たいせつなものはおしえない
如月さんが現れたのは、それから幾日も経たぬうちのことだ。
なぜか商会の世話になるというアンディラートとは宿泊が別となるため、冒険者ギルドで待ち合わせをして出かけようとした私。
既にテヴェルと合流を果たしたという彼女は、しかし腰巾着を宿に置いて、冒険者ギルドへと踏み込んだのだ。
弛んでいた己を引き締め、速やかにオルタンシアをお片付けした私は、幼馴染みから情報が漏れることを危惧しながらも彼女と対峙する。
事態は深刻だと瞬時に判断。
早急に確認しなければならないことができた。
いつこの街に着いたのかとか、食事も作らされたから報酬値上げしてもらわないと割に合わないとか、そういうことではない。
契約時と大いに変化したただ一点、…そう、彼女に同行したはずの、うちの魔法使いがここにいないこと。
「無事にテヴェルを届けてくれて、感謝するわ、フラン」
面倒だから。疲れたから。
そんな理由で宿に残ったと…生憎考えられないのだよね。
彼女ほどではないが、リスターは、やたら過保護だ。
私の無事を確認せぬまま、休むとは考えにくい。
かつて別のダンジョンから戻り、そのまま私が出かけた方向へと山賊馬車を向かわせたように。まずは確認をして、メッチャ悪態をついてから休むはずだ。
意地っ張りだし。
そしてここまで、私の考えを読んでいるはずのキサラギさんが、何も触れてこない。
「では依頼は完了でよろしいですね。ところで、リスターはどうしました?」
問いかければ小首を傾げて目を細め、艶やかに微笑むキサラギさん。
「ついてくるのを諦めたのじゃない? ついてこられなければ、置いていく。それで構わないと…確か言ったわよねぇ?」
「彼も諦めが早い方だとは思いますが…ついてこられない状況に追い込んだ?」
「否定しても仕方ないわ。だって貴方は、私がいくら違うと言っても信じない。ね?」
自分の連れを護衛させておいて、その相手の連れに危害を加えるとか…普通はやりませんよね。
やりかねないとは思っていたけれど…うーん、確かにそんなことやってないって言われても、全然信じないな、私。
その視線がゆるりと、私の隣に立つ冒険者ラッシュへと向けられた。
依頼主たる彼らのことは既に伝えてある。
だが、冒険者ラッシュが今何を考えているのか…私に確かめる術はない。
彼も対応策を考えておくとは、言っていたはずだけど。
彼の美徳は、きっと裏目に出る。
少し不安になって、私もフードの下で視線をラッシュへ走らせてしまう。
「もっと取り乱すと思っていたわ。リスターが貴方を思うほど、貴方は彼のことが大切ではないのかしら。動揺が感じられないもの。だとしたら、あの男、可哀想ねぇ?」
いたぶるような口振り。
そうやって、わざとに動揺させようとしているのだろうな。
何のためにかと言えば、動揺させたほうが本音を拾いやすいから、としか思えない。
しかし冒険絵師フランは、基本的に最悪を考え思考停止したりはしないのだ。
故に、リスターは持久力において振り切られたのだと普通に考察しました。
ラッシュがふと、私の左手を握った。
…なんだい。私は大丈夫だよ。
「もちろん、心配しているので。だからどこで別れたのか、教えてほしいかな。リスターを迎えに行かなくてはいけないから」
ラッシュの右手が大きい。
私と、ひとつしか年が違わないはずなのに。
並ぶと脚の長さもだいぶ違うな。なぜだ。
「…変ね」
「…何が?」
「貴方が知り合いに私のことを伝えているなんて、とても意外だわ、フラン」
私は、無意識にラッシュの手を握り返した。
意外に思うほどに、私のことを知っているのだろうか、キサラギさん?
「知り合いって?」
「お隣の冒険者ね。初めて見る顔だわ。随分…彼を信頼しているのね? 私の名前も能力も伝えて…初対面の男に、こんなに警戒されるのは久し振り」
ああ。大抵の男子は、美人でスタイルの良い女性が笑顔で近寄ってきたならば、ちょっと期待しちゃったりするのだろうね。
私が前情報を与えていたせいで、警戒剥き出しちゃったのかい、ラッシュ君。
落ち着かせようと左手の中をにぎにぎすると、慌てたように振り解かれた。
逆効果を発揮。へこむわー。
「あら。ねぇ…ラッシュ。貴方はフランの秘密を知る立場なのねぇ?」
私の心から得た情報なのだろうか。それとも、冒険者ラッシュの心から?
以前にも揺さぶりをかけるためか、名乗る前に私の名を当てたことがあったな。
秘密。秘密ってどれのことだ。
ラッシュは大丈夫だろうかと、私がそう考えるのは、キサラギさんの策のうちだろうか。
名乗る前に名を呼ばれた人への揺さぶりなのか。それとも隣に立つ人間の名を漏らしてしまった人に対する揺さぶりなのか。
何にせよ、…これはきっとキサラギさんの常套手段なのだろうな。
「…心が読めるのだとしても、恐らく、俺から望む答えは得られない」
意外にもラッシュが発言した。
きっと隣で黙って聞いているだけだと思っていたのに、どうした。
「ふふ。それはどうかしら…ね…?」
一歩近付いたキサラギさんがラッシュの腕に手を触れ…驚いたように目を見開いた。
こっちも驚きなんですけど。
え、ねぇ、なんで触った。
触ったらより心が読めるとかそういうのあるのかな?
でもリスターにも私にもそういうことはしなかったよね。
親しげにラッシュにボディタッチした意味がわからず悩む。
触るって言っても服越しですよね。盗聴促進効果なんてあるのかな。
シャイボーイと見抜いての「当ててんのよ」タイプの作戦なのだとしたら、現在振り払っていないラッシュのことも心配な私です。
美女からの接触が嬉しいのか。だから触られっぱなしなのか。これが成長か。えっ、なのに私のにぎにぎは許されないのですか。
わからぬ。現在、どんな状況なのかがわからぬ。冒険絵師フラン、蚊帳の外です。
しかしどうやら、キサラギさんにも想定外の何かがあったらしい。
「お前。ウェルカーの犬か」
唐突にキサラギさんが固い声を出した。
ウェルカー? 誰だ?
そしてうちのラッシュ君にお前とか言ってしまうのかね、さっきまで色気と余裕たっぷりに貴方って言ってたのに?
何だね、彼への喧嘩は私への喧嘩だよ、業界最高値で買ったるよ? おん?
「間違えている。俺はフランの犬だ」
何言ってる! 君が間違ってるよ!
パッカァって私の口が全開なのですけれども、思わず仰り見た先でキサラギさんの口もパッカァしていたので少し冷静になった。
しかしせっかく冷静になったのに、私は再度混乱させられることとなった。
なんとラッシュは、キサラギさんの手を掴んでひょいと自分の腕から離させると、一歩下がって適切な距離を自ら用意したのだ。
「…フランの…?」
「そうだ。俺にはウェルカーという知り合いはいない」
そして普通に会話してます。
紳士としては正しい。だがシャイボーイとしては不可解。
振り払って赤面するべき場面だと思っていたのに、どゆこと。
美女だぜ、ボンキュッボンの。
ラッシュやい。自分から触るという積極的動作に対して、どうして赤面しないのだ。
小一時間ほど問いつめる必要を感じる。
だが問いつめても、首を傾げられる未来しか見えない。彼は素直だ。平気だったから平気。それしか情報は得られないだろう。
なんで平気なのだ。赤面せずに済む、触るのが自然、あれ、運命…感じたとか?
しかし彼女に運命とか感じられると色んな差し障りが出るので、そういう方向でないと助かるのですが、何とか負かりませんか。
「…フランはウェルカーではないわ」
「だから、間違えていると言った」
「…間違える…この、私が…?」
「誰しも完璧ではない。何も不思議はない、そういうこともあると思う」
しばし呆然としたキサラギさんは、不意に花が開くように笑った。
男子ならば誰でも見惚れてしまうような、そんな笑顔。
「…ふふ。でも、貴方は見惚れない。女の子だから、ね?」
おおっと、唐突に繰り出されました、フランへの攻撃。困りますねぇ。
隣の素直すぎる冒険者へと思わず視線を投げたが、冤罪であったらしい。
「やっぱり、ラッシュ君は秘密を知る立場なのねぇ」
これを最初から秘密だと認識していたというのならば、漏らしたのはリスターなのであろう。
だから言ったのに。付け焼き刃で何かしてもモレモレするに決まってるって。
「動揺は、しないのね?」
「特にしませんねぇ。それを知って、何か問題が生じましたか」
隠し事なんて山ほどあるのでね。
あなたも、秘密の多い女のほうが魅力的だと思う派でしょう、キサラギさん。
「…うふ」
小さく笑って。私に向き直って。
彼女は言った。
「気に入ったわ。やっぱり、貴方って楽しい。私についてきなさいな?」
なんか気に入られた。
私もにっこりと笑った。が、安定のフードで見えない仕様でした。
「お断りします。それで、うちのリスターはどこで置いてきました?」
忘れていると思ったかね?
うちの魔法使いを放置する子にはついていきません。
早く迎えに行ってやらなくては。多分、今頃メッチャ暴言吐きまくりだ。
顔の辺りに細い指が伸びてきたけれど、そっと躱して、再度問う。
「何日くらい離されてますかね?」
「もう死んでいるのではなぁい? 少なくとも…山奥で5日は動けずにいるかしら。怪我をして、水も食料もなく」
…■■、まだ■■は使わ■■ない…。
ははは、ご冗談を。
揺さぶりに、決まってる。
「…ふ…。動揺、したわね?」
み■■…じゃない、人間だもの。
冒険絵師フランは最悪を考えたりはしない。
それでも、仲間の死をほのめかされれば動揺くらいはするさ。
「ほら、揺らいだわ。心の奥で。前にも聞き取れなかった何か。聞こえそうで聞こえない、何か。それが、気になるのよね…」
はっはっは。ちょっともう、長年使ってるから傷んできたかなー。買い換え時だよね、幕。ホントもー、どこで売ってるもんかなー、コンチクショウ。
「…幕? なぁに、魔道具か何かを」
「おや、人の秘密を暴く気ならば、あなたの秘密も教えてもらいませんと、割に合いませんよね。でも話す気、ないでしょ?」
「…どうかしら。貴方が手に入るのなら、それも面白いかもしれないわね」
「ついて行かないと申し上げた」
「行く気になるわ。人間って不思議よね、自分の身より何かを取ることがよくあるの」
リスターには、結構、負い目があるようだ。自分が思うよりも動揺したらしい。
だが、冒険絵師たるもの、このくらい。
「ねぇ、貴方は」
正面に立つキサラギさん。
あ。
「何と引き替えなら、私と来るかしらね」
まずいヤツか、これ。
いやいや大丈夫、ほら。
まず鳥に、つたえてもらう。
かんがえることは、えらぶ。
りすたー。それじゃない。いまじゃない。そう、ほら、大丈夫。こんなときは、水を飲んでおちつくべき。水筒。
マントに右手を。中から水筒を。
「あなたの」
わたしの…?
ほら、すいとう。蓋とって。
「ほんとうに」
まにあう、まだ。
ちらりと周囲を見遣れば、閉まりかけた、ギルト出入り口の扉が。
カウンターのギルド員。何かトラブルかと心配そうに。
他には誰もいない。
水筒、水筒。
「たいせつな」
「ぴゃーーーーーーーーーーーー!!!」
冷たい! うぼぁ、冷たい!
キサラギさんが目を真ん丸に。
取り出した水筒は水が溢れて。
大変、大変。
きこえるこえ、「まどうぐ」「こしょう」「かたづけ」、たいへんたいへん。
冷たい、冷たい、水が、床が、冒険者ギルド、怒られるよ、わぁ、マントがベチャベチャ、うわ、パンツまで、大変大変!
外、そとに出なくちゃ!
冷たい、迷惑、大変大変!
はしって、とびらをあけて、しめた。
人通りはあまりない。
扉で彼女の視線を遮れたなら、水は止めて、水筒はマントの内経由でアイテムボックスへ放り込む。
見慣れた幼馴染みが身構えているのを捕まえて、勢いのまま路地に引っ張って。
ざっと見回して。けれど声で再確認。
「アンディラート、誰もいないね!」
「ああ!」
アイテムボックスへと飛び込んだ。




