狂信者の覚醒
アンディラートは客間の隣の部屋で寝起きするようになった。
とはいえセレンツィオによる「我が屋敷は安全ですから必要がありません」とのお言葉により、私の護衛を継続することは困難に。
しかし滞在したければ食い扶持分働けとでもいうのか、なぜか屋敷内で働かされているアンディラート。
連れて行かれた先で尋問とか拷問とかじゃなくて心底良かったけれども、扱いは仮雇いの使用人に格下げ。
部屋も、本来は使用人が3人くらいまとめて寝起きする部屋に混ぜ込まれているという。
その雑な扱いに、思わず奥歯をギリィッとしかけたが、「周りの人達の配慮で隣室に来れたから、別にいい」と彼は微笑む。
隣室に来てくれたのは素直に嬉しい。
だが、私は知っている。そこは客間ではない。
お茶欲しいとか着替え手伝ってとか「1人で出来ないもん」な貴族客に対し、使用人が御用向きをお伺いするための待機部屋だ。
私は1人で出来る子だから心配ないけど、周りの人は本当に善意だったのか?
私がドレスなのをこれ幸いと、高い身分のお嬢様とか使用人に説明してたからな。お陰でそう振舞うよりなくなったのだが。
もしや夜中に我儘こいて呼び付けてくる嫌な客かもしれないと思って、その対応とか体よく押し付けられただけじゃないの?
大体さぁ、このベルでチリンチリーン♪と隣室の天使を呼び付けろとでもいうのかね。畏れ多いわ。
来ていただく前に私の方からドアをノックしに行くっつの。何ならお茶も入れたげるし、お着替えも手伝うわよ。
…駄目だな、着替えになんて関わろうとしたら絶交されるかもしれない。シャイだから。
私は昼間は侍女の見張り付きで軟禁みたいな状態だし、彼には剣を屋敷内で持ち歩く許可も出なかった。
あろうことか、彼の長剣はボッシュートになった。荷物のお預かりなんて言っていたが、鵜呑みにするほど馬鹿じゃない。
理由が何であれ他人に渡すということは、永久に戻らない可能性を秘めているのだ。
…うん、私、人間不信だからね。
大事なストラップなので剣から外すという名目で時間を稼ぎ、もちろんサポート製の剣とすり替えた。何とか剣自体は奪われず無事だったが、身に付けて歩けないことは変わらない。
身体強化が使えるようになっているのだから、剣がなくとも大丈夫だとアンディラートは言う。
いつ、何が起きても不思議ではないのに…。
お話し合いの末、着替え程度を部屋置きにした。何かあったら部屋荷は放棄して逃げる。大事な荷物は私のアイテムボックスで保管するということになった。
現在の彼のメイン武器は、上着の下にそっと隠されたソードブレイカーだ。御守りもこちらの柄の飾りとしてへと移動された。
半身が魚の骨のようなそれは、可愛くて私も好きだけれども…普通の剣よりは耐久性がなかったはず。
お父様に暗器を習っておけば良かったかな。
でも、お父様自身には一度たりとて私にそれをオープンにしたつもりはない。
言えないよね。夢で見たから知ってました、なんて。まして隠し武器なわけだし。
私ならサポートだろうとアイテムボックスからだろうと何とでもなるが、アンディラートは手持ちの物資が身を守る全てなのだ。
だが、不安でならない私とは違い、彼は随分と落ち着いている。
…とか思ったら、一大事よ。
使用人扱いとはいえ、私のように監視付きで、まぁライトなお仕事をしながらそれなりに過ごしているかと思っていました。
ところが彼は貴族の嫡男だというのに、下働きみたいなことをさせられていた。
たった今、窓から見えたのだよ。
箒を手に庭の掃き掃除させられていたかと思えば、今度は薪割りゾーンへと誘導されていくその姿が。
あ゛?
二度見どころか五度見返したわ。
何度見ても、うちの天使ですわ。
思いっきり細々と便利に、こき使われてるやないかーい!
…おーい、セレンツィオ。
いや…仮雇いのセコさといい、今一つセレンツィオのイメージじゃない…ってことは、レッサノールの指示なのか? どっちでもいいか、同罪だから。
君ら、一体何してくれてんだい。
彼、人は良いけど高位貴族ぞ? ルーヴィス家の跡取り息子ぞ??
国に知らせたら、息子大好きヴィスダード様が、元気に斬り込んで来るやも知れぬよ?
天使を下働きにするなんて不遜だわ。世界の理に反している。
浄化を担う彼が荒んだら、一体この世はどうなると思ってるの?
あっという間に絡み合う負の連鎖よ。悪しき鎖…そう、チェーン…爆発しますね、星雲が。
そんなこと、しようとするから。だから。
私…今となっては不安だの取り繕うだの、そういう気持ちもだいぶ薄れてしまったわ。
負けるつもりなんて元々なかったけれど、なんかもうそれどころじゃないよね。
その子はねぇ、傷さえ付けなきゃ何してもいいってわけじゃないのよ。
宗教でいうところの、御神体だから。
そして私が狂信者だ。つまり…こいつぁ聖戦だよ。
もう、私の敵視が椀子蕎麦! 面舵ならぬ、おかわりいっぱい!
滾ってきたぜぇ。必ずや天の裁き(物理)を食らわせてくれようぞ。
その際にはどうぞ遠慮なさらずにね、たぁんとおあがりよ!
先が見えぬほど容赦なくガンガンに溜まるヘイトは、弱気に怯えるオルタンシアちゃんよりも怒りに燃える戦闘民族を目覚めさせた。
なんかアイツらどうせ敵だし、情報が得られなきゃバッサリやっちまえばいいよという気分になっている。
色んなロールの喪失は、やはり私の本性を覆うベールの厚み減退に繋がっているようだ。すぐ態度に出てしまいそう。
我慢、我慢、せめて仲間がどの程度なのか見極めてからじゃないと…レッサノールにくっつけたサポート蟻からは、まだ有益な情報が届かない。
会った相手が悪そうで偉そうな相手だったら、しばしそちらへ蟻を移して観察し…場合によっては粛々と暗殺を決行する予定だ。
なんせそのサポート、蟻からファントムさんへと変じて襲いますから。
ご機嫌よう、哀れな怪人の犠牲者よ。
悪人が食い物に出来るような、傀儡な救国の姫など存在しない。今回の忘れられた姫君は弱くない…獲物はお前達のほうだよ!
チート持ちが、闇夜に雷光を背負うタイプのホラー展開で、お相手致ぁす!
セレンツィオと繋がりがある相手など、どうせ皆悪者だろうが…うん、一応脅されたりしてのことではないか、確認はするよ。それが私のなけなしの…天使への言い訳!
え、良心はどこ行ったかって? 幼馴染が私の最後の良心ですが、何か?
とりあえず無理難題を言うお嬢様と化して、宥め役としての彼を呼び寄せようと試みた。
…来なかったぜぇ。
どうやらレッサノールの差し金らしいぜぇ。下っ端では宥められないと思ったのか、メイド長みたいなのが来たよ。
仲良しこよしの2人を引き裂くだなんて、使用人一同誰1人として本意ではない…でも命令だから…断腸。要約するとそんな風に謝られたのだ。
随分と人望ないみたいじゃないのよ、レッサノール君?
でもね、むしろ、それにより…わかったことがある。
…ここの使用人達は、既に我が天使の虜となっているらしいのだよね。
着任早々、お屋敷に癒しの風を吹き込みまくったのかな、アンディラートさん。やさぐれた人々に清涼をお届けした様子。
ここの人達はアンディラートに良くしてくれていることがわかったので、彼らを巻き込むようなお屋敷破壊は自重しようと思う。
全く、正反対とは駄目な雇い主だね。使用人達に感謝してほしいよ。
侍女がこそりと教えてくれたところによると、幼馴染は使用人達の計らいで、私の部屋にすぐ駆けつけられる範囲を基本の仕事場にしているらしかった。
その分できる仕事は限られるが、力仕事を頼んでも手早いし、小さなことでも嫌な顔ひとつせず引き受けてくれるとあって、人気者っぽい。
皆は彼が護衛だと理解はしており、悪いなぁと思いつつも雑務を頼んでいるという。ほら、なんせ、仕事させろって上司の命令だから。
まさか休みなく働かされている灰かぶりアンディレラかと危惧していたのだが、虐げられてはいないとわかって少し安心した。
いや、現状を良いとは思ってないよ。でも最悪ではないと理解した。
ほら、地下で何にも繋がってない巻き上げ機を無意味にガラガラ回す奴隷とかさ、何にしたって可能性だけはゼロじゃないじゃない?
それにしても敵地の人間をもあっという間に味方に付けるとは…しかも経略でなく素の人柄で。さすがの大天使ぶりよ。
さて、そんなわけでアンディラートは夜になると隣の待機室に戻ってくる。
そして、お疲れだろうに律儀に毎日遊びに来てくれるので、仲良くお茶している。
私は私で出された食事で取っておけそうなものや美味しかったもの、ティータイムのお菓子などをこっそりと溜めておいてプレゼントだ。
これが結構本気で喜ばれるのですが…もしかして使用人チームの食事は、成長期の彼にとってローカロリー過ぎるのではないか。おいたわしい。ご飯を作りたい…お腹いっぱい食べさせたい。
彼曰く「情報共有」という名のティータイムをサクッと済ませると、ちょっぴり名残惜し気にしつつも隣室に引き上げていってしまうのが寂しい。
私もあんまり強くは引き止めない。寂しいってバレると、きっと夜明けまで話し相手になってくれちゃうと思う。お疲れなのだろうから、気取られて気を遣わせるような真似はいけない。
でもね、隣は使用人の控え室でしかないので、簡素な机と椅子くらいしかない。
そう、ベッドがない。
一度、私の部屋のベッドを譲るよと申し出てみたのだが、「いい、有り得ない」とすんごいへの字口で断られてしまった。
代替案とか聞く素振りもなかった。その勢いに、私も「お、おう」としか言えなかった。
でも君、どうやって寝てるの? お隣って寛ぐソファすらなかったよね?
私こそアイテムボックス内のお布団で寝ればいいんだし、本当に客間のベッドは使ってくれていいんだけどな…。




