駆け引き
ゆっくりと周囲を警戒する。
如月さんの姿はない。彼女は別行動なのだろうか。
…いや、テヴェルは強くない。窮地に陥れば補助できる程度には近くにいるはずだ。
しっかりと「フラン」を固めておく。
「あれ? どうしたの、フラン。ほら、こっちに来いったら」
…カーッ!
トサカに来ますわ、こりゃ。相当にコケコッコーですわ。
あーん? 来い、だとぅ? おうおう?
ガラワルンシア降臨ですわよ。
何様かとイラッとしかけたが、そうか、私が呪われたままだと信じているから命令形なんだ。
確かに、呪われっ子状態だと何も命令がないと、いつまでもボーッと突っ立ってるからな。悪気はなくて、テヴェルはただ私が逆らうなんて毛ほども思っていないんだね。
だが残念、悪気の有無とか心底どうでもいい。
呼吸をするように無礼を働くお前を、私も呼吸をするような当たり前さで厭うのだ! オマエキライ!
「いや、無理」
呪われていても、お断りできていたのは知っている。
当時の記憶にあるように、できるだけ抑揚のない声でそう返した。
だが、少なくとも植物はお持ち帰りしてもらわねば困る。うまく回収して引き上げてもらわねば、シェルターの避難民を攻撃するかも知れない。
この屋敷から植物が引かないと立ち去れないことを、どう伝えようかと思ったのに。
テヴェルは急に、獰猛な顔をした。
「あー、やっぱり殲滅戦かぁ。だよな! んじゃ、まずはそっちのヤツ、かなっ」
テヴェルの右にいた蔦が、ラッシュさんへ向けて射出された。
息を飲む私の前で、しかしラッシュさんは難なくそれを斬り落とす。
身体強化様のお陰だろうか、前よりも何だか余裕そうに見えた。安堵しながら、テヴェルの視界の外で蔦の切れ端を回収するお仕事。
続いて、相手の攻勢前に左の蔦へと仕掛ける。「えっ」とテヴェルが小さな声を上げたが、隙を見逃す趣味はない。
パレットナイフ連撃で蔦を刻み、刻む傍からお片付け!
右にいた蔦が目標を私に変更してバッと伸びてきたので、こちらも、サッと後ろへ飛び退いて元の位置まで下がった。
「ちょっ…えっ、どゆこと!? そいつを、守ろうとしてんの?」
大慌てのテヴェルは、小さくなってしまった蔦と私を見比べた。5回くらい見てた。
見すぎですわ。
「フラン! そ、それ、誰! 誰なのさ!」
悲鳴じみたその声。「あんた、その女は何なのよ!」みたいな、浮気を問い詰める彼女のような響きを感じた。いっそ笑い所な気がするのに、テヴェルが嫌いすぎてスン…ってなってしまう。
答える義理もないわ。
だが、庭師のような被害者を、これ以上出したくない。
テヴェルには会話を続ける気があるのか?
話は通じるだろうか。
上手く話せば、植物を退かせられるかな?
「…幼馴染だけど、何か?」
「おーさーなーなーじーみー! ヤバイ! 突然のライバルフラグ! そんなもんいるとか聞いてないよ! やめろよもーっ」
駄々っ子みたいに地団駄を踏んだテヴェル。呆気に取られる私と違って、ラッシュさんは警戒を緩めない。すごい。
「私に幼馴染がいようといまいと、テヴェルには関係ないのじゃないかな」
「大有りだよ、どんでん返し…って、あれ? フラン、ねぇ、ちょっと」
じっと見つめられて、私はたじろぐ。
思わず自分の姿を見下ろす。マントはちゃんと前が閉まっているので、ハレンチレディにはなっていないはずだ。足首より上くらいまでは時折チラリしているが、まさか短パンだとは思うまい。
「…なに?」
「やっぱり! 普通になってる!」
あ、そっちか。
別に呪われてませんって弁解するのもおかしな話だよね…よし、必殺・知らんぷりだ!
「ちょっと言ってる意味がわからないです」
「だって、フランはホラ、如月にさぁ、あれだったじゃん、ホラッ」
多分私が知らんぷりしているから、操られていたとか呪われていたとか、もしも記憶にないのならご機嫌を損ねると思って言えないのだろうね。気を遣う場所のおかしな男よ。
「テヴェルはここで何をしているの。キサラギさんは?」
何と言えば植物を引っ込めてもらえるだろうか。
護衛してやると言いながら、後ろからバッサリやるか。
「いるわよ、可愛い私のお人形さん。相変わらず、心の中は随分とお喋りねぇ」
ギクリとしてしまうが、彼女が近くにいることは想定していた。
敵意を聞かれて困ることはない。
私を呪った時点で、貴女は敵だ。だって本当に仲間なら、呪うなんてことしないでしょう?
「如月!」
「そうね、…不思議ね? セレンツィオがフランを捕まえたと聞いたときには、てっきり彼の命令を聞いてそこに留まっているだけだと思ったのだけれど…」
如月さんよりも先にセレルツィオに会ったから、適当な命令で足止めをしていると思ったのだろうか。だが、私がこの通り自分の意志でピンピンしているものだから、それでは筋が通らなくなってしまった。
如月さんは、思春期ラッシュさんへと色っぽく流し目。
そこのテヴェルのようにデレッとしちゃうのではと危惧…はあんまりしてないけども、予想外にラッシュさんは平然と受け流している。
本当に、彼はなんでこんなに如月さん耐性が強いんだろう。
相手は前にも増して、すんごいウッフンオーラを出してるっていうのに。
…心配してなかったよ。
してはいなかったけどホクホクしちゃう。
私のラッシュさんへの信頼度に、上限が見えないのだぜ。
「また、貴方なのね。魔法使いの時も貴方がいたのだわ。教えてもらおうかしら。どうやって、フランの呪いを解いたの。一体どんな状況で?」
聞かれたのは私じゃないのに、当時の様子がパッと脳裏に浮かんでしまった。
なんせ意識はあったのでね。
真剣な顔が近付く様とか、触れた箇所の温度とか、感触とか、思い出せちゃうよね。なんか、その、意外ととても男の人だったよね。
いや、人命救助ですから。私に嫌悪が湧かなかったのはそれをきちんと理解していたからだから。ちゃうねん。勘違いしたらあかん。ラッシュさんには誠意しかなかったはずやねん。そうです、あれは医療行為です! 間違いない!
しかし耐えた私とは違い、同様に回想してしまったらしいシャイボーイは、ボンッと一瞬で真っ赤になった。
ひぃいやあぁ、照れないでよー。移るからー。
じんわり顔が熱くなるのを、咄嗟に背中に冷風を浴びることにより回避。
鎖帷子が激冷えして、「プァオッ!?」って悲鳴出そうになった。一瞬にして完全に正気。
しかしながら通常だと顔を覆ってしゃがみ込みそうな彼が、真っ赤ながらも無表情に近いものを保って立っている。えらい快挙だわ。
まぁ、顔色だけはどうにもできないよね。それが君です。いいと思います。
如月さんは随分と不思議そうだ。
首を傾げて、ラッシュさんと私を交互に見ている。
何だ。何を考えている。
「同時に同じことを考えているということは、それが事実だと思うのだけれど…キスで呪いが解ける、という話は聞いたことがないわ。その男にはそういう魔法が使えるの?」
爆笑もんですわ。まるでリスターにもキスしたみたいに言われてるラッシュさん。
し、してないよね? キス魔の天使なんて、素の紳士とかけ離れすぎて想像もできないぞ。うぅん、でもまぁ、きっと人命救助のためなら彼は躊躇わないかもしれない。
むしろ天使のキスで呪いが解けるとか…いっそそんなの当然のような気がしてきた。
ラッシュさんの固有能力かもわからんぞ。そう、浄化能力の一端だな。
「キ…キス? フランに? したの?」
動揺した声を出したのはテヴェルだ。
やめろ、人命救助だぞ、そういう言い方をするな。ほら見ろ、ラッシュさんが完熟トマトみたいになってるじゃないか。
可哀想に、シャイなのに私のせいで結果としてファーストがディープになってしまっ、よ、余計なことを思い出させるんじゃない!
私の動揺のせいで如月さんは立ち直ってしまったようだ。
つまらなさそうにラッシュさんへ視線を投げる。
「邪魔だわ。貴方、本当に邪魔」
本音なのだろう。
冷えきったその表情には、誤魔化しや取り繕いの欠片もない。心底腹立たしいと言わんばかりの態度。
珍しいな。
何やっても嘲笑って躱すタイプかと思っていた。これはお母様という唯一の弱点がなくなった今、うちのお父様の方が上手なのじゃないだろうか。さすがお父様。
ラッシュさんは如月さんにデレッとしないから、気に入らないのだろうな。
サキュバス属性だもんな、如月さん。
「何よりだ。それは俺が正しく動けているという証明だろうから」
そしてなんと強気なラッシュさん。
如月さんと対する度に、新しい一面が見られるという…。
小悪魔と天使が睨み合う。
でも。
まだ、ここ…では、ないはずだ。
意図的に呼吸を落ち着けながら、植物魔物を片す算段。これは魔物だから、核の在処がわかれば仕留められると思う。
見える範囲では、しかしまだ蔦部分しか見当たらない。ならば切り刻むしかない。
唐突にテヴェルが一歩前に出た。
「お前、何」
私ではなく、ラッシュさんを見ている。
むっつりとお怒りな顔で、発された片言のような言葉。少しヒヤリとした。
クズがキレる前触れのような気がして。
ラッシュさんを守ろうと、無意識にパレットナイフに手を触れる。
何をやらかすかわからない。
クズは、いきなり殴りかかってきたりする。
己のみが正しいと信じきる人間には、理性的に会話し、妥協点を図るということができないのだ。相手の考えなんて聞く必要を感じないから。
「…テヴェル、か」
少し眉をひそめたラッシュさんは、何を思ったのか。
読み取ったらしい如月さんが、不審げな顔をする。
「テヴェルと、知り合いだというの?」
うわ、ラッシュさん過去に思いを馳せちゃダメだよ、筒抜けるよ!
彼は慌てたようには見せなかったが、何かは漏れたらしい。
「俺の知り合い…だって?」
テヴェルが急に不安そうな顔になる。
見知らぬ敵が自分を知っていると思えば、そうなるだろうか。やけに心細そうな顔。
「過ぎたことだ。別に思い出さなくていい。思い出されても立場は変わらないから」
「如月…こいつ、この人、なんて考えたの」
ラッシュさんの言葉は無視して、テヴェルが如月さんへと問いかける。
「…ええ。やはり無事だったのか、良かったな…と。どういう知り合いなの?」
ますますテヴェルは眉を寄せた。
無事を喜ばれるなんて理解できないだろう。ラッシュさんの人の良さは凄いからな。
私も理解できませんもの。テヴェルの無事を喜ぶとか。
一体なぜ…、あ。
如月さんがこちらを見た。慌てて目を逸らすが、これは残念賞の気配!
「テヴェルの村ですって?」
ああっ、ラッシュさん、ごめぇん!
今の、私だ。私が思い至ったせいだ。
オロッとした私に気づいて、ラッシュさんはこちらへ笑みかけてくれる。
わかるぞ、それ、ドンマイの笑みだな。うわぁん、私の馬鹿!
「昔、騎士に付き従い、何度か村を訪ねたことがある。それだけだ」
あっさりとラッシュさんがバラす。
如月さんが微妙な顔に、テヴェルはよりいっそう不安そうな顔になった。
落ち着きなく手を握ったり開いたりしている。
なぜ、こうもテヴェルは不安そうなのだろう。同じ集落の出だと問題があるの?
平静を装うことができないようで、とても挙動不審だ。
「故郷の村の人間では、ないのね?」
「違う」
少しテヴェルは安心したようだ。
え、故郷の人間だとなんかダメなの?
「あ」
話が見えない私の前で、テヴェルはハッとしてラッシュさんを見た。
パレットナイフの柄を握えて備えるが、植物攻撃は来なかった。
「わかった! お前、ピーマン欲しがったヤツだろ、名前忘れたけどなんか長いヤツ!」
あらまぁ。
しかし、一般人は集落間の行き来などほとんどしないのだ。年の近そうな相手が来た記憶など、限られている。特定、不可避。
でも…名前、そんな長いかしら。
一文字一音の私の名前なんかは書くとやけに長く感じるけど、よくある男性名になると案外そうでもないものだ。結構「これ一文字でこう読む」みたいな略字もあるから。
はっ、もしや書類にサインするのが面倒で発展したのか?
って、そんなこと気にしてる場合じゃない。
ラッシュさんの正体がバレても支障はないのか?
そもそも、なんでラッシュさんはラッシュさんだったんだっけ?
…私がフランさんだったからだ。
冒険者登録する際には本名でなくてもいい。
だから、本名の人はむしろ少ない。
そうなんだーって納得してたから疑問に思ったことなかったけど、結構変だね?
「あ。あれ? そうすると、その幼馴染みだって言うフランは…」
ギクリとした。
ラッシュさんも「あっ」て顔してる。
くぅ、先手必勝!
私はパレットナイフを如月さんに投擲した。
すぐさま反応した彼女は、危なげなく剣でそれを弾き飛ばす。
「フラン! なんで攻撃する!」
「ちょっと自分の思い通りじゃないからっていきなり呪ってきた相手を攻撃するのは間違いなんですかね! ましてや同性、君でも攻撃するのでは?」
正論攻撃にテヴェルは一瞬、口をつぐむ。
差し向けるだろう、植物を。
そこにいるラッシュさんへ目を遣る。
それからテヴェルを見て、如月さんを見て、もっかいテヴェルを見て、鼻で笑う。
相手がこういうボインボインのウッフンねーちゃんじゃなけりゃ、なんにも躊躇いなんかないんでしょ?
私にはボインだろうがムキムキだろうが関係はない。それだけのことだ。
「フラン! 如月は本当はお前と仲良くしたいんだ、許してやれよ!」
はぁ? 何言ってんだコイツ。
楽しく利用したい、の間違いだろうが。
私の手を止めるには値しないな。
再びナイフを振りかぶる。
心を読まれているだけあって、やはり攻撃が当たらない。マジ困りますわぁ。
「面白いわ、貴女はやはり」
舌なめずりするような如月さんの顔。私が男だったらホイホイついて…いや、ないな。ラッシュさんもついて行くまい。
如月さんに疑問を抱かずついていく男なんて程度の低い、身体目当ての直結厨だけでしょ?
それって本当に、女として価値があるって言えるのかしら?
「どういう意味?」
「下半身に脳味噌があるような男を目先の欲で釣って動かしているだけ。それって貴女が有能である証になんかなるのかしら」
ガワしか見てない人間に囲まれて、誰一人信頼できる人間もいない。
薄っぺらい言葉でしか会話のない、そんな人生。
随分、つまらなさそうだわ。




