あ、天使だから? 天使仲間的な?
「…、いえ。アンディラートさんは人間です。私も天使ではありません」
え?
…あ、あぁ、まぁ。サトリさんはそうね、お役所勤め的な何者かだもんね。
でもアンディラートは人間だけどもそりゃあもう天使で…何なら大天使だし…だってほら、常に世界を浄化してるし、そう、ピュアエアーを毎日作ってる。多分、目には見えないけど高次元素的なそういうヤツ。
神は光あれとかよく言うけど、光なんぞなくても死なんことはモグラや深海魚が証明してる。でも酸素ないと死ぬでしょ。神ホントわかってない。その点、うちの幼馴染は違うよ、黙ってそっと粗忽神の粗忽部分をフォローしてあげてる。さすが天使。さす天。
サトリさんは、俯いてアンディラートを見つめている。少し肩が震えているような気がする。
あー。でもそれも当然ですよね、彼を失うなんてこの世界の損失、事の重大さに震えもするわ。仕方ないわ。誰でも震える。
あ。膝枕されてた上にそれを観察されて震えられていたなんて知ったら、シャイな幼馴染は赤面から帰ってこなくなるのではないだろうか。バレたらヤバくね?
サトリさん、我々、あんまり彼をじっと見ちゃ駄目かもしれませんよ。後で怒られるかも。
ふと、現実的な考えが胸を掠めた。
それを合図にしたように、サトリさんは少しだけ微笑んで私と目を合わせた。
…明度も、音も、匂いも、温度も。
世界が戻ってきたのを感じた。
それとも私が世界に戻ってきたのかな? 抱き締めた腕の中の体温も…あったかい。
そうだ。冷たくなんかない。
変わらない。
冷たくなっていかない。
「…アンディラートさんを治療しましょう。少しお借りしてもよろしいですか」
「いやッ」
考えるより先に言葉が零れた。
無意識に、身体が腕に力を込めて拒否の姿勢。
駄目。抱えていたい。
離したら、何もなくなってしまうような気がして怖い。
でも…ううん、堪えなくては。
だって治療してくれるって言ってる。サトリさんに治療してもらえるなら。
「では結構です」
おわぁ待って待って、頼みの綱でしょうが、そんな簡単に諦めないでよサトリさん!
できる、できます、オルタンシアはやればできる子なのです、なぁに、すぐですよ。離しますから、そう、深呼吸して5秒ほどプリーズウエイト!
「いえ、どうぞ、そのまま動かずに。大丈夫ですよ。この体勢でもすぐに治せます」
え、いいの?
じゃあ、それで…。
とはいえ本当に許されるのかな。
責めたいわけじゃないけれど、お母様のときは、できないと言われた。
こんなことをして、サトリさんの責にはならないだろうか。やり方を聞いて、直接手を下すのが私なら、グレーだからセーフになるとか…ううん、でもなぁ。
サトリさんがハッキリできると言ったなら、それは責にはならない「やってもいいこと」なのでは。本当に…治してくれるのでは?
…そ…そうだよね。良くなかったら言わないよね。
今も私の心は筒抜けのはずだけど、特に何も否定したりしてないもんね!
急に世界が明るくなったような気がした。
サトリさんが助けてくれるなら、アンディラートは死なない気がする。
理由なんて何でもいい。アンディラートに、手を貸せる。治療してくれる。
そうだ、さっき、助かるって言った。
サトリさん、ねぇ、助かるって言いましたよね! 何かできることあればやりますよ、指示下さい。
あ、回復魔法使えるようになったんですけど、あんまり傷は見当たらないんです。内臓に怪我とかしてないかわかりますかね、一応魔法かけてみます?
「そうですね、オルタンシアさんは、まず落ち着きましょう。ただ、ご心配は理解できます。状況を一緒に見ていきましょうか」
へい。落ち着きのない子ですみません。
サトリさんは足元に散らばった植物から短い枝のようなものを拾い上げた。私に手渡してくる。気付けば、周囲には結構な量の同じものが転がっているようだ。何だこれ?
U字に片側を削って、紐を張った小枝。
…伸びるな。ゴムだ、これ。ここに何かを引っ掛けて飛ばす? ゴム鉄砲的な?
「これが、何か重要なんですか?」
いや、これだけ大量に落ちているのだから、こっちを飛ばすのかしら。これが弾ってことか。
よくよく見直せば筒状の木にトゲトゲした蔓が入っている二重構造だ。振るとカラカラいっていたが、不意に中身のトゲ蔓が飛び出して落ちた。
当たるか、ある程度飛ぶと、中身が出る感じか。
構造がメチャクチャで、何がしたいのかよくわからん。
「ええ、これです。今は指示者の魔力が消えたために待機状態になっています。もう二度と、襲ってくることはないでしょう」
「…何ですか、これ?」
「テヴェルさんの麻痺樹ですね。連続して放ったため、幾つか避けきれずにアンディラートさんに当たってしまったようです。外傷としてはトゲが刺さったに過ぎませんから、生命を脅かすほど出血はありません。恐らくオルタンシアさんを捕らえるためのものだったのでしょう。呼吸は浅く心音は緩慢になっていますが、体力の低下は死に至るほどではありません。麻痺毒を解毒すれば回復します」
サトリさんは、アンディラートの手首に巻きついていた植物を示して見せた。
次の瞬間、それは消える。
いや、ピンクも植物も、アイテムボックスにしまっているのかな。
だけどサトリさんなら「いいえ、ブラックホールにインしてます」って言われても納得しちゃう気がする不思議。…宇宙の、法則が…。
「まずは原因を取り除くことができました。麻痺を回復させる手段はお持ちですか?」
麻痺。そっか、麻痺か。
なんだ。アンディラートは今、麻痺しているせいで動けなかっ…、待って、回復とか以前に私のあげた御守りは? あの御守りがあれば、呪いどころか毒も麻痺も防げるはずよ。
私が酷い目にあったから、対処できるようにと山の民に教わって作ったのだもの。効果もオタ者が保証してくれたはず。
どうして効かなかったの?
「あちらに跳ね飛ばされてしまっていますね。留め具がちぎれてしまっています。こういうものは手放していると効力を発揮しませんから、服の内で首から下げておくのが良いでしょう。紐が切れても服の中に留まることが多く、所謂紛失リスクの低下が期待できます」
本当だ。剣を見てみれば、ストラップにしてつけていたはずが途中でちぎれてしまっている。
紋様を刻んだ大事な御守り部分が見事にない。いつの間に。
もう。アンディラートのうっかりさん!
あれ、拾ってきて握らせたら治るのかしら。
膝に怪我人がいて動けないので、そっとアイテムボックス経由で拾って、幼馴染の手の中に取り出してみる。
…だが、状況は変わらない。
かかってからでは効果がない?
そういえば、呪われたリスターに御守りを渡しても解呪されないと言っていた。あれと同じか。
麻痺は…経験がある。
すごく辛かったし、あの時はちょっと死を覚悟した。息ができなくなる奴だ。
え。大変。
アンディラートが、今まさに死の危機に瀕していると!?
どうしたらいいですか、サトリさん!!




