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おるたんらいふ!  作者: 2991+


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218/303

現実に、成る。



 侮っていたんだ。

 だから、こんなミスをした。


 どっちつかずの集中力。二兎を追うものは、なんて、今更なことに躓いて。惑って。だって、如月さんのほうが脅威だと、対応しなければいけないと思った。

 でも、彼女のほうは自身のすべきことを間違えなかった。

 前もって決めていたのかもしれない。テヴェルに応えたゾンビ如月は、私への攻撃ではなく、逃走のためにテヴェルの確保に走ったのだ。


 思い込みで、戦おうとしていた、私の切替えは遅くて。


 視界の外だった。

 だからテヴェルが具体的に何をしたのかはわからなかった。

 けれど、チートが行使されたことだけはわかった。


 唐突としか言い様がないほど、大量の植物達が鎌首をもたげた。…ううん、木だか蔓だかわからないそれらが、まるで一面に降り注ぐように襲いかかってきたのが見えたから。

 急成長はしないと思っていた。なのに、それができる手段を獲得したのか…。

 いや、先程も椅子やテーブルに擬態していた。

 そもそも、アイテムボックスでもなければ何もないところからは出せっこない。もしかしたら寄生先は木製じゃなくても良かったのかもしれない。だって、どこから現れたのか、わからない。


 躱すことは、できなかった。

 それが…届くまでの距離に来なかったからだ。


 私の身を庇うように、既に長身の影は前に出ていた。身体強化様は、見えてさえいれば、概ね自分に向けられたものを無意識に躱せる。あのまま向かってきたなら、きっと私には躱せたのだろう、けれど。

 …できるのはそれだけで。

 オートで、誰かを守れたりはしない。


「…ぇ…?」


 小さく零れた声が、自分のものだという認識もない。

 咄嗟に動けなかったのはどうしてなのか。


 もっと。

 もっと早く身体強化を発動できさえすれば。


「…リ、…しょ…」


 アンディラートが何かを言ったが、小さすぎて聞き取れない。


 不意に額に、押しつけられてきた背中。その重さ。視界いっぱいの幼馴染の姿。

 もはや力の入らぬ身体でさえ、彼の両手は私の身を、敵の眼前にさらさぬようにと広げられていた。


 いつだって。

 彼が私を守ってくれなかったことなどない。


 夢の中でも、現実でも、たったの一度たりともない。

 経験し、全幅の信頼を寄せた私だ。

 だから彼がこの瞬間に私を守ろうとすることも、知っていた。…知って、いた、のに。

 なぜ、私は。防げなかったの。


 僅かな誤差など嘲笑うようにして、予知夢は斯くも簡単に、現実へと成り代わる。

 かくりと膝の力が抜けた。


 身体強化すれば耐えられるはずなのに、なぜか立っていられない。倒れてきた身体に、押し潰されるようにしゃがみ込んだ。

 脚を崩して、自ら地べたに座る。覆い被さってきた身体を落とさぬように、見慣れた色の髪が決して地に付かぬように、必死に掬い上げて抱える。

 彼が勢いよく地面に叩き付けられるなんて、そんなことは許せなかった。


 だけど、だから。

 瞼を閉ざしもせず、何も映さぬその目を、間近で見てしまった。


「…ぁ…」


 名を呼びたいのに声が出ない。上擦った自分の呼吸の音が、やけに耳につく。


「ぅ、あ…」


 アンディラート。

 光のない目に、事務的に反射された自分の顔が見えた。


 彼が、私を見ない。

 そんなこと。




 そんなこと、が。




「…ぅあああぁぁぁぁぁっ!!!」


 真正面の敵へ、手の中の剣を投げた。

 素早く前に出たあの女が、それを打ち払う。邪魔…邪魔を…するな!


 短剣、槍、長剣。弾かれた。

 足りない。

 足りない。もっと、何か。


 何でもいい、武器なんて贅沢は言わない。

 アイテムボックスが、その口を開く。


 いっぱいあってダメージになりそうなものって何。氷か。氷、欠片でも塊でも、ぶつけられれば何でもいい。氷じゃなくたっていい。冷凍庫の中身。こおり、なべ、こおり、おにく、ぱん、なべ、ぱん、おにく。こおり。なべ。

 凍りきらないシチューが撒き散らされた。コンソメ味のロールキャベツが転がって、それをトマト煮の鳥肉が追いかけて、作り置きのジェノベーゼソースが絨毯に擦り込まれる。

 別にいい、もう食べてもらえないなら、こんなの必要ないもの。でも。


 逸らされて、壊されて、届かない。

 アンディラートに害をなしたあの男を。絶対に倒さなくてはならないのに。

 これじゃ足りない。もっと出さなきゃ。


 酒樽、棚、テーブル、椅子、大きくて少しでもダメージの出そうなもの。

 あぁ、駄目、みんなピンク髪が壊してしまう。破壊された酒樽がむわりと空気を汚す。強いアルコールの臭気に、吐き気がする。


「うひぇ、おわ、な、何これッ、えっ、…フラン? フランがやってるの? …あ…あの…、お、俺は良かれと思ってだな…」


 …お前が…、

 お前が怯えた顔をするな。


 女の背に守られて、無事でなんているな。

 良かれと思った、だと? お前とは違う、私とは違う、こんな、おとぎ話みたいに心の綺麗な生き物を、害するのが良い、と…?


 …心底クズだ。いつもそう。

 いつもいつも、私の近くには、こんなものばっかり。


 だからこそ、如何に彼と過ごした幼少時の記憶が尊いことか。

 そんな時間が現実に存在するということが、それが私に与えられたということが、どれほどの奇跡に思えたか。


 彼が生きていてくれるだけで良かった。

 笑っていてくれたなら。

 それが、私の隣でなくても、私に向けられたものでなくても、全然構わなかったのに。


 許せない。

 …許さない、絶対に…!


「うがああぁぁっ!」


 言葉にすらならない、獣のような唸り。

 それが自分の声であることをやはり認識できぬまま、手当り次第に中身を射出する。


 ありったけ。水筒もスケッチブックもフライパンもバターもチーズも刺繍針もイーゼルも絵の具も筆も炭もプランターも鎧もランプもグラスも靴も。

 駄目だ駄目だ、みんな、あのピンクに打ち払われて止められた! 足りない、もっともっと、ダメージになるものも、ならないものも、何だっていいから全部ぜんぶ!

 服もスコップもほうちょうもジャガイモも額縁もほしにくもテントも木箱もおふとんも髪飾り…は、ダメだから代わりに皿。それから魔石もハギレも薪も石けんも生木もノコギリもくぎもかなづちもつくえもやも…


「…ガ、ふっ…?」


「テヴェル! なぜ、防いだはずっ…」


 クズの喉に突き立った矢を見て、如月が悲鳴を上げるが邪魔だ今だよくそうだ!


「…よ…くゥッ?」


 ゴガァン!と、やけに小気味よく当たった。除夜の鐘が脳裏をよぎるほどのヒット。

 やった!


 テヴェルを振り向きながらも片手間で防ごうとした敵が、浴槽さんの渾身の体当たりで錐揉み回転して吹っ飛んでいく。

 やがて地面に叩きつけられた如月ピンク。追って飛来した浴槽さんはその上に、容赦なく落下した。


 職人が一本の木より彫り出した巨大な浴槽である。身体強化様の加護を持つこの私ですらあんまり模様替えをしたくないほど、その重さは折紙付きだ。まぁ、持てますけど。

 なんか、悪い猿の上に臼がドッスンする話があった気がするよね。そんな感じの図。


 こちらの心は読めたのだろうが、言っている意味がよくわからなくて、防ぎあぐねたようだった。まさか大木をくり抜いて作った大きな浴槽が、顔面を目がけて飛んでくるとは思わなかったのだろう。


 浴槽だよ。乙女の嗜みじゃん。

 ピンクさんのアイテムボックスには入ってないんですか? お風呂入らないの? えー、不潔ぅ。あぁ、もしかしてフェロモン保持の観点かな? おフランス系の思考? 胸毛はセクシー、みたいな? 勘違いもいいとこだわ、モジャ毛がセクシーとかない、毛に小鳥埋めて巣にしてやろうか、おぉん?


 ………反応がないな。

 本当に聞こえない様子。気絶したのか。それとも、もしかして死んだ?


 心臓貫かれても起きた女が…この程度で? 死ねるとか?

 ないない、ないわ。笑っちゃう。


 甘えるなよ、もっと限界まで絶望して死ねよ。何もかも全てを失えよ。私みたいに。

 乱気流のような高揚感が私の頭をおかしくしている。笑える。泣ける。笑える。


 ざまぁみろ。お前の大事なテヴェルはもう駄目だ。

 私の大事なアンディラートを害して、お前だけ無事でいられると思うな。


 …だけど相手を因果応報だと罵るのならば、私の因果が、私の可愛い幼馴染を仕留めたということにもなるのだろうか。

 …私が…クズだからか。

 もう嫌だ、死んでしまいたい。

 畜生、死ぬもんか。

 まだテヴェルもピンクも仕留めてない。死ねない。


 固まったままのテヴェルは、未だしぶとく息があるようだった。

 だが、ピンクとは違う。私同様、転生者なら。

 彼の身体が、唯人であるならば。

 もはや絶対に、助からない。

 あちらには、回復魔法が使えないのだ。


 とどめを。今のうちに、ピンクが動かぬうちに、引導を渡すべきだ。


 でも…近寄りたくもない。触りたくない。

 いやだ。きらい。早くいなくなれ。

 あんな様で生き延びられるわけがない。放っておいてもじきに死ぬはず。すぐだ。もう、すぐ。…すぐによ。


 自分の顔が、引き攣って笑っているのがわかった。驚くほどに暗い…暗い喜び。

 それは心の底の澱から、のろのろと浮き上がってきて…けれども泡よりあっけなく弾けて、笑ったそばから泣きそうになる。歪んだ自分の顔が、どうなっているか、もうわからない。


 私は狂ってしまったのじゃないだろうか。そうなっても何の不思議もない。

 アンディラートを私のせいで死なせたのなら、私に生きる価値などない。

 笑える。泣ける。

 泣くな、まだ終わってない。

 泣いては駄目…立てなく、なる、から。


 心底どうでもいい相手なのに、心底憎い。アンディラートに酷いことをした、あのテヴェルが、この世から消えるのは素晴らしく喜ばしく、晴れがましいことに思えた。

 だけど…何にも、嬉しくないの…。クズひとりが消えても、時間は戻らず、幼馴染は目覚めない。世界は引っ繰り返らない。こんな世界は価値がない。

 あぁ、けれども、あのクズが生きているのだけは我慢ならない。


 ただただ、一刻も早く目の前から消えてほしい。私が心置き無くアンディラートの怪我を確認するためだけに、今すぐ奴らを撤去したい。そうよ、アンディラート…まだ、無事かもしれないじゃない?

 …そんなわけ、ない。既に予知夢の効果切れを感じる。幼馴染は夢の通りに私を庇った。変わらなかった。躱せなかった。効果が切れたのなら、成ったからだ。

 だって、あんな、…何も見ない、目…。


 なんであいつらまだ居るの…消えればいいのに…。

 でも。そんな都合のいい魔法はない。


 グルグルと脳内は浮き沈みに忙しい。笑えない。泣きそう。泣いてる場合じゃない。

 …私も相手も、今、ただ自分のことだけに必死だった。

 テヴェルとて、自分を守るはずのピンクの脱落など全く見てもいない。


 ただ、この状況が信じられないというような顔で、…不意にテヴェルは喉から生えた棒を引き抜いた。己に、止めを刺すように。

 あんな、無造作にそんなことをするなんて、ヤツ自身も混乱していたのかもしれない。


 ごぼっと血を噴いた。凄惨なその光景。

 ホラー。それともサスペンス?

 映画みたいに現実味がない。画面の向こう側の他人事のよう。元同郷人の死に際を見ても、私の心は何も動かなくて。


 ただ、アンディラートを抱く腕に力が籠った。

 こんなに離れているのに、あの血が幼馴染にかかってしまうのではないか、なんてことに怯えた。

 汚さないで。

 これ以上彼を、お前なんかに触らせたくない。


 ヤツはひゅうひゅうと喉に開いた穴から呼気を漏らして、その矢を、確かめるように目の前に。目を細めて、じっと見て。

 …なに…? そんな特殊な物には見えない。何の変哲もない木製の矢。

 いや、矢じりまで木製っぽいのは珍しいか。

 よく刺さったな。あんなレプリカみたいな奴。変なの。


 変…そういや、変だ。何だろう、あれ。

 見覚えのない…手作りっぽい矢。

 もちろん私は弓矢の製作などしない。

 矢なんてそもそも、買った記憶がないような。


 だって突撃型の猪武者みたいな私には、必要がないもんね? あんな細っこい矢を射るなら、全力で槍投げたほうが強い。そう、自力バリスタだ。コーヒー屋じゃないほう。


 …クズを射抜いた素晴らしい矢。誰だ、あれ作ったの。作った職人さんを探し出し、褒め讃えて表彰したいくらいだ。どこで買ったかな…というか私、あの矢、いつから持ってたのかな。なんで、持ってたのかな。

 物を捨てられない汚部屋製造機の自覚があるだけに、いつ手に入れたものなのかサッパリわからない。


「…はっ、ははっ、こんな、タイミングで戻ってくるのかよ、この不良品…。ホント、どぉこにクレームをつけたら…」


 言いながら、クズは地に膝を付いた。

 ひどく深く俯いて。

 それっきり、だった。


 心の声が消えたことに気付いたか、ようやく気絶から回復したのか。その時、浴槽を跳ね上げたピンクがふらふらと立ち上がる。

 一度は宙に浮き、そのまま重力に引かれた浴槽は、ズドゥンヌッ!と聞いたことのない重い音を立てた。高級絨毯さんですらフォローしきれないという巨漢ぶりだ。どすこい。


 きらきらとシャンデリアのあかりに舞う埃が、妙に、うつくしい。

 そうだわ、クズがひとり消えたから。

 埃程度には、世界は美しさを取り戻したのかしらね。

 でもきっともう、あとは澱む一方ね。一切の浄化が行われないんだもの。汚れ、穢れ、禍つ世界の到来だ。そして迅速な終末だ。おしまい。もう、オシマイ。


「…テヴェル…! …く、ふ、やってくれたわねぇ、フラン。私の貴重な駒が…」


 敵意と興奮の混じるような声。私も反射的に顔を上げた。

 あぁ。…まだ死ねない。


 どうやって戦えばいいかもわからないまま、手の中に剣を創る。

 アイテムボックスも、もう中に残っているのは絵を描いた紙ばっかりで、ダメージになりそうにない。用途はせいぜいが目眩ましの一回ね。

 あのピンクは私の心を読む。脳内がお喋りな私とはとても相性が悪い。

 浴槽が当たったのは、正直なところ本当に運だ。


 けれど。決して放置はできない。

 私が死んでも仕留めなくては。


 この世に神様なんかいない。だから私がやる。

 幸せな人生なんてやっぱり夢のままだけど…もう、いいの。無理だってわかってた。あいつだけは排除して…、そして死のう。


 ごめんなさい、お父様。ごめんなさい、リスター。

 私の死を、きっと2人は悼んでくれるだろう。

 前世とは違う。十分だ。有難い人生だった。2人ならそれも淡々と受け入れて生きていくだろう。私が死んだからといって、彼らの世界は変わらないわ。

 でも、わたしは、もう無理。

 アンディラートのいない世界で、私だけが幸せになんて、なれるわけがない。もう幸せになんて、2度となれないんだ。万が一にも身勝手に…幸福を感じようものなら。


 私自身が、決して、私を許さないのだから。



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