意思の疎通は難しい。
寒い。
そうでしたね、グレンシアは魔力の多い土地柄だから、謎パワーで寒さが和らぐのでしたね。季節感が、もはやわからん。
何だかんだとグレンシアに長居したから、もはや初夏だと思うのよ。
だというのに。寒い。
トリティニアに慣らされた私の身体は、北国の居住に向いていないようなのです。
大陸にどっしりと横たわるグレンシア、その東部から湖を渡って北上することにより、トトポロポとは陸で接した国境がない地域。海越しにだって国境はあると思うのだけれど、海軍って微妙に発達していないらしい。
そもそも、なぜかあんまり沖に出ようという意識がないのよね、この大陸の人達。
うーん、でもまだ未開地もあるし、陸の攻略が先ってことかな。不思議に思ってしまうのは、私の感覚が前世的なせいかも。
前世では、概ね地表は明らかにされていた。
秘境というのは「ミーのような都会人には住みにくいザマス」というだけの場所だ。数が少なくとも、どこにだって代々そこで生活を営んでいる人間は居るのだから。
訳知り顔に「人の住むところじゃないよね」なんて笑ったって、不便なのはどこだって同じだ。ゴミゴミした街で満員電車に潰されながら上司に怒鳴られて給料を得る…それとは不便の質が違うだけ。
人間がすることは変わらない。生きるために他の生き物を殺し、植物を毟って食べる。それを死ぬまで何十年も繰り返す。
世界を比べてみても、生きるのにかかるその労力が違うなんてことはなくて。
前世では分業した結果、必要な腕力や体力が金銭と精神負荷に変換されていただけに過ぎない。
…私? そりゃ野性のオルタンシアちゃんは狩って捌いて調理できます。従士隊で鍛えられたからね。
腕力体力なんてチート持ちには自信満々。任せんしゃーい。
テンションを上げようと奮闘する私の視界の端を、小鳥がピヨピヨ言いながら飛んでいった。
可愛い。極限でもなければ、スズメとか絶対食べない。(野性喪失)
グレンシアの強魔力帯から離れれば、魔物じゃない動植物も普通に出るよって船乗りのオッチャンが言ってた。
きっと気候変化の顕著なこの辺りからは、動植物も食用可能になるのだろう。食の安全、とても大事。
さて、そんな涼やかな気候たるここの地形ですが…半島チックにせり出した部分と幾つかの島。ここには国が幾つもひしめきあっています。何か急に狭っくるしい感じ。
鉄壁のグレンシアにより、北のトトポロポからの侵略を免れた地域。それが、この小国郡なのだ。
むしろこんなドン詰まりで土地の奪い合いなんかして、その隙に隣のグレンシアに飲み込まれるのは嫌だという観点から、不可侵条約を結んでいて平和なのらしい。
グレンシアが土地を広げたのは戦争ではなく、ダンジョンを抑えきれなかった小国に依頼された平和的併合なので、多分小国郡を狙ってくる予定はないはず。
けれども、隣接国家としては鵜呑みにできないものよね。ましてや別の大国トトポロポが全力で侵略戦争をしていたのだし。
…ここで既にこれだけ寒いのならば、更に北にあるトトポロポが南下したがる理由もわかる気はする。
侵略はお断りですけどね。
「グレンシアを抜けるとこんなに気温が下がるんだな。…大丈夫か?」
言いながら着ていたマントを別のものに替えている幼馴染。しかしそれ、むしろ薄着に着替えているようにしか見えないのですが…君、もしかして暑いの? 暑がりなの?
「あんまり、だいじょばない…」
わかったぞ、あの説だな。マッチョが側にいると気温が上がる気がするというやつ。
筋肉が温かいというのは本当なのか。めっきり口数の減る私とは違い、アンディ…ラッシュさんはあんまり寒そうに見えない。
まさか船着き場を出た途端に、こんなグッと気温が下がるなんて思わなかったので、私の装備が薄手ですよ。
宿かどこかでインナーから長袖2枚重ねに着替えたいくらいです。暖かい服を持っていないわけではないのよ。
しかし寒い。涼しいを通り越している。天候は悪くないのに、風が妙に冷たい。
雪だって乗り越えてきたはずなのに、どうしてこんなに寒く感じるのだろうな。
顔とか耳とか段々冷えていくにつれ、脳も冷えるのだろうか。正常な判断力が奪われゆく。クールダウンじゃなくて、シャットダウンされそうな…。無理これ、暖房器具が必要。あれ、私、今、遭難体験してない?
「君の上着に入りたい」
「上……ぇえッ?」
「そこ、あったかそう。ぎゅーって是非」
「な、…うゃ、だっ…」
無意識に口から零れた願望に、ラッシュさんが激しく動揺した。言語崩壊すら可愛いとか、神はこの天使をどうしたいのかね。まぁ、愛でたいに決まってるわね。
冗談だよと言おうとした瞬間、決意した顔のラッシュさんがバッサァと勢いよく外套の前を広げた。
「…は、入っても、いい…」
いいんかい。
なんで小さく震えちゃってるの。顔を背けて俯き気味に、睫毛を震わせて恥じらう様…相変わらず私より女子力が高いのだぜ。
外套の前をガバッとやるなんて一歩間違えれば変質者のはずなのに、どう見ても辱めを強要されている被害者にしか見えない。
強要したのが私とくればこれは…もはや私が悪ですね。お巡りさん、私です。(自首)
「わーい、お邪魔しまーす」
しかしそこは明らかに温かそうだったので、私は本能に負けた。
反省の色なし。刑期が延びても後悔はない。
「ぅあっ、鎧は!」
「え、着てないけど」
アイテムボックスに予備はあるけど、いるかな。フード被ってればいいよね。
気心知れた幼馴染みとの2人旅ともなれば完璧な男装の必要も感じず、また大抵の敵はラッシュさんが即断していくので、わりと油断しきっている。
ぼふんと懐に飛び込むも、彼の胴へと回した手の位置に違和感。
え、ここ腰なの? こないだまで脇腹じゃなかった?
また背が伸びたのか。身長差が顕著になっていくなぁ…悔しい。
「成長大明神、私にも御利益を。私も大きくなりたいー」
成長の分け前を願い、ぎゅむっと抱き締めておこう。切に身長を分けて下さい。こっち、足りてませんのよ。
「…あのっ、十分…大、きいとっ…」
慰めを発した声が裏返っているのは何かね。嘘がつけない子だからな…慰めであって真実ではないってことなのかな。
「えー。それじゃあ正直に答えてよ。前よりも大きくなったと思う? 君ならずっと見てるんだし、成長具合もわかるでしょ?」
えぇ? 今、ピャッみたいな音がラッシュさんの喉から出た気がするのだが。
嘘だぁ。人並みの強さでしか抱き締めてないよ、そう苦しくはないはずだよ。しかもなんで肯定せず黙り込むのさ! やっぱりただの慰めか!
だがそれよりも、冷えきった耳と鼻と手が予断を許さぬ状況。くそぅ、ぐりぐりと擦りついて摩擦熱も追加だ。ええい、体温を奪い取ってやるぞー。
今生の私は末端冷え性なのかしら。耳や手指はまだしも、鼻も末端になるのかだけがちょっと疑問だけど。
「…ぉ…、おも、う…」
ややしばらく考え込んだのか、長めに沈黙していたラッシュさんが唐突に答えてきた。
沈黙とか全然気にならないし、熱の捕獲に勤しんでいたから、一瞬何を言われたのかわからなかったぜ。自分で聞いておきながら、ひどい話だ。
しかし、そうか。伸びているのか。
ミリ単位で伸びてる感じなのかな。一見判断つかないけど、よく考えたら大きくなってるかもしれない、みたいな。
どちらにせよまだ成長が止まって見えないのならば、そう急がずとも伸びるかな。二十歳の朝飯前までは期待できるはず。
…念の為、もう一度加護を分けてもらっておこう。ぎゅーっとな。
ぎこちない動きで、ラッシュさんが上着の布をかけるように抱き締め返してきた。
ふおぉ、抱き着くだけでも十分だったのに、外気が遮断されると物凄く暖かい。
金属鎧じゃなくて良かったわ。もし鎧が冷えてたら、くっつけた私のほっぺが凍傷になってしまうものね。とはいえ革の鎧すらぬくまっているので、ラッシュさんは結構体温が高いのかもしれない。
さすがは癒しの天使。空気清浄のみならず暖房機能までついているなんて。
ここが…楽園…か…。
…うーん…ヌクモリティ…。
………カクリ。
あっぶね、油断したらリラックス効果で寝そうになったわ。彼の隠しスキル『癒し空間』は寒冷地においては通常よりも高い効果を発するのだな。まさに必殺。
…だけれども。あれ、筋肉って、そんなにもあったかい?
え、むしろもう暑くなってきたんだけど。ほっかほかなんだけど。
これ、知恵熱ならぬ照れ熱なのでは。
ふと見上げたラッシュさんの顔色は、案の定真っ赤だった。
うーん、やっぱり照れ熱かな。普段よりも温かいんですかね、これ。
燃料がなくても温かさ長持ち…って、ちょっと可哀想になってきた。燃料くらいなきゃ駄目だよな、搾取は良くない。
街についたら存分に燃料を補給してあげなくては。
美味しい名物料理とかあるといいね。
「あったまったわ、ありがとう」
彼の羞恥を犠牲に、私は機動力を取り戻した。
もそもそとラッシュさんの腕を開いて、上着から離脱する。
おぉ、懐から出たらちょっと寒い。だが、暑いぐらいまで体温を上げてもらえたので、しばらくは動けそうだ。
何とはなしに、にこーっとラッシュさんへ笑いかけてしまう。ふふ、これだけホカホカなら、肩凝り腰痛にもきっと効果があるな、温熱療法的な意味で。
おや? 右手の袖で、真っ赤な顔を鼻先辺りまで隠したラッシュさんが動かない。
どうした。せっかくの温もりが逃げぬうちに移動を開始したいのに。
それにそんな固まってないで早く閉めないと…上着の前を開けたままでは、冷たい空気が吹き込んでしまうぞ。
「また冷えたらお願いするかもしれないから、ちゃんと保温しといてくださいねー」
とりあえず君のお腹が冷えちゃうと困るから、上着の前を留めといてあげようね。
「…鎧、装備しないと、駄目だと思うっ」
「あ、うん?」
慢心を叱られた。真面目ボーイにしてみれば、そりゃあ不謹慎にも見えるかもな。戦いを甘く見るんじゃありませんってことだね。
「それからっ、絶対、他の人にっ」
「あ、いつものだね。心配性だなぁ、しないってば。君だけ、君だけ」
その結果、顔を隠す手が両手となるとは…予想もつかない出来事であった。
なんでボタン留めただけで照れてしまったのだい。子供扱いに思えたのかい。
相変わらず、彼の赤面ポイントはよくわからないぜ。
しかし船着き場の出口でいつまでも立ち止まっていても仕方がないので、無理やりその左手を引きずり下ろして手を繋ぎ、引っ張ることにする。
真面目な顔を取り繕いきれず、時折照れ照れしながら私についてくる幼馴染は可愛い。
おてて、あったかいですね。ほかほか。和んじゃう。
残念ながらこちら側には、船着き場から近くの街までのシャトル馬車は出ていないらしい。
ぶっきらぼうに街の方向を示す看板のみが見つかった。
見える範囲に街はない。わー、結構歩くと思われますよ。寒いのに。
前方の少し遠くに、同様に歩いて集落へ向かうらしい冒険者達の姿が見えた。
うーん、平和、だ…なぁっ?
私が引っ張っていたはずのラッシュさんは、急にぎゅんと私の手を引いて走り出した。
平和じゃなかったの、何があった。
混乱する頭なんてお構いなしに、身体強化様はすぐさま私の体勢を整える。
変事。理由はすぐにわかった。
前方を歩いていたはずの冒険者達が飛んできた矢に射抜かれてばたばたと倒れたのだ。
襲撃に遭ってる! 慌てて私も集中して走る。
幸いにも致命傷ではないようだが、負傷箇所は足で、立ち上がろうともがいている様が遠くからでもわかった。
盗賊ならば、襲った相手の生死なんて気にせず金品を奪うのでは。
冒険者達を生かしたまま、しかし逃げられないようにした襲撃者の目的は何だ。
ううん、まだわからない。
あの中の誰かが目当てだとしたら、目的の1人を残して殺される可能性もある。
…ラッシュさんの足の長さならもっとスピード出るのに、私が阻んでますね、もしかして。
「先に行って!」
襲撃者達が冒険者の元に走り込むのが見えて、私は慌ててラッシュさんの手を離した。ちらりとこちらを見て頷いたラッシュさんはぐんとスピードを上げる。
あ、身体強化だ。
そういえば彼も使えるようになったのだ。しかもわりと使いこなしてるね。
私のチートは特殊なものだと始めは思っていたけれど、この世界において身体強化自体は私特有の能力というわけではない。
そうしたら、強さに貪欲な幼馴染は見事獲得して見せたのだから凄いよね。
そう、お揃いだ。私は1人じゃない。
ちょっと嬉しくなった私は、ホクホクしながらその辺の石を拾って、牽制がてらブン投げる。
援護のためだ。襲撃者達はこちらに気付いたが、逃げる様子はない。
ラッシュさんは後ろに目でも付いているかのように、私が石を投げたせいで体勢を崩した以外のヤツからサクサク昏倒させていった。そう、協力攻撃じゃなく、ほっといても平気だねって後回しにされたのでした。思惑が外れてちょっぴりショボンヌ。
彼に限って油断…はないだろう。それなら、襲撃者達はラッシュさんにとって大したことのない相手だと判断できる。
いいもん、ラッシュさんが安全に戦えるなら計画通りだもんっ。
連携って難しいよね。
ラッシュさんはものの数分で襲撃者達を片付けた。
安心しかけた私の前で、しかし戦闘が終わったあとにもなかなか落ち着いた雰囲気にはならない。
もしも毒だと、私、解毒はできないけど…そんな不安で聞き耳を立てたが、冒険者達を襲ったのは毒矢ではなかったようだ。
じゃあ、一体何が?
不思議に思いながら近付けば、返しの付いた鏃に、冒険者達は苦悶の表情で治療に当たっていた。
うえぇ、これは痛いぃ。
「刺さったままでは痛くて歩けないんだな? だが裂いて鏃を取り出すなら、結果としてやはり歩けなくなりそうだ」
「…はは…助けてもらったのに悪いな」
「全くタチの悪い盗賊共だ。ついてない」
ラッシュさんの冷静な判定に、冒険者達が力なく応じている。
泣きそうな気分でラッシュさんのマントを引く。意図に気付いたのだろう、心得たように、彼は短剣を取り出した。
「仲間がすぐに回復魔法をかける。少しだけ痛みに耐えてほしい」
冒険者達は初めて私に気付いたようだ。
驚いて私を見て、ちょっと訝しげになる。一様にその反応、何なのです? 怪我人の前だろうとフードは取らんぞ。
「フラン」
「いいよ」
呼びかけに応じると、躊躇なく、リーダーらしい男の傷を短剣で裂いて鏃を出す。すぐさま私は回復魔法を発動。
手術は成功しました。ラッシュ外科医とフラン助手の連携で、冒険者の足はたちまち無傷に元通りだ。
罠にかかった野生動物のようにそれぞれ痛みに呻いていた周囲の冒険者達は、驚きを露にした。
「いくぞ」
「わっ、俺か、ちょっと待っ…ひっ」
「いいよ」
ざくー。
相手が怖気づこうとも、ラッシュさんは容赦しない。
彼が行動したのなら、私も隙など見せずに治療だ。私だけ遅れたら、無駄に痛みが長引くからな。
あっという間に完全回復した冒険者達は、ちょっぴりラッシュさんの強引治療ぶりに苦笑しながらも礼を言った。
「いやぁ、助かった。こんな場所で動けないまま夜になれば、魔獣と言わず獣に食われてもおかしくはないからな」
「それにしても凄いな、こんな一瞬で治る回復魔法なんて初めて見たぞ」
え、そうなん?
回復魔法使いの存在は人伝に聞いている。それこそゲーム的なイメージしかなかったけれど、呪文を唱えれば怪我が治るのが魔法使いというもの。効果に違いがあるなんて想像したこともなかった。
思わず首を傾げてしまう。表情は隠せても動作は隠せないので、ものを知らない様子の私に冒険者達は笑った。
「他の回復魔法使いを見たことはないのか? まぁ、あんまり数はいないが…魔力の消費を押さえているのかもしれないが、大体が傷を完治させることはない。深手の傷は医者が見られるレベルまで戻すのがせいぜいだし、こういう傷でも歩ける程度まで治すのが一般的だ。幾らで請け負うつもりだった?」
え、お金なんか取るの? 勝手に治しておいて、それはちょっと詐欺の手口では。
思わずラッシュさんを見上げる。
当然、ラッシュさんもトリティニア出身者なので魔法使いに馴染みがない。
そうよね、知るわけないよね。困ったように首を横に振られた。
「お金は要らないし、半端に治すのは好きじゃないので綺麗にしただけです」
ポリシー的な物ですと主張してみる。
しかし知らなかった様を存分に見せつけたあとなので、誰も信じてはくれなかった。
「あんた達、どこから来たんだ? この辺の回復魔法使いは、大体貴族に囲われている。治療も法外な金を取るものだぞ」
「…今しがた、グレンシアから」
ラッシュさんが警戒し、介入した。
警察署のほうから来ました、みたいな手口だ。誰だね、君にそんな嘘でも本当でもないような話し方を教えたの…はは、お父様かな。
「グレンシアを出たがるフリーの魔法使いなんかいないよ。魔素の濃い土地のほうが魔法の効果が上がるからな。あんた、あんたの魔法もそうだったろ?」
「…え、いや、特に変わんないです」
そんな話を聞いたことはあるけれど、実感は一切なかったよ。眉唾じゃないの。
「そりゃ、あの威力だもんな。あんた、よっぽど魔力が多いんだよ」
「それか相当鈍いんだ」
「金も取らないのんびりぶりだもんな」
冒険者達はついに爆笑した。
えぇ? 助けてあげたのに馬鹿にされた? な、なんだとー。
瞬間発動型の私の魔法で、違いなんてわからなかっただけですよ! 今からでも身ぐるみ剥ぐレベルでお代をふんだくってやろうか!




