呪いの底で。
しまった。
問われてしまえば、オシマイ。
そんな言葉が頭をよぎった。
答えに少しでも意識を向けてしまえば…きっと彼女にはそれがバレてしまうのだ。
思い浮かべまいと、必死に自分を制御しようとしても。
知られるまいと、思えば思うほどに…意識は答えに向く。
浮かべかけては打ち消して、打ち消しては無事を祈る。それすら、筒抜けなんだ。
キサラギさんはゆったりと笑った。
「…そう。それが、貴女の大切なもの?」
胸が軋んだ。
読まれた。オシマイ。
…ほんとうに?
「えぇ、本当よ」
嘘だ嘘だ嘘だ。
でたらめだ。わかるはずがない。
「そうかしら。例えば…貴女のそれは、ひとつじゃないわね?」
奥歯を噛み締めた。
ただの揺さぶりだ。そうに違いない。
だけど、それが根拠のない極めて薄い希望だと、本当は理解していた。
だって。
問われては、いけなかったんだもの。
「ひとつ、ふたつ、…みっつ。ね?」
まるでいたずらっ子のような顔で指折り数えて、私に示す。
私の大切なものは。
…確かにこの世に、みっつだけ。
あぁ、どこまでバレた。わからない。
「貴女って本当に楽しませてくれるわ。…ふふ。もう少しお話しましょう。大切なものは…そうねぇ、紫色をしているのね…それから、赤い色。あら、もうひとつは…」
ぎくりと身体が強張るのがわかる。
駄目。
「…これが天使? 私にはちょっとわからないけれど…ロマンチストなのねぇ?」
幕の裏で絶叫が上がる。
現実に声を出していないのが不思議なくらいに、アクシデントに見舞われた舞台。
それでも役柄にしがみつこうとする私を、まるで嘲笑うように。
「ねぇ、フラン。私、貴女のことがもっと知りたいわ。興味が尽きないのよ」
言うものか。何ひとつ。
教えるものか。
そう、思うのに。
「…出身は、確かトリティニアだったわねぇ…そう。…王都かしら?」
冒険者登録した情報はギルドに問い合わせればわかるし、そもそも私は隠してこなかった。出身地を口にされ、無意識が映し出した風景。その賑わいぶりから、彼女は場所を推測したのか。
それとも見知った場所であるから特定ができた?
もしかしたら、王都へ行ったことがあるのだろうか。
幕の裏で暴れ回る役者を、フランが必死に食い止める。
思考を垂れ流すな。
どのツラ下げてその幕を出るつもり。
素顔に興味を持たれたなど、恥と思え。
知っているはずだろう。お前はグズでトロくて醜くて。性根の悪い最悪の人間。出会う誰もがそう言ったのを忘れたか。
舞台化粧もなしに幕の外に出ようとするな。着飾りもせずに、人前に出ようとするな!
揺れる幕がおさまりかけたところで、キサラギさんは重ねる。
「…故郷ではあまりいい思いをしていないのかしら。可哀相なフラン。私ならば、貴女を大切にしてあげられるわ?」
結構だ。何も要らない。
構われないことが一番幸福なんだ。
「…あら…落ち着いてしまったのね、いけない子。これは時間稼ぎのつもり? ならばひとつ、教えてあげるわ」
赤い唇が、ニィッと弧を描く。
聞いてはいけない、と。反射的に本能が警告したけれど。
耳を塞ぐ間は与えられない。
「忘れられた姫君は、貴女ね?」
呼吸が止まる。
バレた?
どうして。なんで。
いつから。
あぁ、ただの揺さぶりだったのかもしれない。なのに、馬鹿なことを。冷静になれなければ余計に不利だ。わかっているのに。
なにも、なにも答える必要なんてない。
誰にも、教える必要はない。
「…そう言わないで。貴女の本当のお名前はなぁに? 確かラッシュは、貴女の名を言いかけては思い直していたもの。フランというのは、自分で付けたのかしら」
ラッシュさんの正直者!
でも本名は隠し通してくれたんだ。むしろ隠せるだなんて凄い成長。頑張った。お父様の世の汚さレッスンも無駄ではなかった。
「そう。私に聞こえないように、頑張ったのね。何だか悲しいわね?」
…あれ、でも本当にそうかな。
ラッシュさんは私が「フラン」と名乗っているから、そう呼ぼうとしただけでは。
キサラギさんが居ようが居まいが、彼の心の中は変わるまい。私がしようとすることを尊重してくれる、そういう人だ。つまりは多分世界一のピュアハートの持ち主…くっ。何考えてんだ、駄目だよ私。
平静を保とうと苦慮するけれど、私のような脳内ばかりお喋りなタイプには、無心で過ごすということは本当に難しい。
追い打ちをかけるように、キサラギさんは私に情報を叩き付ける。
「セレンツィオは、あれでも大物なのよ。忘れられた姫君を一番知っている」
セレンツィオからバレたの?
なぜ?
男のふりは崩していなかった。なのに私は、怪しまれていたということ?
当たり障りのない、料理番としての会話しかしていないはずだ。フードも取らず、顔も見せていないはずだ。
おかしい。そんなの、変だ。
また、揺さぶりをかけてきているの?
「…ふふ。彼は知っていただけよ。初代の女王が、暁の目を持つことを。そしてそれが、とても珍しいものだということを」
ただ情報は伝わり、運命が手の中に転がり込むようにして現れた…そんな風にキサラギさんは言う。
詩的すぎてわからないな。私は即物的な人間だからな。
情報はただ、伝わった。
つまり…セレンツィオは私を疑ってはいない。彼の持っていた某かの情報を、キサラギさんが読心にて一方的に入手したのだ。
そうして、それは私の何かと一致した。
…一体、何だ。
暁の目なんて、聞いたこともない。
わからない。わからない。
混乱する私の心を、楽しそうにキサラギさんが見ている。
「紫紺に落とされたるは夜明けの色。一筋の陽が闇を拓く。建国史の一節ね。初代女王についたその女性は、紫に一滴朱が落とされた、ような変わった目を持っていたそうよ」
よあけの。いろ。
むらさきに、いってきの。しゅいろ。
知らず、自分の目許に手を触れていた。
紫色に、一滴ピンク色を落としたような…色合いが特徴的な私の目。
お父様とお母様の色を受け継いだのだと思っていた。けれど、お父様にもお母様にも、こんな特徴はなかった。
これは。この目は。
先祖返りのせいだったのか。
「自業自得ということ。…しっかりフードを被っておくべきでしたね」
セレンツィオは私の顔を見ていない。名を出したのは、私を動揺させる引っかけか。
実際には先程、キサラギさんが私の素顔を見たからこその断定。私の目を「暁の目」だと判断したということ。
そうだ。建国史の一文などではなく、もっと明確な情報を知っていたのだろう。
セレンツィオの心を読んでその情報を得ていたキサラギさんは、私の目を見て、ひっそりと確信を持ったのだ。
「貴女を虐げた故郷になんて戻ることはないわ。女王になれば誰も彼もが貴女に跪く。ね、魅力的な提案でしょう」
それを聞いて内心、鼻で笑った。
私は知っている。キサラギさんが忘れられた姫君を探したのはテヴェルのためだ。彼が王様になりたいなんて望んだから、忘れられた姫君の王配を提案した。
つまり、あのテヴェルの嫁になれと? 冗談じゃない。
「あの子もね…慣れれば、可愛いものよ? 生かさず殺さず扱えばいいわ」
手のひらでコロコロしろってか。貴女と同じことをしても楽しくないな。
もっとも、テヴェルは貴女の恋人のつもりらしいけど?
何か気に障ったのだろうか。それとも、もう説得が面倒になったのだろうか。キサラギさんは投げやりに言葉を吐いた。
「…弁えなさいな、フラン。私はもう、貴女の大切なものをいつでも壊せるのよ」
血が沸騰したような気がした。身体中が凍りついたような気もした。
わたしの、たいせつなものに。
危害を加えられるくらいなら。
今すぐに、こいつを…!
抜き放った刃は軽々と躱された。当然だ。私が「そんな行動に出ようと考えた」それこそ筒抜けなんだ。
どうしよう。どうしよう。
焦るほどに、震える手から剣が抜けないように無駄な力が入る。
そうして…恐らくはそれこそが彼女の目的だったのだ。
私を動揺、させることこそが。
「聞きなさい。そう、目を見て」
振りかぶろうとした手が止まった。
…あ…?
抱えていた焦燥に、ぽっかりと穴が開いたような空白。それが、じわじわと、広がっていくのを感じた。
じっとりと、べっとりと、心を、ぬりつぶされるような、おもさ。
私の、焦りが、暗く平坦な色になる。
落ち着きとも違う。ただ、低く低く押えつけられるような。低空…いや、地面すれすれを這うような、上がらないテンション。
侵食は…まだ止まらない。
「さぁ、貴女の本当のお名前は?」
ほんとう。ほんとうってなんだ。
わたしは、フラン。
フランが、わたし。
「強情ねぇ…そこが、いいのだけれど。でもまずは、テヴェルの願いを叶えてあげなくちゃね? 子供でもできてしまえば、枷のひとつにもなるでしょう」
歌うような、その声。
不安定なメロディで寝かし付けられるような、うすきみわるさ。真綿で首を絞められていくような、いきぐるしさ…。
「偽名だけではイマイチ効きが悪いわ。さぁ、名前を言いなさいな? 貴女を貴女として形作る名前が、別にあるのでしょう」
目を見てしまったからか。逆らえない。吐息のように、自分が口を開くのがわかった。名乗ろうとするのを知った。
声が出ていくのをとめられない。もう、自分の意思ではとまらない。
ならば。
「…オ…、…ンシ…ア…」
あぁ、捕まった。
名前を基点に。捕らわれた。
めまいのような。
きもちわるい、きもちよさ。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ぼんやりと靄がかったような意識の片隅で、小さく呟く。
これは呪いだ。これこそが。
本当ね、リスター。自覚できるんだわ。
この世界の人間に備わる本能的な何かなのだろうか。例えば、前世目線ならどれほどツヤピカの高級品に見えても…強すぎる魔力を内包した果実は決して美味しそうには見えないように。
呪いにかけられたのなら「あ、きっとこれ呪いなんだ」って感覚的にわかる。
…リスターは、こんなに薄ぼんやりはしていなかったはずだ。
それなのに、私は。
まるで水の中から空を見上げているみたいよ。何もかもが揺らめきの向こう側にあって、世界の全てが遠く、私とは関わりのないことのようで。
恐らく私にかけられた呪いは、精神に作用するものなのだろう。
他人の魔力によって、自分が自分の思い通りにはならない。これが、呪いなのだ。
操り人形にされる呪いだったのだろうということは理解できた。事実、私は意識こそ残っているけれど、自分の意志とは無関係に如月さんの命令を聞いている。
そしてその表層で「ハイ、ハイ」と殊勝な返事をしているほうへ意識を合わせようとすると…段々と頭が鈍く重くなっていき、己を保つのが難しくなっていくのがわかる。
おっと、深入りしすぎた。
好奇心旺盛なキャラクターをひとつ切り離し、乗っ取られる前に「私」を深層へと戻す。
緞帳を下ろしたこちら側には、偽フランの支配は届かない。
表層で従順になっているモノは、幕の裏に沢山の私があることを知らないのだ。
私の作成した「フラン」とは異なる部分がある。ならばアレはフランではない。フランのふりをした、何か。
恐らくは、呪いで作られた「操るための人格」なのだろう。
呪いに意識を乗っ取られると、性格を反映した疑似人格が形成されるのではないか。
フランの上には今、フランに似せた疑似人格が立っている。これが引っ繰り返らない限り、「私」は表には出られない。
つまり精神に作用する呪いとは、相手の意識を押し込めて、言うことを聞く疑似人格で蓋をしておくというもののようだ。
厄介ではある。
だが、まだ負けてはいないのだぜ。
私は未だ、私の意思を保持している。
もしも私が多重人格だったら呪いを躱せたのかもしれない。そう感じる程度に、「演じ分ける」という手段は有効だったようだ。
そして幕裏にはまだまだ、演じたことのある役柄を残しております。こんなもの、役に立つ日が来るとは思わなかったのに。
本当の名を問われた時は焦った。
あんな風に精神を侵食する術が、この世にあるとは思わなかったから。
だが如月さんが私の名を正しく知らない限り、完全には捕まらないと思う。
名前は、世界にその人の輪郭を描くためのツールだ。他人から見て、自分から見て、「この生き物が誰であるか」を定めるもの。
偽名では呪いの効きが悪いのは、他に本人も自覚している別の輪郭があり、それを捕らえきれないからだ。
逆に言えば生まれた時に付けられた名ではなくとも、これこそ己だと自覚している名ならば捕まるのだろう。
前世から時と場合によって使い分けてきたがゆえに、役柄の切替に手間取りはしない。
だからこそあの時、呪いによって踏みつけられた「フラン」をトカゲ並みにしっぽ切りすることができた。
如月さんが完全に勝ちを確信し、少なからず油断していたのも影響していると思う。
彼女が私の本当の名前を手に入れていたのならば、私の意識は更にきつく縛られていたのかもしれない。
でもさ。
あのさ。
私、オフランシアじゃないからね!
グッジョブ、瀬戸際で抵抗しまくった私。
ふははは、ただでこの私を幕裏から引き出せると思うなよ。
もちろん取り込まれたフランも私であるから、それなりには押えつけられていて、今「オルタンシア」には表層の従順さんを簡単に転ばせられるほどの力はない。
しかし完全に封じ込められたわけではない以上、どこかで綻びを作ることは出来る…かもしれない。
…怖い、けれど。
人形のように表情を落とした顔を晒して歩く、フラン。
如月さんの命令で、私は今、フードを被っていない。
朝食に同席したセレンツィオにも、もう私が何者であるかはバレたのだろう。やたらと機嫌の良い様子から、それがわかる。
テヴェルだけはまだ、知らない。その情報を持っていないからだ。
どうにも歪な関係だ。
如月さんは、本当にテヴェルのために動いているのだろうか…?




