スキマライフ!~幼馴染が懐きました。【アンディラート視点】
癇癪を起こすなんていけないことだ。
そんなことを思いながら、本当はいつだって、喚き出したい気持ちで一杯だった。
物心付いたときには両親の仲は冷え切っていた。
…少し違うのかもしれない。
元々お父様の関心はお母様にも俺にも向いていなくて、お母様はそれに辛い思いをしていた。
何とかしてあげたいとも思ったけれど、俺も、お母様にとっては悩みの種だ。
前妻の子である俺に、お母様はいつも、何かを堪えているような顔をする。
もっと仲良くしたい。
…でも本来なら、いじめられないだけ、まし。
メイドがそう言っていたもの。
お母様に笑ってほしい。
…でも本当は、俺といないほうが笑えるんだ。
メイドが陰で、そう、言っていたもの。
廊下で会えば、悲しそうなお母様は、それでも頑張って言葉をかけてくださる。
もっと話したいけれど、…これ以上は申し訳なくて無理だ。
今は、ちょっとよそよそしくても。
俺がもう少し大きくなったら、出来ることが増えたら、何か喜んでもらえることを探せるかもしれない。
…そう思っていたのに。
「どういうことですか…お父様」
「気分転換だろ。お前の母様は領地の屋敷にしばらく滞在する」
呆然とした。
お母様は、出ていってしまったという。
朝早く仕事に行って、夜遅くまで帰らないお父様。
聞こえないように小さな声で、けれども、やまない噂話。
幾人かの使用人は良くしてくれるけれど、他は何だか遠巻きだ。
俺をどう扱っていいのか、よくわからないんだろう。
仕方のないことだ。俺にだって、よくわからない。
抱き締めてはくれなくても、悲しそうな笑顔ではあっても、お母様とすれ違って言葉をかけてもらえるのを楽しみにしていたのにな。
「別に、いてもいなくても変わらないだろう。お前の面倒を見ているのは乳母なんだし」
本当に何も気にしていないように、お父様はそんなことを言う。
「本気、ですか。お母様だって出て行きたくなんてなかったんじゃ…」
「だって、ここにいたくないって言うなら仕方ないだろう?」
「ちゃんとっ…ちゃんと話し合えばっ…」
「そうは言っても、特に話すようなことも…おい、アンディ?」
知っている。使用人達がコソコソと話をしていたから。
三男だったお父様は、元々期待されずに好きなことをしていた。だけども長男と次男が壮絶に家督を争って2人とも死んだから、繰り上げられて当主になった。
本当はこの家が窮屈で仕方がないんだって。
知っていた。元々戦場を飛び回るのが好きなお父様は、屋敷も領地も興味がない。
跡継ぎがいれば、ちょっとくらい好き勝手していても周囲がうるさく言わない…俺はそのためだけにいるんだ。
お父様もお母様も、本当は俺なんて要らないんだ。
でも、貴族なんて、そんなもの。
「アンディ。おい。うわぁ、拗ねたな、本格的に」
「……………」
「アンディ? アンディラートくーん?」
「……………」
肩を竦めたお父様は、黙り込んだ俺を放ってどこかへ行ってしまった。
早足に近づいて来た使用人が1人。
廊下に佇む俺の肩に手を触れる。
「アンディラート様。お部屋へ戻りましょう」
うるさい、放っておいてくれ、と。
振り払えたら良かったけれど。
この人が、運んでいた洗濯物を置いて、急いでここに戻ってきてくれたのを知っている。
「…うん。ありがとう」
両親にも捨て置かれるような俺に、声をかけてくれる使用人は、優しいと思う。
そんな人に当り散らすなんて。出来そうにない。
だって、遠巻きにして関わらない、という選択肢もあるのだ。
…お母様の専属メイド達のように。
宥めるように背中をポンポンとされて、のろのろと歩き出す。
お父様が治めているという領地へは、まだ行ったことがない。
遠いだろうか。お母様は、泣いているのではないだろうか。
追いかけたい気はしたけれど…行ったところで、何もできることはない。
俺が行ったところで、悲しい顔は戻らない。
俺がいなくなれば、お母様は元気になるだろうか。
だけど、お父様は自由を失うんだろう。
お父様は、一度だけ、俺を連れて魔獣を狩りに行ったことがある。
周囲に叱られて以来、連れて行ってはくれないけれど。
剣を振るうお父様は格好良くって。とても楽しそうに笑っていらしたのを覚えている。
だから思う。
…好きなことをするのは、そんなに悪いことなのかな?
お父様はお仕事をしていて、それは趣味を兼ねていて、僕らは路頭に迷ってなんかいない。
本当は家にいたくないお父様を、これ以上縛り付けるのは可哀想なんじゃないのかな?
そんな風にも思うんだ。
ああ、うまく行かないなぁ…。
それでも、お父様が迎えに行ってあげなくちゃ、お母様が可哀想だ。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
無理矢理に手を引かれて、出かけることになったのはその数日後だ。
お母様を迎えに行ってくれるまで、お父様とは喋らないぞ。言うことも聞かないんだ。
そう決心しても、お父様は力持ちだから、簡単に俺を持ち上げて連れて行ってしまう。
「あー、もう、粘るなぁ。あいてて、お前っ、父様を蹴りやがったなっ」
「……………」
「うわ、時間なくなってきた。遅刻したら、リーシャルド怒るかな…おい、アンディ、言うこと聞けって。父様が怒られてもいいってのか?」
お父様は俺の蹴りを脛に受けながら、大して痛くもなさそうな顔で、家具にしがみつく俺を持ち上げる。
最終的には面倒になったらしく、締め落とされた。
子供にも容赦のない男。それがお父様の一般的な評価だ。
でも実は、お父様自身はものすごく子供に対して手加減をしている。
それどころか、これで甘やかしてさえいるつもりなのだ。我が子を締め落としているのに。
お父様をよく知っている俺には、もはや何も言えない。
無理矢理に手を引かれたんじゃないかって?
…引かれたよ。出かけた先のお屋敷の前で、馬車を下りるとき…。
「ほーらー、下りろよー」
「……………」
「最後の最後まで抵抗しやがって。この、強情アンディ!」
何とでも言えばいい。
お父様とは、徹底抗戦の構えだ。
でも、引っ張られる頬は、とても痛い。
「こらこら! 子供相手に何をやってるんだ、この馬鹿!」
「いてっ」
ゴツッ、と鈍い音と共に頬が放された。
視界の端で頭を抱えるお父様が見える。
「到着はしたというのに、なかなか入って来ないと思ったら。可哀想に、頬が赤くなっているじゃないか」
ひょいと視界に入ってきたのは赤い目だった。
驚いて身を引くと、ゴンと後ろ頭が馬車に当たる。
慌てたように相手は俺の後頭部に手を触れた。
「大丈夫かな? 驚かせて申し訳なかったね」
「だい、じょうぶです」
「アンディは俺に似て石頭だからな」
俺を地面に立たせた赤い目の男は、ニコニコとしながらお父様にチョップを落とした。
思わず目を見開いてしまう。
「遅刻だ、ヴィスダード」
「いやいや、馬車は敷地に入ってた」
「面会時間と到着時間は同じではないよ。勤務中じゃなくて良かったね」
「うん、勤務中だったらチョップでは済まなかっ…あ。そうだ、久し振りに手合わせしないか?」
「しない。そのまま戦う方向に考えるんじゃない、叱られたことを反省しろ」
お父様はチョップをもうひとつ食らっていた。
大人しく受けているのは、多分、反省を表しているのだと思う。
なんだか、とても不思議な光景だ。
お父様にこんなに気安い態度を取る人間を見たことがない。
いや…お父様が…なのかもしれない。
お父様は概ね周囲に対しての態度を変えないけれど、無分別に相手を懐に入れようとするわけではない。
態度が少し貴族らしくはなくても、敵と味方を間違えたりはしないのだ。
それどころか…そう、未だにお母様をも味方だとは判断していない。
それくらい、警戒心が強い。
そんなお父様と、この人は友達なのだろうか。全然タイプが違って見える。
ニコニコしているけれど、ちょっと鋭利な感じのする人だ。
俺を覗き込むときは、とても優しい顔をする。
「…ヴィスダード。手を離してあげたら? 嫌がっているみたいだ」
「逃げられても困るから」
さすがに、招かれた他人の屋敷で走り回るようなことはしない。
それにお父様とはキッチリと距離を置かなくてはいけないのだ。
そうじゃないと、どれだけ俺が怒っているのかわかってくれない。本気にしてもらえない。
…お父様は、俺が本当はお父様を嫌いじゃないことを、本能で察知しているからな。
「逃げないと思うよ。アンディラートは色々と考えている、賢い目をしているから」
「…リーシャルド。俺と違って、という目でこちらを見るのをやめてくれないか」
「これは失礼。では、妻子を呼ぶとしよう」
リーシャルド様は控えていた家令に何やら言付ける。
ぼんやりと見ていたら、手が引っ張られた。
「あいつは腹黒いから気を付けろよ。お前みたいな子供を手懐けるのなんて簡単なんだから」
表情を見るに、本気で言っているわけではないようだ。
ちょっと自分とは喧嘩っぽくなっている息子が、すぐ友達に懐いたら悔しいのだろう。
お父様は子供の扱い方が極端に下手で、親戚の子供が来たときも泣かしている。
相手が俺より大きな子供でもすぐ泣いてしまう。貴族の子供に対して、扱いが乱暴すぎるのだ。
態度も扱い方も荒いので、男の子にも女の子にも泣かれてしまっている。
耐えられるのは、多分実の子である俺くらいなんだろうな。丈夫さを受け継いだという意味で。
言葉を返そうとして、慌てて口を噤んだ。
ちぇっ、と上から残念そうな声が聞こえた。
…油断したところで有耶無耶に仲直りしようとしている。
全然、なんにも、わかってくれないんだから!
「来たかグリシーヌ、オルタンシア」
リーシャルド様の声が、変わった。
心底嬉しいという感じの声。誰が来たのかと目を上げると、綺麗な女の人と女の子がいた。
ふわふわだ。
そんな第一印象。
「妻と娘だ。正式に紹介したことはなかったが、グリシーヌの顔くらい知っているだろう。娘のオルタンシアは来月には4歳になる。アンディラートより1つ下だな」
リーシャルド様から、鋭利さがなくなっている。
それはそうだろうな、という気がした。
こんなにふわふわで綺麗なものが2つも近くにあったら、トゲトゲするのなんて馬鹿らしくなりそう。
俺よりひとつ、年下の女の子。
ひどくキラキラでふわふわの、綺麗な人形みたいな。
人形じゃ言い方が悪いのかな。
現実感のない、妖精とか天使とか、そういう幻想的なもの。
何だかそういう風に見えてしまうのは、立場が俺とは全然違うからかもしれない。
彼女のお父様もお母様も、これ以上ないってくらい、この子を愛しそうに見つめている。
こんなに。
こんなに愛されていたら、きっとキラキラにもふわふわにもなる。
「アンディ、来い」
唐突なお父様の声に驚いて、自分がボーッとしていたことに気が付いた。
だけど、御伽噺みたいな家族の姿に目が離せなくて。
女の子は俺を見て笑い、まるで「どうしたの?」というように少しだけ首を傾げた。
羨ましいかな…妬ましいとか?
ちょっと違う気がする。
俺はふわふわにもキラキラにもなりたくないもの。
不思議。すごい。びっくり。そう、そんな感じ。
幸せで完璧な家族。
こんなものが、本当に、世界にはあったんだ。
そういう、驚き。
言葉を発せない俺を、お父様が紹介した。
自己紹介くらい出来るはずなのに。
ショックが大きすぎて、俺は何も言えなかった。
そこは俺にとって、とても、不思議な場所だった。
俺が望んでも得られなかったもの。
いっそ理想郷くらいに見えていたのかもしれない。
ところが、現実はイメージ通りではない。
それを思い知ったのは、わりとすぐのことだった。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ふわふわで、キラキラしているオルタンシア。
何も知らない彼女の目には、うちの使用人達みたいな同情的な色もない。
遊びに行けば、ただ歓迎してくれた。
話すことが何もなくても、つまらなそうな顔をしなかった。
何の遊びもしなくても、日向ぼっこで満足だった。
俺がうっかり眠ってしまっても、オルタンシアは気にしない。
一緒に眠って、起きては笑う。
大抵、オルタンシアは隣で眠るかお絵描きをしていた。
何とはなしに彼女に目を遣れば、気付いてこちらに笑みをくれる。
とても、居心地が良かった。
どうしたら、オルタンシアの家のように両親を仲良くさせられるかな?
聞いてみたかったけど、うちのお父様はそもそも結婚を望んでいなかった。
前提が違うのはわかりきっていたから、そんな相談を口にすることは出来なかった。
じゃあ、俺が両親に愛されるためには何をしたらいいと思う?
聞いてみたかったけど、やっぱり前提が違うのはわかりきっていた。
余計な話をして、彼女の表情が曇ってしまうくらいなら、何も言わないほうがましだ。
そんな日々を繰り返すうち、俺は、彼女がふわふわでキラキラなだけではないと知るのだ。
「いいんですよ、どうせ、わたしは他人にとって不利益な生きものなんですから」
可愛らしい声で、そう拗ねた。キラキラが翳った。
それは俺にとってあまりに。あまりに衝撃的だった。
こんなに両親に愛されていて。
可愛らしくて、優しくて。
俺より年下の、そんな女の子に、「不利益」って何だよ!?
言ったのが誰かと問い詰めても、忘れたとつらりと流す。
その様子に、一度言われただけではないのだと気づいた。
慣れてしまうくらい、傷付いたのを忘れるくらい、言われたんだ。
彼女の両親ではない。それはわかっていた。
オルタンシアは両親に懐いている。大好きだといって憚らない。
向けただけの愛情が返されている、綺麗な関係だと思った。
あの2人の優しい目さえ嘘だったというなら、この世には何も救いがないと思う。
同時に、思った。
オルタンシアにさえ、認めてくれない人がいる。
こんなに両親に愛されている子でさえ駄目な相手がいるんなら。
元々嫌われていた俺では。
お母様に認めてもらうことなんて…きっと無理なんだな。
すとん、と。
胸に落ちてしまった。
そうか。
俺は無意識に「俺は悪くないんだから、愛してよ」って思っていたんだ…。
お母様が可哀想だと言いながら、結局は「子を愛するのは親の義務でしょう?」って自分を可哀想だと思っていたんだ。
自分だって、きっと嫌った相手なんて愛せないくせに。
お母様が、自分の子ではない俺を愛せないことを知りながら。
お父様が、お父様なりに愛してくれていることも知りながら。
これは。俺、嫌なやつだなぁ…!
途端にオルタンシアが溜息をついて、ぎくりとした。
こんな嫌なやつ、オルタンシアだって嫌いになるかも。
「なんかもー、わたしがこんなんなのもバレちゃったし」
…こんなん…?
バレたって? 何を聞いたらいけなかった? 何が見ちゃ駄目だった?
キラキラなばっかりでも、ふわふわなばっかりでもないこと?
確かに俺はしばらく気付きもしなかったけれど…それって普通のことではないかな。
むしろ、俺だって、こんなんだ…。
バレちゃいけなかったのかな。
どうしよう。知ってしまったら、もう今までのように遊んではくれないだろうか。
そんなの。嫌だ。
ハラハラしながら、続く言葉を待った。
「…とりあえずそこでお話してく?」
帰れと、二度と来るなと言われると思った。
なのに。
聞き間違いかと、俺は首を傾げた。
「…いいのか?」
「君がいいんならね」
にこっと笑ったオルタンシア。
キラキラじゃなくて、ふわふわじゃない。
全然人形みたいじゃない。
血の通った、人間の女の子だった。
オルタンシアは、俺を拒絶しなかった。
いつもみたいに隣に座って。
こちらを見て、ふわふわじゃなく、にこにこと笑う。
俺さえ良ければ、いてもいいんだ。
彼女は拒絶しなかった。
俺は、安心した。
これが本音のオルタンシアなら、全然問題なんかない。
俺達はきっと、もっと仲良くなれる。




