スキマライフ!~予想外の出来事。【アンディラート視点】~
縛られた手は、使用人部屋に着くなり解放された。これを見て急激に青ざめていた幼馴染に、上手く弁解できなかったのが心残りだ。
…睨みをきかせたレッサノールがいたから、あの場で何かを言うことはできなかった。
実は縄をかけられたのは馬車を下りる寸前だったし、馬車内での待遇は特に悪くなかった。
見張りの男は少し話をしたあとから、あまり俺を危険視していなかったようなんだ。多分、騒ぎ立てたり抵抗したりしなかったからだと思う。
彼女と離されない限りは、ある程度の暴力にも耐えるつもりではいた。雑用を命じられればするつもりでもあった。
俺には彼女と違って、相手方にとっての利用価値がないからだ。
俺だけが追い出されるのはとても困る。
とはいえ向こうだって、よくわからない冒険者を何となく置いておくようなことはない。そう思ったから大人しくしていた。
だが幸運にも、相手方は捕虜扱いもせずに俺を屋敷内へ入れた。
側にいられる。ならば現状、何も困ることはなかった。
今後の方針はわかっている。キサラギとテヴェルを倒し、彼女を利用しようとする勢力を挫く。それに向けて動けばいい。
オル…フランは考えに考えた末、結局勢いと身体強化でごり押ししようとするところがある。できればそうなる前に状況を整理して、共有しておきたいな。
使用人に話を聞ければ、少しは情報が集まるかもしれない。
でないと…何せ彼女は様々なことに怯える割には、驚くほど大胆で大雑把なのだ。
俺に何かあれば屋敷を壊すようなことを言っていたが、あれも脅しではないだろう。多分本当に、異能に物を言わせた物理的破壊を考えていると思う。
彼女の強さや決断力を疑ってはいないが、その力がいつでも十全に発揮できるとは思わない方がいい。
なぜならキサラギに操られていた彼女は、身体強化を全く使わなかったからだ。
…女の子は、か弱い。思い知った。
俺が彼女の力を当たり前に思って過信していれば、いざというときに足元を掬われるかもしれない。
彼女はもっと前から、そう考えていたのかもしれないな。騎士の見習いをしたり、武器の扱いの指導をねだったのは、自身に力をつけようとしたからだったのだろう。
…今更、思い至るなんて。己の察しの悪さには溜息しか出ない。
「結局、貴方はフラン様の護衛ということでよろしいのか?」
俺に付いているのは、馬車からずっと一緒だった男だ。
見張りのはずなのに、世間話を振ってきたりと気安い扱いをする。
「あぁ、まあ」
「お客様の護衛に縄をかけるなんて、レッサノールは何を考えているんだろうな。お嬢様の反応を見れば、貴方がお嬢様を害する賊でないことは明らかだ」
そのお嬢様の方に賊の可能性があるから、縄をかけられたのだとは言いにくいな。
セレンツィオという貴族が、レッサノールという従者に指示を出す…それが基本的な命令系統のようだが、御者やらの雑用にも部下らしき者は何人かいた。
見た限りそれらの部下は、レッサノール程には主人への忠誠が厚くない。
どちらかというとレッサノールの態度を過敏と見なし、そこまでしなくてもいいと考えている者達のようだ。
主人であるセレンツィオも、使用人らしき彼らには気を払わない。親しさからではなく、そんな必要がないからのようだ。つまり彼らは腹心ではなくごく普通の、雇われた使用人なのだろう。
浅い忠誠に付け入ると言うと言葉は悪いが、乱れた足並には他者のすり抜け得る空白がある。
全軍で1枚の盾として動ける騎士について歩いていた俺から見ると、隙は幾らでもありそうだ。
「従僕用の部屋は客室とは離れてしまうんだが、御用向きをすぐに伺うための待機部屋は客室のすぐ隣だ。どうせ従僕なんて寝るくらいにしか戻らないんだから、寝る時もそこを使ったところでバレやしないでしょう」
拘束を完全にほどいてくれたこの男は、そんな風に抜け道まで教えてくれる。
縄を俺の手首に巻く際にも、「護衛を縛り付けたりして…万一お客様に何かあった時に責任だけこっちに振られてはたまらないじゃないか」と緩めにしてくれていた。
更に言えば手を縛られたところで…剣がなくても、勝てるレベルの相手だった。
相手もそれは理解していたようで、俺が暴れたりしないことにはやたらと感謝していた。
警備やそれに関する荒事は、基本的には屋敷を守る担当がやるらしい。
腕に自信もないのに冒険者の見張りに据えられたと不満をこぼすと共に、馬車内では当初こちらに少し怯えていた。
使用人が多ければ人目を忍ぶのは難しいが、荒事に耐える人間自体が少ないなら、暴れる側が有利だ。それでもこの広さの屋敷なら、確かに腕が立つものは数人いればいいだろうな。敷地が広くないから、端から端まで駆けたところで大した距離じゃない。俺や父なら1人でもいい。速やかな拉致が目的だと敷地外まで追うことにはなるだろうが、今の俺なら恐らく追い付く。
そして警備が少ないと聞いたなら、逆も可能だと判断できた。ただでさえ強者に対抗できる腕前の警備がいないなら、この屋敷を落とすのは大した手間じゃない。
そう口にすると相手がまた挙動不審に怯え出した。
いや、俺が屋敷を襲う算段を立てているわけではなくて。フランを奪おうとするキサラギの襲撃を想定して言っただけなのに。
宥めながら、万が一何かがあってここから乱暴に逃げ出すとしても、彼には剣を向けないと約束することになった。
「フラン様はやんごとない家柄のお嬢様だと聞かされている。であれば、貴方だって…こんな使用人にも随分気さくだが、平民ではないのだろう?」
俺はそんなに愛想がいい方じゃないけれど…会話を重ねていたせいか、彼の警戒は徐々に減っていったような感じがある。少なくとも、こんな風に話ができる程度には。
大丈夫かな、彼はわかっているのかな。俺はレッサノールの仲間じゃない。
フランを守るためなら目の前の彼を…約束したから剣で切り捨てはしなくとも、体術を用いて叩きのめす予定くらいはある。あんまり信頼されても困る。
そういう意味では、護衛と言って問題はないのかな。
彼女に危険がなければ、俺もそれほど相手方を脅かしはしないだろう。
「平民ではないが。今は冒険者として動いているし、身分にはこだわらない方だと思う。護衛も…彼女は腕が立つから必要かどうかはともかく、俺が守りたいと思って側にいるだけだから」
俺は真面目な顔をして頷いて見せたのだが、なぜか相手は妙な冗談を聞いたみたいに、急に笑った。
どうしてだろう。本当のことなのに。
しかし続く台詞で理解した。
「えぇ…強いって? あんなお嬢様が?」
そういえば、彼女は髪を長く下ろしてドレスを着ていた。
動作も楚々としていて…あれだけ可愛らしい女の子が強いなんて聞いても、なかなか信じられないのは無理もない。
「気持ちはわからなくもないけれど、挑むのはやめた方がいい。雇われている以上は自分の意思だけでどうにもならないこともあるかもしれないが、俺が貴方をとめたことは忘れないでほしい」
ドレスは然して障害にならない。
スカートだからと高く跳んだりはしなくとも、普通の令嬢のように大人しくはしないだろう。走ったり蹴ったり斬ったりするはずだ。
彼女は昔から、無謀だろうが常識外だろうが、その時に必要なことを迷わず実行してきたのだ。
まして俺から見ても強いとは判じられない彼が相手をしても、大した抵抗もできずに、簡単に叩き伏せられてしまうことだろうな。
観客がいれば、優雅に戦いを演出されてしまうかもしれない。ノリでそういうことするとこ、ある。
「えぇ…止めちゃうのか。さすがに深窓の令嬢相手には勝てると思うんだけどなぁ」
無理だよ。
相手はただの令嬢じゃない。箱入りの貴族子女でありながらも、大人の男に決闘で勝つような元従士なのだから。
…そんな指摘しても相手の機嫌を損ねるだけだろうか。でも、侮られたせいで何かが起きては良くない。防げるリスクなら防ぎたい。
忠告したいが…なんて伝えたものか。
「幼い頃に剣の手解きをしたら、あっという間に抜かれてしまったくらいだ。今は俺も、いい勝負ができると思うけれど」
彼は、俺に勝てないことは理解している。この言葉の意味がきちんと伝われば、無謀にも彼女に挑むなんてことはないはず。
…そう思って言ってはみたが、まるで負け惜しみみたいだな。本当に、あの頃は身体強化には勝てなかったんだ。けれど、今なら…。
相手は話し半分という様子で曖昧に頷いた。
「ふーん。貴方は雇われではないと聞いたが…幼い頃に女の子に剣を教えるって、どんな関係なんだ。貴方はどうしてあのお嬢様に仕えることになったんだ?」
俺は首を傾げた。
どうして、と言われても。そもそもの勘違いのもとがわからずに、素直に口を開く。
「別に、仕えてはいない。幼馴染の女の子を守るのに、理由は要らないと思う」
相手はまたしても笑った。今度は少し、意地の悪そうな笑顔だ。
…しまった。これは、従士隊でも向けられたことのある笑顔だ。それも、まさしく幼馴染の話をしたときに。
急いで弁解しようとするがもう遅い。
「幼馴染の女の子ね。なぜ護衛だなんて嘘をつくんだ。恋人なんだろ? 身分差?」
「ち、がうっ」
恋人ではない。身分差も、この国ではいざ知らず、故郷ではそうない。
急に気温が上がった気がした。
気温についてはマントが大体適温に保ってくれるから、そんなことはないはずなのに。
護衛は…嘘というほど嘘じゃない、はずだ。
それでも動揺はする。
「はははっ、真っ赤だぞ。嘘が下手だな」
自分でも顔が赤くなっているのはわかる。
だが、誤解は更なる誤解を招く。都合良く真実をねじ曲げるわけにはいかない。
ぶんぶんと首を横に振っているのに取り合ってもらえない。なんでだ。
…格好悪い。悲しい誤解じゃないか。
「あの。でも、ほんとに、ちがうんだ」
まだ。全然、そういうとこまで行ってない。ちっともだ。しょんぼりしてしまう。
本当は、大人で美形なリスターが側にいたりして、内心ちょっと焦ったりもした。
でも…今言ったって気持ちの押し付けだ。
もっと事が落ち着いてから言うべきだ。彼女の不安や心配事が、ちゃんと片付いてから。
悠長にしてたら誰かに取られてしまうかも。だって彼女はこんなに綺麗になってしまった。この国でならば王位継承権さえあるという。男なんて選り取り見取りだろう。
同時に、そんな男を彼女が選ばないことも本当はわかっていた。
…自国の王子にすら「若白髪」とか言っていた。王族に対する敬意も憧れも、あまり持っていないはず。
同年代に王子がいる俺達…貴族子息の間では、年頃の令嬢は結局は皆、王子に憧れているというのが通説だ。従士隊でも婚約者が決まらないとか、決まってもなんか自分だったことにガッカリされたとか、悲しい話をよく聞いた。
うちは親が婚約を焦るタイプではなかったから良かったけれど、実際に顔合わせで「王子が良かったのに」なんて言われた奴もいた。貴族の結婚は大抵家同士の契約だし、親は現実を見るものだ。婚約者にそんなことを言われても困惑しかない。
…意識してもらえていないのだから、悲しさはどちらでも同じか。
思わず溜息をつきかけるけれど。
「へぇ。成程? でも貴方はお嬢様のことが好きなんだろ?」
とんだ追い打ち。
そ…、そんなこと聞くか?
会ったばかりの他人なのに、なんて遠慮のないことを。
「え、あの…、え?」
「ほらほらー、好きなんだろ?」
しかも、答えるまで諦めないらしい。返事を催促してくる。
「で?」
からかうような色が消えない男に、つい恨めしげな目を向けてしまった。
「…好き、だよ」
口にしてしまうともう駄目だった。
あっつい。絶対おかしなくらい赤くなってる。
拘束が外れていて良かった。両手で顔を覆って、俯く。
絶対、誰にも見せられた顔じゃない。わかってる。
「うう、若いな。甘酸っぱい。からかうつもりで聞いたこちらの方がダメージを食らうとは…貴方は本当に正直者なんだな」
だって、本当に好きなんだから。誤魔化すなんてとんでもない。
万が一誤った情報がオルタンシアに伝わってしまったら、今後どう頑張っても取り返せない気さえする。
…パーティーのパートナーだって、笑顔で他の女の子を勧めてきていたんだぞ。
はじめに彼女に断られた理由が男装の維持のためだったから、何とか泣かずに済んだんだからな。
彼女が俺の隣に、自分じゃない別の女性を想定しているのにはさすがに気が付いている。
ただ…それはどうやら、その方が俺に良いことだと思い込んでいるせいだ。
そして彼女の最大の憂いが、今回の騒動の発端なら。亡きグリシーヌ様から引き継がれた、まさかの他国の王位継承騒動。
誰も巻き込みたくなかったんだろう。
だから、何も言わずに1人で家を出たんだ。
リーシャルド様はご存知だったのだろうか。
だから大勢の人が集まるような大きなパーティーには、グリシーヌ様を伴わなかったのだろうか。
誰にも見せずに閉じ込めておきたいのだろうなんて言われていた、異常な程の溺愛に見えた愛妻家ぶり。その背景には、こんな理由が隠れていたのか。
…いや、やっぱりただの溺愛な気がする。
他のことを考えていたお陰か、いつもより早く熱が引いた。
「嘘は苦手なんだ。悲しいから」
適当な嘘で騙すのも、相手に悟られなければいいのかもしれない。
だが俺には無理だ。俺の両親にも無理だった。
周りから漏れ聞こえる雑音に惑わされ、卑屈になったあの頃。珍しくもない話であっても、だからって、痛くないわけじゃない。
半端な嘘なら、つかない方がいいんだ。
…だが、この男…口か軽い可能性がある。
その後の数日を屋敷で過ごすうちに、やたらとお嬢様との仲を応援してくる使用人に肩を叩かれるのだ。話したことがないはずのメイドまでが結託し、積年の同僚かのように傾向と対策を練り、プレゼントのアドバイスまでしてくる始末。
赤面するから余計にからかわれることはわかっている。でもどうしても治らないんだ。どこかに顔色が変わらなくなる薬は売っていないのか。
あぁ、オルタンシアなら俺の顔色をそんなに、からかってはこないのになぁ…!
使用人達からの警戒が低いのは助かることだったが、払った犠牲は大きかった。俺は、心のデリケートな部分に多大なダメージを受けた。
お願いだから、もう、そっとしておいてほしい。




