決闘システム
騎士見習い隊での乗馬や、軽い打ち合い程度をこなすようになったある日のこと。
正騎士隊のほうで決闘騒ぎが起きた。
「見たい見たい、見に行きたい」
「人の試合を見るのも勉強だって言いますよね」
キャッキャと理由をつけて盛り上がる子供達。
連れて行かねば残りの時間が気もそぞろになると思われたのだろうか。
先生はあっさりと全員を引き連れて訓練場の人だかりへ。
却下されるかと思ったのに、見学は許可された。
仲の良い子がいない私は、小走りに先生の隣をキープ。
「前のほうで見なくていいのか、オルタンシア君」
「ええ。それより、決闘の作法に興味があります。教えていただけませんか?」
知らない人同士の喧嘩なんて見たって別に楽しくないよ。
大体、身体強化してなきゃあんまり良く見えないもの。動きが速くって。
それなら解説者の横にいたほうがいいじゃん。
「作法? 決闘は、貴族同士であれば相手の承諾が得られれば良い」
「申し込みに作法はないのですか? 手袋…とか」
左手の手袋を相手の顔に叩きつけるアレだ。…いや、普通に投げてもいいんだけど。
ぽんっと足元に投げるだけでは臨場感が足りないと思うの。ただの不法投棄だよね。
そんな投げ方された手袋、私なら絶対拾わない。なんかゴミっぽい。
…そういうものの記憶が何か…今ちらっと…。
ああ、前世で「転べよー」とか言われて、足元にバナナの皮を投げられたときみたいなのね。
あの時はどう対処したんだったか…思い出せないな。今ならどうするかしら。
まあ、やっぱり拾わないよね。っつーか転ばねぇわ。
全然関係ないことを考えている間、しかし先生も首を傾げていた。
「手袋なんて何に使うんだ?」
あ、そうですね。
さすがに世界が違えば常識も違うか。
「とはいえ何でも決闘で済むような時代ではないからな。騎士ならば申し込まれた決闘を受けねば臆病者の誹りを受けることもあるが、文官貴族ではそうとも言えぬ」
「そうなのですか…てっきり馬鹿にされたなら受けねば恥というものかとばかり」
「名誉ばかりを重んじるのであればな。だが場合によるのではないか。明らかに可笑しな主張をするような相手の決闘まで受ける必要もあるまい」
決闘イコール申し込まれればどんな挑戦も受ける、みたいな感じかと思っていたが、意外と皆理性的だった。
現実にそんなことをするのは、アンディラートのお父様みたいな方くらいなのであろう。
口を開けっ放しにして剣戟に見入る子供達の後ろで、私は更に問いかけた。
「例えば侮辱された場合などに、私が名誉のための決闘を申し込むことは可能ですか?」
「…可能だが、代闘士を立てるのが賢明だろう。また、みだりに行うべきものではない」
可能でしたか! これならいけるかも。
でも、代闘士か…それは女子だからかな、と考えていたところに先生は情報を追加してくれた。
「それにオルタンシア君では、一笑に付されて受けてもらえぬ場合もあろうな」
「えっ、弱そうだからですか? 困りますね…何か手立てはないものでしょうか」
ご令嬢からの決闘申し込み。なかなかの意外性じゃない?
可愛くって弱そう(見た目だけ)な私ならば、油断を誘えそう。
油断させられるのは初回限りだけど、次はギリギリ勝てる程度に、身体強化様を徐々に強くして対応していけばいいのだ。
始めから強すぎると、皆警戒して戦ってくれないかもしれないからね。
「決闘の申し込み時に証人がいれば、書面で城に決闘の立会いを依頼できるぞ。昔ながらの衆人環視の中で己の正当性を剣にかける決闘だ。今回のもそうなのだが、あそこに立会いの文官がいるのがわかるか? ああやって記録に残すし、結果についても『王または代官により広く知らしめ保障される』と法で決まっている。これは決闘の相手が誰であっても、無碍に断ることは出来ん」
なんだ、そのシステム。
先生を思わず見つめてしまっているうちに、決闘は終わってしまった。
「できればイルステン君に決闘を申し込むのはやめてやってほしいのだが」
「大丈夫ですよ、今のは例え話ですし、その…。申し訳ないのですが、彼との決闘に割くような時間は、私にはございません」
「そうか。眼中にないか。イルステン君も気の毒にな。…対抗馬が優秀すぎる」
先生は苦笑して、すっと遠くを指差した。
つられて目を遣れば、揺れる赤茶色が見える。
むぎっと身体強化で視力を補えば、戦いに高揚する周囲の中で、彼1人だけ冷静な顔をしていた。
先生、よく見えるなぁ。
「アンディラート、ですか?」
「さすがに、彼は群を抜いて有望だよ。あのような少年が側にいるのでは、他が幼く見えても仕方ないな」
そうかもしれませんね、と呟くに留めた。
彼は彼で苦労しているから周囲より大人びたのだろう。けれど。
そんなことを親しくもない相手にぶちまけるなんて、内容もおかしければ、口にする私もおかしいね。
「すまないが、正騎士はこの後、色々と片付けが必要になる。今日はここで切り上げよう」
ぱんとひとつ手を叩いて視線を集めると、先生は周囲にそう告げた。
上生も解散になる流れのようだ。ふむぅ。立会い付きの決闘って結構周囲を巻き込むものなのね。
ふと目を遣った先では、同じようにこちらを見ている少年がいる。
こちらに来る素振りを見せたので、私も相手方に向けて歩き出した。
「オルタンシア。まだ家には送らずともいいんだろう? うちにでも来るか」
にこりと笑うアンディラート。
つられて、私も笑い返した。
「思いのほか時間が空いたことだし、せっかくだから行きたい場所があるわ」
「どこへ行…と、問うのも野暮か」
察したように、やれやれと首を振られた。
そう、街へ繰り出したいのです。
目的もなく何度でも街へ遊びに出たがる私に、アンディラートは諦め気味だ。
「一度着替えに戻るつもりか?」
「…うーん」
あ、どうも御者さん。今日は早くてすみません。
どうしたものかと考えている間に、アンディラートは行き先の指示を出している。
私達は馬車内に乗り込んだ。
「このまま行こう。前に買ったのが丁度きつくなってきていたんだ、服は買ってもいいだろう」
そうだね、と返そうとして、私は息を飲んだ。
天啓を受けたかのように目を見開く。
「閃いた。服を一式、アンディラートの家に隠しておけばいいんじゃない? これで簡単に、君んちに遊びに行くと言いつつ、街に行ける!」
「一式? そ、その服をどこに隠しておく気だ?」
そりゃあ、庭に埋めるわけにもいきませんもの。
木を隠すなら森の中。服を隠すならアンディラートのタンスの中かしら。
「君のワードローブにちょっと私のスペースを作って、間借り…」
「馬鹿っ! ダメだ!」
なんでぇ…?
使用人に見られて、女装趣味と勘違いされたら困るってこと?
全然サイズが違うし、大丈夫だよ。
その頑なな拒絶が理解できないと、たった今自分の顔に書いた自覚がある。
少し苛立ったようにアンディラートはそっぽを向く。
「よく考えろ。そして気付け。…一応聞くけど、一式って、何だ」
「転んだり零したりなどの事故を考えて下着から一式…」
「絶っ対ダメだからな!」
「なんならパジャマも置いておけば、不意にお泊まりしても大丈…」
「泊めるわけないだろ、リーシャルド様に殺される!」
顔を真っ赤にしてグシャグシャと髪をかきむしった相手に、ようやく納得する。
ああ、そうか。自分のタンスで偶発的にオトメのヒミツ(ドロワーズ)を見てしまっては大変だと思っているのだね。
…だから、子供が子供パンツ見たからなんだっつーのよ。紳士だから仕方ないのかなぁ。
そもそもそんな丸見えで置いておく前提じゃなくても、袋に入れておけばいいだけじゃないのさ…。
6歳児ってことは、まだまだプリントパンツ世代でしょ。
男の子ならライダー付いてるレベルよ。色気など欠片もないわ。
「えっとね、アンディラート」
「絶対に絶対にダメだからな!」
交渉の余地はないようだ。
ちぇっ。いいアイデアだと思ったのにな。
「わかったよ、もう言わない。機嫌直してよ」
くしゃくしゃになってしまった赤毛に手を伸ばして、整えてやる。
俯いたまま、されるがままのアンディラート。
そんな彼からは、長い長い溜息が吐き出された。
「常々、令嬢としての距離感がおかしいとは思っていたけれど。お前は女としての自覚があるのか?」
「無論。あのお母様の娘なんだから、文句のつけようがない淑女だとも。君の前以外では」
「俺の前でも、淑女であろうとしような!?」
「そんなぁ。なんてこと言うのよ。君の前でしか、素の自分をさらけ出せないのに」
息抜き大事だよ。ストレスを溜め込むと注意力も散漫になるし、できることにはハマリ込み過ぎる。
ノリツッコミできる幸せも、何を言おうと嫌われる気がしない幸せも、ここにしかない。
もう、アンディラートの来ないあの2ヶ月で、私は思い知ったのだよ!
必死すぎる私の様子にきょとんとしたアンディラートは、次いでちょっとソワソワしだした。
「そ、そうなのか?」
「当然じゃないの。お父様やお母様にだって内緒なのよ。…こんな娘、異質すぎるでしょ。嫌われたくないもの」
「…お前のご両親は、そんなことでお前を嫌ったりしないと思うけどな」
溺愛じゃん、とアンディラートの言外の声が聞こえた気がする。
そうかもしれないね。うん、私も、ちょっとそう思ってはいる。
だけど、そう簡単に全てを曝すわけにはいかなかった。
母だから、父だから、無条件に全てを受け入れてくれるわけじゃない。
前世で嫌というほど思い知ったはずだ。
彼らは眉をひそめて、虫でも見るように、嫌悪の目を向ける。気に障る行動を決して許さないように…。
…顔も思い出せないのに、あの迷惑そうな声だけは、今も胸を抉るようだ。
「…シア…オルタンシア。大丈夫か?」
気が付けば、青ざめた私の肩を抱くように、アンディラートが顔を覗き込んでいた。
「おお。近い、ビックリした」
「…ぅ悪かったっ」
慌てて離れようとする彼の肩を引き止めて、ごつんと額をぶつける。
「ちょっとだけ。そこにいてくれると助かるんだけど」
「わ、かった」
照れてぶん投げられることも覚悟していたのだけれど、アンディラートはそうはしなかった。
抱き締めてもくれない代わりに、ひたすらに壁の如く動かずに肩を貸してくれた。
馬車の揺れにも微動だにしないので、ちょっとオデコが擦り剥けましたわ。
しばらくして、馬車が止まった。
街に着いたのだ。




