リンゴもあったよ。
嫌がらせのような、激しいノックの音で目が覚めた。
鍵がかかっていることに苛立っているようで、こちらに掛けられる声も剣呑になっている。
「なんで鍵かけてんだよ、フラン! フーラーンってばぁ!」
…なんで女性と認識しておいて、寝室に押し入ってこようとするんだよ…。
ゲンナリしながら、深呼吸をひとつ。
低めの声を意識して、フラン発動。
「おはよう。なんでって、君、眠っている間に蔓が絞め殺しに来たら怖いじゃないか」
「来ないよ、入るなって言ったもん!」
「そんなの蔓に殴られて気絶した私にとって救いになると思う? 例えば狂暴な鳥に血が出るほどつつかれたとして、隣の家の奥さんがその鳥に餌付けしてるの見た時「わぁ可愛い鳥ですね」って心から言える?」
んー、とドアの向こうで考え込むような声がした。
想像力が著しく低下した生き物には、丁寧な説明が必要なのだろう。
さっとアイテムボックスから水と布と櫛を出して身仕度を整えていく。
見せ荷を持っていない手前、着替えはできない。ササッと汚れは収納。アイテムボックス様、ありがとうございます。オルタンシアはいつでも清潔です。
室内に鎧とマントは見当たらない。
仕方ない。シーツを被り、なるべく容姿を隠す。既にバリバリ見られているが、見られたならいいやとやると、元々隠していた様子との整合が取れなくなる。
なんせ、恥ずかしがり屋だから顔を隠していると思われていたはずだ。
鍵を外して扉を開ければ、未だ考え込む様子のテヴェルが顔を上げた。
「…シーツお化け」
明らかにガッカリした顔をされているが、喜ばせる義理はない。
「あー。もう俺には顔を見られたんだから、良くないの? その…可愛かったし、また見たいなー、なんて?」
「やめておく」
「んぁー、もったいない!」
言葉少なに拒否すると嘆かれたが、それ以上の説得はなかった。
やっぱり照れ屋だと思われているのだろうか。
だが、せっかくフリンジで誤魔化せていたはずの髪色は早々に追及を受けた。
「フランって茶色い髪じゃなかった? 染めてたの?」
…うーん。
お前の目を誤魔化すためですよとは、さすがに言えない。すっとぼけるか。
染めてはいない。それは確かなのだ。
「私の髪は元々この色だし、染めたことはない。光の当たり方か何かで、そう見えたんじゃないかな? リスターの目だってその時々で全然違う色に見えるよ」
「えっ、そうなの? なんてカラーリングのあやふやな世界だ…」
嘘は言ってない。私の金髪は陽に当たれば夢のようにキラッキラだし、薄暗いところなら上品でラグジュアリー。一瞬一瞬が最高品質だ。
至高の両親の遺伝子に隙などあるものか。
リスターの目はテンション次第でのカラーチェンジだがな。
きっと謎の発光体とか入ってんじゃないかな。
手札がガンガン減っていくこの感じ、本当に冷や冷やする。
余裕を持ちたいよ。ギリギリを攻めたいわけではないのだよ。
本当は今すぐ逃げ出してしまいたい。
けれども、体調が回復した以上、まずはできることから始めなくては。
ここは敵地の内部。好都合と不都合の割合ならば、圧倒的に…あれ、不都合だな?
ゴリゴリ精神的な何かが減っていく奴だぞ。
いやいや、如月さんの前に幼馴染みと共に立たなくていいというのは好都合よ。大切なものは遠くに置いてきた。よし、独り潜入、望むところ。
「まず聞きたいのだけどね。ここはどこ? キサラギさんは一緒じゃないの?」
ステップ1、相手の戦力と、地理を調べましょう。
思考は半人前かつ腕っぷしも冒険者の卵程度しかないテヴェルだが、植物チートは彼が生き延びるための力。彼が受けた人よりも大変な人生を、乗り切るための能力のはずなのだ。
決して甘く見てはいけない。
むしろミカン作る程度の能力だと侮っていたから、あの魔物に負けるハメになったんだ。
中の人を含めて誰かを守りながら戦うというなら、間違いなくキツイ相手だ。
あと本体が出てくるまで、ただの蔓草なのか人が入ってるタイプなのか、よくわかんない。蔓にも2種類いるとか困る。
「如月は出かけてる。暫くは戻らないよ」
「そうなの? …それは何日もかけて遠くの街まで、という意味?」
テヴェルは頷いた。これは大変重要な情報。私の心の準備は出来そうだ。
背後から突然「いるわよ」とか言ってヌッと出て来られたらオルタンシアを隠す暇がない。
続いてテヴェルは簡単に明かす。
「ここはとある村だった場所…なんだけど。今いるのは俺だけ。なんて村だったかなぁ、名前は忘れちったわ」
情報を簡単に漏らすけれど、相変わらず大して有益なものは持っていない。
いや、もしかして、それも如月さんの手の内?
思えばテヴェル単体では、ただのクズでしかない。それを上手に転がすのが彼女の役目であることは、わかっていたはずだった。
こやつの、国が欲しいとかいう訳のわからない望みも。彼女さえいなければ、害のない妄想でしかなかったはずなのだ。
彼女は何がしたいんだろう。
盲目の愛というのは存在する。私の今生の家族愛が、それに類する自覚もある。
だが…正直、テヴェルを愛しているので尽くしてますなんて様子には見えなかった。
忠誠を誓うようなお堅い関係にも見えないし、懐くテヴェルをあしらってさえ見える。
庇護する理由がわからない。
自分本位で腕も立たないテヴェル。せっかく付けた護衛すら喧嘩して追い出す、対人関係に難のある、女好き。それでもこやつでなくてはいけない理由なんて。
…チート、か?
これだけおおっぴらにしているなら、植物チートは如月さんも承知の力だろう。
その力を有用に感じて育成…って何すんの、食料不足の村とかを助けたり…?
うーん。どっちも人助けするタイプには見えない。しっくり来ないな。
実際、現在魔物を操る悪者だしな。
いや、考えが逆なのかもしれない。
元々、過保護はテヴェルのためじゃなくて、如月さんの目的のためで…テヴェルを利用しようとしているのだとしたら。
それなら…この魔物騒ぎも、テヴェルの能力でどんなことができるのかを見極めようとしている?
うーん、それに『忘れられた姫君』を手にしようというのなら、その国の上層部なりに恨みがある可能性も。
たまたまテヴェルの望みと一致しただけで、その国の王なりを倒すつもりで動いていたのなら…始めから利用するつもりでテヴェルに近付き、手懐けたのならば。
…有り得ない話では、ないか。
如月さんはテヴェルに護衛を付けて、ちょくちょくいなくなるのだ。
別の場所でやることがある。
チートヤロウを、手札として確保したままで。
うん、少なくとも、テヴェル本人を大切に思っているというよりも理解できるな。如月さんは男を駄目にするタイプではあろうが、駄目な男が好きってタイプには見えない。
守るけれども護衛は雇う。ご機嫌はボディタッチで調整。愚痴も宥めるだけで、本気で同調したりしない。そう…転がせど尽くしてる感じがしない。
転がした人間はどうするのか。決まっている。いいように使うのだ。
ちょっと変わった能力を持つだけのクズも、軍師の転がす方向によっては死傷者の出る災厄になるわけだ…。
だとしたらフランを仲間に引き入れようとしたのも頷ける。
私がチート持ちであることまではバレていない…はず…だが、テヴェルの護衛には実績があって。そして如月さんは既に私が女だと知っていた。
魔物を生み出せる男を囲っておくため、ご機嫌を保っておくための、そこそこ腕のいい女冒険者…そういう位置付けか。
だが、私だって決して頭のいい人間じゃない。
いつの間にか如月さんに転がされる可能性、なくはない。
そしてサポートは結構万能で…万一私が転がされたら、きっと被害は甚大になる。
気を付けよう。私はどこかの国を攻め滅ぼしたいんじゃない。
忘れられた姫君を、世界に忘れさせたいだけ。
お父様とアンディラートに顔向けの出来ないことなんてしない、したくない。
胆に銘じて、思考の海から引き上げた。
そういえば私に白状してしまっているが、魔物を操る能力を他人にオープンにするなんて正気とは思えないな。
如月さんが一緒なら、私には伏せたのではないだろうか…もしかしてコレ、テヴェルのミスなのでは。
「護衛の冒険者は? まさかここに1人でいるわけじゃないでしょう」
「ああ。いや、ホント俺だけ。冒険者ってなんか粗野ですぐ突っ掛かってくる奴多いじゃん。もちろんフランは違うよ。この辺はもう俺のテリトリーだから危険はないかなって。でも、フランが護衛してくれんのは歓迎」
いちいちフランを絡めんな。
心配してくれたんだね、とか笑顔になっているその姿を見つめる私、いま真顔。
如月さんが居ようが居まいが、心配なのは私の身である。お前じゃないわい。
猛スピードで溜まるストレス。負の貯蓄力が凄い。
身体強化様は神経性胃炎からも私をお守り下さるのだろうか。
「この村の、人は?」
「…ん…。まさか知り合いでもいたり?」
急にテヴェルの目に疑念が走る。狼狽えかけた自分を叱咤した。
顔が隠れてて良かった。
ちゃんとフランしてなきゃ駄目だ。はみ出していたオルタンシアを、そっと内に折り込む。
なんだかヒヤリとした私は、殊更に澄ました態度を取り繕った。
「村の名前もわからないのに? だけど特にグレンシアに住む知り合いはいないよ。廃村なんて私の地図には載ってなかったから、ただ疑問に思っただけ」
「あ、なんだ。良かった」
相手はホッとした顔をして「そんなことより飯食おうよ、俺、腹減った」と私を先導して部屋を移動する。
ついてくけども。
何ら誤魔化せてないし、全然良くはないよね。
やっぱりここ、ナニ墓村なの?
この村に知り合いが住んでいなくたって、知り合いじゃなかったら惨殺されてても別にいいやとは、私ですら思わないよ。
やだなぁ、怖いな。会話運びが完全に『異常者と私』だ。
何が地雷かわからない。
似てる人間は…前世にいたのだろうか。わからない。
ただ、テヴェルといるときのクズセンサーは常にビンビンに警戒しているから、ちょっと感覚が麻痺していたのかもしれない。常態化って危険なことです。
廊下を進めば、這いずる蔓と時折すれ違ってギクリとした。
蛇みたいに蔓の切れっぱしだけが動いているのだ。
思わず足を止めてそれを見送ると、悪戯に成功したみたいにテヴェルは笑う。
何ら楽しくねーよとわめきたいのを堪えた。
ステップ2、保護者との関係を邪魔してみましょう。
彼らの間に信頼関係がどの程度あるのかはわからないが、如月さんがテヴェルを侮っているのは確かだ。そこには、きっと楔を打ち込む隙がある。
フランは男だと思われていた状態でもなぜか気に入られていたようだし、モテない女好きであるテヴェルは、私の美少女顔に興味を示している。
さすがに気のある素振りやらは心底無理なので出来ないが、テヴェルが私を少しだけ優先して、保護者の言い付けをきちんと守らないなどすれば、如月さんの計画に穴を作れるかもしれない。ワンスペースくらい。
如月さんにコロコロされるのを好むテヴェルならば、勝手に美女と美少女の狭間で「私のために争わないで」とか喜ぶだろう。
隙間程度で十分。テヴェルを人質になんてしないし、まかり間違っても私の仲間になろうなどと転がって来られては困る。
なんせテヴェル同様に、対人関係の構築が下手な私ですから。無理はしない。
私は首を傾げて見せて、相手に問う。
この間もシーツの下の顔は真顔だ。
「あれは何て植物? 花は咲くの? 蔓草ってあまり見たことがないな」
「えっ、わかんない。森にあったのを引っこ抜いて育てただけだから」
蔓ばっかり使うくせに、蔓に思い入れがあるわけじゃないのかよ。
チートヤロウの自尊心をくすぐろう作戦…序盤にて失敗。
い、いやいや、まだだ、まだ終わらんよ。
テヴェルは前世に固執している。今よりも過去を見ている。
興味のある植物は蔓やらの魔物じゃない。
ならば。
「そうなんだ。前に貰ったミカンも、見たことなかった。あれも君が操ってたの? 収穫するとき危なくない?」
「あぁ、操るってか、…まぁ。危ないって、何が?」
「だって、あれも、動いて攻撃してくるんでしょう? 皮が柔らかいのは、当たっても危なくないようにしたんじゃないの?」
私の養殖ボケに、テヴェルは笑った。
「ははっ、ミカンは攻撃なんかしないよ。…あっ! ねぇ、もしかして、気に入った?」
「そうだね。甘くて美味しかったよね」
ぱぁっと顔を輝かせたテヴェルは、急に私の手を引っ掴んで走り出した。
「え、ちょっと、何?」
「いいから、いいから!」
ぎゃあ、天井から垂れてる蔓とか居やがる! ここはホラーハウスか!
ぞっとしながらその側を擦り抜ける。
テヴェルがいるからか、襲ってくる気配はなかった。
私を襲うなと命令したのだろうか。
…うーん。そんなことが思いつける人間には思えない。
テヴェルが手を掴んでいるから、横から魔力の摘み食いはしないとか、そういうことなのかもしれない。
…あぁ、吐きそう。
クズに触られてるとか、本当に気持ち悪い。
内部で激しく反発するオルタンシアを、何とか黙らせた。
危ないな、前よりも尚、役者さんが幕裏で転びやすくなってる。
前世で手に入れられなかったものが手に入って、満足した。
なのに更に、予想以上に甘やかされたから…何かこう…前世の私、もしや成仏したのかしら。
我慢や諦めの原動力が、昇華されちゃったのかな。
耐えなくても諦めなくても…アンディラートが私を許してくれるから。
愚痴ろうと足掻こうと、味方でいてくれるから。
だから、我慢の仕方を忘れてきているのかな。
だけど、それでは駄目だ。戦えない。
1人で立たなければ。戦わなくては。
戦えなければ、結末は『前世の私』だ。恨んで、諦めて、諦めきれなくて、…幸せを取り落としただけの無様な死に様。死して尚、周りに嘲笑されるだけの。
急激に冷える胸のうちを何とか叱咤し、自分を保つ。
倒れはしない。戦える。
私はこの世界で幸せになるのだから。
…如月さんが居ないうちに、少し勘を取り戻さないと危ない。
私の心は彼女に筒抜ける。
それを隠し通すためにも…テヴェルで少し慣れておかないといけないかも。
しかし身体は素直なもので、鳥肌ブシャー。冷汗バシャー。
ぐぬぅ、耐えるってなんて難しいの。
うおー、癒しが欲しいよー。だが癒しは危険物には近付けられないよー。
表情筋だけが私の期待に応え続ける中で、ようやくテヴェルが私の手を離した。
手を洗いたいと騒ぐオルタンシアの代替品として、脳内ではミカンを洗うアライグマの映像が大繁殖していた。
我慢は難しい。だから、擦り替えていく。
それも手段のひとつと考えます。
連れ出されたのは家の外。
唐突に現れた果樹園に、目が点になる。
前世の作物を育てて村八分となっていたはずのテヴェルは、それでも前世の食べ物に拘り続けていたらしい。
「ブドウもイチゴもあるよ! ちょっと知ってるものと違ってても絶対絶対美味いから! 好きなだけ食べていいよ!」
ふわぁ。甘くていい匂い。
この世界の果物は、ここまで美味しそうな匂いはしない。
むしろテヴェルの望郷の念が、前世の実物よりも香り高くしている感すらある。
もはやこれは贈答用の高級品だ…。
目を引いてたまらないのが、もう、なんて大きくて甘そうな、真っ赤なイチゴ!
うわぁん、食べたい。持って帰って、真っ白な生クリームたっぷりのケーキに、鮮やかに飾り付けたい。イチゴ大福もしたい。
テヴェルの作品だと知らなければ、はしゃいでイチゴ狩りしてしまいそう。
「女の子が喜ぶと思ったのに、如月も何か慣れなくて駄目だって言うんだ…」
あ、そうなんだ、如月さんも駄目なんだ。
こんなにいい匂いなのに。
これは越えられない異世界の壁なのだろうか。
ボロを出さないように、知らないものに戸惑うように、私は演技をする。
「でも、フランなら大丈夫だよな! なっ、いい匂いだよな? 美味しそうだろ?」
「あ、うん」
あれ…私、何か間違えたのかな…。
選択肢とか出てました?
テヴェルが…すっごいキラッキラの目で私を見てくる…。
「そうだ、ここを俺とフランのエデンの園と名付けよう!」
「え、ちょっと意味わからないです」
スンッと脳内のはしゃぎっぷりが鎮火した。
マジやめて下さい、縁起でもない。




