出会って、しまった。
リスターとダンジョンでの依頼をこなして戻ってきた、ある日のことだった。
冒険者ギルドにて、依頼の達成報告をしようとカウンターに向かう途中。
「あっ、金髪の美人!」
不意にかけられた大きな声に、リスターの顔が不快げに歪む。
魔法使いって言葉ににかかっていれば確定だろうけれど、他にも金髪はいるのに自意識過剰なんじゃないですか?
…と言いたいところだが、実際に目に見える金髪の美人はリスターしかいなかった。
くっ、私がフードを被ったままで、残念だったな!
「何だ、テメェ?」
「…っと」
ガン付けヤンキー対応のリスターに、相手は一瞬引いたようだ。
しかし折れない心の持ち主のようで、リスターをジロジロと上から下まで眺め回す。
爛々と紫に染まりつつある魔法使いの目が、言葉より如実に彼の心情を物語る。
軽装の冒険者はニコッと笑顔を作ると、威嚇する魔法使いの正面に立った。
「俺はテヴェル。ダンジョンで倒れたところをあんた達に運んでもらったんだけど、覚えてないかな」
「…はぁ?」
「フロンって冒険者が拾ってくれてさ。馬車で街まで運んでもらったんだよ。金髪のすっげぇ美人を見た記憶があったんだけど…うーん…男だったのか…マジでがっかり」
うわ、フロン君の拾った奴か。起きて話してたらこんな感じだったのか。
私はそっとリスターの背後に隠れた。
すごい。これはすごい。
クズセンサーがビンビンだ。
アホ毛がアンテナとしてピンと立ってしまいそうなくらいの、鳥肌モノのクズの気配。
冷汗が背を伝う。関わりたくない。
「で、何か用か」
「ねぇ、あんた実は女ってことない?」
「殺すぞ、クソが」
表情は見えないが、不機嫌を隠さぬ声音のリスターに、彼の表情筋が評価の高い仕事をしているであろうことが窺える。
「受付で聞いたらさ、見たらすぐわかるって言われたんだけど。金髪で紫の目の美人の魔法使いって、あんたのことかな? あんたに姉とか妹とかいる?」
「うぜぇ、死ね」
「ひっでぇ。あんたと性格が似てないといいな…いや、女の子ならちょっと気が強いのもアリかなぁ」
金髪で紫の目の魔法使い。
ふと引っかかった私と同時に、リスターも違和感に気がついたらしい。
殺すぞオーラを若干弛めて言葉を紡いだ。
「んで結局、俺が美人だから、妹でもいたら口説こうって話なのか?」
「ああー。それもアリかもしんないけど」
リスターの服の裾を握りしめた。
彼が肩越しに視線を寄越した気配がしたけれど、確認できない。
「ちょっとね、お姫様を探してるんだ。金髪で紫色の目をしていて、魔法が使えるらしいんだよ。魔法使いって少ないんだろ、あんた、忘れられた姫君って聞いたことない?」
目眩がする。
敵だ。
こいつ、私の敵だ。
関わりたくないタイプだけど、そんな訳にはいかないことはわかっている。
仲間がどれくらいいるのかとか、本拠地はどこなのかとか、そう、聞き出さなくっちゃいけない。
そもそも、私の敵がクズであることはわかっていたのだ。
竦んでいる場合じゃない。
なのに。
「…ちょっと待て。連れの具合が悪いんで、また今度にしてくれるか」
「ツレ?」
いつの間にかリスターは、ふらつく私を片手で支えていた。
…人との距離が近すぎて気持ち悪い。
ひとりでは立っていられそうにない。
しかし、できればお離しいただきたい。
センサーが緊急値でぎゅんぎゅんなことと、対人距離が近すぎることと、パニックにより足元すら定まらないことが、猛烈な勢いでメンタルを削っていく。
何だよもう、一気にいっぱい来るな。現実が受け入れがたいっ。
癒しが、癒しが足りない。
…うぅ、でも逃避しても状況は何も変わったりはしない。
それは嫌というほどに学んだ。
頑張れ私。
おうち帰れば、確実に癒しがある…というか、癒しが遊びに来る。
倒さなくっちゃ、おうちに帰れないのよ。
「そっちは?」
「弟分だ。風邪でも引いたのか、帰ってくる途中からどうも調子が悪いらしい」
相手が一歩こちらへ踏み出したのが視界の端に映って、私は身構えかける。
リスターが間に入って牙を剥いていた。
「チビに寄るな」
「…何だよ。風邪だって言うからっ…」
私は気を落ち着けて、口を開いた。
大丈夫。
やれる。
より低く。喉に負担をかける声で。
鼻と喉の境目を狭めて、口呼吸で。
さぁ、震えたりしないで、今こそ出すのよ。カスカスでザラッザラな声を!
「ホント、寄ラナ゛イ方ガ良イヨ゛ー」
「うわ、ひっでぇ声!」
「移ルト、ヤバソウナ゛風邪ダヨ゛ー」
口許を押さえ、ゴフゴフと咳のおまけ。
こちらに寄りかけていた男は、さっと身を引いた。
そうそう、ステイ。クズ、ステイ。
しかし荷物に手を突っ込んでゴソゴソすると、そいつは何かを差し出した。
オレンジ色の。
どくんと、心臓が跳ねた。
「これ、やるよ。風邪にはビタミン、ビタミンと言えばミカンだろ!」
懐かしさに、無意識に手が動く。
しかし差し出されたそれに触れる前に、さっと魔法使いに取り上げられた。
「ぅわ、何だこのオレンジ! 腐ってんじゃねぇかっ!」
「ちげー、腐ってない! ミカン!」
「はぁ? 意味わかんねぇ、こんなブヨブヨするのに腐ってない訳あるかよ!」
「腐ってない、潰すな! あんたにやったんじゃねぇよ! これだからこの世界は!」
これだから、この世界は。
その台詞に唐突に理解した。
こっちでミカンなんか、見たことがない。
腐っているという、リスターの懸念は尤もだ。
だってこちらのオレンジは、割らないと食べられない、椰子の実かってくらい固い外皮をしているのだ。
日本から来たという、別の転生者。
そうだ。そんな奴がいた。
そしてそのチートは、ピーマンを作れるような、農業っぽい何かだったはず。
急には思い出せない。
もう終わったことだと思っていたから。
だけど、そうだ、確かに。テヴェル…そんな名前だった。
「…みかん食べたい」
それでも無意識に呟いて、伸ばしていた手に、リスターは一瞬困惑げな顔をした。
続いて決意の顔になり、ミカンを半分に割ると一房ちぎって口に入れる。
「…ぶぇ、何だこれ、あっま…やっぱ腐りかけなんじゃ…」
すまぬ、リスターよ。それが正しいミカンの味だ。
こっちのオレンジは爽やかな酸味が特徴だからな…。
「甘いのが普通だ! あんたにやったんじゃないって言ってんのにっ」
「うっせぇな、チビは腹が弱いから、何でもは食えねぇんだよ! 確かめてからじゃなきゃやれねぇよ!」
「そ、うなのか?」
そんなことはない。
この世界の人間にとって怪しすぎるものを、それでも私が食べたがるから、理由を捻り出してまで毒味をしてくれたのだ。
「…まー、食えなくはねぇだろ」
リスターは変わらず伸ばされたままの私の手に、半分のミカンを乗せた。
ミカン。
二度と食べられないはずだったもの。
こっちのオレンジとは、やっぱりどうしても違うもの。
「…おいしい」
しかもこれ、ハウスミカンなのね。
自称風邪の私にくれるってことは、お見舞い用なの?
なんでそんな限定的な感じで作ったんだよ、テヴェル…。
クズセンサーが最大限に警告する恐怖と、無意識が引っ張られるほどに懐かしい前世の食べ物。
何だか頭の中がグチャグチャで、どうしたらいいのか、わからなくなってしまった。
だから、テヴェルが目を輝かせて私に近付こうとするのを見逃した。
こちらに伸ばしてきた手を身体で遮って、やっぱりリスターが牙を剥いていた。
「チビに寄るなって言ってんだろ!」
「な、美味しいだろ! あんた、わかってくれるか! 風邪にはミカンだろ!」
間に入ったリスターの腕でグイグイと距離を取らされながらも、テヴェルは一生懸命に私に向かって言う。
「どいつもこいつも、俺の作るもんが可笑しいとか不味いとか言うんだ。この世界のものよりずっとずっと上等なのに! 改良されてて、洗練されてんのにさ!」
チートの行使に失敗した、彼の強弁。
テヴェルは…本当にこの世界に馴染めていないのかもしれない。
オレンジひとつとっても、日本にいた頃とは違う。それを受け入れられないのだ。
前世の記憶があるというのは、不便なことだ。
まして、彼は前の人生の、自分の名前すらも覚えていたはず。
薄ぼんやりとしか覚えていない私と違って、明確な記憶として、以前の人生を保持したままなのだろう。
それは、辛いことかもしれない。
「…果物、アリガト」
「うんうん。早く治せよ。また話そうぜ」
テヴェルは上機嫌で道を空け、私達を宿に帰してくれた。
今にも私を抱え上げてしまいそうなリスターを何とか宥めて、自分の足で歩く。
今は何も考えたくない。
だけど早く気を取り直して、アレとその仲間を退治しなくてはならない。
テヴェルは日本からの転生者だが、お母様を閉じ込めていた奴ではない。それじゃあ年齢に無理がある。
つまり、忘れられた姫君の関係者の全てが日本人だってわけじゃない、よね?
まだ他にも日本からの転生者が関わっていたらどうしよう。それが皆クズだったら。
私は、この世界で幸せになりたいのに。
…宿に戻った私は、話していなかったりぼやかしていた諸々を、リスターに再度追求されるはめになった。
追求されたからって、何でも話すとは限らないのだがな!
もう、今日は不貞寝する!




