惜しい!
リルルカの街に入ったのは夕刻だった。
商隊には街ごとに馴染みの宿でもあるのか、ここでも迷わずにまっすぐとチェックイン。小綺麗な宿であるのは、とても助かります。
与えられた部屋に入った私は、すぐさま内側から鍵をかけた。
街について宿に泊まることが、こんなにも素晴らしいことだなんて思わなかった。
好ましすぎて、将来の夢第3位くらいに「宿の経営者」が浮上する勢い。
…何が素晴らしいかって、アナタ。
この寝るためだけの部屋。
最低限のベッドと机の他は壁に囲まれているのですよ。
さすがに防音レベルは知らないが隣の物音は聞こえないし、多少雑音が聞こえたところで贅沢なんか言わない。
壁よ、扉よ、清廉なる個の守護者よ。
ああ、個室ってイイわぁ。
久し振りにマントを脱いで、とっても解放的な気分。ゴロゴロとベッドに転がり、存分に1人を満喫だ。
可能ならば1人カラオケ大会でも開催したいところだよ。さすがに音が漏れちゃうからやらないけどね。
シーツの上を左右に機敏に転げていると、ばっさばっさと横髪が頬にかかってきた。
うーん、結ぶにも足りない鬱陶しい長さよ。街を出たらまたしばらくフードを脱げなくなるだろうし、泊まっている間にでも切っとくかな。
うざったくなると切っているので、この伸び方が早いのか遅いのかはわからないが…そういや髪伸びるのが早い人はエロい説とかあったよね。あれって根拠は何だったの。
コン。
コンコン。
不意の物音に気付くのが遅れた。
なんだ、ただのノックだね。返事をするかと口を開きかけたのだが。
ドンドン。ガチャッ、ガチャガチャ!
えっ、何これ。怖ッ。
唐突で無粋なノックと容赦ないドアノブへの攻撃に、私はぴたりと動きを止めた。
どういうことなの、このホラー展開。息を潜めて気配を殺す。
っていうかドアノブ、ガチャガチャって。誰だよ。鍵かけてなかったら、いきなり入ってきたの。やだよ、怖すぎるよ。
全力でプライバシー保護されたい。
部屋を間違えちゃった酔っ払いか何かなら、まだ許すが…。
「フラン。フランってば、いないのか?」
残念、テヴェルヤロウでした。
私のささやかな御一人様タイムを、即行で邪魔しに来るとは。
…えー。道中情報収集のための愛想笑い声(フード内部は真顔)を頑張ったから、ちょっとお相手はお休みしたいなぁ。
ヤダなぁ。返事しなきゃ駄目かなぁ。
…でも私、今、オルタンシアだし。
いいや、居留守決行。バレたら「寝てたわ、ゴッメーン☆」って言えばいいのよ。
フランはただいま留守にしております。御用の方は、後程出直して下さい。
2秒で決断した私は、そのまま部屋の空気と一体化する作業を続けた。
すると、新たな訪問者が現れた。
「おや、テヴェル様、護衛の方はお部屋にいらっしゃらないので?」
商隊の人達だ。テヴェルのみならず彼らが動いたということは、夕食の時間か。
そういえば私の部屋が一番食堂に近いな。でも私の部屋の前で立ち止まらずに、速やかに通りすぎて下さると幸いです。
「そうみたい。俺の護衛なのにね!」
「まぁまぁ。彼は道中の魔獣に対する護衛でしょう。出発は3日後ですから、暇潰しに依頼でも受けに行ったんじゃないですか」
商人のおっさんがテヴェルを宥めてくれている。
おお、確かに。
3日もあるのだから、気晴らしに冒険者ギルドで軽い依頼でも受けるのは手かもしれない。
もう夕方だけど、情報収集という名目でギルド行ってこようかな。宿でクズに壁ドンならぬ扉ドンドンされ続けるのも何だし。
「今さっき宿に入ったばかりなのにもう? 変にフットワーク軽いんだからな。せっかく夕食に誘いに来たのにさ」
やはり夕食の誘いか。群れたがるでないよ。食事くらい1人で取ってはいかがか。
顔が見えないように気を使って食べるご飯って、結構大変なんだからね。
ちなみにテヴェルはフードを取らないフランのことを、なぜだか恥ずかしがり屋だと思っているようだ。
敢えての否定はしない。
しないが、「ぬぁー!」ってなる。
「我々も食事に行くところなのですよ。ご一緒しませんか」
商人がテヴェルを食事に誘い、彼も機嫌を直した様子。
「オッケー。まー、雨も降ってきたみたいだから、フランもすぐ戻ってくるだろ」
食事付きでチェックインしたから、食堂で夕食が取れるそうだが…どっこい私は外のレストランを探すぜ。安らぎたいからな。
しかし、そうか、雨なのか。
ドアの外の声が遠ざかるのを待って、のそりとベッドから起き出す。
窓の外を見てみれば、ポツポツと水滴が落ちてきている。
アイテムボックスから、シールドを発生させるマントを取り出した。そう、ワゴンセールで買った奴だ。
ふははは、雨など私の敵ではない。
裏口から抜け出し、冒険者ギルドを探す。街の中心部には大きな建物が並んでいることが多く、概ねギルドもその辺だ。
癒し皆無の日々の中、自身を押し殺してテヴェルのご機嫌を取った結果わかったのは…彼はあんまり詳細を知らないということだ。この人、如月さんへの丸投げが凄い。
彼はまず、「俺の国が欲しいなぁ。だけど、戦争とか怖いし面倒だし、他の国に攻められるのヤダなぁ」などという甘えたことを抜かしたらしい。
普通に暮らしてて「国欲しい」って発言するのってどんな時なの? 全く想像がつかないんですけど。
どういう発想なんだろう。だって私なら全然要らない、そんなもの。しかも戦争は面倒なのに、国の運営は面倒じゃないのか。
とにかくまぁ、その発言を切っ掛けに如月さんが探してきたのが「忘れられた姫君」の情報。姫さえ娶れば王様になれる、わぁ、お買い得!となったわけだね。
…でもさ、忘れられた姫君が女王になる権利を有しているんだったら、結婚してなれるのは王配じゃありませんの? 入り婿…マッス男さんがイソ山家で猛威を振るうイメージってなくない?
まぁ、人それぞれか。むしろ権力に目が眩むと考えれば、よくある話っぽいか。
私が探している母の故国であったが、話の流れから見るに、どうやらテヴェルサイドでは国を特定できているようだ。
が、尋ねてもテヴェルはわからないという。
時折どこかで如月さんが暗躍しているっぽいが、何をしているのか、さっぱりテヴェルは知らないと言うのだ。
良きに計らえにも程がある。こんなの王様にしたら傀儡政権まっしぐらだぞ。私の住む国じゃないんで関係ありませんけども。
…やはり、本命は如月さんなのね。
しかし心の中が筒抜けながらの情報収集って難しいな…ハイリスク・ハイリターンということかしら。
どうやって如月さんを出し抜くべきか。
考えながら、冒険者ギルドの扉を開く。
雨だからだろう、ギルド内は閑散としていた。天候不良の日に無理に活動する冒険者は少ないのだ。
「こんにちは。絵師にもできそうな軽い依頼ってありますか?」
受付嬢に問いかけると、近年稀に見る胡散臭そうな視線をいただいた。
「ないわ」
バッサァ。
意外と対応も雑だった。
すごい。受付嬢の愛想が皆無って…私の中では逆に新しいです。
「えっと、では…」
「貼ってある依頼を見たら? どっちにしてもアンタみたいな細っこいのじゃ無理」
皆まで言わせぬスタイルでありますか。
人気がなくて貼ってない依頼もあるからと、カウンターに聞きに来たのですけれど。
うむ、諦めよう。彼女との対話には益がなさそうである。戦略的撤退だ。
明日の朝もう1回だけ来て、他の受付嬢に変わっていなければ、この街で依頼を受けるのはやめようっと。
気晴らしのつもりでストレス溜めてちゃ意味ないもんね。
長居して絡まれる前にさっさとギルドを出ることにする。
「あ?」
扉に手を掛ける寸前で、それは外側に開かれた。ここ、自動ドアでしたっけ。わぁ、外、本降りになってるじゃないの。
…じゃなくて。外からドアを開けたのは、背の高い冒険者だった。雨避けにフードを被ってはいるが、随分とびしょ濡れだ。
「…っと、すまない。どうぞ」
彼はどしゃ降りの雨の中へと一歩退いて、外側に私の通れるスペースを作った。
うわ、紳士か。思わず目を見開く。
普通なら、自分が先に中へと入りたいものだと思う。だってどしゃ降りなんだもの。誰がわざわざ雨の中に戻りたいものか。
冒険者にも紳士は存在したのだな。ちょっと感動しつつ、軽く会釈して外へ出た。
ここは日本ではない。私がさっさといなくならなければ、彼はいつまでも濡れる羽目になるので、妙な遠慮や譲り合いはしない。
「あっ、ラッシュくぅん! 良かった、無事だったわね。雨が強くなってきたから心配してたのよ」
先程の受付嬢が急激に甘ったるい声を出したので、驚いて振り向くところだった。
気合いで見返りかけた首を押し留めて、足を前方に踏み出す。厄介女子に関わってはならぬと本能が警告する。
そうか、好きなタイプには猫被る系の女子だったのだな。フランは選外ということか。まぁ、顔隠してるしな。
すぐに扉は閉まったが、その寸前で冷静に聞こえた「特に問題はなかったが?」という低めの声にちょっと笑えた。あんだけ好意全開なのに、ノーリアクションて。
ラッシュ君、真面目キャラなのか。そりゃ雨の日に依頼受けて外に出ちゃうんだから、真面目よね。ちょっと癒されたわ。
その後に適当な店に入って食事を取ったのだが、窓際の席には良くなかったのか。
とても落ち着かない食事を取ることとなった。
…先程のラッシュ君とやらが、猛ダッシュで通りをウロウロしていたのだ。
雨の中、でっかいわりに駿足かつ、路地に消えては別の路地から飛び出てくるので、気になって全然ご飯に集中できない。
メッチャきょろきょろしてるけど、何か落とし物でもしたのかい…?
手伝ってあげたい気分になってしまうぜ。出て行かないけど。




