8歳~食らえ、我が奥義!~
びっくりするのは、8歳になった途端に様々なところからお見合い話が持ち上がること。
今までもないわけではなかったけれど、私の預かり知らぬところで全て潰されていたらしい。
しかし8歳ともなれば外に出歩いていなくても、存在がじわじわと周囲に聞こえていくから、私宛に直接お見合い画やお手紙が届けられたり、面会希望に来たりするのだそうだ。
もちろん私は一切対応せず、話題が出た途端に、物凄い勢いでお父様が蹴り返していくのをただ見守るだけです。
特に急いで婚約しなきゃいけないわけじゃないから、いいんだってさ。
だけど、先日姿絵は描いてもらった。
どうしても断れない筋から肖像画を出せと言われたらしい。
ちょっとくらい動いてもいいのか、全然ダメなのかがわからず、緊張してピキンと立ち尽くしたモデルタイムだった。
むしろ初めて見る本物の画家や道具類に、私は興味津々であった。
私の趣味がお絵描きであることから意気投合し、描き方とかちょっと教えてもらえたよ。
お父様には、代わりのように少年の絵姿をチラッとだけ見せられて「こんな子、全然興味ないよね?」と笑顔で問われた。
銀髪の少年だったように思うが、チラ見すぎてそれ以外はほぼわからず。私はもちろん「はい! 興味ないです!」と笑顔で答えておいた。
お母様は私達の遣り取りに呆れていた。
「婚約に早いも遅いもない。生まれる前から決められている相手と成人と同時に結婚する場合もあれば、婚約者がいないまま20を過ぎて結婚する人だっているからね」
「そうですか。では、基本的には婚約者は設定しない方向で良いですか? 婚姻も急ぎたくありません。どうしても家を出なくてはいけない日が来るまでは、お父様とお母様と一緒にいたいです」
「もちろんだよ、オルタンシア。望まない相手と結婚させることはないから、安心しなさい」
お父様は私の言葉にニコニコだ。
お家事情によっては、物心着く前から縁繋ぎや財産狙いで婚約者探しをしなければならないのだ。
とてもじゃないけれど、貴族社会に馴染める気がしないのに、嫁ぐなんて無理だろう。
宰相さんちで良かったです。どちらかというと縁と財産、狙われてる側なんだけどね。
まったりと弟が出来るのを待って、行き遅れで修道院にでも入るのが理想のコースだ。
…お母様が、無事でさえいてくれればこの人生設計で問題なかった。
しかし万が一…億が一…無事でなくなって、しまったら。うっ、鼻の奥がツーンとする。
そんなときには、私が婿を取らなくてはならないのだろうかなぁ…。
朝から3件のお見合い画を廃棄に回したお父様は、爽やかに出勤していった。
苦笑してそれを見送ったお母様も、程なくしてお出かけだ。
騎士見習い隊は1年だけの約束だったから、私はまた概ね引き篭もりの日々となっていた。
もう、マナーもダンスも免許皆伝しているのだが…やらなければ錆付くということで先生はちょこちょこ来てレッスンをしていく。
予定といえばそんなもの。
「アンディラートもお見合いのお話、いっぱい来てたの?」
「さぁ…多分、それなりに?」
もはや自分の家のように寛いで、アンディラートが紅茶を飲む。
こちらのお見合いも、戦場大好きヴィスダード様が片っ端から蹴っているらしい。本人の知らぬところで。
自分の結婚で大層面倒くさかったものだから、ハナから息子に婚約者を選ぶ気はなく、「嫁欲しかったら自分で連れて来い」と言われているのだとか。
アンディラートは最近、従士隊に通い始めた。
学校形式で座学と実技を学ぶ、9歳から13歳を対象とした、騎士見習い隊の上位集団だ。
ほぼ騎士隊に入る前提の人が行くもので、寄付等で運営されている都合上給料こそ出ないが『お仕事の下積み時代』に相当する。
見習い隊と違って基礎が出来上がっている前提の集団なので、魔獣退治なんかの実践もあるらしい。
活躍が騎士の目に留まって引き抜かれ、誰かの専属従士になれれば、給料が出る上に騎士隊の仕事について回ることができる。
そうすれば成人となる14歳には実績を考慮され、自動的に騎士に任命されるのだという。
もちろん専属従士をやらなくても、14歳で試験に受かれば騎士隊には入れる。一応はこっちが正規ルートだ。
このまま進んでいけば彼は順調に正騎士となり、そこで功績を重ね、父親のように城勤めになるのかもしれない。
ちなみにヴィスダード様は放置しておくとフラフラどこへでも行ってしまうので、「城にいるとキナ臭くなった場所の情報がすぐ届きますよ、一番早く戦いに行けますよ」という餌をぶら下げることで城に固定しているのだとか。
近年は息子を鍛えることが楽しくなったようで、昔ほどフラフラしていない、と当の息子に言われている。
一方、女の子にはそういった集団教育のようなものがない。
私は、時折お母様の命令で行くどこぞのお茶会でウフフオホホとやっている他は、ほとんど家にいる。
もちろん色々な能力開発訓練はやっているけれど、それ以外、貴族の娘らしいことはさっぱりだ。
お茶会もダンス会も演奏会も、人付き合いが絡むものはあまり活発にやっていない。
どうやら貴族の娘はそういう社交がこの年次に期待されることらしい。
顔繋ぎということなのだろう。幅広い年代が参加することもあれば、近しい年のものだけで行われる場合もある。
けれどそこにあるのは、ドレスや観劇についての流行やイケメンの話題、誰かのゴシップと退屈なものばかり。
そうして、こんな年でもう耳年増の令嬢達が出来上がるのだ。恐ろしい。
出てくるお菓子だけが私の楽しみだよ。
参加者も私にはどうにも、皆一様に同じに見えてつまらない。
まぁ、お母様命令で行かなきゃいけない最低限には出てるから。それ以上はいいよね。
「相変わらず上手だな」
私の手元を覗き込んで、アンディラートが目を細めた。
キャンバスに描いているのは、うちの庭。
私は日々お絵描きをして過ごしているのだ。とんだ道楽娘だよ。
「この間、画材を届けてくれる商人さんにも褒められたよ。あんまり熱烈に世に出したがってくれるものだから、匿名でたまに売ることにしたんだ」
「なんだって?」
唖然とした顔をされた。
頑なに絵を隠していた私が、他人に見せたことが信じられないのだろう。
実を言うと、これはお父様にもお母様にも内緒だ。
私の肖像を描いてくれた画家さんに、内緒だと念を押して絵を見せ、アドバイスを貰ったのだ。
まだ私の絵には伸びしろがたくさんあったのだよ! 嬉しい!
画家さんは私の絵を大興奮で褒めてくれた。
貴族の娘なので、どんな才能があろうと画家になることは不可能だ。心配させたくないので親にも内緒にしてほしい。
そう言ってみたら、名を伏せて売る方法もあると教えてくれた。
画材を届けてくれる商人さんとは仲の良い友人だそうで、瞬く間に話を付けてくれた。
以来、貴重なお小遣い稼ぎなのである。
「君にだけ教えてあげるね。わざといい額に入れて売っているから、余程額が気に入らなくて変えるんじゃなけりゃ気付かれないと思うんだけど、私が描いた絵には、ここの端っこにオルタンマークを入れることにしたの」
キャンバスをすいと撫でて見せると、まばたきを繰り返したアンディラートが示された箇所を覗き込む。
「これか。オルタンマークって何だよ」
「そのまんま、オルタンシアのマークってこと。紫陽花を簡略化した意匠で考えてみました」
今度、画商に行くことがあったら探してみてね。
そう言ってみると、どこかムッとした顔をされた。
「そんなの、知らなかった」
「え。今、言ったじゃない」
最近何か絵を買ったのかな。当分画商に行く予定がないから怒ってんの?
…でも、私の絵ならうちで散々見てるだろう。
いつでも売ってるものじゃないし、ウォーリーさん捜索くらいの軽い気持ちで言ってみただけだったのに。
「もう、誰かに売れたんだろう?」
「んー。多分、何枚かはね」
「…これだ。もう。知らなかった!」
なぜだ。なぜ、拗ねた。
最近大人ぶってきたくせに、その急な子供っぽさは何なのだ。
可愛いアピールかね? 負けないぞ?
絵筆を双剣の如く両手で構えて見せると、脱力された。
「これも売る絵か?」
問われて、キャンバスを見下ろした。
屋敷の壁と、庭園入り口の蔓薔薇のアーチくらいは入っているが、ほとんどただの花畑だ。
それでも、首を横に振ることにした。
「ううん。ほとんど花だから大丈夫だとは思うんだけど、あまり我が家の所有物を描くと身元バレするかもしれないから、庭とか家とか描いたのは売らないのよ」
今まで売ったのは、市場の様子とか、グリューベルとか、花瓶に入れた花の絵なんかの当たり障りのないものだ。
そこまで考えて、アンディラートに会ったら見せようと思っていたものがあったのを思い出した。
「そうだ、意味もなく物凄い気合を入れて君のソードブレイカーを描いたんだけど、いる?」
「…なんでソードブレイカーを?」
「魚の骨みたいで可愛いから」
「…前に俺のことも可愛いとか言っていたけど、お前の中で魚の骨と俺は同じレベルのものなのか」
「まさか! 君は魚の骨なんかよりずっと可愛いよ!」
アンディラートの不機嫌な表情は、私の弁解の後も変化しなかった。
仕方がないので、全力で褒めることにする。
「君の可愛さは、お母様と私に次いで、世界で3番目だと思うのよ?」
「…どうして俺が喜ぶと思ったのか。それ、全然嬉しくないからな?」
「…馬鹿な…。でも、いくらアンディラートでもお母様の可愛さが世界一なのは譲れない…」
「そこじゃない。オルタンシア。そうじゃないということを、俺はそろそろ気付いてほしい」
そう言われても、残念だが、2番目の位置も譲れない。
実際問題として、性格を含めてしまえばアンディラートのほうが私よりもずっと可愛いのだが、お母様の娘という肩書きによって私には付加価値がつくのだよ。
あの美女の娘が、可愛さで男の子に負けてはいけないのだ。
…少なくとも見た目の上では。
気を取り直してソードブレイカーの絵を取り出すことにした。
大分特訓したとはいえ、まだ何もないところでは、アイテムボックス内との遣り取りができない。
私が話題を打ち切ったことで、プリティ・ユニバース3位の彼は肩を竦める。
「…じゃじゃーん。これですっ」
隙間を境界として思い込み、キャンバスの陰から手品のように絵を取り出して見せると、アンディラートは目を真ん丸にした。
まるで聖剣のように、苔むす石の台座に、厳かに置かれたソードブレイカー。
短剣なので台座に縦に刺すのはやめておきました。
何度も繰り返し色を重ねた重厚な濃淡で、歴戦の猛者という雰囲気を放つそれ。
周囲はなぜか静謐感漂う森林で、木漏れ日が刃に照り返っている。
来ちゃうよ、これ、アヴァロンから何か来ちゃう。
そんな全身全霊を込めて遊んだ逸品である。
真誠なる自信作です。
「…うわっ、無駄に神々しい! しかも本当に俺のだ、ここのキズとかっ。よく見てるなぁ…」
「ねー、この意味のないストーリー性がいいでしょー? 欲しい? 欲しい?」
自信作故に、キャッキャしながら抱えた絵を左右に揺らしてみる。
ちょっと悩んだアンディラートは、それでも首を縦に振った。
よしよし、ならば差し上げよう。
「描いてて大変楽しかったよ。また、これくらい楽しめるモチーフがあるといいんだけどねぇ」
あははと笑って見せると、アンディラートは紅茶のカップを大きく傾けて中身を飲み干した。
それから、声のトーンをぐっと落とす。
「その後は、どうだ?」
「何かな?」
「…よく眠れているか?」
返す言葉が見つからなくて、私は絵筆に視線を落とす。
どうしてわかってしまうのだろう。
こんなに明るく振舞っていたつもりなんですけど。
「眠っているよ。でも、打つ手は見つからないままね。もう、多分、近いのに」
「時期がわかったのか?」
「夢の中で見たドレスを、先日発注したわ。…現実が夢に追いついてきている」
アンディラートには、お母様のことしか言っていなかった。
何もかもを話すには、私の心が弱い。
お父様のことまで口に出せば、無闇にアンディラートを頼ろうとして、1人で立てなくなってしまうかもしれない。
立てなくなれば、全てが終わりだ。踏ん張れなければ戦えないのに。
お母様を諦めたわけじゃない。
それでも、どうしても、打つ手が見つからない。
「オルタンシア。少し出かけないか」
「…うん…? どこへ?」
「どこでもいい。ただ、篭ってばかりいると、見えるものも見えなくなる」
気分転換をしろということか。
それも、いいかもしれない。
お出かけ令嬢スタイルに着替えている間に、アンディラートがキャンバスに悪戯書きをしていた。
ちょ、おまっ…その絵、もうすぐ出来上がりだったんですけど。
黒い棒人間みたいなものが、とても異質に存在していて笑いを誘う。
なんか、シュールである。
「こっそりちょっといじるだけのつもりだったんだけれど、台無しになってしまった…」
「そりゃあ、この淡い色の庭に、黒一色の線で描き込めばね。何しようとしたの、これ」
「シャドウを描こうと思ったんだ」
なんで花咲くうちの庭にシャドウ足すんだよ。ただのホラーだよ。
ちょっと吹き出してしまいつつ、眉を下げたアンディラートを宥めておく。
いいですよ、別に。考えてみれば、初めての合作ではないですか。
「油彩だから、上から幾らでも塗れるよ。じゃあ、後でここにシャドウ君を足しておくね」
笑いを噛み殺しつつ言うと、アンディラートは更に気まずそうな顔をする。
「…いや。よく考えてみたら他の人に見られたらまずかったので、普通に塗り直してくれるか。すまん」
本当だね!
何やっちゃってんだい、アンディラート!
「くははっ、でも、コレ目的もなくただ描いてただけだし、誰に見せられなくったって別にいいよぉ?」
「いや。上手だったのに、つい出来心で悪いことをしてしまった。ごめんなさい」
「で、き、ご、こ、ろっ…ぷぷーっ」
神妙な彼に対し、堪えきれずに笑い転げていたら怒られた。
だけど、出来心でシャドウを描き足すアンディラートの心境、わかりません。
いやー、当初はあれだけシャドウを警戒していたのに、絵に描いてくれるくらい慣れてくれて喜ばしいよ。
「はぁ、笑いすぎて苦しい。君のセンス、天才的だね」
「馬鹿にしきってるだろ…」
「とんでもない、芸術とは自分の常識の外から来るんだと感じただけだよ」
このシャドウ、後で塗り替えて、佇むアンディラートにしようかな。
そしてヴィスダード様に「飾ってください」ってプレゼントしよう。もちろん画家に描いてもらったことにして。
周りが思うより意外と子が好きな人だったから、目立つところに飾るかもしれないけど。
せっかくの合作をお蔵入りさせるの、なんかもったいないもんね。
笑いすぎたらしく、気がつくと本格的に拗ねてしまっていたので、私は慌てて彼のご機嫌取りをする羽目になった。
面白かったんだから、いいじゃんねぇ。
「仕方ない。じゃあ今日は、笑いすぎたバツとして、非の打ちどころのない令嬢バージョンでお供するよ」
いつも令嬢らしい距離感がどうとか、自分にもちゃんと貴族らしく接しろなんてお小言を言うので、たまにはいいだろう。
私の完璧なる擬態に慄くがいい。
「ははっ、できないことを言うな」
朗らかに否定された。
なんで幼子の誇大発言を温かく見守る顔してんのよ。ムキー!
…って、そういえばアンディラートの前では素の状態か、フワフワンシアでしか対応したことがなかったかもしれないなぁ。
それは、アレだね。疑われても仕方がなかったね。
「おやおや、私の被る猫は、いわば『ペルシャ』猫よ。君は滅多に見られないけどね」
そのように侮っていると後悔なさいますわよ。
妙技、とくとご覧あれ。奥義、マスケラ・ディ・ヴェトロ!
令嬢モードに切り替えて、まとう雰囲気から演出する。
ゆっくりとまばたきをして、顎を引いて姿勢を正す。
上品に微笑んで、そっと手を伸ばしたら…、アンディラートは一歩退いた。
おい。なぜ逃げた、コノヤロウ。
しかし令嬢たるもの、この程度で猫を剥がしたりはせぬ。
「…アンディラート様。エスコートしてくださいませんの?」
「あ、え、ああ」
いやいや、動揺している様子が見られる。
静々と歩く私に、完全に毒気を抜かれている様子だ。
この反応なら、私の奥義が破られたわけではないはず。
アンディラートが来たら、いつも「ウエーイ、ラッシャーイ」って感じで飛びついてるからな。
ギャップについていけないのかもしれないな。
でもこの殺伐とした世の中に癒しの天使が現れたら、荒ぶるワンコの如く歓迎するだろ、常考。
馬車に乗って向かい合っても、どこかアンディラートはソワソワしている。
「どこか、行きたい場所はあるか?」
んー。今日は君のお誘いだし、どこでもお供するよ。武器屋でも鍛冶屋でも歓迎なのだぜー。
しかしこの言葉を柔らかくする前に、少し目元の赤いその様に、ハッと天啓が閃く。
好機は今、まさにここだ!
畳み掛けるが如く、意識してのふんわり笑顔アタック!
「アンディラート様とでしたら、どちらでも構いませんわ」
期待通りに赤面し、ふっと目を逸らすアンディラート。
良かった、まだまだ純朴さんなのである。満足。
でも、今の攻撃は完璧に決まった手ごたえがあったぞ。クリティカルヒットに違いない。
これで彼も私の公私使い分け技術を理解し、小言を言わなくなるであろう。
「雑貨…いや、市場だよな? そうしよう! 見たいだろ、野菜!」
なんでだい!?
こ、これは、いつもの場所へ引きずり出して、猫を剥がす作戦かな?
っつーか、ドレスで市場は行かないよね。そんなのフローティング・オルタンシアだよ。
「それでは普段通りになりますけれど、本当によろしいのですか? せっかくなのですから…そうね、歌劇は如何です? 人気の恋物語があるそうよ」
「こいっ…!?」
大丈夫か、あたふたしちゃってるぞ。可愛いけれども。
純朴少年には、恋物語という言葉でさえまだ早かったのかね?
…うーん。でも家の格や年齢上、そろそろ彼も、どこぞの女の子をエスコートすることもあるだろう。
ヴィスダード様はそういうの疎そうだし、歌劇くらいは経験しておいて損はないのではないかな?
連れが私なら、どれだけエスコートに失敗しても安心だしね。
よし、練習相手になってやる、ドンと来い!
「とてもロマンチックなのですって。エルヴェルヌ夫人のお茶会で、皆様、溜息をついて噂しておりましたもの」
両手を口許の辺りで合わせ、さらりと流し目。
これが令嬢の「この話題興味あるわぁ、チラッチラッ」ポーズだ。お茶会で学んできた。
恋物語の歌劇とか、もう本当はすんげぇ興味ないんだけど、令嬢ってなんかそういうの好きなんじゃろ?
皆、ウフフ素敵、オホホ憧れちゃう、とか言ってたもの。
政略結婚が主な未来だから、物語にくらいは夢を見たいのかもしれないよね。
「馬鹿。そ、そういうのはっ、そのっ…そう、こういう粗野な男が行く場所じゃないだろっ」
え、粗野?
聞き間違えたかな?
「えっと。私のことですか?」
「なんでだよ、粗野な「男」って言ってるだろ! 男!」
は? 粗野な男…ですって?
オレオレ!と自身を示すその指を、メキョりたい衝動を抑えるの大変。
あ、もしかして粗野って知らないうちに意味変わったかな。
時の流れで意味変わることってあるものね。辞書引いてきたほうがいいかな。
天使の項目になら、そろそろアンディラートの名前が載っていてもおかしくはないけど。
…うーん。どう引っ繰り返しても粗野はないわー。
とりあえず訂正してあげねばならないのね、令嬢らしい感じで。
ああ、令嬢らしくか…成程、動揺させて猫を剥がすのが狙いだったのだな、この策士め。
だが、この程度で我が奥義を破ろうなど、笑止!
可愛らしく目を丸くして、頬に手を添えて、首を傾げる角度はこんなもんか。
目を丸くするのがちょっと難しいんだよね。私、うっかり素でやるとギャーン!て効果音が付きそうに見開いちゃうからな。
お母様の娘として、これだけは要注意なのだ。
「まあ。ご自分のことなのに、ご存知ありませんのね? アンディラート様」
誰が粗野だ、この馬鹿ちん! 自信を持たんか、お前は驚愕の紳士だろうがァ!
…というのを令嬢言語に翻訳して…。
えーと、前半…「うふふ、粗野だなんて、お馬鹿さん☆」…違うな。やむなし、切り捨てよう。
後半は…大丈夫、大体ふわふわ笑っとけば上手くいくよ。細けぇこたいいんだよ。
「あなたはいつも誠実で…まるで物語の中の騎士様のようでしてよ?」
アンディラートが首まで赤くして俯いてしまった。
む。言い過ぎたか?
…いや、現実にこんな誠実な男は他に見たことがないから、間違ってないよねぇ…。
「…オルタンシア…」
「はい、アンディラート様」
「やめよう。お願いだ…いつも通りにしてくれ。多分、そろそろ死ぬ」
死ぬの!?
お、おかしいな…完璧だと思ってたのに、腹筋崩壊コースだとは思わなかった…。
まさかあの赤面が照れじゃなくて、堪えた笑いだったなんて…。
私はまだまだ精進が必要なようだよ。ションボリンシア。
「…お気に召しませんでしたか? …ちぇー。令嬢らしくて喜んでくれると思ったのになぁ」
「そ、うじゃないんだ…俺が未熟だった。もっと修練を積んでくるから。あっ! お前、さっきの、絶対言うなよ。他所で、男に!」
突然焦った様子でアンディラートが詰め寄ってきたが、話が見えない。
私にはサトリ要素はないんだよ。
「さっきのって? どれよ?」
「き、騎士がナントカってやつだよ!」
あらま。成程、その台詞がちょっと劇場型過ぎて受けが悪かったのね。
お茶会の令嬢達は、こんな感じで喋ってたと思うんだけどなぁ。
まぁ、真の紳士には、チャラ男のような飾り立てた言葉など無用ということかな。
「了解、やんないわ。そもそも物語の騎士みたいに誠実な人なんて、君以外に見たことないもの」
「っ!?」
こんな誠実の代名詞のような男が溢れ返っていたら、世の中から戦争とかなくなってるわ。
しかし、そのような清き流れには私のような人間が住みにくそうですね。
四方八方から自分の碌でもなさを見せつけられるんでしょ? 辛いわー。




