対峙
突然の阿鼻叫喚。
屋敷は蠢く植物の襲撃を受けた。
「お逃げ下さい、お嬢様!」
仲良くもないはずのメイドが、怯えながらも私を背に庇う。
実に、実に普通の女性のはずだった。敵方に雇われているので、私に有利なことはできないだけの、何でもない一般女性だ。
…これはテヴェルの植物だろう。
こんなものを作り出すような頭おかしい人間が、近場にたくさんいるとか思いたくない。
このメイドさんがテヴェルに殺されなきゃいけない理由なんて、ただのひとつも思い付かなかった。
そりゃあ、私にも守ってあげなきゃいけない理由なんてない。
親しくもないのだから簡単に切り捨てられる…と、思っていた。
一体どうしてなのか。
メイドを見捨てて1人で逃げ出すのも、何だか出来そうにない。
我が身を犠牲にそんなことをしたって、良いことなんて何にもないはずなのに。
…だけど、そう、まだラッシュさんが戻ってきていない。探して、合流して剣を渡さなければ。短剣しか持っていないのだから、彼だって危険なはず。
出口までメイドを護衛する間に会えるかも。だから私はたまたま彼女と行動するんだ。
言い訳しないとこんなことも出来ない。
メイドが私を利用しようとなんてしていないことはわかっているのに、私は勝手に、使い潰されることに怯えている。
他人なんてどうでもいい。大丈夫。
私は好き勝手に生きている。決して誰かに騙されたり脅されたり、望まぬことをさせられてはいない。
今生は、無念のうちに死んだりしない。
それにしても、私は馬鹿だ。
なぜ敵地でこんな動きにくい格好を、疑問もなく…。同じドレスでももっと脚裁きの良いデザインとか、色々あるはずなのに。
考えが浅いんだ。だから、いつも己の迂闊さに唇を噛むことになるんだ。
…だが、まだ戦える。
「お、お嬢様!」
メイドはふわりと視界の端に舞ったドレスを、理解できないように振り向いた。私の格好を認識して悲鳴を上げる。
エクステも邪魔。むしり。
なぁに、こちとら現代日本の女子武者よ。
令嬢なら膝上スカートでさえ卒倒ものだが、キャミにホットパンツやらはイマドキ女子の戦闘服。
いや、まぁ、私も未だかつてそんな格好で出歩いたことはないけれど。
しかし生足程度なら出したところで!
こちらの純正令嬢と違って、キャアと悲鳴を上げて蹲るような恥でもない!
念の為に貞操の心配だけはしていたから、やけにドレス下の防御力は高いのだぜ。
ノースリーブながら色気と無縁で、簡単には脱がせない鎖帷子モドキと、連結した同素材の短パン。腰にパレットナイフ収納付き。
悪乗りして手編みしたこの帷子が、役に立つ日が来ようとはな!
素材的にも万一隙間にお肉が挟まると「アイタッ」てなりそうなので、更に色気皆無かつ脱ぎにくく破れにくい素材の下着をこの下に着込んでいる。性犯罪被害の可能性を、とことんまで粉にする心意気。
だって本当に自分が脱ぎたかったら、アイテムボックスがあるもんね。
「これを始末したら何か羽織るから大丈夫、気にせず走って」
「でも…キャアァ!」
オラァ!(注・令嬢です)
タコの足みたいにグネグネとブン回された蔦。メイドに向かって大きくうねってきたそれを、両手のパレットナイフで斬り払う。
…やはり、斬っても死なずに動く。
それどころか斬られた蔦が切り口にダバダバーっと駆け寄って? くっつきよったー!
えー。ええー。
なんでよ、どんな理屈よ。
うーん。
納得はいかないけど、そういや接ぎ木ってあるからなぁ。
チートなら迅速にそういうことが早回しで出来るのかな?
嫌なもん作ってんなぁ、テヴェル…。
「細切れにすればくっつくのに隙が出来るかな。でも、あんまり時間かけられないよね。蔦がこれ一匹だけってことないだろうし」
どうしたらいいのか。
それに、このメイドは一応敵方。
全力で私が異質なとこなんて見せていいの?
逡巡するふりの私は「時既に遅し」とひっそり突っ込む脳内オルタンシアをスルー。体裁で命が守れるかッ。
不意に、窓が大きな音を立てて割れた。
蔦Bが現れた! 蔦Cが現れた!
フランとメイドは逃げ出した!
蔦Aの攻撃をくぐり抜けたところ、更に蔦Dが現れたんですけど。な、何というモジャモジャハウス…。
やぁ、みんな。モジャモジャハウス☆アトラクションへようこそ~。
脳内で、きゃるんとした目のついた妄想蔦が鼻にかかった高めの声でマスコットアピールしてきた。
営業停止を切に願う。
回避が遅いがために、私に振り回されるだけのメイドが悲鳴を上げ続けている。
うるさい。うるさいが、自分の速度以上の動きで攻撃と回避に巻き込まれているのだから、叫ぶ気持ちもわからないでもない。
隙をついて身体強化様マシマシ。
勢いのままに、立ち塞がる蔦を連続ブツ切り祭りだワッショーイ。
床に落ちた途端、もだもだと方向転換して、くっつこうとして集まっていく隙に、メイドの手を引いて廊下を駆け抜ける!
出口の場所を聞きながらメイドの手を引くが、彼女の息が切れてきた。
追い付かれますわよ! 座り込んじゃダメ!
えぇい、お子様風ですまんが、ヒョイッと片手抱っこするか!
あ、その前にメイドさんが帷子にお肉挟んだら痛いからマント羽織ろうね。
抱き上げる寸前に滑り込んだ布よりも、背後から迫り来る恐怖の植物に、メイドの視線は釘付けだ。
片手で成人女性を抱き上げる、我がコングぶりに追求されないのも助かります。
お姫様抱っこは両手が塞がるんだもの…そこまで無防備にはなれないもの…。
他の場所でも使用人の悲鳴が聞こえていた。
誰のものかもわからない必死なその声の中に、扉の丈夫な地下で閉じ籠ろうという呼び掛けが聞こえた。
植物の多い庭を突っ切って外に逃げるより、使用人達とシェルター入りした方が、メイドは生き延びられるかもしれない。
あとは彼らが閉じ籠っている間に、植物を何とかすることが出来れば。
「お嬢様! ご一緒に…!」
地下の入り口に入ろうとしていた使用人達に、むぎゅっとメイドを紛れ込ませる。
即座に背を向けた私の袖を、引き留める手。
いや、私は地下に閉じ籠ってても、何にもならないから。
むしろ使用人達がいたら、気になってうまく戦えないし。
「ラッシュさんを探しに行かないと。貴方、メイドさんのことをよろしくお願いします」
誰だかわからん近くの男に呼び掛けると、慌てて頷きが返された。
きっと皆は使用人仲間なのだろうから、協力しあうだろう。
腕をさっと振って袖を取り戻す。
…メイドさん、どうしたのだ。
すごく必死に私を引き留める声を出しているが、メイドと幼馴染なんて天秤にかけられないよ。圧倒的に天使のほうが重要。
時折出会う使用人に、地下に逃げ込んだチームのことを告げる。
外に逃げ出すか合流するかは各自にお任せしよう。
ラッシュさんがまだ見つからなくて、不安になる。
私の部屋に近い範囲で働いていたはずなのに。どこよ。
何度目かの使用人との遭遇とシェルター案内。そこで有力情報を得た。
いたの裏庭かよ。
してたの薪割りかよ。
なんてことなの、植物の真っ只中に!
剣も持たずに最前線だなんて、無事だろうか。ちょっと泣きそうになる。
庭は日々の庭師の手入れがもはや無意味なほどに荒れていた。
花は潰され、樹木が折られ…蔓延る蔦。さっと辺りを見回して人目がないことを確認した私は、身体強化を大盛にして蔦の集う場所へと走り込む。
これは謎のモンスターじゃない。テヴェルの作った魔物だ。
今生、クズに屈したりなんてするもんか。
もにゅっと小鳥が2匹頭に乗り左右を警戒。死角を作らないのは不可能でも、減らすことはできる。そして、見えれば避けられる。
オルタンシア~、ファイッオー!
脳内で己を鼓舞して、アイテムボックスから取り出した長剣を振り回す。
蔦どころか時折庭木も巻き込んで、斬っては収納を繰り返すのだ。
ちょっとガサッていったらすぐ剣ブン回すビビリぶりだよ。庭木が削れたのはそのせい。
隠れる場所を失った魔物が、積極的に飛び出してくる。次々。まだまだ。おかわり満載。うぐっ…け、計画通りよっ…。
その甲斐あって、じわじわと蔦は数を減らしてきた。
駆除業者の気分。えぇ、私がプラントっ攻野郎オルチームです。夾竹桃からバオバブまで、何でも駆除して見せるぜ。でも、ミントテロは勘弁な!
以前と同様に、切断した植物をアイテムボックスに入れれば、なぜか暴れる様子もない。塩漬けにしたわけでもないのにクタッとしている。
理由は全くわからん。解けない謎ですね。
ザクザクと蔦を刈り、アイテムボックスへ放り込む。
終わらない作業なんてないさ。
と、刈り込んだ蔦の中から、突如発掘された茶色っぽい髪の男…の使用人。
「ぴっ!?」
見つけた瞬間ギクリとした。
人だ。え、人がいたよ!?
動かぬ相手の様子を慌てて確かめたものの、呼吸も脈もない。格好や場所から見て…庭師、だろうか。
既に、息耐えている。
一縷の望みをかけて、そっと魔法で回復してみたけれど、不発を感覚で理解した。
ラッシュさんじゃない。
それには心底安堵する。
だけど、テヴェルさ。ホントにさぁ…。
この人に、何された? この人、一体何の関係があった?
セレンツィオに雇われているから?
如月さんに何か不利益なことをした?
わからない。
そもそも、君ら、仲間だったんじゃないの。私が君らに直接何かするより先に、なんでもう仲間割れしてんの。
レッサノールを通じた敵探しだって…私に出来たのは、ようやく昨夜。
がめつそうな爺さんの顔に濡れ布巾かけて、相手が目を覚ましてしまった後は叫ばないよう押さえつけることだけだ。
もちろんファントムさんがやった。
敵とはいえ、戦闘でもないただの暗殺。無抵抗(腕力の差でそのようなもの)の老人の殺害だった。
もしもこの手で直接触れていたら、…完遂はできたのだろうか。
自信はない。
視界の共有を切って、見なきゃ良かったような気もする。だけど人を殺したくせに、そんな逃げは許されない気もする。
なるべく外傷を作らないように、勝手に死んだように見せようと画策しても、私の罪に変わりはない。
私もテヴェルと同じクズでしかないんだ。
違うと思いたい、自衛だからと許されたい。
だけど前世の感覚が、人を殺すことは罪悪だとしか思えないと私を責める。
戦闘中なら、仕方なかったと言い訳できただろう。こうしなきゃ私が家に帰れないのも間違いない。
自分のために誰かの命を奪った。
決意はしていたのに、それでも寒気がする。
天使に懺悔して慰められたい。
でも、そんなことは許されない。私が選んで、望んで、そうしたのだから。
お陰で今日は1日塞ぎこんだ。甘っちょろさに自分でも嫌気が差す。
気は晴れない。それでも改めて思う。やっぱり、頑張らないといけない。
無関係の人が巻き込まれる。それは駄目だ。
絶対悪なんて存在しないのかもしれない。だが、悪だと思い込まねば。私が、私を守る為だけに。
小鳥が斜め後ろから駆けてくる幼馴染みを見つけた。
認識した途端に、パッと世界が明るくなった気がした。
これが、地獄に仏というヤツか。そう、掃き溜めに天使。クズの上にも3年。違うね。
「無事だったか!」
サッと隣に走り込んだラッシュさんは、頬や腕や肩に擦り傷切り傷が。
「『マザータァッチ!』」
上着ごとバックリ切れて血が滲んでいる箇所が幾つもあるだなんて。すぐさま治したが、袖をめくっただけで赤面しちゃう天使の服をこんなに切り裂くとは…とんだ変態だよ、テヴェルめ!
私の返事が回復魔法だったので、ラッシュさんは目を真ん丸にしていた。
預かっていた武器を渡せば、素早く剣帯を腰に巻き付けて装備し、剣を抜く。警戒体制なのだろう、抜き身の剣はそのまま手に持ち歩くつもりのようだ。
「助かった。短剣ではなかなか蔓を切り落とせなくて困っていた」
…パレットナイフでザクザクしていたことは内緒にしておきますね。
頷くに留めた私の頭上、小鳥レーダーに目を遣った彼は、ちょっと口許を緩める。
「変わった髪飾りだ」
「斬新!」
こんなときに冗談を言うとは思わなかったけど…どうやら余裕がある模様。
ラッシュさんが笑うならば、大体のことは大丈夫な気になってくる。幼い頃からそうだった。この圧倒的安心感を与える雰囲気って、どうやって培われるのだろう。
「見ぃつけた!」
はしゃぐような声が割り込んだ。
一気に頭が冷える。
ラッシュさんが私を背に庇った。
「フラン、帰るよ! おいで!」
モジャモジャハウス開演の元凶が、場違いな笑顔で現れる。
左右にウネウネを従えて、テヴェルはラッシュさんなど目に入らないかのように、私だけを見ていた。
ワンコのように呼ぶんじゃにゃーよ!!




