用法・用量が守られたのかは誰も知らない。
外套をアイテムボックスに片付けて、家の中に入る。
お嬢様、空振りですわ。
またあとでリトライしに行かなきゃだし、しばらくこのドレスのままでいいか。
置きっぱなしにしていた解呪薬を、アイテムボックスへ回収しようとキッチンへ。
「…え…?」
大惨事のキッチンに、呆然とした。
ぽたり、ぽたりとテーブルから滴り落ちる雫。
そこに覆い被さるように、倒れ込んだのはリスター。
その服がまだらに変色しているのが理解できずに、しばらくボーッと眺めてしまった。
色は緑…血じゃない。惨劇じゃない。
つまり染み込んだのは…
「解呪薬」
口に出してからハッとした。
テーブルにあったのは、サポート製の小瓶に詰めた解呪薬だ。
サポートが、解けている。
改めて確認するまでもなく、小瓶は全滅していた。
小瓶には全く注意を向けていなかったから、解除に気が付かなかったのだ。
なぜ全滅したのか?
状況的に、リスターが倒れ、ぶつかったか落として破損扱いになったのだろう。
なぜリスターは倒れたのか?
呪いは徐々に身体を蝕むという…心臓がやけに大きな音を立てる。
「…リスター…?」
震える手で、そっと緑色まみれの魔法使いを仰向ける。
無事だった彼の背面をも緑に染めてしまったのは、確実に私の失敗だ。
恐る恐る彼の鼻先に手をかざす。
…呼吸は、ある。
念のためにそっと回復魔法をかけてみるが、大した魔力消費はなかった。打ち身か小さな傷程度が治癒されたといった感じ。
大丈夫、死んでない。
ここに至って、ようやく私の頭は正常に動き出した。
この薬が成功か失敗か、まだ見てもらってはいない。
けれど。きっと、リスターは飲んでしまったのだろう。
呪われた人の前に大量の解呪薬があったら…そりゃあクイッと1本いっとかない理由なんてありはしない。
ましてこれは売り物でも何でもない。
私が彼の呪いを治すためだけに作っていたのを、知っているのだから。
キッチンの片付けは、やっぱり後回し。
まずは、そう、彼をベッドに寝かせて。それから病状を確かめなくては。
お医者様を呼んでも駄目だよね、やっぱりオタ者を連れてこないと。
「よいしょっと」
リスターをお姫様だっこして、湿り気をアイテムボックスに片付けた。
リスターから薬の色がサッと消える。
脚の長い長身の男をお姫様だっこすると、肩と膝裏を支える都合上、メッチャ真ん中が沈むのだな。超V字リスター。
歩く、ましてや階段を上るのに…リスターのお尻が私の膝につっかえて邪魔という。
ドレスにエクステにヒール靴のお嬢様スタイルの私が、そんな事態に遭遇しつつ、2階の彼の部屋へと急ぐのザマス。
あ、もっと背中の下を持てばいいのか。
だがあまり持ち上げると視界に影響が…うっ、服を引っ張りすぎたぞ、裾が上がってる…背中出てきた感触するしさぁ。
身体強化様のお陰で荷物の重さには耐えられる。
だが、ドアを開けようとするも取っ手に手が届かない。
落とさないよう私側に傾けたリスターの、身幅の向こう側に必死に手を伸ばす。
なんだい、私、腕短いの? そんなことないよね、リスターがでかすぎるんだよね?
細めだと思っていたのだが、実際持ち上げるとなると、冒険者の男は結構ゴツイわ。
やっとの思いでドアノブを回した。
…くっ、ゴロゴロしていたせいか、ベッドの上がグチャグチャじゃんよ。
「ファントムさん!」
声に出す必要はないのだが、気分的にシャドウは声に出して作りたい派。
現れたファントムさんはニヤリと笑うと、素早く寝台の上を整えた。
リスターを設置して布団をかけ、近くの椅子を引き寄せる。
看病態勢が整ったところで、ファントムさんにオタ者を連れてくるよう命令を出す。
「探し回ると入れ違いになるかもしれない。いなかったら家の前で張ってて、帰宅と共に説明して、来てもらうように…」
相手にも都合があるかもしれない。
だけど、リスターの状況はきっと、他の人ではわからない。
来ないとゴネたらどうしよう。女の子相手のほうが抵抗が少ないんだっけ?
だけどオルタンシャドウ(影武者味)が街を爆走というのもよろしくない。
うまく連れてきたとして、着いたらここにも私がいた…というのもよろしくない。
手の内を明かす気がない以上、双子のオルタンとシア子でした、と言う…わけにもな。少なくともトランサーグには身元がバレバレだ、うっかり一緒にいたりして、追求されたら藪蛇でしかない。
しかし私が今、リスターを置いて出かけるのは…やっぱり嫌だなぁ。
「よし、多少は強引でもいい。断られても連行しよう」
「承知」
一声返事をすると、バサッとマントを翻してファントムさんは出ていった。
いや、私がそうさせたのだが…余裕か、私。というか、相変わらずイイ声だな、ファントムさん。
…こんな時に何だが、ファントムさんとの小芝居を挟むことで、少し落ち着いた。
「えっと…水差しとお水、持って来るか。いつ倒れたのかはわからないけど、目が覚めたら水飲みたいかもしれないよね」
側を離れるのは不安だけど、付きっきりだとて、できることもない。
そっとリスターの前髪を払い、額に手のひらを触れる。熱はないようだ。
そうよね、風邪や病気じゃないはずだもの。そういう看病は必要ないのだろう。
解呪されたのだろうか。それで体力やらを持っていかれて…いや、まだ成功したと決まったわけじゃない。失敗作を飲んで悪化した可能性だってあるんだ。
天国と地獄、どっちよ。邪気眼欲しい。
サトリさん、チートで鑑定はなかったのかい。今こそ必要だったよ。
あぁ、ついでにキッチンを片付けないと…。
そんなことを考えながら、ふらふらと階段を下りていく。
するとベランダから、見知らぬ男が妙にこそこそと入ってくるところだった。
…なぬ?
一旦玄関のほうへ消えた男は、すぐに引き返してきて私と正対する。
相手も、私に気が付いた。
「…………」
「…………」
しばし黙って見つめ合う…。
これが、素直にお喋りできない件…?
借家ゆえに、万が一にも銀の杖商会の誰かだったら、なんて。
「…どちらさま…?」
思わず呟いた私とは逆に、状況を把握した相手は、素早く抜いた短剣を投げてきた。
「危なっ」
階段には咄嗟の逃げ場がっ…だがしかーし、私にはアイテムボックス様があーるッ!
目前の短剣を一旦アイテムボックスへ収納し、くるりと回して手元に取出し。
間髪入れずにお返し投擲、そりゃ!
残念ながら相手には潤沢な逃げ場があったので、横に飛び退き転がって回避という、存分に空間を利用した様を見せつけられた。
だがその隙に身体強化様の加護付きジャンプで階段から飛び出していた私は距離を詰め、ドレスの裾を膝まで持ち上げてスライディングキーック!
転がって回避したはずの男は、そのまま蹴られて勢い付いた回転を続け、入ってきたベランダから庭へと転がり出ていった。
床に刺さった短剣を、アイテムボックスへとボッシュート。
…敷金礼金を払っていないが、立ち退く際の修繕費は一体幾ら請求されるのか。
ラッシュさん割引でゼロとなる可能性も否めないが、ちょっとこれは申し訳ない。ついつい投げ返したの、私だから。
油断せずにベランダへ意識を向ける。
これ以上もし戦闘が続くのならば、ドレスという格好は向かないな。
取り出したいつもの外套を目隠し代わりに、ドレスをサッとアイテムボックスへ収納。
身軽な自作のキャミ&ハーフパンツ姿へ。スカートで蹴りも、中がパンツじゃないから恥ずかしくないやつでした。
ついでにサポートエクステも解除。
万一引っ掴まれたらキャストオフして動揺を誘うって手もあるのだが、不意に掴まれて自分の動きが鈍るほうが問題。身体強化様は裏切らないが、自分には信用が置けない。
さて、この襲撃は何者なのか。
街で見かけた私が可愛いからって強盗か誘拐に家まで押し掛けるほど、治安が悪いとは思いたくないのだが。
いや、外出時には大体フードを被ってたはずだな。平時もロール時も変わらない。
つまり私のプリティさは関係ない。…だったら余計に、なぜ…?
考え込む私の前に、新たな襲撃者が姿を現した。ベランダ侵入者は玄関の鍵も開けてくれていたらしい。
玄関ドアオープンと同時に振りかぶられた長剣。咄嗟に私も外套内に手を入れ、サポートで長剣を作成して抜き放つ。
「護衛か!」
…護衛? 相手の声に疑問が掠める。
しかし次の言葉で理解した。
「お前は女を探せ!」
ベランダから再び侵入者。
私が冒険者ルックに戻ったものだから令嬢を見失い、別人が来たと思っている様子。
お馬鹿ちんめ、同一人物ですよ! ふたつの顔を持つフランなのだ!
そしてなんと今ならもれなく、2階に令嬢と見紛う美人なリスターが。
更に絶賛眠れる森の美女真っ最中なのであります。
見つかったら、人違いですと言う間もなく、さらわれるか害されるか。
決して通すわけにはいかない。
階段を背に、私は2人の襲撃者と対峙する。
じりじりと近付き、隙を探して睨みつけてくる相手と、あの手この手を構想する私。
すり抜けられても絶対に通さないアイデアを思いついた。すぐさま、背後にアイテムボックスを展開。
作戦名『新世界のポルナレフ』、発動!
階段前にアイテムボックスを置き、収納と同時に玄関前へと取出す。
ククク…階段に足をかけようとした瞬間、お前はポルポル君になるのだ。さぁ、ありのまま、起こったことを話すがいい。
だが、相手はぴくりと意識を外に向けた。2人ともがだ。
外で、何か?
私の耳にはまだ何も聞こえ…あっ。
「助っ、助けろトランサーグぅああぁッ」
「待てぇっ! いい加減に目的を吐け!」
「衛兵、回り込め!」
「駄目だ、速すぎて追いつけない!」
…いやん。
トランサーグの怒声と、オタ者の悲鳴。…プラス、衛兵…? これはつまり、確実にやらかしファントムさんの予感。
えぇー、なんでそんな…?
まず説明をして連れてくるはずで…確かに断ったら強引でもいいとは…。
ファントムさんは所詮はシャドウなので、あんまり込み入った命令はこなせない。
だけど、これくらいなら影武者シャドウだってこなしていたはずよね?
混乱している私の視界の端に人影。
ベランダに駆け込んできたのは、オタ者の手足をキュッとしたファントムさん。
オタ者は、忍者がムササビの術を取ったところなぜか茶巾寿司にされました、みたいなアクロバティックな姿勢だった。丸焼きポーズの背面縛りバージョン。
一瞬だけ見えたファントムさんは、そのままベランダの庇へ飛び上がる。
あとにはオタ者の悲鳴と、衛兵達の怒声が続くばかり。
…ええぇ。
これ、リスターの部屋に直接行った感じよね?
そもそもあんな縛り方で運んで来いとも、外壁伝って部屋に行けとも言ってないのだけれど。ファントムさんならそうするという、私の無意識が働いているということ?
「…フランッ!」
トランサーグが、襲撃者と向き合っている私に気付く。ファントム追跡をやめ、彼はベランダからこちらへ飛び込んできた。
襲撃者2人は目標を変え、トランサーグと2対1で戦い始める。
えぇぇ? なんでぇ?
さっぱり状況がわからない私に、戦いながらトランサーグが教えてくれた。
「欲を出した連中が、半端にお前のことを嗅ぎ付けたんだ。上質の守護を装飾に込め、解呪薬を復活させる娘だとな。既に権力に守られているフェクス殿に手を出すことはできなくとも、お前ならば簡単に言うことを聞かせられると踏んだのだろう」
解呪薬を探して走り回っていたことは、隠してなんていなかった。
フランが冒険者活動をしていたこと。オタ者を訪ねた者がドレス姿だったこと。
顔くらいしか、特に秘匿しようとはしなかった。
私達の行動を見ていた人間はそれなりにいるだろう。事実は点を線で繋ぐ手間もないくらい簡単だ。
トランサーグがばったばったと敵を薙ぎ倒し、こちらに向き直る。
さすが、凄腕冒険者。もう終わった。
「フェクス殿の研究は全てグレンシア国のものだ。城にはお前の素姓を伝えてあったから、報告に付き添った際に秘密裡に馬鹿共の処理を頼まれていた」
オタ者と城に行っていたと…なんと、私がお留守の原因。
私を囲おうとするヤツの処置に奔走していたんだったらしい。
「あの妙な男は何だ。少し休ませろと行った途端にフェクス殿を拉致して逃げ出した。途中で何度か切り結んだが…あの、仮面の下だ。お前と無関係とは言わせんぞ」
憮然としているトランサーグ。
あれ、ファントムさん、仮面取れちゃったの?
そっと確認してみたが、今はちゃんと装備しているようだ。
続けて話を聞くに、この凄腕冒険者はファントムさんの正体を暴こうと仮面を剣で引っかけて飛ばしたらしい。
藪蛇でトリティニアの宰相似の顔にニヤリとされて、戦慄したというわけだ。
「その隙に逃げられた。…だがフェクス殿はグレンシアの要人だからな。衛兵が出る騒ぎになった。全く面倒事ばかりを!」
えっと…なんか、ごめん?




