大したことの定義①~認識の相違~
アンディラートは知り合いに紹介された宿に泊まっているという。
お得意様の紹介割引とやらでお安く連泊していた。
扉ドンドンもなく、安価で、更にオプションで天使がついてくる宿…だと…。
私もこの宿がいい。引っ越したい。
だが私にはお得意様の紹介割引はない。同じお値段にはしてもらえない。ショボン。
私の方お風呂ないし、2段くらいレベルが下っぽいけど、我慢しますね。
お値段的には出せないわけじゃないんだけど、護衛なのに移動するとすごく悪目立ちするからね。
個室が…個室があるだけ幸せなのよ、オルタンシア…ギリギリ(歯軋り)。
上を見ればきりがないということだね。
「お帰りなさいませ、ラッシュ様」
宿に入ったところ、被っていたフードを肩に落とした彼を直ぐ様見つけ、女将さんが声をかけてきた。
私は無論フードを被ったままです。
「もしかしてそちらは…お連れ様、見つかったんですね?」
「ああ、見つかった。色々とありがとう」
「いいえ、とんでもない。どうせ食堂での世間話なんですから」
え、幼馴染探してますって公言してたの?
女将さんと気さくにそんな会話をしていたので、びっくりしてしまう。
聞けば、私が商隊と共に現れるという情報を手に入れたため、宿の人と冒険者ギルドに商隊到着の報があれば教えてもらえるよう依頼していたらしい。
というか、どうやって私の噂なんて…。
最近はクズの護衛であったため、目立つ真似をしていたつもりはないのだが。もっと自重しないといけないのかしら。
むむむ、と悩みながらアンディラートを追って、彼に割り当てられた部屋へ。
さすがに自宅ではないからと扉を閉め切ってしまうことを謝られ、一瞬何のことかわからなかった私です。
女子の名誉を守る的な話ですか。
宿でドア開けて話しているほうが問題なので、気にしませんよ。
というか、アンディラートに襲われる心配は微塵もしておりませんわ。
もちろん紳士な天使を一切の疑いなく信頼しているけれど、それ以前に…すぐ真っ赤になるような子だよ。
「改めて、お久し振り。元気にしてた?」
2人きりになったところで、何ひとつ取り繕わずに口を開く。
わぁ。
私たった今、素の声で話すのすら、久し振りだということに気付いた。
何か変な感じ。私ってこんな声してたっけ?
これが地声だったのかな。なんか高い気がするけど。
フラン化してからは落ち着いて低めに話すことを心掛けていたから、余計にそう感じるのだろうか。
もしや天使に浮かれて謎のぶりっ子スイッチが入って高めになったのでは…うーん、わからないぜ。ある種の記憶喪失。
でも、美男美女の遺伝子を持つ私だ。声が可愛いくらいは何の不思議もないので、これが地声なのかもしれないね。
要検証として、とりあえずは一番楽な高さの声で話し続けよう。
「ああ、俺は元気だ。お前は…えっと…色々と大変なこともあったろう」
「ううん、別に平気。冒険者ギルドの依頼も、討伐とかあんまり受けないしね」
「…わかった。オルタンシアが言うのなら、そう思うようにしておく」
答えると、少し困ったように笑んで、アンディラートは濡れたマントを脱いだ。
テヴェルから目を逸らして現実逃避していたのがバレたのだろうか。
いや、彼にはサトリ要素はないのだ、バレるはずはない。
落ち着いて見てみると、アンディラートのマントは大分ぐっしょりだ。
一度はギルドで乾かしたけど、その後雨の中をこの宿まで移動したために、結局はさっきと同じかそれ以上の濡れっぷりに。
ひょいと壁の服かけに引っかけると、私の上着も預かろうと手を出してくる。
私は特殊マントなので濡れてません。
干す必要はないのでお断りを…あ、そもそも服かけにかける必要すらなかったわ。
着た状態から、アイテムボックスにマントを放り込む。
自前の仕舞い場所があるので心配御無用。
ついでにアンディラートのマントの水気もそっと回収しておこう。
生乾き臭い天使など絶対に許さん。
うふふ。これはもう私、シリカゲルの妖精としてやっていけるかもわからんわね。
除湿を司りしジョシツンシア…女子ツン? いやいや、ツンは司らない、方向性が違う。
「オルタンシア!」
「フォッフゥ?」
アンディラートが、突然ガッと肩を掴んできたので、意図せずマジビビリンシアへミラクルチェンジ。
思考が横道に逸れているところへの、急な威嚇行為はおやめ下さい。心臓さんがバックンバックンになりましたわよ。
ただでさえ君の大きさに慣れていなくて、距離間計りかねてるとこあるんだからね。遠近法的な意味で。
しかし、この距離を一瞬でずかずかっと詰めてきたのか。脚も長くなったよなぁ…。
はやての如きアンディラート…おや、つまりコレ、二つ名が疾風になる感じ? そして、うっかり言い間違えて疾病になる感じ? やだ、病弱~。
…などと馬鹿なことを考えて気を落ち着けていると、ようやく心臓さんの速度も平常値に戻ってきたようだ。
それにしても、人の側に寄るのに、紳士としてこの勢いはイカンよね。
例えば他のご令嬢相手では怖がられるってことを、ちゃんと教えてあげなくては。
なんせ、アンディラートだって知らなかったら私でも怖いもんな。
注意しておこうと顔を上げると、青ざめたアンディラートと目が合う。
…あれ、なんで、青ざめてるの?
首を傾げた私を見て、彼の顔が歪んだ。
潤んできた目に、それが泣く寸前の表情なのだと理解する。
…泣く?
「なぁに、どう…、えっ、ちょ、ホントどうしたの? ヒッ、泣かないよね?」
なんで泣きそうな顔なんてするのだい!
まさか無意識に、怖いとか口から漏れていて、傷つけたとか…?
う、嘘でしたよ! 嘘ついたんです!
ちょっとした認識の誤りでごわす、全く怖くなんてなかったんですよ!
仮に怖かったとしても、ミリ、いや、ナノ単位だからね! 誤差だよ!
「…お前が…こんな辛いときに、俺は…」
「つ、辛い?」
何も辛いことはない。
強いて言うならアンディラートが泣きそうな今、とても辛い。
私のほうがオロオロしてしまう。
あ、ハンカチ! ハンカチなら大量に持ってる。
できれば泣くな。しかし涙が出ちゃったら使え。
たくさんあるから遠慮はいらないよ。
手品師のように各種ハンカチを取り出すが、なぜだか受け取ってもらえない。
柄か。
もしや成人した彼にとっては、気に入る柄のハンカチがないのか。
そうよね、このように精悍な成長を遂げた君を想定した刺繍はしていないものね。
特に、なぜか出してしまっていたモモンガ柄については、選ばれないことに納得しかない。何食わぬ顔で引っ込めておく。
今度大人っぽい感じのも縫っとくから、どうか今はどれかで妥協してぇ!
必死に差し出す我がハンカチ部隊をかいくぐって、そっと手が伸ばされてきた。
アンディラートは壊れ物に触れるかのように殊更にゆっくりと、私の頬にかかる髪の先を、それはもう触ってんのかどうかってレベルでものすごく微かに撫でる。
却って痒いことこの上なし。だがそう言える雰囲気ではない。
私、顔に怪我とか作ってないよね。
そんな震える指で頬を撫でられるような理由など、本当に何ひとつも…。
「…あんなに、綺麗な、髪だったのに…こ、こんなことって…」
あっ。
そうでした! 貴族女性としては、短髪はありえないのがこの世界の常識。
頬にかかる程度には伸びたところなのに…いや、それでもこの反応なのだ。
むしろショート全盛期を見られなかったのは幸いだったのかもしれない。
しかし、あの、本当に辛くないです。
前世感覚からしても、女子のショートヘアに問題などないということを伝えたい。
むしろ軽くて楽だよ。シャンプーの量も節約できるしね。
「えっとね、君も短いよね?」
「俺はっ」
「だから辛くないよ。君とお揃い、ね?」
にっこり笑って、全力の誤魔化し。
お母様になら、私はこれで騙される。
「…オルタンシア…」
駄目でした。
すごい痛々しい顔された。私は無力であったよ。
いくらお揃い大好きアンディラート君でも、騙されてはくれませんか。そうですよね。世界またぎの感覚差ですもの。
ボウズにしたわけでなし、髪なんぞ神経通ってないから痛くもありませんのにね。
沈痛な表情でしばし天井を見上げていた彼はやがて、葛藤を押し殺したように小さな溜息をついた。
「…オルタンシアの長い髪が…風でふわふわするの、好きだった…」
「そう? じゃあ、これから伸ばそうね。大丈夫よ、成長期だからすぐ伸びるよ」
成長期に過大な期待。
髪が長いだけで笑っていただけるのなら、いくらでも伸ばすさ。連獅子ヘアすら似合ってみせるよ!
私がエロかったら、もしや早く伸びるのかなぁ。あとはワカメか昆布か…海草類は効くかなぁ。しかしお色気イベントはないし、内陸に進んだから海草もないのだ。
あるのは気合いだけ。気合いで何とか伸びないものかね。根性出せよ、髪ィ。
サポートでエクステも可能に思えるけれど、伸びるまでずっとって考えると、彼に短髪慣れしてもらうほうが楽であるな。
よし、ショートヘアも悪くないと思ってもらおう。
「アンディラート。ほら、私って男装もよく似合っていたと思うの。だから、こういう短いのも可愛いと思わない?」
可愛いと言え。そして照れて有耶無耶になれ。笑顔でアピールし続ける私。
「…うん。でも、…伸ばして、ほしい」
「かしこまりましたー」
どうやら、長い髪への思いは断ち切れなかったようだ。まぁ、好きって言ってたしな。嗜好ならば仕方あるまいな。諦めて新陳代謝を活発にする方法を探そう。
横髪を名残惜しげにチョイチョイされているので大変にくすぐったい。これはギルドでの後頭部撫で撫でへの仕返しですかね。
「あのね。私、やらなきゃいけないことがあって…別行動中なんだけど冒険者仲間もいるの。今は護衛のお仕事しつつ移動していたところなんだけど…その…、こう偶然君に会えるなんて思わなかったけど、会えて嬉しいよ」
微妙になってしまった雰囲気を変えようと、私は口を開いた。
彼はじっと私の目を見つめてから、溜息をつく。
「偶然じゃない。オルタンシアがいなくなってから、ずっと探していたんだ」




